14.〇一一〇〇六作戦 圧潰、そして信号消滅
二二〇一年十月六日 一七一八 作戦区域 洞窟内
発見された落とし穴は、作戦通りに爆破されて洞窟の床にポッカリと穴を開けている。
先に人類が落とし穴を爆破した為か、月人達が襲って来る気配は全くなかった。
作戦が失敗した時に、同じ作戦を繰り返さない知性を月人は持っている様だ。
力押しで攻めるだけの印象を持っていた月人だが、現実として戦略や戦術をたてる知性があることが今回の戦いで実証された。
この奥にまだ何か、隠し玉があってもおかしくなかった。
慎重に落とし穴を前衛が通り過ぎ、続いて11中隊長小隊も何事も無く、通過していく。
小和泉が落とし穴を確認すると、小和泉達が遭遇した罠と同様の物だった。この様な罠が幾つもこの洞窟にあるのだろうか。慎重に11中隊は洞窟の奥へと進む。
11中隊の進軍速度は、当初の半分にまで落ちていた。
戦区モニターには、11中隊の進軍速度が低下した事により、12中隊と13中隊が洞窟を先行していることを表示していた。
12中隊と13中隊は、罠による恐怖を体験していない為か、通常の進軍速度で進んでいる。警戒は厳にしているだろうが、進軍速度を考えると丙種警戒程度だろうか。どうも月人に対しての意識が変革していない様だ。
昨日までの月人では無い。作戦参謀がついた軍と同じだ。ただの暴力集団では無くなった。
これに技術革新が加われば、人類が圧勝してきた過去の経験は消え去っていく。
敵はどの様な手段を用いたかは不明だが、月からやって来た。ならば宇宙船を製作する科学力はあるはずだ。銃器が登場しないのは、概念が無い為だろう。今も銃器に関する概念は理解の範疇を超えている為に、存在しないだけだろう。
今回の火薬を用いた爆発は、ロケットの原理から着想を得たのかもしれない。
爆発の概念を持ち、罠に使用する発想に辿り着いたのだろう。
月人達の恐るべき進化だった。今後は、いや、今より月人との戦闘が大きく変わる事になるだろう。
その様な事を考えると、小和泉は一刻も早くこの薄気味悪い洞窟から退却したかった。
二二〇一年十月六日 一八二八 作戦区域 洞窟内
111小隊は月人の罠により大損害を被った為に撤退していったが、12中隊は、規範通りの進軍速度を保ちつつ前進していた。
支給された音響センサーを使用すれば、罠を回避できると中隊長は考え、進軍速度を低下させることは眼中に無かった。
周りの部下達にも中隊長の考えが伝染し、月人の脅威度が増している事を考えようともしていなかった。
「前衛部隊、異常なし。このまま進軍する。」
「司令部了解。月人を見つければ即時発砲し、11中隊の敵討ちだ。」
「了解。奴らを穴だらけにしてやります。」
「撃ち過ぎて洞窟を壊すなよ。」
「もちろん手加減はしてやりますよ。」
12中隊は、自分達の力と音響センサーを過信し、月人達の罠に着実にはまりつつあることに気がついていなかった。
後衛部隊の12中隊長小隊が通り過ぎた時、動きがあった。
頭上より爆発音が発生し、中隊長が音につられ見上げた瞬間、見る見る視界を灰色が覆いつくし、中隊長がこの世で最後に見た光景となった。
天井より巨大な岩盤が落下してきたのだ。
厚さ一メートル以上ある巨大な岩盤が12中隊長小隊の全員を完全に押し潰した。
誰も警告や悲鳴を上げる余裕は、一切無かった。己の死を自覚していない者もいた。
一人の例外も無く、巨大で分厚く重い岩盤により、兵士は圧潰した。
地面と岩のわずかな隙間から、洞窟の傾斜に従い、あみだくじの様にどす黒い血が大量に流れ出し、いくつものあみだくじが合流し、川の源流の様な流れを産み出していた。
