138.第二十六次防衛戦 人間狩り
二二〇三年二月四日 一〇四二 KYT 長蛇砦
それはある二等兵の単純な思いつきだった。
二等兵は、その考えが最適解だという思いに至ると即座に体が動いていた。
分隊長の許可を取ることすら忘れてしまっていた。
銃眼からアサルトライフルを抜き、代わりに手榴弾を鉄狼の足元へ一つ転がした。
誰もその行動に気付かなかった。それほど必死に鉄狼に注意が向いていた。
そして、手榴弾は、設計通りに四秒後に爆発を起こした。
二等兵の周囲が突然騒がしくなった。だが、二等兵の耳には入らない。戦果が気になった。
鉄狼を巻き込んだのは確実であった。二等兵は壁の銃眼にアサルトライフルを挿しこみ、ガンカメラで戦果を確認しようとした。
網膜モニターには、砂埃が舞い上がる中、鉄狼らしき影がうっすらと映った。
鉄狼は、身動き一つ取らない。
―さすがの鉄狼でも手榴弾の直撃は効いたか。これで俺の手柄だ。―
二等兵は、ほくそ笑んだ。
砂埃が晴れると鉄狼は、毛皮に付いた砂塵を犬の様な身震いで振り払った。
毛皮の焦げ目が下半身に大きく増えていたが、ほぼ無傷と云えた。
「馬鹿な。直撃だぞ。なぜ効かない。」
二等兵は慌ててアサルトライフルの引き金を絞り続けた。
光弾が鉄狼の体に直撃するが、軽く焦げ目をつけるだけだった。
「うわぁぁぁぁ。」
二等兵は恐怖に駆られ、目を閉じたままライフルを撃ち続けた。
数秒後、射撃を止め、ゆっくりと目を開けるとそこに鉄狼の姿はなかった。
「逃げたのか。」
周囲を捜索する為、ライフルを上下左右に忙しく動かす。だが、ガンカメラに鉄狼の姿を捉えることはできない。
「どこに行った。」
ライフルが凄まじい力で外へ引かれた。
強く銃把を握りしめていた二等兵は、ライフルごと銃眼の外へ右手を出してしまった。その右手が何者かに握られ、力強く外へ引っ張られた。
「え、何だ。」
二等兵は勢いよく壁に叩きつけられ、右肩に激痛が走るとそのまま床へ崩れ落ちた。
壁が、銃眼から床まで真っ直ぐに、そして、真っ赤に染め上げられていた。
「いてー。いてーよー。腕が。腕が。」
数瞬前まであった二等兵の右腕は付け根から無くなり、赤い血潮が噴き上げていた。
室内に己の血を振りまきながら、二等兵は痛みで床を転がり回った。周辺が赤く染め上げられていく。それは周囲の兵士達にも降りかかった。
鉄狼が砦の銃眼越しにアサルトライフルごと二等兵の右腕を引き抜いたのだった。
「衛生兵、こっちだ。止血を頼む。」
近くの兵士達が暴れる二等兵を抑え込んだ。左腕に衛生資格を表す医療のイを図案化した『ヰ』のエンブレムをした衛生兵が駆け付けた。傷口を圧迫して止血し、手際よく応急処置を進めていった。
応急処置が終わった二等兵は、戦友の肩を借りて歩き、士官候補生に引き渡され、後送されていった。
「警告。鉄狼から目を離すな。銃眼から腕ごと銃を奪うぞ。」
中隊長が叫ぶ。ここで銃撃を止める訳にはいかない。効果が無いかもしれないが、眼に当たれば、失明させることはできるのだ。うまく、口の中にエネルギー弾が入れば、延髄を貫けるかもしれない。
決して無駄な行為ではないと、自分自身に言い聞かせ、真実であると思い込もうとしていた。
「眼と口を狙え。そこが急所だ。」
兵士達はその命令に縋り、必死に素早く動き回る鉄狼へ引き金を引き続けた。
だが、素早く動く鉄狼の顔面への攻撃は、簡単に当たるものではなかった。エネルギー弾が掠ることは無く、素早く鉄狼は避けていく。
急所へ直撃するかに見えても、腕で防がれ、毛皮に焦げ目をつけるだけだった。
「偏差射撃しているのか。鉄狼の二歩先を狙え。」
中隊長は必死だった。役に立つか分からぬ援軍が来るまで時間を稼がなくてはならない。
「撃ち続けろ。敵は嫌がっている。効果はある。」
中隊長は自身の言葉を信じていなかった。だが、部下を鼓舞するには嘘も平気でつく。
鉄狼は、嫌がっているのかもしれない。だが、蚊がまとわりつくのと同じレベルであろうと感じていた。
鉄狼は、濃密な射撃な隙をついては、観音扉に体当たりを幾度と喰らわせる。その度に腹に響く重低音が砦中に鳴り響いた。
「第三小隊、しっかり押さえろ。お前達が防御の要だ。第一は射撃に入り第四に続け。第二は第三を支えろ。」
中隊長は、早い時間の経過を祈った。それしか出来なかった。
「右腕一本で、戦線離脱した方が正解かもな。」
