146.第二十六次防衛戦 三者三様の思い
二二〇三年二月四日 一〇五〇 KYT 第一層スロープ
鹿賀山は第二層に到着する直前、戦術モニターに表示される小和泉隊の動きに変化を認めた。それを制止することなく、あえて任せた。いや、放任したと言った方が良いだろう。
―俺は口出しをすべきではない。小和泉を放任することが、小隊の生存率を上げるには最適解となるか。ええい、アイツだけに負担を押し付けるとは不甲斐ない。俺にできることは何だ。何がある。
くそ、何も思い浮かばん。少しでも早く走ることだけが、小和泉の負担を減らすことになるのか。
俺は、何て、無力だ。―
鹿賀山は、小和泉の行動が831小隊を救う唯一の手立てだと理性で判断した。
一方で心情的には認めることはできなかった。表情や態度には出さないが、親友の助けになれぬことに奥歯を噛みしめた。
そんな心の内を理解しようともせず、小和泉の行動を見過ごせない人物が鹿賀山と並走していた。
「少佐、小和泉、大尉を、止めて、下さい。無茶です。第六層に、辿り、着く、前に、力、尽きます。」
東條寺だった。息を切らしながら言葉を紡ぐ。ヘルメットのバイザー越しでも瞳に浮かべた涙が確認できた。
―止められるものなら、とっくに止めている。俺にそんな誘惑を持ちかけるな。断ち切った想いが、再びもたげ上がるだろうが。―
鹿賀山の心がぐらつく。それでも小和泉を信じる心が勝った。
「少尉。奴を信じろ。死ぬ様なことはしない。奴は生き残る。」
「我々も、同じ、行動を。追随を。」
「無理だ。我々にその技量も体力も無い。他の分隊が追随していないのが、その証拠だ。蛇喰も井守も理解している。その証拠に、牽制射撃のみに徹し、足を止めていない。
小和泉の事を思うならば、刹那でも早く第六層へ辿り着け。
それに少尉の腕では、射撃効果を期待できんな。味方を撃ち抜きそうだ。
前を見て少しでも早く走れ。小和泉の事を想うのならば。」
最後の言葉は、鹿賀山自身への言葉でもあった。
「了解。」
東條寺は下唇を噛みしめ、正面を睨み殺す様に向き直し、全力で手足を振り始めた。
自然種は、複合装甲で三倍の速力と筋力に増幅され、月人と同等の能力を得ていた。促成種は、複合装甲無しで自然種の五倍に増幅されていた。これが人類の科学力の限界であった。
この科学力の限界が、この逃走の足を自然種が引っ張っていた。自然種がいなければ、促成種はもっと早く走り、月人から楽に逃げることができる。
だが、人造人間である促成種には、自然種を見捨てることは許されていない。それは、額の情報端子から脳に書き込まれている制約の一つ、安全装置だった。
環境に適応した個体が生き残るのが自然界の法則だ。肉体的に優秀な促成種が自然種を脅かす可能性を日本軍、いや、人類は自ら生み出しておいて、それゆえに非常に恐れた。
その為、促成種は寿命と繁殖能力を一方的に奪われた。そして、深層意識に様々な制約を植え付けていた。
促成種達は自然種の速度に合わせる選択肢しかなかった。自然種を置いて逃げる発想すら浮かぶことは無い。
東條寺は、その事を思い出し、気付いてしまった。
―先頭を走る私が遅ければ、後続がつかえてしまい、撤退速度が遅くなる。
そうなれば、錬太郎を死地に残す遠因が、私自身になってしまう。
普段はクズだ、最低だと言い放っている。さらに二人の出会いも最悪だった。それでも、今は錬太郎が愛おしい。結婚を願い、その想いを口に出して何度も伝えた。
答えは、いつも口づけにより言葉を止められ、最後は愛でられ、精根果ててしまい、有耶無耶にされてしまうけれど。
愛人が何人いても構わない。錬太郎ならば、私を桔梗達と平等に愛してくれることは知っている。父もそうだった。腹違いの兄達と同じ様に可愛がってくれた。きっと錬太郎も私達を愛してくれる。
私が錬太郎の迷惑になる訳にはいかない。それにこの先に父も待っている。絶対に死にきれない。
走る。走り抜ける。走り抜けてみせる。―
東條寺は、悲鳴を上げる肉体を無視し、さらに力を籠め、走り続ける。肺や心臓や足や腕が痛みを訴えようが、内臓の全てが休憩を求めようが、脳が休息を訴えようと全てを無視した。
愛する人が、皆を守る盾になってくれている。
