139.第二十六次防衛戦 自爆
二二〇三年二月四日 一〇五〇 KYT 長蛇砦
鉄狼が、この部屋の支配者だった。あらゆる行動の中心には、必ず鉄狼が存在していた。
部屋の中央に立つ鉄狼を取り巻く様に、兵士達は銃剣を装着したアサルトライフルを構えていた。
指一本でも動かせば、次に襲われるのは自分だと、兵士達は信じて疑わなかった。それ程の威圧感を鉄狼は周囲へ振り撒いていた。
鉄狼との睨み合いが続く。鉄狼は、人間狩りをしているのだ。次の獲物を吟味しているのだ。
鉄狼は、腕に纏わりつく死体を無造作に振り払い、床に打ち捨てた。死体は一度だけ跳ね、四肢が不自然な角度に折れ曲がって止まった。
そして、最も近い死体の胸に筋肉が発達した巨大な足を置き、力任せに踏み潰した。死体は物言わない。踏まれた衝撃で体が跳ねただけだった。
肋骨が粉砕される音が響く。その音を聞いた鉄狼は、歓喜の遠吠えをした。
死した戦友が跳ねた姿を見た周囲の兵士達は、燻っていた火種の様な士気を一気に業火へと昇華させた。
「てめえ。」
「許せねえ。」
「ぶっ殺す。」
沈んでいた戦意が一気に跳ね上がる。アサルトライフルに装着した銃剣を構え、鉄狼の隙を窺い始める。
部屋の中央に佇む鉄狼は、兵士達の殺意をそよ風にも感じず、楽しげに周囲を見渡した。逆に敵意こそ己の愉悦を満たす感情だとでも言いたげだった。
その風格は、絶対王者であるという自負を感じさせた。
次の分隊が鉄狼へと襲い掛かった。先は、同時攻撃によるものだったが、次の分隊は時間差攻撃を選んだ。
分隊長は、顔面に銃剣を突き出し、防御の為、左腕を上げさせた。
曹長は、その空いた左腋のもっとも毛皮が薄そうな部分を狙い突く。
上等兵は、右腕による反撃させぬため、全力で銃剣を右腕へ上段から振り下ろした。
一等兵は、背後より股間を狙った。雄であれば、睾丸や肛門は、弱点になるだろう。
だが、その四人の連携も鉄狼の剛腕の前では無意味だった。鉄狼が、無造作に何度も両手を振り回すだけで、兵士達を壁へ吹き飛ばし、床へ叩きつけた。吹き飛ばされた兵士達の体は、曲がり得ない角度に曲がり、事切れていた。鉄狼は、腕を振り回しただけだった。だが、その威力は絶大だった。
「ワォーン。」
鉄狼は己の強さを誇示するかのように胸を張り、誇り高き遠吠えをした。
その声は、再び兵士達の心胆を奪った。
鉄狼は、部屋の中央で次の獲物を見定める。四方を取り囲む兵士に強者が、いや、遊び応えがある者がいないか、吟味している様に見えた。
そんな中、一人の兵士が、先の攻防の間に匍匐前進で鉄狼へと慎重に近づいていた。瓦礫の影になる様に慎重にルートを選ぶ。
鉄狼の視線が、兵士の体を横切る度に死体のふりをしてやり過ごし、ジリジリと近づいて行った。
匍匐前進する兵士は、ブドウのように繋げた手榴弾の塊を手にしていた。安全ピンは既に抜かれ、ロープで安全レバーが固定されているだけだった。そのロープを解けば、すぐにレバーは外れ、全ての手榴弾は爆発する。ロープを強く引くだけで簡単に解ける結び方がされていた。
目と鼻の先まで近づくと、兵士は躊躇うことなく立ち上がり、手榴弾の塊を自分の体と鉄狼に挟む様にしがみ付き、ロープを引いた。
鉄狼は兵士の顔を鷲掴みにしていた。万力の様に頭蓋をギリギリと締められていく。兵士は、飛びそうになる意識を保ち、ロープを引いた。ロープはハラリと解かれ、カチ、カチと音が続き、全ての安全レバーがバネの力で飛んでいった。
「一緒に逝ってやるよ。」
兵士の最後の言葉だった。
「退避。爆発防御。」
中隊長の叫びと共に兵士達は壁際まで一斉に下がり、障害物の影に伏せ、身を縮めた。
凄まじい爆発音と爆風が部屋の中を駆け巡った。地震が起きたのではと錯覚するほど、砦は振動した。
強烈な爆風は、壁が無く大きく開いている地下都市方向へと流れていった。
この部屋の地下都市接合部が、大きく開放されていなければ、この部屋の人間は爆風の渦に巻き込まれ、全滅していただろう。
反応が遅れ、防御しそこなった一部の兵士や士官候補生達は、爆風に吹き飛ばされ、床や壁に体を打ちつけ、全く動かなくなった。逆に床に寝かされていた負傷者は、無事な者が多かった。
だが、今は損害の確認をする余裕は無かった。
兵士の大半は、爆風と大音響に全身を強打され、自身の無事を確認する事で精一杯だった。
中隊長は、鼓膜が強く痺れ、耳が聞こえなかった。
―ヘルメットをしていてもこの威力か。すまぬ。部下に自爆攻撃なぞ下劣な選択をさせてしまった。俺は無力だ。―
爆風に痺れた身体を起こした。さすがに至近距離での大爆発は、複合装甲でも衝撃を吸収しきれなかった。
