143.第二十六次防衛戦 小和泉の罪
二二〇三年二月四日 一〇三九 KYT 入口防御拠点
小和泉は8312分隊長として、いや、部下ではなく恋人達のストレスを緩和させる為と自己満足の為に分隊無線を開いた。
「どうして何だろうね。僕って、また、こんな状況に追い込まれているよね。日頃の行いが悪いのかなぁ。」
月人へ銃眼から連射しつつ、追い詰められている状況とは思えぬ程、小和泉はワザとノンビリと語り掛けた。小和泉のその落ち着いた口調を聞いた為か、小和泉のバイザーに表示されている三人娘のやや上がり気味だった心拍数が、幾ばくか平常値に近づいた。ちなみに小和泉とカゴの心拍数は、常に平常値を保ち続け、大きな上下動は無かった。
「さすが隊長です。ご自身をよくご理解されています。その通りでしょう。帰月作戦といい、鉄狼撤退戦といい、いつも危機的状況の中心におられるのは、自業自得だと思われます。」
桔梗はアサルトライフルを狙撃モードにし、投石をしてくる月人を優先的に狙い撃っている。
「だよな。隊長は、どんな地獄でも楽しそうだけど、巻き込まれる方は堪ったものじゃねえよな。隊長の隣に立つ身にもなって欲しいぜ。」
菜花は三脚に据え付けられた機銃を左右に機嫌よく振り回している。面白い様にエネルギー弾が当たり、月人の屍の山を作り続けている。
「菜花も同類。隊長と一緒。状況を楽しんでいる。今もそう。」
鈴蘭は、負傷した兵士の応急処置を的確に行い、負傷兵を戦力へと戻していた。
小和泉の部下である三人娘から小和泉を擁護する発言は一切出なかった。
同じ分隊無線を聞いている筈のカゴは、黙々と銃眼からの射撃に集中し、会話に加わるつもりは無いようであった。つまり、反証できないのだろう。反証できるのであれば、訂正の言葉がでてくるのがカゴの性格だ。
8312分隊は、淡々と課せられた職務を全うしつつ、会話を続けた。この曲輪を放棄すれば、無駄話をする余裕すらなくなることを皆が感じ取っていた。この一瞬は特別な時間だった。
とは言え、どんな状況になろうとも、この分隊が無駄話を止める事はないだろう。
「あれれ。誰も僕を可哀想可哀想って、慰めてくれないのかな。ちょっと期待していたのだけどなあ。」
小和泉は、寂しそうに芝居がかる様に大袈裟に言った。
「それは無理があります。」
「拳骨でこめかみをグリグリすればいいのか。」
「身から出た錆。」
「うんうん。良く分かったよ。みんなの気持ちがね。心の中で洪水の様に泣くことにするよ。」
「一番不憫なのは、東條寺少尉でしょう。本来は、後方勤務すべき人材です。司令部向きであり、前線には向いていません。」
「あのお嬢様には、汚れ仕事は似合わねえよな。可哀想に、どっかの鬼畜が、無理やり純潔を散らしちまったからなあ。案外、父親が軍の高官だったりして、近くに居たりしてな。滅茶苦茶怒ってるんじゃねえか。」
「将官級にその名字は無い。高官には居ないと思われる。ただ、父親に憎まれている可能性は高い。
東條寺少尉の隊長への昔の感情は嫌悪。今は一途。一時も離れたくない模様。
総司令部勤務の打診を辞退。確認済み。」
「待て待って。少し待とうか。ちゃんと同意の上だからね。誰一人、手籠めにしてないからね。そこは訂正しておくからね。それに異動の話は初耳だからね。」
「私達三人も手籠め。今は許した。」
「そうですね。私は背後から突然でした。雰囲気もムードも何もありませんでした。雰囲気は作って欲しいです。」
「一緒一緒。俺は、隊長との格闘戦の練習で精根尽きて倒れたところをそのままズドン。さすがに力が入らず抵抗できなかったな。これでも乙女なんだけどよぉ。夢があったのに。初めてが汗の臭いって凹むよなぁ。」
「私は、医術の練習と称して騙された。実態はお医者さんゴッコ。初体験がまさかの変態プレイ。屈辱的姿勢。」
三人娘による突然の初体験告白合戦が始まり、小和泉の額に一筋の脂汗が流れた。
―この状況は想定しないよ。本当に小隊無線でなくて良かった。―
全て心当たりがあり、事実だ。否定する余地が全く無い。
「ちょっぴり、押しが強かったかな。」
『犯罪です。』
三人の声が重なる。
「え~と、恨んでいるのかな。」
「その質問は卑怯です。」
「今さら聞くな。」
「ノーコメント。」
―どうやら、愛されているのは間違いない様だね。さて、頃合いかな。話題を、いや仕事の最終段階に入るべきか。―
小和泉は、即座に気持ちを切り替える。