そんな中、兵士の一人がポツリと呟く声が聞こえた。
二二〇三年二月四日 一〇四六 KYT 長蛇砦
二等兵の行動は、致命的な結果を招いた。
幾度となく繰り返される鉄狼の体当たりに耐えてきた観音扉の結合部に甚大な被害を与えてしまった。
扉の接合部をボルト締めした壁に亀裂が大きく入ってしまった。手榴弾の爆発による圧力が原因だった。
鉄狼の体当たりにより耐久性が劣化したセラミックスの壁へ、手榴弾の爆発による強いダメージを与えてしまった。
誰もが一度は考え、実行しなかった手榴弾による攻撃は、観音扉の耐久力を下げると考え、自粛していたのだった。
それを新兵が、英雄症候群に憑りつかれ、手榴弾を投げるという暴挙に出てしまった。
誰もが目の前の鉄狼に対処することに精一杯であり、爆発が起きるまで誰もその行動に気づかなかったのだ。
「まずいぞ。扉が倒れる。」
「溶接しろ。」
「そんな物ねえし、時間もねえよ。」
「何でもいい。積み上げろ。」
兵士達は、手に取れる物ならば何でも扉の前に放り出した。ガラクタが山の様に積み上がるが、これで鉄狼を防げる様には思えなかった。
「押さえろ。皆で押さえつけろ。」
「ロープだ。ロープでガラクタを固定しろ。」
兵士達は、ガラクタを押さえ、ロープでガラクタを固め、鉄狼の体当たりに耐えた。
一回、二回、腹の底に響く衝撃に観音扉は耐えた。
しかし、三度目の体当たりに観音扉は弾け、ガラクタは四散し、押さえていた兵士達は床に転ばされた。もうもうと埃が舞い上がり、視界を奪った。
同士打ちを恐れ、射撃をすることさえできない。兵士達はアサルトライフルに着剣し、ゆっくりと壁へと後ずさった。
舞い上がった埃が、ゆっくりと静まっていく。その埃には、筋骨隆々の鉄狼の影が映し出された。
部屋の中央に鉄狼が立ち、壁沿いに兵士達が囲む図式となった。
ついに鉄狼の砦への侵入を許してしまった。
「敵は一匹だ。分隊毎に当たれ。」
大人数で格闘戦を仕掛けることは出来ない。分隊単位でしか鉄狼に立ち向かえない事に、中隊長は苛立ちを感じた。
「了解。」
兵士達は、反撃体勢に入った。体に染みついた習性だった。
味方がひしめく室内においては、銃火器の使用はできない。アサルトライフルの銃剣による格闘戦となる。
鉄狼の近くにいた兵士四人が同時に切りかかった。
鉄狼ははゆっくりと立ち上がり、周囲を見渡す。頭上より振り下ろされる銃剣など視界、知覚の外にあった。
鈍い音と共に鉄狼の肩に四振りの銃剣が喰い込んだ。
「よし、手ごたえあり。」
兵士の一人が叫ぶ。
ようやく鉄狼は、自分が斬られた事実に気が付いた。
「ウォォォォォ。」
狼男は、咆哮をあげると部屋にあるガラスが共振でカタカタと震え、兵士達に恐怖心を思い出させた。
四人が与えた斬撃は、全く効果が無かった。
「て、鉄狼め。」
「か、固い。」
「くそ、なぜここに。」
「攻撃を止めるな。もう一度だ。」
兵士達は、二撃目を繰り出そうとした。
しかし、鉄狼は、正面右の兵士の胸を無造作に右手刀で貫き、そのまま正面左の兵士の胸倉を掴むと二人一緒に頭から床へ叩き潰した。堅固であるヘルメットは、あっさりと割れ、兵士二人の脳漿を床にぶちまけた。
鉄狼は、右腕に兵士の死体をぶら下げたまま、素早く左側方にいた兵士の首を左手で掴み、無造作に握り潰した。動脈が破れ、兵士の口から大量の血が零れた。骨が折れ、兵士の顔は背中へ大きく折れ曲がり、背後に居た分隊長と視線が合った。
鉄狼は、あっさりと三人の兵士を屠ってしまった。
「手前。」
分隊長は、部下が斃された怒りを籠め、銃剣を振り下ろした。
だが、頑強な鉄狼の毛皮に弾かれ、分隊長の腕が痺れるだけだった。人間の非力さをあざ笑うかの様な表情を鉄狼は浮かべた。
鉄狼は両腕に屍を垂らしたまま、分隊長の頭を部下の死体で挟み込んだ。
頭の左右から部下の屍が、分隊長の頭を押さえつけていく。押さえる圧力がグイグイ高まり、ヘルメットがギシギシと嫌な音をたてる。部下の屍は圧力に耐え切れず、身体を破裂させ、肉と体液を散らした。
さらに鉄狼は力を籠めていく。分隊長の眼球と舌が飛び出し、ヘルメットより先に頭蓋が粉砕した。目鼻口耳から血が止どめなく流れ、分隊長は息絶えた。
鉄狼は、口角を上げる。如何にも狩りが楽しいとでも言いたげだった。
周囲を見渡し、次の獲物を物色する。
そう、鉄狼は戦争ではなく、人間狩りを楽しんでいた。