数秒遅れて爆発音が二回続いた。後衛である中隊長小隊に起こったことが、12中隊の前衛部隊と中衛部隊にも同時に起きたのだ。地面の亀裂や空洞ばかり気にしていた兵士達は、中隊長達と同じ様に巨大で重量がある岩盤に一瞬で押し潰された。
12中隊所属の九十名の生命は、あっさりとこの世から消え去ってしまった。生き残った者は、一人もいなかった。自然種が着ている複合装甲ですら、岩盤の大質量の前には意味をなさなかった。紙切れに等しい存在だった。
つい先程まで軽口を叩きあっていた兵士達は、人体としての厚みを失い、数センチの厚みの肉塊に凝縮されてしまった。日本軍が想像もしていなかった一個中隊の全滅だった。
数十年にわたる月人との戦いが、この日を境に大きく変わったことをまた一つ新たに刻み込まれた。
作戦の成功を祝う様に数十匹の月人が闇から這い出して来る。壁や天井にある無数の小さな亀裂に一匹ずつ無理やり身体を押し込んで忍んでいた。
12中隊がサーモセンサーにも気を配っていれば、回避できたはずだが音響センサーにばかり気を配り、足許しか見ていなかったことが原因だった。
人類が月人に後れを取るはずが無いと言う思い込みだった。完全に視野狭窄に陥っていたのであった。
月人達は人類が下敷きになった岩盤の上に乗り、勝利の雄叫びをあげた。狼男達の低い唸り声は、力強さを持ち洞窟の奥深くまで響き、兎女達は長剣を岩盤に撃ちつけ、甲高い金属音を打ち鳴らし続け、洞窟に反響し続けた。
それらは、他の人類の部隊にも異変を感じさせた。
二二〇一年十月六日 一八三〇 第一歩兵大隊司令部
大隊司令部の作戦室に悲鳴に近い声で報告がされる。
「大尉!12中隊、消滅!」
オペレーターの一人が唾を飛ばしながら叫ぶ。
「要領を得ない。詳細な状況を報告せよ。」
鹿賀山がすぐに詳細な報告を落ち着いた声で求めた。上官が慌てては、部下にも伝播する。
ここは無理やり平静さを取り繕い、心臓に悪そうな報告を聞く。
「12中隊進軍中に全隊員九十名のバイタルデータ、オールゼロになり、ライフシグナルは、ブラックに消灯後、信号消滅しました。コンピュータは死亡判定しています。」
まだ冷静さを残していた別のオペレーターが事実だけを述べる。あえて、この状況を理解するために、感情を殺している様だ。
「バイタルデータがオールゼロというのは、脈拍、血圧、脳波が検知できないということなのか。」
「はい、その通りであります。通信ケーブルの断線、センサーの故障の確認も致しました。間違いありません。死亡判定です。ですが、機器の故障か、ケーブルの断線かにより反応がありません。」
鹿賀山の予測していた心臓に悪い答えが返ってきた。
―いったい、何が起きた。中隊が消滅することは過去には無かった。もっと情報が欲しい。―
「すぐに死亡状況を確認しろ。集められるだけの情報を集めよ。」
「え、どの様にすれば?」
「12中隊全員のカメラの録画映像を手分けして確認しろ。それ位は指示なく動け!時間が惜しい。」
「りょ、了解です。画像解析を開始します。」
「大隊全隊に甲種警戒発令。12中隊全滅を知らせろ。戦闘予報はどうか?」
「更新データ、本部基地より来ました。配信されます。」
戦闘予報。
ゲリラ戦に突入です。撤退を勧告します。
死傷確率は40%です。
鹿賀山は、死傷確率を見て凍りついた。
