144.第二十六次防衛戦 冷たい算数
二二〇三年二月四日 一〇四五 KYT 第一層スロープ
鹿賀山は、複合装甲越しに背中で曲輪の爆破の圧力を感じた。思いのほか前へ押される圧力から、予想以上の火力が出たことだけは分かった。
イワクラムを高純度に精製した貴重な高性能爆薬を使用した甲斐があった。
「こちら831小隊。総司令部。爆破成功。扉の緊急閉鎖を。」
地下都市内へ逃げ込み、総司令部に対し、扉の閉鎖依頼を即座に出した。
総司令部の応答を待つ間、バイザーの一部に後方カメラの映像を表示させ、状況を確認する。
今も走り続けている為、画面が大きく揺れ、注視することはできない。
詳細を確認できないが、もうもうと舞う火焔の中から飛び出してくる月人の姿は無い様だった。
後は、隔壁さえ閉めてしまえば、外に溢れている月人は侵入できない。閉鎖完了までに多少の月人が地下都市に入り込むだろう。しかし、それ以上の増援は無い。侵入者が少数ならば、殲滅することは容易くなるはずだ。
侵入者を処理し、籠城戦へ移行すれば、日本軍が立て直す時間を取ることが出来るに違いない。それが、この時点までの鹿賀山をはじめ、第八大隊の共通認識だった。
「こちら総司令部。831小隊へ。それは作戦外だ。承認できない。第六層まで速やかに撤退されたし。」
小和泉達は、小隊無線に流れる総司令部の返答に耳を疑った。即座に反論したかったが、ここは小隊長である鹿賀山に任せるしかない。上官の会話に部下が口を挟むことは、軍においては許されない。
―総司令部は何を言っている。作戦外?まだ撤退戦を続けるのか。何の利点がある。数万の月人が都市内に侵入すれば、人類は蹂躙されるだけだ。分からない。総司令部の意図が理解できない。―
鹿賀山には、総司令部の意図を掴むことができなかった。今、出来ることはただ一つ。反論だ。
「承服できん。隔壁の即時閉鎖を求む。地下都市全滅の危機だ。」
鹿賀山の語気は、深く低く、ナイフの様に強まる。だが、総司令部の管制官には、ドスの効いた剣幕は通用しなかった。日頃からガラの悪い連中を相手にしているからだろうか。
「第六層まで即時撤退をして下さい。作戦に変更はありません。」
管制官の声は平坦だった。自分自身の頭上に敵が入り込んできているのに落ち着いていた。
―この落ち着き。我々の知らない作戦が進み、数万の月人に対処できる方法があるのか。ならば、何故開示しない。―
鹿賀山は、管制官の落ち着きに奥歯を噛みしめた。
「つまり、第八大隊に伝えられていない作戦が進行しているということか。」
「答える権限がありません。」
「第六層に到着後、何をすれば良いか。」
「答える権限がありません。」
「権限のある者に代われ。」
「お待ち下さい。」
無線が一時的に切れるが、即、繋がった。同じ管制官の声だった。
「却下されました。撤退の成功を祈る、とのことです。以上。」
無線は切られた。
―これ以上は、話を聞くつもりは無いか。となると時間の無駄だな。―
「831小隊、走れ。第六層へ走れ。何としても生き残れ。」
鹿賀山には、そう叫ぶしか方法が無かった。指揮官として何とも格好の悪い命令であった。
しかし、体面を気にせず、素直に逃げろと命令できる指揮官は貴重であり、優秀な指揮官でもある。
831小隊は生き延びる為、地下都市の外壁に沿った二車線ある自動車用道路のスロープを懸命に走り、下り続ける。エレベーターもあるが、このフロアに籠があるとは限らない。また総司令部が電源を切っている可能性もある。自分の足で逃げるのが間違いなかった。
この士気を挫く命令は、831小隊の足を鈍らせていた。一度は助かったと思った命だった。
総司令部は831小隊を死地に留め、解き放たなかった。
生還率は低い。いや、ゼロに等しい。死神の手が831小隊を優しく包み込む。いつ死神に握り潰されるか分からない。それが一分後なのか、五分後なのか。それとも解き放ってくれるのだろうか。
戦闘予報は沈黙を保ち続けている。一度も更新されていないのではないだろうか。
死傷確率が100%に達している為、情報封鎖をしているのでは無いかと兵士達は勘ぐっていた。
もっとも、戦闘予報を聞いたところで今の状況に変化が生まれる訳ではない。ひたすらに第六層へ向け走り続けることが、生に辿り着くただ一つの手段である。
月人の群れが、爆発によって大量に舞い上げられた土砂による土煙を纏い、さながらマントの様になびかせながら抜けて来た。火は治まった様だ。月人達は毛皮を埃まみれにし、眼は赤く血走らせ、口許からは大量のよだれを垂れ流し、低音で唸り声を上げていた。
人間と月人の間で意思疎通は、今のところできないとされているが、明らかに怒りの感情に満ち溢れていることは誰の目にも明らかだった。
少しでも生還率を上げる為に、小和泉達はアサルトライフルを照準無しで振り向くことなく、連射を始めた。走りながら背後へ撃つ為、狙いは不正確で壁や天井に吸い込まれるものも多いが、半数以上は月人の群れに撃ち込まれていく。
