155.第二十六次防衛戦 資源化
二二〇三年二月四日 一五五二 KYT 第五層
上昇中の隔壁は、通路の半分の高さで停止した。大型のブルドーザーが通過できる高さであった。
第五層の広大な広場は、見渡す限り月人の死骸で埋まり、毛皮の絨毯が敷き詰められているかの様であった。
全ての壁や隔壁には、地上から一メートル程の高さに血痕、いや、血の帯が残されていた。
月人共が足掻いた名残だった。近くで見れば、それは拳を打ちつけ、その時についた血痕であることが分かった。それを何度も何度も繰り返し、血の帯が描かれた。
そんな中、規則正しく並んだブルドーザーがゆっくりと前進を始めた。兵士達はブルドーザーに道を譲り、後ろを付いて行く。
床に折り重なった月人の死骸をブレードが押し集めていく。壁にはゴミ収集専用のシューターが幾つも口を開けていた。
ブルドーザー達は、シューターへと目がけて行く。ブレードに引っ掛けられた月人の死骸がシューターの闇へと次々に落とされていく。シューターに落ち損ねた月人やブルドーザーが入れない場所の月人は、促成種の兵士達が人力でシューターへ投げ入れていく。自然種の五倍の筋力を持つだけのことはあり、月人の死体を楽々と持ち上げ、ぬいぐるみの様に投げた。
シューターの先には、リサイクル施設が待っている。
『命の水』と呼ばれる液体プールがそこにはあった。各種薬品やバクテリアを利用した幾つもの分解用水槽だった。ここに落とされた物は分子レベルに分解され、様々な物質に合成され再利用される。
今回の月人は、タンパク質やカルシウ厶等の資源として再利用されることになるのだろう。今後の食事に合成肉が提供された場合、元が月人であることは間違いない。
だが、資源が無いこの世界ではそれが当たり前であり、この作戦に従事している兵士達も疑問や嫌悪を感じることは無かった。敵である月人は、大切な資源でもあった。
二二〇三年二月四日 一六一六 KYT 第五層
ブルドーザーの操作を知らぬ自然種達は、ほぼ士官級だった。複合装甲を身に纏っていたが、足裏の滑り止めが役に立たず、血溜まりの中を歩くのに苦労をしていた。思いのほか、血や脂によって足が滑るのだった。促成種と比べ、士官学校出身により実戦経験が乏しい士官では、仕方がない事であった。
バランスに気をつけつつ、動く者が居ないかと気を張り、活発に動くブルドーザーに巻き込まれない様に注意をしていた。同時に幾つもの事に気を張ることは、かなりのストレスであった。
それゆえにちょっと積み上がった月人の塊が崩れただけで、ストレスを発散する様にアサルトライフルの連射を狂った様に叩き込んだ。叩き込まれた月人は、幾つもの穴を開け、死体を四方に飛び散らかせた。
「ふぅ。これは怖いな。本当に生き残りがいるのか。全部死体だって誰か言ってくれよ。」
「俺だって怖えよ。とりあえず、怪しい所に弾をバラ撒いとけよ。」
「そうだな。弾数だけは無限に等しいからな。」
「でも、俺に当てるなよ。」
「どうだかな。前に借りた金がチャラになるな。」
「はあ、一万円くらいで味方殺しか。馬鹿じゃねえのか。」
「冗談だ。馬鹿でも言わねえとブルっちまうんだよ。」
「冗談になってねえんだよ。頼むぜ、相棒。」
「了解。」
二人は、お互いの死角を補うように第五層をゆっくりと進んだ。
二二〇三年二月五日 一四三四 KYT 総司令部
第六大隊が表層部へ突入し、二十時間以上が経過していた。そして、総司令部の管制官達が、待ちに待った報告が入った。
「こちら第六大隊。月人の排除完了。第一層から第五層まで死体は一体も残っていない。指示を求む。」
第六大隊大隊長の声が総司令部に響いた。
部屋全体が薄暗く、モニターの光が目立つ総司令部の空気が安堵に包まれた。
「了解。管制用モニターで確認する。確認完了まで現状にて待機せよ。」
「連絡を待つ。以上。」
すぐに無線は切られた。大隊長の声は疲労に蝕まれていた。途中で中休止を取ったとはいえ、四十八時間以上睡眠をとっていない。これ以上の作戦行動は体力的にも精神的にも厳しいだろう。
管制官達は、即座に最終確認の工程に入った。
「モニターとセンサーで再チェックだ。一匹たりとも見逃すな。やり直しは大隊への負担が大きい。一回で正確、確実、着実、堅実に終わらせろ。」
『了解。』
管制長の命令に担当管制官達が即座に返事をする。その声には生気が戻っていた。ようやく防衛戦の終了が見えてきたのだ。管制官達も早く緊張状態から解放されたいのだ。
「視認良し。」
「温度センサー良し。」
「圧力センサー良し。」
「全階層の月人の排除を確認。死体は残っておりません。」
「よし、第六大隊の任務は完了。換気を早急に実施。二酸化炭素濃度を正常値に下げよ。」
「了解。第六大隊を撤収させます。」
「作戦区域の空気を地表へ放出開始。シューターの扉を閉鎖。通常空気の送風開始。気密は二酸化炭素濃度が正常値になるまで現状を維持。他の区画に漏らすな。」
「了解。放出。閉鎖。送風の工程を実施確認。」
「気密はどうか。」
