148.第二十六次防衛戦 黴が生えた戦術
二二〇三年二月四日 一〇五四 KYT 第二層スロープ
総司令部の発言は、虚言でも妄想でも無かった。現実だった。831小隊をさらなる死地へと追い込むかの様に第一層の全ての大扉が次々と解放されていく。
大扉の先に広がる大広間は、二個大隊と整備大隊が展開しつつ、編成替えが楽にできる程の広大な空間だった。スロープで渋滞し立ち往生していた月人達は、開いた大扉からその大広間へ、後続により押しこまれる様に一気に雪崩れ込んだ。
狼男は力強く床を踏みしめて疾走した。
兎女はその隙間を俊敏な動きで跳ねまわった。
新たに増えた低く重たい足音が、第一層全てに反響した。月人が踏みしめる音が、小和泉達の腹に重く浸透していく。四方から迫る音の圧力は、831小隊隊員の全身を隙間なく覆っていった。
小和泉達は、ヒシヒシと死への危険域が高まって行くことを強制的に理解させられた。
瞬く間に広大な空間を月人が埋め尽くしていく。何も無かった大広間は、獣毛に覆われた月人が密集し、動く毛皮の絨毯が敷かれているかの様だった。
都市外周をなぞる様に設置され、円弧状のスロープを走るよりも、大広間を一直線に駆け抜ければ、最短距離で小和泉達に追いつくのは簡単であった。
月人の知性は高い。人類とは、意思の疎通と考え方が理解できないだけで、知力も知性もある。ゆえに迷わず最短距離で月人達は、小和泉達へ迫り来る。
その暴力の津波が、小和泉達の視界に入った。小和泉の視野一杯に広がる月人達。第一層での足止めは、不可能になったことをこれから振るわれるであろう暴力を想像する事により実感させられた。
「攻撃中止。全力で第二層へ入れ。僕が釣る。後は任せる。」
小和泉の命令に言葉で無く、態度で桔梗達は即座に反応した。返事の寸暇も惜しかった。あの獣の津波が到達すれば、狂犬部隊は、ただの肉片へと瞬時に変わることは必然だった。
最後まで第一層に残っているのは、小和泉の8312分隊だけだった。他の分隊は、すでに第二層へと到達している。
状況は刻々と変わる。小和泉達も第二層へ達しなければ、四方から磨り潰されてしまう。第二層に到達すれば、側面からの攻撃は無くなり、先程までと同じ撤退戦が続けられる。
全員が攻撃を中止し、スロープを全速力で駆け下りる。
桔梗達促成種は、本来の力を解放して走った。速度が一気に跳ね上がり、必然的に小和泉一人だけが取り残される形になった。
やはり、促成種の足の速さに自然種が追い付くことはできなかった。それは分かり切っている事であり、小和泉は桔梗達の先読みに期待した。
―桔梗達ならば、僕の意図を理解してくれる。―
三人娘であれば、小和泉の期待に応えてくれると信じていた。
三人娘とカゴは、圧倒的な速さで第二層の隔壁部分に到着した。自然種が居なければ、ここまで早く行動ができることを証明して見せた。
到着すると即座に三人娘は、弁当箱の様な物を床に均等に並べた。それを見たカゴは、真似する様に手持ちの弁当箱の様の物を並べ始めた。誰もその行動に注意をしなかった為、それは正しい行動だったのだろう。
一度きりの奥の手。今回限りの戦術だった。これにより、手持ちは無くなり、第三層以降は使用できなくなった。それは今後の死傷確率が上がることを意味していた。
だが、ここで斃れてしまっては、奥の手は無駄になってしまう。今使うしかない。それが小和泉達の考えだった。
箱を並べ終えた四人が後ろを振り返ると小和泉は、月人達に先回りされ、暴力の波に飲み込まれつつあった。
小和泉達が、月人への遅滞戦闘を一切やめた事により、月人の進撃速度が上がっていた。
側面からの追撃部隊が大広間を走り抜け、一気に距離を詰めてきた。攻撃の圧力、つまり殺気が一気に跳ね上がる。
小和泉は、兎女の長剣を最小の動きで掻い潜り、狼男の爪を左に避け、全力で走った。
小和泉に反撃する考えは一切無い。回避と疾走に全力を尽くす。
ヘルメットのバイザーには、後方視界だけではなく、左右の側方視界も表示させている。ゆえに前を向いたまま、敵の攻撃を躱すことができた。
網膜モニターに表示させると視線をどこに向けても画像を確認できるが、網膜モニターと肉眼の画像が重なり、風景を表示させるには向いていない。ゆえに視線移動が必要だったが、バイザーに表示させていた。