爆心地を中隊長は確認した。ヘルメットの透明なバイザーに大きなヒビが入っている事に今頃気がついた。
―モニターの表示ができんか。網膜モニターだけが頼りか。しかし、バイザーを上げていれば、顔面を潰されていたな。運が良かったか。―
ヘルメットのバイザーには、戦術モニターと戦略モニターの一部が常時表示されている。
網膜モニターは、主にガンカメラや選択した情報が表示される。
普段はバイザーの外側から表示部分をタッチすることで画面の操作ができるのだが、中隊長がいくら指で触れても変化が無く、何も表示されなかった。
―タッチパネルも壊れたか。仕方あるまい。キーボードで操作するしかないか。―
中隊長が右腕の複合装甲の篭手を開くと、中にキーボードが収納されていた。野戦手袋を着用したままでも入力できるように物理ボタンは大きく、数は少なく設計されていた。
中隊長は、戸惑うことなく操作していく。網膜モニターに、総司令部からの戦闘ログが流れ出す。
バイザーモニターの代わりに網膜モニターを使用すると、常に視界に情報ウィンドウが表示され、視界が遮られる。だが、何も情報を得られない事の方が生存性に関わる重要事項だった。
―やはり、目障りだな。左目だけの表示にして、右目は裸眼にしておくか。ちっ。それでも目障りか。だが背に腹は代えられぬ。
さて、この爆発だ。鉄狼もくたばっただろう。―
中隊長は床から体を起こし、部屋の中央へと視線を向けた。
埃が舞い散る中、鉄狼らしき姿がにじんでいる。
手榴弾の爆発力は天井をも破壊し、大穴を開けていた。何が起こったか知らない二階の兵士達がライフルを構えつつ、恐々と一階を覗き込んでいた。
舞い上がっていた埃が地面に落ちてしまうと、鉄狼の姿がハッキリと見えた。毛皮は黒く焦げ、鉄狼ではなく、黒狼という見た目に近くなっていた。目を瞑り、鉄狼はピクリとも動かない。
自爆攻撃を仕掛けた兵士の姿を探すが、どこにも痕跡が無かった。
中隊の生体モニターを表示させると今の自爆により四十人以上が巻き込まれた様だ。中隊のほぼ半数だった。
爆発前と比べ、生体表示は、緑色から黒色へ約二十人、赤と黄色へは約二十人が変化していた。
黒は死亡、赤が重傷、黄は軽傷を負ったことを表す。
―被害が大き過ぎる。自爆を許したのは失敗だった。止めるべきだった。時間稼ぎだけで良かったのだ。素直に分隊単位での格闘戦を仕掛けていれば被害が少なかったぞ。くそ、俺は何を考えていた。あぁ、くそ、考えがまとまらん。くそ、時間もわからん。くそ、端末の操作をするのも面倒だ。―
中隊長は、自己嫌悪と部下の被害の大きさに苛立ちを募らせていった。
「副長、援軍まで後何分だ。」
中隊長は、怒鳴る様に副長を呼んだ。副長を見ると肩を脱臼したのか、左手をブラブラとさせ、荒野迷彩の野戦服は埃だけでなく、腹部に血がべったりとついていた。これでは戦闘は無理だ。生体表示を見れば、副長は赤色の一人だった。おそらく、肋骨や内臓も負傷しているのだろう。
改めて生体表示を見直すと、死傷者の多くが促成種に偏っていた。促成種は複合装甲を装備していないため、衝撃吸収ができなかったのだろう。
ボロボロの副長の姿を見て、中隊長は冷静さを取り戻した。
「後、三分です。」
「そうか。負傷者を取りまとめて、お前も下がれ。あとは二階の部隊と連携して時間を稼ぐ。心配するな。」
「申し訳ありません。お言葉に甘えます。ご武運を。」
副長は、まだ元気のある兵学校生を呼び寄せ、負傷者の回収を依頼し、自身も担架に乗せられ、戦場を後にした。
ようやく、鉄狼は正気を取り戻したのか、首を回し、肩こりを取る様な動きを見せた。
ほぼ動かないのは、脳震盪を起こしている様だった。
効果はゼロでは無かった。直接、手榴弾が触れていた胸と腹の毛皮は焼失し、地肌に醜い火傷を刻みつけていた。皮膚は炭化し、白い膿の様な物が付着していた。
鉄狼は、痛みを感じていないのか、悠然とたたずんでいた。
「おい、奴はあれで痛くないのか。効いてないのか。」
中隊長は軍曹に尋ねた。
「あれ程の深手です。効果はあるはずです。衛生兵、状況を説明しろ。」
軍曹は、憶測で発言はできないと判断し、近くの衛生兵に尋ねた。
「はっ。熱傷深度Ⅲと思われます。人間の場合、皮膚ごと神経も焼かれ痛みを感じません。ダメージを負っている事は間違いありません。」
衛生兵は答えた。
「なるほど、痛み感じる神経を失えば、痛くないのも当然か。よし、畳みかける。連携して鉄狼の傷口を狙え。脳震盪を起こしている今が好機だ。」
「了解。各隊、かかれ。」
中隊長の命令を軍曹が兵士達に命じ、未だに動かない鉄狼へまずは一個分隊が襲い掛かった