東條寺にできることはただ一つ。第六層へ最速で辿り着く。
そうすれば、小和泉は死地から逃れられる。そう信じ、懸命に手足を動かしスロープを駆け下りる。
―少佐が言った様に心臓が止まれば、それまでの事。そうなれば、錬太郎の枷にならないよね。撤退もスムースにできるよね。
私が死んだら、錬太郎、泣いてくれるのかな。悲しんでくれるのかな。―
一抹の不安がよぎる。
―自分が愛する人は残忍だけど、冷酷じゃない。ほぼ犯罪者だけど、自分に素直なだけ。愛を知る優しい人だもの。―
東條寺は、正面を真っ直ぐ見据え続ける。この緩やかなスロープの先にゴールがある。東條寺の瞳からは涙が消え、強い生命力の煌めきが見えた。下腹部から力強い温かな力を感じた。
東條寺は小和泉の為に、産まれて初めて本当の全力を出した。
相変わらず、831小隊の中で真っ先に体力を失う井守は、酸素を求め、口を大きく開け、肩を激しく上下させつつも走り続けていた。すでに意識は飛んでいるに等しい。頭の中に『走れ』『走れ』だけが何度も何度も繰り返され、無線の内容は頭に入ってこなかった。
バイザーに表示させた後方画像には、月人の大群がスロープ一杯に広がり、確実に距離を詰めてくる。
恐怖を感じ、前を向いたまま、アサルトライフルを肩に乗せ、背後を適当に連射した。エネルギー弾は天井へと吸い込まれていった。
「隊長は走ることに専念して下さい。正直、味方が危険です。」
即座に副長のオウジャ軍曹に窘められる。
「す、す。」
井守の喉は渇き、舌がへばりつき、言葉にならなかった。
「返事は要りません。走ることだけに集中して下さい。」
オウジャの言葉に軽く頷き、井守は走る。
限界が近いのは井守だけでなく、自然種である鹿賀山、東條寺、蛇喰も同じではあった。
数時間も野戦を続け、ほぼ徹夜に近い状態だ。肉体も精神も疲労困憊である。そんな状況の上、長距離走を強いられている。複合装甲に装備されている反復装置が補助しなければ、足が止まり、月人の波に飲み込まれていただろう。
ここで気絶をしたり、足を止めることは、確実な死を意味する。何があっても意識を保たなければならない。
―一人の死は、小隊の死傷確率を一気に跳ね上げる。ここには十五人しかいない。一人でも戦力が欠ける事態は避けなければならない。―
と井守は思っていた。
現実は自然種が居なくなり、促成種のみであれば、逃げおおせる確率は上昇する。足手まといが居なくなる方が、他の者の生存確率が上がるのは事実であった。
だが、酸欠の井守の頭では、その事に気付いていなかった。
頭が正常に働いていれば、足手まといになる前に、自ら月人へ突撃をし、己の命を散らせていただろう。
逆に肉体と精神が追い詰められたことによって、井守の命は救われていた。
今の井守の頭の中は、何としてでも体を動かさなければならない、つまり走るという思考に満たされていた。
井守はバイザーのタッチパネルを操作した。首筋にチクリと針を刺す痛みを感じたが、すぐに全身を苛む筋肉の悲鳴が薄れ、体が軽くなっていた。酸欠による頭痛や吐き気も治まり、多幸感が徐々に強まっていく。
ついに、薬に頼ってしまった。中毒性、副反応が大きいことは理解していた。だが、それを上回る薬効の大きさも初陣で小和泉に教えられた。井守に足を引っ張られなくなかった小和泉の思惑が、ここで発揮された。
これ以上、皆の足を引っ張りたくなかった。それに、ここで斃れるのであれば、薬の後遺症の事を考えても詮無きことである。
生き残ってから悩めば良いことだと割り切った。それが、井守の決断だった。
こういう状況こそ、自然種と促成種の差が大きく出た。人造人間である促成種達は、遺伝子設計の通りにタフさを如何なく発揮した。疲労も眠気もあるのだが、遺伝子改良された身体は、興奮物質を脳内で分泌させ、普段と同じ動きを維持していた。こちらの興奮物質は、自然物であり、井守が使用した薬とは違い、副反応は無い。
余力がある促成種が自然種をカバーする。促成種達は、間近に襲い掛かる月人をアサルトライフルの連射で蹴散らし、自然種を護る。自然種達はその行動に気付く余裕も無かった。831小隊は必死に命懸けで地獄のスロープを駆け下り続ける。




