147.第二十六次防衛戦 狂犬の二つ名
二二〇三年二月四日 一〇五一 KYT 第一層スロープ
月人地獄の中、8312分隊こと狂犬部隊の活躍は見事だった。確実に月人の足止めを実行し、敵の突出を許さなかった。
桔梗達は連携して、確実に月人の第一線の綻びを攻撃した。それにより将棋倒しが発生し、月人の進行速度を幾分か遅れさせた。
その中でも目立つ行動を取る者が一人いた。
自然種であるはずの小和泉は息を切らさず、顔色一つ変えずに平然と走り、反撃を単独で繰り出していた。
時折、冷え切った笑みを浮かべていた。何が楽しいのか凡人には、理解できなかった。一番の理解者である桔梗だけが、その感情を想像できた。
手を伸ばす狼男の手首を銃剣で切り落し、側面から斬りかかる兎女の腹部にアサルトライフルで穴を幾つも開ける。
背中から牙を剥き出しに襲う狼男を後ろ回し蹴りで月人の波に蹴り帰す。
どの攻撃も致命傷には至っていないが、撤退優先であれば問題無い。障害物を排除できれば良いのだ。
敵が苦痛や驚きで表情をコロコロと変えるのを見るのは楽しかった。獣面でも痛みや苦しみの表情はよく分かる。月人の自信に満ちた表情が、小和泉の反撃により苦痛に変わる様は何度見ても飽きない。
どうしても小和泉の顔は弛み、冷徹な笑みが零れてしまった。
―くくく。いいぞ。もっと僕に見せてくれるかい。強者の自信が一瞬で弱者の敗北感に変わる表情は最高だよ。あぁ、ここが普段の戦場ならば、持ち帰って、いきり立つ僕を鎮めてあげられるのに。本当に残念だよ。―
小和泉は生命の危機を感じていない。日頃の修練の成果だろうか。この程度の戦闘では自分自身が戦死する可能性を微塵も考えていなかった。
錺流の稽古で三日三晩、姉弟子である二社谷と不眠不休で殺し合いをしたことがある。もちろん、修練の一つであるが、お互いが本気で命を奪おうとした。その時に比べれば、月人達の殺気は生温い。二社谷の繰り出す殺意が籠った攻撃ほど恐ろしいものを経験したことは、今までに無い。
このまま三日三晩戦い続ければ、精根尽き果てるのは月人が先だろうと漫然と考えていた。
いつ四方から取り囲まれて、磨り潰されてもおかしくない地獄の様な戦場でただ一人、小和泉だけが戦闘を楽しんでいた。他人から見れば、精神が狂っているとしか言いようが無かった。しかし、小和泉は正気だ。
だが、小和泉は計算違いをしていた。後方に控えている月人は力を温存しており、第一線といつでも交代が可能であった。正常な判断能力が残っていれば、小和泉は気づくはずだった。時間をかける程、自分自身が不利になる事を。
戦闘に酔いしれ、判断能力に狂いが生じていたのだった。
その危うさを桔梗達四人は、懸命に補佐し続けた。戦闘に前のめりになっていく小和泉を下げさせ、背中を護り、撤退を優先させる。
「錬太郎様、鹿賀山少佐と距離が離れます。お下がり下さい。」
「もう少しで狼男の喉に銃剣が届くんだよ。」
「殺しは次回の楽しみにして下さい。今は撤退を。」
「こんな機会無いよ。見渡す限りの敵、敵、敵。僕はとても興奮しているよ。」
「よろしいのですか。東條寺少尉を危険にさらすことになります。」
その名を聞き、小和泉の脳裏に東條寺の笑顔が浮かんだ。脳内に分泌されていた興奮物質は、急激に分解され、普段の冷静さを取り戻し始めた。
「ふむ、奏を巻き込みたくないよね。仕方ないな。下ろうか。」
「了解。援護します。」
小和泉もこの戦いは、逃げ切れば勝ちである事とは理解している。だが、戦いが楽しいのだ。
再び、脳に興奮物質が大量に分泌され、ますますテンションが上がっていく。
それを止める為、似た様な会話を何度も繰り返した。
戦いにのめり込む小和泉を引きはがすのに苦労する桔梗達だった。
831小隊の皆は誰がつけたか知らないが、狂犬の二つ名は伊達ではないと納得した。ある者は好意的に、ある者は化け物を見るかの様だった。
雲霞の如く攻め寄る月人を狂犬は、埃を払うかの様に吹き飛ばしていく。それだけでも信じられぬ光景であったが、部下の動きも一線を画していた。
小和泉とは違い、接近戦ではなく銃火器を使用し、射撃戦を展開していた。小和泉が常に一対一の戦闘になる様に死角になる敵を優先的に無力化していく。
小和泉が月人の意識を惹きつけ、桔梗、菜花、鈴蘭がその援護を行う。カゴは、他の者の陰に潜み月人に意識されることなく、敵の死角から静かに屠っていく。