「総員、撤退戦準備。消耗品交換および不要品は廃棄。身軽にせよ。戦死は絶対に許可しない。」
『了解。』
「了解。」
三人娘は、素直に気持ちを切り替えた。遅れてカゴも応答した。多分、ワザとなのだろう。元防人のカゴは、出しゃばらず、陰に潜むかの様に常日頃から行動をし、存在感を消していた。
二二〇三年二月四日 一〇四四 KYT 入口防御拠点
最後になるであろう消耗品の補充と交換を行っている間、この作戦を第八大隊副長が提示した時の菱村中佐の表情を小和泉は思い出していた。
いつも飄々としたどこぞの親分の様な菱村が、一瞬ではあったが悲しげな表情を浮かべたのだ。即座に元の表情に戻したが、小和泉は見逃さなかった。
―どうしたんだろうね。部下に死ねと言うのが、士官の仕事なのにね。慣れて、いや、この言い方は間違いだね。演技できるだろうに。う~ん、僕を捨石にするのが悲しいのかな。それとも他の誰かかな。―
小和泉は、心当たりが無いか考えた。
―831小隊の兵士とは接点が無いよね。そうなると、士官である鹿賀山、奏、桔梗、井守、蛇喰と僕の六人の中かな。で、おやっさんと親密な関係にありそうな人物は居そうにないよね。強いて言えば、業務連絡を密にしている鹿賀山か、おやっさんのお気に入りの僕かな。
奏は、何か壁がある様な接し方だし、他は上司と部下の関係にすぎないよね。
強いて言えば、鹿賀山かな。
なら、僕のことは心配していないよね。おやっさんは、僕が絶対に死なないと勝手に思っている節があるからね。でも鹿賀山も優秀な部下程度に思っている様な気がするし。代わりは居るよね。
はてさて、何が悲しかったのだろうね。
う~ん、忘れよう。解らない物を考えるのは僕の性分じゃないね。それに解ったところで、戦争の役には立たないしね。僕は自分の恋人達を守ることに尽力すればいいか。―
小和泉は、そう納得すると菱村の悲しみの表情のことは、脳裏に仕舞い込んだ。
第八大隊第一、第二中隊が地下都市内へすでに撤退し、第六層へ全力で向かっている。
曲輪の中で831小隊は、月人の突進を正面から受け止め続けていた。数挺の機銃が凄まじい弾幕を張り、突出する月人を肉塊へと変容させていった。機銃の銃身は真っ赤に発熱し、まもなく限界を迎えようとしていた。
戦術モニターによれば、第八大隊の本隊は渋滞を起こさず、順調に撤退している。そろそろ831小隊が撤退しても、本隊に追い付いて足止めを喰らう事は無いだろう。殿が足止めを喰らうと簡単にすり潰されてしまう。
「傾注。外に居るのは我々だけだ。831小隊、撤退開始だ。同時に曲輪を爆破し、月人を足止めする。爆破に巻き込まれるな。」
831小隊長の鹿賀山少佐は、小隊無線で命令した。
「8312了解。」
「8313了解。」
「8314了解。」
分隊長達が返事をすると同時に、兵士達は襲い掛かる月人の群れへ手榴弾を適当に投げ入れた。この爆発に紛れ、曲輪から都市内に逃げ込む時間を稼ぐ。
背後からの幾つもの手榴弾の爆発とその圧力を全身に受け、痺れる様に感じた。そこへ月人の弱々しい鳴き声が混じった。
831小隊は、戦果を確認しなかった。全力で前へ走る。もしかすると爆発を逃れた月人に背後から襲われる危険性もあった。
まずは、地下都市内へ逃げ込むことが最優先だった。曲輪から出れば831小隊を護る物は何も無い。
この場所に留まれば、三方から攻撃を受けることになり、あっさりと踏み潰される。走ることだけが己の身を護ることだった。
ここからは第六層までの持久走だ。止まることは許されない。振り向けば、取り囲まれてしまう危険が高い。戦果を確認するよりも一歩でも前へ、第六層へ辿り着くために走った。
地下都市への大型トラックがすれ違える程、大きい扉へ駆け込んだ。
手榴弾は単なる目眩ましだった。月人の動きを一時的にでも止めることが出来れば良かった。扉へ飛び込む数秒を稼ぐことができれば良かった。殺傷数は問題ではなかった。
831小隊は曲輪からの安全距離に達すると、最後尾を走る小和泉が間髪入れず爆破スイッチを押した。
積み上げた土嚢に混ぜていた貴重な高性能爆薬が点火され、二つの曲輪から火柱を上げる。周囲へ台風の様な爆風と爆炎を撒き散らした。まるで火災旋風の様だった。
831小隊を追い、曲輪の間を走る数百匹の月人は高性能爆薬の爆風と高温に耐えきれず、地下都市内に突入する前に業火の中に消えていった。




