135.第二十六次防衛戦 百鬼夜行
二二〇三年二月四日 〇九五六 KYT 入口防御拠点
いつしか、屋上からアサルトライフルによる地上への斉射が始まっていた。野砲に比べると、弱々しく、か細い光線が月人の群れへ次々と吸い込まれていく。
数十条の光線だが、投石を行なう月人を的確に排除していった。これにより投石による被害は、幾分か減少した様に見えた。
野砲が壊れたことにより、手の空いた砲兵大隊の兵士が撤退支援に加勢を始めたのだった。
映画で見た昼の様に明るかった空は、見慣れた光の無い暗い夜の世界に戻っていた。
野砲の砲撃は激減し、数十秒に一度、光弾を吐き出す程度にまで落ちていた。
「大砲屋さんも頑張るものだね。」
小和泉は、率直な感想を声に出していた。もちろん、この間も効果的な射撃を続けている。普段ならば、玩具としての捕虜を取る為に、急所を外したり、長剣だけを狙ったりなどして戦闘力を削いで遊ぶことが多かった。
だが、今の小和泉は命中率が高く、戦闘能力を確実に奪う胴体へ容赦なく、銃撃を加えていた。口調は、おどけている様だが、皆を生かす為に行動は真剣だった。
「隊長。その発言は、不謹慎ではないでしょうか。」
「そう云うつもりじゃないんだけどね。しっかり頑張ったから、撤退してもいいのに、というつもりなんだけどね。」
桔梗のたしなめに小和泉が応じた。
「失礼致しました。確かに第四大隊は撤退完了し、今は第六大隊が撤退中です。状況は、作戦半ばと言ったところでしょう。援護は助かります。できれば私達の撤退時も援護してくれると嬉しいのですが。」
「それは無理。第五層まで完全閉鎖。屋上に最後までいれば、取り残される。我々より先に撤退必要。」
「にしても、やっと進行率は半分か。ちょい辛くね。ハァ。」
菜花が作戦の進行率が半分という事実に溜息をついた。三脚がついているとはいえ、本来は装甲車に据え付けモーターで旋回させている重い機銃を、促成種と云えども人力で振り回し続けるのに疲れた様に見えた。それとも単純に、菜花が飽きただけなのかもしれない。
「まだ序盤。第八の撤退が本番。ここから地獄。」
鈴蘭が淡々と事実を述べた。
「そうなんだよね。第六大隊が居なくなった時に、僕達は、月人と真正面でご対面だよね。そんな状況で全力反転するんだよ。無茶な作戦だよ。困ったものだね。」
「そっか。俺達が逃げる時は援護が無いのか。」
「リアル鬼ごっこ。」
「地下都市に逃げ込み、順次、隔壁を閉めてもらうしか、生き残る道は無いと思われます。」
「総司令部も馬鹿じゃないよ。僕達が通過したらすぐに隔壁を閉めてくれるよ。」
「そうだとよろしいのですが。」
桔梗が不安を呼び起こす一言を呟いてしまった。その言葉を聞いた小和泉達は、そのまま無言となり、戦闘音だけが周囲に残った。
二二〇三年二月四日 一〇二一 KYT 入口防御拠点
撤退は、当初の予測よりも時間がかかっていた。負傷者が全力で走れるはずがない。
安全な指令所から命令を下す総司令部の参謀達には、そこまで想像ができなかった。前線勤務の経験不足が原因であった。
四肢を吹き飛ばされた戦友を担いで走る兵士達。
自分の腹から零れる内臓を両手に抱えて走る兵士達。
体のどこかに長剣が刺さったまま走り続ける兵士達。
先の第四大隊と同じく、五体満足である兵士の方が少なかった。戦闘予報の死傷確率70%は、的中していた。
負傷兵ばかりの第六大隊の最後尾が、ようやく第八大隊の兵士達の視界に入ってきた。
すぐ後ろには、月人が蝿の様に粘着していた。最後尾の兵士達は、時折振り向き様にアサルトライフルのエネルギー弾をバラ撒くが、空や地面に吸い込まれ、有効弾は少なかった。