「現在確認中。確認できました。気密漏れありません。」
「よくやった。第六大隊、応答せよ。こちら総司令部。」
「こちら第六。」
「月人の排除を確認。撤収を開始せよ。なお、酸素マスクは絶対に外すな。現在もそこは毒ガス状態だ。」
「了解。撤収する。兵達には再度徹底させる。以上。」
無線は言いたい事だけを告げると即座に切れた。第六大隊の大隊長は実務主義か、早く休みたいかのどちらかだろう。
「第六大隊撤収後、スプリンクラー起動。汚れを洗い流せ。」
「了解。他の階層からの防火水槽は接続済みです。」
「工兵隊には、第一層から第五層の復旧にかからせる。」
「了解。空気の入替完了後、工兵隊を入れます。」
「整備大隊は、ブルドーザーを整備、洗車し、各所へ返却だ。」
「了解。整備大隊へ発令します。」
「憲兵大隊は、第六層にて待機のままだ。突発事項に備えさせろ。」
「了解。待機を継続します。」
管制長は一気に命令を下し終えると、肩の力が抜けた。椅子の背もたれに体をだらしなく預けた。
喉に渇きを感じ、机にあったマグカップの甘いコーヒーを一気に飲み干した。
コーヒーに温もりは無く、完全に冷め切っていた。冷たさのせいで甘さが強調され、コーヒーの苦みを感じなかった。
―ああ、これは何時に入れたコーヒーだっただろうか。朝か、もしかすると昨日か。―
すると横から湯気が上がるマグカップが差し出された。
差出人は、強面の副管制長だった。
「お疲れ様でした。管制長。」
「ありがとう。」
そう言うと管制長はマグカップを受け取り、一口飲んだ。
―苦い。―
眠気覚ましの為か、コーヒーには砂糖もミルクも入っていなかった。それとも。
「貴様、ブラックを渡すとは意地が悪いな。」
「管制長は甘党でしたかな。これは失礼を。」
「まあいい。まだ、眠るわけにはいかん。しかし、欲張りな作戦だったな。行政府にも困ったものだ。」
「まさか、食糧問題を解決したいから月人を確保しろとは。無理難題を押し付けられるとは予想外でした。」
「こっちは、史上最大の侵略を史上最低の防御力で勝てるかどうか、不安だらけだったというのに。」
「文官は、殺し合いの実情を知りません。いえ、理解しようとしていません。一度、最前線へ行政府上層部御一行様を案内しましょうか。」
「ほう。それは良いな。では、貴様がガイド役だ。計画を立ててくれ。」
「本当に実施されますか。最高の眺めをお約束いたしますが。」
副官の口角が上がる。余程、行政府に対して腹を立てているのだろう。本当に招待状を送りつけそうだった。
「すまん、冗談だ。で、管制官の中に脱落者は出たのか。」
「はい、六名が業務中に昏倒しました。過労です。睡眠をとれば問題無いようです。発作や脳障害の者はおりません。業務は分担し、作戦進行に支障はでておりません。」
「そうか、脱落者が出たか。休憩のローテーションに課題があるな。こんな戦いが何度も続くと総司令部が機能しなくなるぞ。検討してくれ。」
「分かりました。早急に案を練らせましょう。」
「休んでからで良い。疲れている時に頭を使っても碌な案は出まい。」
「そうですな。まずは休むことが必要でしょう。」
「俺がすべきことは、ここにいることで良いか。」
「はい。各担当管制官の裁量で判断できる状況となりました。」
「ふむ。では、今後のことは参謀連の仕事か。」
管制長はひな壇最上部のガラス張りの部屋をチラリと視線を送った。中では、忙しそうに参謀達が意見を戦わせている様だった。今後の復旧計画や部隊の再編など仕事は山積みだろう。
その奥で元帥は微動だにせず、総司令部の情報モニターを睨みつけていた。今回の被害の大きさに心を痛めている様には見えなかった。
「そのようですな。こちらに命令が来ないということは、これから決めるのでしょう。まぁ、すぐに決められる様な状況ではないですが。」
「では、命令が出るまでかなりの時間があるな。部下共をどれだけ休められる。」
「半休三時間です。」
「半分の人員を三時間休憩か。激戦後では、ちと短いな。」
「しかし、状況は終了していません。第二波が来ないとは限りません。」
「そうだな。では、半休三時間を各一回実施後、半休六時間だ。その後、状況が許せば、通常勤務に移行させる。これでどうだ。」
「問題無いかと。緊急時は叩き起こしますが、よろしいですか。」
「無論だ。軍人は緊急事態に備えるべきである。しかし、今の敵は、睡魔と疲労だ。」
「そうですな。本官が先に半休を頂いてもよろしいですかな。」
「貴様。そのつもりで俺にブラックコーヒーを渡しただろう。目が覚めてしまったぞ。」
管制長は冗談めかして、副管制長を睨む。
「はてさて、疲労で砂糖を入れ忘れただけです。」
副管制長は、涼しい顔で視線を受け流した。
「いいだろう。貴様の班から半休に入れ。」
「了解。半休に入ります。第二班、半休三時間に入る。第一班との引き継ぎを怠るな。」
『了解。』
ようやく仮眠をとれる事実に、総司令部は作戦が成功したこと実感し、緊迫した空気が弛み始めた。