敵が少数であれば、気配での判断が可能だったが、数万匹の気配を選別する芸当は持ち合わせていない。その様な事が可能であれば、超能力者と言っても差し支えないだろう。もっとも超能力の研究は数十年前に廃れている。有るか無いか分からないものを研究する余裕は、人類には無い。生存することに必死なのだ。
小和泉は四人を信じ、攻撃を掻い潜り、前へ走るだけだった。
箱の設置を終えた四人は、素早く箱との距離を取り、小和泉への援護射撃を立射にて開始した。小和泉に掴みかかろうとする狼男へエネルギー弾が集中し、のけぞり月人の海へ飲み込まれていった。
小和泉の体、ギリギリをエネルギー弾が掠めていく。その度に、撃たれた月人は暴力の波へと飲まれ消えていった。
時折、菜花のエネルギー弾だけが小和泉の複合装甲を削る。
「菜花。僕を殺す気かい。もう少し外を狙おうか。」
「隊長、すまねえ。もうちょい余裕をとるっす。」
気まずそうな声で菜花は謝った。
小和泉は回避運動を止め、走ることに全力を傾けた。避ける動作は、四人の援護射撃の邪魔になるようだった。
―よし、桔梗の横を真っ直ぐに目指そう。桔梗の狙撃の腕ならば、狙いを付けやすいだろう。―
小和泉はそう決めると桔梗の真横を目指して真っ直ぐに走る。今までの回避行動はピタリと止めた。
ただただ、四人を信じて真っ直ぐ走る。
小和泉に触れそうになる月人は、四人が次々と撃ち払う。誰も小和泉への接近を許さない。
小和泉が回避行動を止めた為か、菜花の誤射は無くなった。やはり、回避行動が予測射撃の妨げになっていた様だ。四人の命中率が上がり、小和泉は月人の追撃から逃れやすくなった。
特に桔梗の射撃は、神がかっていた。今までよりも小和泉のヘルメットや複合装甲を掠める様に月人を撃ち倒していく。小和泉が回避行動をとらなくなったため、敵の攻撃予測が単純になり、小和泉への誤射の心配が無くなったからだ。桔梗は、本職である狙撃手の実力を如何なく発揮した。
小和泉は身の安全を四人に任せて走る。四人が小和泉の信頼と愛情を裏切らないと確信し、絶大なる信頼を置いていた。
小和泉は床に並べられた弁当箱を跨ぐ様に走り抜ける。足は止めない。桔梗達のもとへ走り続ける。
数秒後、背後で火薬による小さな爆発音が次々と繋がった。
「ギャン。」
「キュー。」
爆発音とは反対に月人の大きな悲鳴が続々と上がる。続いて肉と肉がぶつかり合い、骨が折れていく音が合奏される。
それに伴う様に、月人の悲鳴という歌声がスロープに鳴り響いた。
その成果は、小和泉の背後から月人の気配を一気に減らした。まだ十数匹がしつこく追いすがってくるのをモニターで確認できた。その月人を排除すべく、桔梗達は射撃の手を緩めない。小和泉を掠める様にエネルギー弾が流れていく。
ようやく、小和泉は桔梗達が立射している場所に辿り着き、足を止め、振り向いた。
スロープには、小和泉を追いかける様に月人の死体が点々と斃れ、爆発元では巨大な肉壁が誕生し、月人の侵入を一時的に止めていた。肉壁のこちら側の敵影は屍に変わっていた。
「みんな、ありがとう。よく、僕の考えが分かったね。作戦成功だね。」
「はい、錬太郎様には戦術のイロハを直接教えて頂きました。忘れるはずがありません。」
「うんうん、嬉しいことを言ってくれるね。六百年前の古くて黴ている様な戦術も有効だったね。」
「はい、錬太郎様の仰るとおりです。士官学校の教本では、この戦術は思いつきませんでした。しかし、ベッドの中で私の体を地形に見立てての戦術講習はいかがなものかと。」
「いいじゃないか。逆に忘れなかったでしょう。それにお互い気持ち良かったじゃないか。」
その時の授業風景を思い出したのか、桔梗の頬が赤く染まる。
「いいなあ。俺も隊長の個人授業受けたいなあ。」
「菜花は、座学は要らないと断っている。代わりに白兵戦の実技指導が濃いことを知っている。」
「な、てめえ鈴蘭。何で知ってる。」
「道場にて現場を確認。二社谷師範も把握。」
「てめえだって、隊長とお医者さんゴッコしてるじゃねえか。」
「衛生兵としての治療の勉強。服を脱ぐ必要あり。これは必要不可欠。」
「二人ともいい加減にしなさい。作戦中です。」
「はいよ。」
「了解。」
桔梗の一喝で菜花と鈴蘭のじゃれ合いは終わった。
―うちのお嬢さん方は強いね。この場で無駄口を叩けるなんてね。―
小和泉は、三人がストレスを上手に抜く様子を見て一安心をした。




