136.第二十六次防衛戦 最下層の戦場
二二〇三年二月四日 〇九五九 KYT 長蛇砦
第八大隊が地獄を迎える少し前、地下でも地獄の釜が開こうとしていた。
月人による二正面作戦は、日本軍を大いに苦しめていた。
ただですら、日本軍の定数を半分にまで減らされた苦しい状況に、地上戦力の一部を地下へ回す必要性にかられていた。
遊撃兵力であった第二大隊は、地下の長蛇砦へと配置転換された。
第一大隊は、苦戦を強いられる狭い長蛇トンネル内での防衛を断念し、長蛇砦における防衛戦へ既に移行していた。そして、長蛇砦に帰還するまでに半数が摩耗していった。
地上より降りて来たばかりの第二大隊は、即座に長蛇砦の守備に当たった。
長蛇砦は、天井まで塞ぐ二階建ての複合セラミックス製の建造物だった。
長蛇トンネルと長蛇水路に面する壁には窓は無く、月人が取りつけぬ様に凹凸も無かった。ただ、無数の銃眼が、蜂の巣を想像させるかのように開いていた。
機銃も多数配備され、防御力および攻撃力共に高いものを誇っていた。
長蛇トンネル側の壁には、進出用に装甲車一台が通行できる鉄製の観音開きの扉があるだけだった。人類や月人が、トンネルと砦を行き来するには、この扉を通るしかなかった。
長蛇トンネルと並行に走る長蛇水路には、砦の手前、約五十メートルにフェンスと複合セラミックス製の格子により完全に封鎖し、何人も通行できない様にされていた。もちろん格子は、水中にも張り巡らされている。
両方に強力な光量を放つ複数のサーチライトが、水路とトンネルの月人達の姿を煌々と照らし出した。月人からは逆光により、日本軍の戦力を視覚では察知できなかった。
厳重な壁面に対し、地下都市KYTの接合部は、壁は無く、大きく開放されており、部隊の出入りや補給のしやすさが優先され、防御力は皆無だった。万が一に備えた隔壁だけが設置され、砦が陥落する場合は、隔壁が落とされ、砦と地下都市を分断する準備はされていた。
この砦に籠る限りは、第二大隊だけで対応しても陥落することは無いと、総司令部は判断していた。
戦力外となった傷だらけの第一大隊は、臨時病院へと士官学校や兵学校の生徒達に後送されていった。
自然種のみで構成される士官候補生達は、初めて見る生の戦傷に反吐をまいた。中には零れる内腑を見て貧血を起こし、失神や失禁する者までいた。
学習映像による知識だけでは対応できなかったのだ。
知識はあっても、鉄の匂い、鼻を突く酸い臭い、舌にこびり付く酸っぱい味、生温かい感触、血が纏わりつく感触、掌の中で蠢く臓器、周囲から取り囲む様に聞こえる途切れない苦痛と怨嗟の声。全てが初めて知ることであり、体感することだった。
それらが混ぜ合わさり、一気に士官候補生の五感へ襲い掛かった。まだ、彼等にはそれらを受け止められるだけの精神は育っていなかった。その結果が、今見せている醜態だった。
だが、促成種が大多数を占める兵学校の生徒達は違った。兵学校に所属する自然種の生徒達の反応は、士官候補生と大差なかったが、促成種の生徒達との違いは明白だった。
促成種達は、顔色一つ変えず、戦場とはそういうものであると達観していた。
すでに初陣を終え、幾度の死線を潜り抜けてきたかの様な風格を漂わせ、随伴の医者や看護師の指示に従い、後送任務を黙々とこなしていた。
はみだした小腸を手袋をした手で腹に押し込み担架に乗せた。
搬送中の担架から零れ落ちた右足を拾い上げ、その兵士の担架に置き直した。
脳漿を剥き出しにし絶命している兵士を黒い納体袋へと事務的に詰めていった。
これらの行動から、士官候補生達は、促成種が戦闘特化型人造人間であり、別人類であると実感させられ、恐怖を感じた。
一方で促成種達は、自然種がなぜ動揺しているのか全く理解できなかった。
殺し合いを行えば、必ずこの様な状況になるのは必然であり、不思議なことではない。戦略や戦術の知識ばかりを学習し、戦争に対する覚悟が足りないのではないだろうかと考えていた。
二二〇三年二月四日 一〇〇一 KYT 長蛇砦
狭い長蛇トンネルには、第一大隊の撤退時に、幾重にも張り巡らされた鉄条網と大量に撒かれた古典的なセラミックス製の大型のまきびしの効果により、月人達の進軍は滞っていた。
鉄条網の返しがついた棘は、月人の毛皮によく絡まりつき、行動を制限した。
まきびしは、長さ五センチの返し付の細い棘が四本突き出し、三角錐の様な形状をしていた。月人の足裏を簡単に貫く程、鋭利で硬かった。返しがついている為、簡単に引き抜くことも出来ず、月人に激痛を与え続けていた。
その形状は、日本古来のまきびしよりも西洋のカルトロップに近かった。
