142.第二十六次防衛戦 士官の資質
二二〇三年二月四日 一〇三四 KYT 入口防御拠点
地下都市の奥底における鉄狼戦が始まろうとしている時、第六大隊に続き、小和泉が所属する第八大隊は撤退を開始した。
殿は、831小隊が受け持つことになり、曲輪の中から月人へ強烈な銃撃を加えていた。第一、第二中隊、司令部小隊の撤退支援のためだった。
月人は、日本軍が放棄した塹壕に隠れ、投石攻撃を行ってきた。拳大の石が風切り音と共に曲輪の土嚢へ次々と突き刺さる。ドンという重低音と衝撃と同時に土嚢袋がはじけ、中の土が飛び散った。
月人は、銃撃が途切れる瞬間に塹壕を飛び出し、突撃を試みる。そして、831小隊はそれを撃ち倒す。撃ち倒した月人の屍が山となり、それが防壁となり、進軍してくる。
これを幾度も繰り返し、月人は着実に小和泉達へ近付いてきた。
時間の経過と共に小和泉達を護る土嚢の防御力が下がりつつあった。外側に土嚢袋の痕跡は無く、土だけが見えていた。全て、投石攻撃による着弾の効果だった。
ガスガスと剥き出しになった土に石が次々と突き刺さっていく。視界も土煙で悪くなりつつあった。
もうまもなく、この曲輪は防御限界を迎えるであろう。
土嚢の上を通過する投石も数多く、兵士達は曲輪から頭を上げることができずにいた。その為、銃眼からの反撃に攻撃手段は限定された。
「絶対に頭を上げるな。頭を飛ばされるぞ。」
「銃眼から敵を倒せ。近づけさせるな。」
「右翼へ集中砲火。井守、弾幕を切らすな。」
小隊無線から鹿賀山の檄が次々に飛ぶ。そして、皆、それを忠実に守った。今ここで主義主張を述べるのは馬鹿がする事だ。
生き残る為に必死だったのだ。鹿賀山の指示が、最善手であると信じるしかなかった。
そもそも、少人数である831小隊が殿に選ばれたのは、月人との格闘戦能力の高さと狂犬と呼ばれる小和泉が所属していること、中隊規模の人数では撤退時に都市内の狭い通路で渋滞を起こす可能性が考えられたからだ。
831小隊であれば、月人に喰らいつかれても、崩れることなく攻撃を受け続ける殿の任務を果たせると期待された。
それは同時に捨石であることを意味した。捨石にする場合、日本軍の被害は最少の方が良い。戦争の冷たい引き算がここでも顔を出した。
最悪の場合は、第六層にも近づけずに月人諸共、地下都市表層部に隔離される。
援軍は派遣されず、見殺しにされるだろう。
831小隊の兵士達はその覚悟を求められ、この防衛戦の間に葛藤し、飲み込み、理解し、納得し、割り切ろうとしていた。
だが、それは簡単なことではない。目前の迫りくる月人の大群に飲み込まれぬ様にするのが精一杯だった。ある意味、その状況は思考放棄ができ、軍に見捨てられる恐怖を一瞬でも忘れられた。
さすがの小和泉もこの状況になってしまっては、恋人でもあり部下である桔梗、菜花、鈴蘭と8311分隊の鹿賀山と東條寺とは、これが今生の別れになるかもしれないと感じた。カゴは恐らく一人でも生き残る様な気がするため、全く気にしていなかった。
三人娘とは些細なことでも言葉を交わしたかった。許されるならば、東條寺とも言葉を交わしたかったが、三人娘とは分隊無線のみで事は済むが、東條寺を含むとなると小隊無線を使用することになる。
直通無線では、三人娘と言葉を交わせない。それは特別扱いになり、皆を平等に愛したい小和泉の主義に反した。
それに睦事に関わるかもしれない話を軍の無線に垂れ流すのは、さすがの小和泉といえども気が引けた。色魔であっても、露出狂の趣味は持っていない。
それに、確実に死ぬわけではない。小和泉は、東條寺のすぐ傍にいる。体を張って守ることも可能だろう。その様に無理やり自分自身を納得、いや騙し、東條寺と言葉を交わすことを諦めた。
ちなみに時折、東條寺の視線がこちらに飛んできている事は、承知し無視をしていた。月人から目を離す訳にはいかないからだ。
軍において、士官はいかなる不都合な環境でも余裕を見せなければならない。その姿を見せることにより、部下に安心感を植え付け、不利な状況であっても良好な士気を維持する義務がある。
小隊長兼8311分隊長の鹿賀山は、常日頃から正しいリーダーシップを発揮していた。即断即決、理路整然。憲兵隊に所属できそうなほど清廉潔白な思考と行動の持ち主だった。
それゆえに総司令部や菱村大隊長達からの信任も篤く、小隊隊員からの信頼もあった。一名を除いてだが。