エネルギー弾を喰らった月人は、その場に崩れ、後続の月人の群れに踏み潰され、それを踏んだ月人はつまずき、背後の月人に押し倒され、またその月人に躓くという悪循環を引き起こし、進軍を遅らせた。
どうやら、小和泉達は運を使い切っていない様だった。まだ逃げ切れる可能性は皆無ではない。
しかし、次々と月人は大扉をくぐり、地下都市に雪崩れこみ、雲霞の如く攻め寄せる。
狼男は口から大量の涎を垂らしながら唸り、兎女は爆発音で一時的に聞こえなくなった耳を回復させるため、耳を小まめに動かし、地下都市へ続々と足を踏み入れてくる。
敵は、スロープ一杯に隙間なく広がり、土砂崩れの様に押し寄せてくる。
月人の大群の後方は都市外から隙間無く続いており、途切れる様子は無かった。
そんな中、831小隊の申し訳ない程度の攻撃であっても、月人の侵攻速度を若干落とす程度の効果はあった。
地下都市KYTの第一層から第十層までスロープ状の二車線道路と左右に歩道が設けられていた。
エレベーターでは、運搬効率が悪いためだ。表層部のみ車両の自走や徒歩にて階層移動できるスロープが設置されており、その壁面には装甲車が楽にすれ違える巻き上げ式大扉が多数並んでいた。
この地下都市表層部は、軍の編成や補給を行う為の施設として整備されている。四個大隊が装甲車と共に整列できる広大な空間が各層に広がっていた。スムースな出撃が出来る様に巻き上げ式大扉は、多数配置されていた。今は、開いている大扉は無く、固く閉ざされており、スロープのみが月人の進路となっていた。同時に小和泉達の唯一の撤退路でもあった。
その様な編成所に月人が雪崩れ込めば、数万の月人を容易く受け入れてしまう。ゆえに外壁の隔壁は、即座に閉鎖されるものであると誰しもが考え、いや、思い込んでいた。だが、現実は違った。
そんな危険な場所であるスロープを、831小隊は全力で走り続ける。
「月人の侵入を確認。即時閉鎖を。」
鹿賀山は総司令部へ再度具申する。だが、返ってきた答えは、予想通りの悪夢を生みだした。
「閉鎖はされない。速やかに第六層へ到達されたし。」
それは、死ねと言われたに等しい回答だった。だが、鹿賀山は諦めない。
「持ちこたえられない。閉鎖を求む。」
「戦闘は回避し、第六層への到達を最優先せよ。」
「不可能だ。追いつかれる。閉鎖を。」
「すでに作戦は第二段階へ移行済み。開示できる情報は、831小隊が第二層に到着次第、第一層の大扉は全て開放される。即時退却を。」
「馬鹿な。何を考えている。そんな作戦は聞いていない。敵を都市内に入れてどうする。蹂躙されるぞ。」
鹿賀山の反論を総司令部は無視し、話を続ける。
「同様に第三層に到着後、第二層の大扉を全開放する。順次、第六層到着まで繰り返す。831小隊は、第六層へ到達すること専念せよ。作戦の第三段階は、総司令部が引き継ぐ。」
「無茶を言うな。一個小隊で数万匹を相手にできる訳が無い。死ねと言うのか。即時閉鎖を求む。」
「第六層へ直ちに撤退せよ。貴官の要請は受理できない。命令の速やかな遂行を期待する。」
「待て。再考を求む。」
「第六層に到達できない場合は、貴殿らは回収されない。第六層へ必達する様に。以上。」
「見殺しにするのか。再考を求む。おい、総司令部、応答せよ。応答せよ。」
鹿賀山が何度も総司令部を呼び出すが、一切反応は返って来なかった。無線は沈黙を保ったままだった。
「軍に見捨てられた。」
「廃棄された。」
「贄なのか。」
「そんな上等なものじゃない。餌だな。」
「つまりは、見殺しか。」
兵士達は、心の思うままに言葉を吐き出した。
さすがに士官達は沈黙を保っていたが、士官達も同じ様な気持ちを抱いていた。
831小隊の雰囲気は重くなり、士気は格段と下がっていった。
鹿賀山の息遣いだろうか、ため息が聞こえ、続いて、深呼吸が小隊無線から聞こえた。
「皆、聞いていたな。走れ。第六層へ辿り着け。息が止まろうが、心臓が止まろうが走れ。命令だ。絶対に第六層へ辿り着け。肺や心臓が止まろうが足を動かせ。第六層で蘇生してやる。だから走れ。そして見返すぞ。」
鹿賀山の声には、冷静さと怒りが力強く同居していた。この重く昏い雰囲気を吹き飛ばすかの様に、一気に言い放った。
小和泉だけは気づいた。その声に悲壮感が含まれている事に。ほんの少しの声色の変化だった。それは耳元で語り合う様な間柄でなければ、気付かぬ些細な変化だった。
『了解。』
小和泉を含め、兵士達はそう答えるしかなかった。今の無線の内容を聞いていれば、鹿賀山に落ち度が無いことは明白だ。第八大隊に課せられた命令を831小隊は完璧に遂行している。なのに切り捨てられた。
大を救う為に小を見捨てる。散々、戦争でその眼で見、何度も経験してきたことだ。
その切り捨てられる側に、小和泉達の順番が回って来ただけのことだ。戦争の冷たい算数が自分達の身に降りかかってきただけに過ぎない。その事は一名を除き、831小隊の全員が理解していた。だが、納得している者は、誰一人居なかった。
兵士達の遣り切れない思いとそこから発生する怒りは、総司令部へと向かうことは必然であった。