―40%?馬鹿な。大隊三百八十名中約百五十名が死傷すると言うのか。すでに11中隊と12中隊で約百名の死傷者が出ている。洞窟に突入した部隊の半数が、帰還不能と戦闘予報は判断するのか。それとも地上に残っている我々が奇襲を受け、全滅するのか。―
状況は、悪化する一方だった。この状況では、戦闘予報のいう通り撤退すべきだろう。日本軍が進軍するメリットは無い。
「全隊に撤退を命令。この洞窟は、完全に爆破し埋める。全隊は、所持している全ての爆破物を洞窟に仕掛けつつ速やかに撤退せよ。全隊の洞窟退去を確認後、一斉に爆破する。なお、全員脱出後、砲撃により洞窟の入口は完全に破壊する。通達を急げ。」
鹿賀山は、全作戦を放棄する判断をあっさりと下した。逃げ時を間違えた軍には、悲惨な末路が待っている。いや、すでに逃げ時を間違えているのかもしれない。
ここでスムースに物事が運ばない軍における悪癖が出た。
「お待ち下さい。鹿賀山大尉の権限を超えております。大隊長の許可が必要であります。」
作戦室の奥の方から正論を言う下士官がいた。
大隊長達は、戦況モニターとは別に、作戦室の状況をカメラやマイクを通じ、常に確認しているはずだ。
こちらに不手際があれば、即座に内線で中止なり、訂正の命令が来るはずだ。
特に第一大隊長は部下に一任する傾向がある。今回も鹿賀山の対応に異を唱えない処を見ると支持されていると考えるべきだろう。
「事後承諾を取る。時間が惜しい。すぐに命令を通達したまえ。」
緊急時には、正論は不要だ。臨機応変さが求められるのも軍の一面だ。この下士官は頭が固すぎる。
「できません。大隊長殿に決裁をお願い致します。」
―馬鹿との口論は、時間の無駄か。―
そう割り切り、鹿賀山は受話器を持ち上げて大隊長をコールした。
「こちら大隊長室。何か。」
内線には副大隊長が出た。馬鹿の為に作戦室の全員に聞こえる様に内線をスピーカーモードに切り替える。
「鹿賀山大尉であります。戦況が変化し、全隊撤退を具申致します。」
「状況はこちらもモニターしている。鹿賀山大尉の思う通りに動け。以上だ。」
「了解致しました。」
鹿賀山の返事を聞くとすぐに副隊長は内線を切った。
「諸君、聞いた通りだ。全権を委任された。即座に命令を実行せよ。」
『は!』
作戦室の全員が敬礼を行い、各隊へ通達を始める。頭の固い馬鹿も素直に動き始めた。
「映像解析できました。」
「報告せよ。」
「12中隊長のカメラ画像をそちらに投影します。」
鹿賀山のモニターに画像が表示される。そこには、爆発音の後に頭上を見上げ、迫ってくる巨大な灰色の塊が映し出された。続いて画面が切り替わり、正面を向いていたガンカメラが突然地面に落下し、ブラックアウトした。
「ご覧いただいた画像から、洞窟の天井を爆破し中隊を押し潰したものと考えられます。他の隊員の画像もほぼ同様です。例外はありません。つまり、難を逃れた隊員はいないと考えます。」
鹿賀山は二種類の画像データしか見ていないが、他の隊員も同様の画像であると言う。
であれば、一枚の岩盤で押し潰された判断に間違いは無いだろう。最先端の装備で整えた日本軍が、原始的な釣り天井にしてやられたことになる。
―所詮、道具は使う人間によって真価が決まるか。装備を使いこなせていない12中隊は、旧世紀の人間だったということか。ならば、13中隊も危険だな。進軍速度が速い。中隊長を呼び出し、直接話をした方が良いか。―
目の前で作戦室の人員は、自身に与えられた仕事を着実にこなしている。部下を通すより、鹿賀山が自分で動いた方が早そうだ。無線機の受話器を取ろうとするよりも、部下からの報告が早かった。
「じゅ、じゅ、13中隊、消滅!状況、12中隊と酷似。」