月人には四人分隊にしか見えなかった。目の前の弱そうな人間が五人いるとは思いもよらなかった。
積極的攻勢を行っているにも関わらず、撤退速度は他の分隊と遜色なかった。有り得ない程、高次元の戦闘分隊であった。恐らく、日本軍最強の分隊であると誰もが認めるに違いなかった。
狂犬部隊こと8312分隊は手榴弾やアサルトライフルを駆使し、足止めをし距離を稼ぐ。月人は仲間の死体の山を乗り越え、追いつきかけると狂犬部隊に追い散らされることを繰り返していた。
831小隊の中で分隊として戦闘能力を十分に発揮しているのは、狂犬部隊だけだった。他の分隊は、狂犬部隊の大外の牽制に徹していた。そうせざるを得なかった。下手に介入すれば、狂犬部隊の緻密な連携を壊すことは容易に想像できた。
気を休めることが一切できない撤退戦を実行し、831小隊は、全力でスロープを駆け下りる。
いつしか隊形は、鹿賀山の8311分隊が単独で先行して安全確認と状況の把握。小和泉の8312分隊がスロープの中央にて月人を正面から受け止め、井守の8313分隊と蛇喰の8314分隊が8312分隊の両脇を固め援護射撃をする形に落ち着いていた。
一番月人を倒している小和泉が悪目立ちし、月人の視線。悪意。敵意。攻撃を一身に集め、取り囲まれつつある地獄の中で活き活きと振る舞っていた。
「そうだ、僕に敵愾心をぶつけるんだ。僕だけを見つめるといい。活きの良い餌はここだよ。はははは。」
小和泉は、月人共に叫んだ。それは、少しでも恋人達へ敵意が向かぬ様にする為だった。
二二〇三年二月四日 一〇五二 KYT 第二層スロープ
鹿賀山率いる8311分隊の目の前に、大きく口を開ける第二層の隔壁が見えた。
―無駄かもしれぬが、生き残れる可能性が少しでもあるのならば実行すべきか。―
鹿賀山は悩みつつも総司令部へ個別回線を開いた。結果は分かり切っている。部下に聞かせれば、士気を下げる結果になることだろう。ならば、最初から聞かせなければ良い。
「こちら831小隊。総司令部、応答せよ。」
無視をされる可能性を考慮しつつも発信した。
「こちら総司令部。831どうぞ。」
待たされるか、無視される可能性もあったのだが、即座に明瞭な音声で繋がった。相手は若い男性の管制官だった。
―総司令部は、見捨てるつもりは無いのか。我々が生還すると信じているのか。―
鹿賀山は、捨石にされた部隊の無線が繋がることに軽い驚きを覚えた。
「まもなく、第二層に入る。隔壁の閉鎖を求む。」
「831小隊は、第六層への到達が最優先です。隔壁の閉鎖はされません。」
「ここで閉鎖すれば、敵の侵攻を第一層で止められる。」
「総司令部の決定に変更はありません。十秒後に第一層の全隔壁が開放されます。831小隊の武運を祈ります。以上。」
そう管制官は告げると無線を切った。管制官の発言に迷いや逡巡は一切無かった。
―総司令部の意志は固いな。今後、連絡をしても杓子定規の返答が返されるか。
余程、有用な作戦が進行しているのだろうか。何故、秘密にする。開示できない理由は何だ。いったい何を考えている。にしても、部下に無線を聞かせなくて正解だったな。―
鹿賀山の疑問は増えたが、予測通りの結果に溜息をつきつつ、足を動かし続けた。
そして、831小隊は第二層の隔壁を走り抜けようとしていた。
景色は第一層と全く同じだ。二車線道路と左右に歩道。装甲車が通り抜けられる巻き上げ式大扉が幾つも壁に並ぶ。この同じ景色が、第十層まで繰り返される。
階層の違いは、境目に巻き上げ式の大扉がスロープを塞ぐ隔壁として有ることと、壁と天井に階層の数字が大書きされ、隔壁の前後で階層の数字が違うこと位の差異しかなかった。
そして、地獄の門はついに開いた。第一層にある全ての大扉が一斉に開いた。良く整備された巻き上げ式の大扉は音も無く、途中でつかえることも無く、スムースに天井へと吸い込まれ全開した。
「くそったれ。スムースに開くんじゃねえよ。たまには故障しろよ。」
「いい加減な整備してない証拠だろ。」
「今はそんな証拠いらねえよ。馬鹿か。」
兵士達の不平が小隊無線に流れる。
―兵士達の気持ちも分かる。しかし、古参兵達は余裕があるな。寿命が短い促成種は、達観しているのだろうか。ふっ、そんな事を考える余裕を持っているのか、俺は。―
鹿賀山は無線を聞きつつ、促成種達の気持ちを量った。この状況で、自分が冷静であることは意外だった。