それゆえに、この追い込まれた状況で矢継ぎ早に飛ばされる鹿賀山の命令に誰も異を唱えず、即時に行動へ移すことができた。
唯一の欠点は、小和泉に籠絡されていることだろう。どうしても小和泉に対して、甘やかしたり、見逃したりすることが多かった。それが作戦遂行に支障をきたしたことはない。
いくら小和泉に甘いとはいえ、軍規を逸脱することは許さなかったのだ。
8313分隊長の井守には、鹿賀山の真似をすることは無理だった。本人にもそれを自覚し、憧れてはいたが、真似をしようとはしなかった。小和泉と一緒に前線へ出たことにより、自分自身の能力に見合う振る舞いを取るべきだという考えに辿り着き、実行していた。
その事を部下達もよく理解していた。臆病で射撃も格闘術も平均以下。戦術や戦略に関しては、豊富な知識はあるようだが、実戦に関連付けることが出来ないヘボ士官。それが井守への評価だった。
その点、部下達は、井守よりも軍歴及び実戦経験が豊富であったため、新人士官に高い能力を求めず、支えることで分隊を維持することにしていた。
それは、部下の意見を丁寧に聞き、自分が理解や判断できないことは先任軍曹にアドバイスを求め、素直に意見具申を受け入れる井守の態度が皆の好感を得たためであろう。
我を通さず、正しく、確実であり、無理が無いと判断すれば、二等兵の意見でも取り入れる度量を持っていた。自分の意見や考えは付け焼刃であり、数年に亘り実戦を重ねてきた部下の実体験には敵わないと理解していたからだ。
そんな実直で素直な性格と積み重ねてきた行動が、部下達からの篤い信頼を勝ち得たのだろう。
どうやら、井守には存外な人望だけはあるようだった。
その真逆の存在が831小隊にはいた。8314分隊長の蛇喰である。
常に高圧的に命令を発し、部下を階級の力で押さえつけるやり方を当然であり、士官の権利であると考えていた。
軍における階級は絶対である。それは紛れも無い事実である。
ゆえに少佐である鹿賀山と大尉である小和泉には、少尉でしかない蛇喰は面従腹背している。
それは屈辱の極みであった。二人とは士官学校の同期生であり、本来ならば蛇喰が同期の出世頭になるはずだった。常に各種考査では上位を維持し、鹿賀山や小和泉を足元に見てきた。
現実はどうだろうか。同期の出世頭は鹿賀山であり、すでに少佐に昇進している。それどころか、士官学校の成績では、低空飛行を続けていた小和泉は大尉であり、蛇喰より二階級も上の階級にあった。
鹿賀山が首席でなかったのは、教官の受けが良くなかったからだ。出された設問に対し、教官の意図を越えた解答を出す。それは教官達には面白くなかったであろう。
小和泉の成績が悪かったのは、もっとシンプルだ。本人にやる気が無かっただけだ。赤点回避すればよいと思っており、実際に赤点を取ることは一度も無かった。
蛇喰は、課題に対し教本通りの解答を出し、教官の覚えが良かったに過ぎない。蛇喰本人は未だにその事実に気が付いていなかった。
蛇喰は傷つけられたプライドを隠すために、部下に対して必要以上に高圧的な態度をとる様になってしまった。己が優秀な人材であると喧伝したかった。その手段は周囲の人間を低く評価させ、如何にも自分が優秀であるかの様に見せかける悪手をとった。そこまで追い詰められていた。だが、蛇喰自身は全く気付いていなかった。
その様な人間が、総司令部や菱村大隊長に評価されるはずもなく、昇進する機会が無いのは当然であった。しかし、蛇喰は総司令部に見る目が無いのだと、責任転嫁していた。
この絶望的な状況においても、その態度を貫いている。己の行動に間違いは存在しないと自負していた。
部下達はそんな蛇喰の態度に鬱屈し、不平不満を溜めこんできた。これ以上、月人に追い詰められれば、いつ流れ弾が飛んできてもおかしくなかった。そんな危険な状況に身を置いていることに、蛇喰は全く気付いていなかった。
小和泉も鹿賀山も蛇喰へ一切忠告をしなかった。忠告をしても蛇喰が受け入れる性格ではないことは、士官学校時代から知っている。そんな無駄なことに労力を割くならば、その性格を利用すれば良いと割り切っていた。
現状、小隊は問題無く機能している。蛇喰が元凶となる問題が発生した時、排除すれば良いと二人はそれぞれに考えていた。恒常的人手不足である日本軍には、蛇喰の様な社会性不適応者でも必要な人手であった。