「バイタルデータ、オールゼロ。ライフシグナル、ブラックに消灯。」
「直前までの機器故障の可能性無し。」
「コンピュータにより死亡判定が出ました。」
「画像一部しか見ておりませんが、12中隊と同じです。」
「戦闘予報、更新来ます!」
戦闘予報。
撤退戦を実施して下さい。全滅判定です。月人の追撃に注意して下さい。
死傷確率は60%です。
部下の報告が、鹿賀山の13中隊への警告は手遅れである事実を突き付けられた。
鹿賀山の判断が遅いのではない。12中隊が全滅してから二十分程しか経っていない。
画像解析や事実確認を行えば、その位の時間は必要だ。部下達が遅い訳ではない。
月人の戦術が人類を上回ったのだ。
歴史的大敗。撤退は進軍よりも難しい。
これらの言葉が鹿賀山の脳裏によぎった。今すぐ、目の前に口を開けている洞窟から離れたい衝動にかられた。しかし、小和泉の顔が浮かぶとすぐにその様な弱気は消え失せた。
ならば、11中隊だけでも生かして帰す。
「11中隊の状況はどうか?」
戦区モニターを見ると12中隊と13中隊の様に突出していなかった分だけ出口に近い。しかし、地上から十二時間かかって潜っている。地上へ帰還するにも同じ時間はかかるだろう。
「撤退命令と同時に補給品や重量物等の装備を爆破廃棄。撤退速度、上がっています。現状の速度を維持できれば、四~五時間で地上へ撤退できます。」
途中で休憩や戦闘も入るだろう。ならば最低五時間と考えておくべきだろう。洞窟内の月人の襲撃から逃れることができるかが撤退の成否の鍵を握っていると言える。
「11中隊長より入電。」
「読み上げろ。」
「我が隊、携行品を最低限度に絞り、撤退速度を優先す。撤退路は、進入路と同一。入口より敵の掃討を希望す。以上です。」
「つまり、迎えを寄越せということか。東條寺、君はどう思う?」
沈黙が作戦室を一瞬支配した。
「いや、今のは忘れてくれ。」
鹿賀山の訂正により、すぐに喧騒が戻る。
副官の東條寺少尉は、心神耗弱の為に医務室に鹿賀山が送り込み、そばにいない。いつもの様に助言を求めてしまった。どうやら、鹿賀山も心の平静が取れなくなってきている様だ。
11中隊を迎えに行けるのは、司令部護衛任務中の14中隊だけしかない。
司令部の護衛を無くしても地上戦では、月人に勝てるだろう。司令部には直援機である戦車と装甲車がある。月人の戦術が大きく変化したとしても隠れる場所が無い荒野では、戦闘車両の敵にはなりえないだろう。
不意打ちを行える割れ目が無い事を確認し、この場所に司令部を置かれている。
―正式に11中隊長から援軍要請を受領した。ならば、14中隊を使い潰してでも救援に派遣すべきだろう。日本軍の行動規範によると、助けに行くべきことが推奨されている。
しかし、14中隊九十名の命と小和泉達少数の命のどちらをとるべきかを冷静に考えれば、分かり切っている。14中隊の命を優先すべきだ。14中隊を救援に派遣したところで、救助が成功する保証も無い。―
答えは最初から決まっているのだ。作戦参謀としての答えは出ている。
だが、鹿賀山の葛藤は続いていた。小和泉の笑顔、寝顔、怒った顔、笑い声、雄叫びなどの記憶が脳の深い部分から湧き出してくる。小和泉を見捨てたくない。
しかし救援を出せば、小和泉に『僕を信頼できないのかい』と後日問われる事も明白だ。
小和泉が、生きて帰還すればの話だが。
ここはシンプルに思考するしかない。鹿賀山の腹は決まった。
「傾聴。作戦を説明する。」
静まり返った作戦室に鹿賀山の声だけが響いた。