これらの鉄条網とまきびしに致死性の毒を塗れば、死傷率をあげることが可能ではあった。だが、その場合、兵士達への危険性上昇と敷設の簡便性が低下する。そのことを踏まえると毒を塗らずとも月人の足を止め、銃撃することにより戦力を十分に削ることが可能であると判断され、毒を塗ることは開発時に却下された。
鉄条網に動きを阻まれ、まきびしを踏み抜き、機動力を失った月人達は、長蛇砦の前に無防備な姿を晒し、立ち往生した。
「撃て。」
第二大隊大隊長が司令室の戦術モニターを見つめ命ずる。この隙を見逃す指揮官は、日本軍にはいない。
砦に設置された数十丁の機銃が火を噴き、動けない月人を次々と肉塊へと変えていく。
貫通した機銃のエネルギー弾は、後続の月人達も巻き込み、次々と数百匹近い戦力を削っていった。しかし、削っても削っても後続が途切れる気配は無かった。
「脆いな。だが、数が多い。隊列が途切れぬか。長期戦になるなるか。機銃の動力をイワクラムから電力ケーブルに順次切り替えろ。」
「了解。小隊単位にて実行します。」
大隊長の命令を副長が復唱する。
機銃の動力を地下都市の電源から直接取ることにより、エネルギー切れを起こすことは無くなる。欠点としては、動力ケーブルに固定されることにより、機銃を設置場所から動かせなくなることだった。
大隊長は、長期戦を覚悟した。機銃を移動させることは出来なくなるが、エネルギー切れを起こす事の方が問題であると判断したのだった。
長蛇水路では、月人達が大昔に何者かによって作られたコンクリート製の壁にある少しの凹凸を手掛かりにして、握力に物を云わせて貼り付き、進攻してきた。
しかし、張り巡らされた格子が月人を阻止し、動きを止めたところを機銃によって撃ち払われた。
月人達は、簡単に水路に叩き落とされ、下流へと流されていった。泳ぐ素振りも見せず、波間に沈んでいく。また、泳いで格子に取り付こうとする月人もいなかった。
どうやら月人は、泳ぐことができないようだった。こちらの月人は、脅威にはならないと思えた。
第二大隊による長蛇砦での籠城戦は、うまく進行していると日本軍総司令部も第二大隊司令部も判断していた。
突然、長蛇トンネルの奥より一匹の狼男が、仲間の死体を持ち上げ、盾にして現れた。
兵士達が銃火を集中させようとした瞬間、全力で鉄条網へ仲間の死体を続々と投げ込むが、すぐに機銃の集中砲火を浴び蜂の巣にされて斃れた。しかし、投げられた死体が止まることは無い。
狼男の膂力は高い。死体の質量とそこに籠められたスピードにより、鉄条網が次々と引き千切られていった。同時に投げられた月人の死体も鉄条網により引き裂かれ、床、壁、天井に四肢や内臓、体液を撒き散らした。
それを見た別の月人達は、真似を始めた。月人達の学習能力は高い。有効な手段であれば、すぐにそれを取り入れる。
月人達は、次々と仲間の死体を全力で投げつけ、鉄条網を無力化し、死体は同じ場所に積み上がっていった。
日本軍は、それを阻止すべく機銃を叩き込んだ。投げつけられる死体に着弾し、死体をさらに細切れにした。死体を投げていた月人にも銃撃が加えられ、手を力なく空中に漂わせ、身体を半回転させる死の舞を踊らせ、床に沈めた。
斃しても斃しても、背後の月人が役割をすぐに引き継ぐ。たった今、死を舞った月人を投げつけてきた。
機銃は幾度も斉射され、新たな死の舞を生んでいく。
それが、何度も何度も繰り返される。月人は仲間が幾ら斃れようが、一向に気にする気配は無かった。月人の士気を挫くことができなかった。
月人はひたすら無心に仲間の死体を投げ続け、第二大隊の兵士は、それを防ぐために機銃を撃ち続ける。原始時代と近代との戦いともいえる対比的な戦場だった。
その無残な光景に耐えられず、第二大隊の自然種の新兵は、部屋の隅で朝食を吐いた。
長蛇トンネルは、月人の赤い血と肉が豪雨の様に降り注ぐ、凄惨な戦場となった。
偶然にも投げ捨てられた死体による肉の防壁が、長蛇トンネルに築かれつつあった。それに気がついた月人は、そこを目がけて死体を投げつけるようになった。
肉の防壁が盾となり、エネルギー弾が貫通しなくなった。第二大隊は、効力射がついに撃てなくなった。無駄であると分かっていても機銃は撃ち続けなければならない。いつ、肉壁を乗り越えて襲ってくるか分からない。牽制射撃を続ける必要があった。弾は無限にある。弾切れの心配は無いのだ。
圧倒的な日本軍の優勢は変わらない。肉壁を乗り越えてくる月人を撃ち倒すことへと目的が変わっただけだ。
誰もがこの戦場での勝利を確信した。
「攻勢が薄くなったか。勝つな。」
司令室で戦術モニターを見つめていた第二大隊大隊長は、大勢が決したと考えていた。