すぐに追いつかれ、剣で斬り伏せられ、牙により噛み千切られ、虫の様に殺されていく姿を肉眼でまざまざと見せつけられた。
月人に肉薄されている兵士を、第八大隊は助けたかった。
だが、先に撤退している兵士達が壁となり、第八大隊から最後尾までの射線が通らなかった。最後尾の兵士達の命が消えていくのを、歯を食いしばって見送るしかなかった。
「各隊、第六大隊の左右の敵へ攻撃を集中。最後尾は、最後尾は、無視、せよ。他は、状況に、任せる。」
副長の歯切れの悪い命令が、大隊無線に流れた。
小を捨て、大を取る。苦渋の選択だったのであろう。
一介の士官でしかない副長は、日本軍の戦闘教義に従うしかなかった。戦闘教義を無視できる様な権限は、持ち合わせていない。それは中佐である菱村大隊長も同じことだった。
「一、了解。」
「二も了解。」
「831、了解。」
各隊隊長の声は、腹の奥底から何とか絞り出したかの様に、苦々しげだった。自然と言葉数も減った。
助けたい命が目の前にある。だが、助けに突入すれば、戦線が瓦解することは明白だった。
兵士達は、助けられない兵士の分、周囲の月人へ火線を集中させ、側面からの接近を防ぎ、損害をこれ以上出さないことしかできなかった。
最後尾が見えたと言うことは、第八大隊の撤退が始まる。それは、第八大隊の正念場を迎えることを意味した。
「総員、撤退準備。不要装備は放棄。少しでも身軽になれ。移動速度重視だ。
作戦を再確認する。
第六大隊の最後尾に続いて、都市内への撤退戦を開始。
司令部小隊と831小隊は、第六大隊に続き撤退。都市入口にて展開し、第一、第二の撤退を支援。
続いて、第一中隊撤退。そのまま、第六層まで一気に後退。
最後に第二中隊撤退。第二も第六層まで走れ。殿は、司令部小隊と831小隊が受け持つ。
第一と第二は、絶対に立ち止まるな。後続が撤退できなくなる。
それは友軍を殺すことだ。心しろ。
二個小隊撤退と同時に曲輪を爆破する。殿は爆発に注意せよ。巻き込まれても置いて行く。
次の命令あるまで現状を維持せよ。」
副長の声がかすかに上ずっている。やはり、古強者でも緊張する瞬間だった。
「一、了解。」
「二、了解。」
「831、了解。」
小和泉は大隊無線を聞きながら、銃剣をアサルトライフルに着剣し、エネルギー源であるイワクラムを念の為、喰わせ、指示を出した。
「8312、着剣。エネルギー充填。水分補給を行なえ。」
『了解。』
桔梗、菜花、鈴蘭、カゴの返事を聞き、小和泉はヘルメット内部のストローを口に咥え、吸い上げた。
ストローから生ぬるい水が、吸い上げられ喉の渇きを癒した。
ほんの一口飲んだだけでも、わずかばかりだが、疲労と睡魔に侵された体細胞が活性化していく。気がつかない内に脱水症状になろうとしていた様だ。さらにもう一口吸い上げる。
今度は、手足についていた重りが少し外れたかの様に感じた。
「やれやれ。どうやら僕は冷静では無かった様だね。少し血が上っていたかな。周りの殺気に当てられたかな。だから人混みは嫌いなんだよね。」
今、曲輪の中は兵士達が密集し、殺気があふれている。
「珍しいです。錬太郎様がその様に仰るとは。」
「そうかな。う~ん、桔梗がそう言うならば、そうなんだろうね。
さてと、これからは、走り、戦い、逃げ続けることになるよ。食事どころか、水分を補給する余裕すら無くなるだろうね。今が最後の水分補給の機会になるかもしれないよ。」
「はい、覚悟をしております。」
「死の覚悟はいらないし、受け取らないよ。」
「失礼致しました。必ず隣に立ち続けてみせます。」
「うん。そっちの返事の方が好みだね。皆もいいかな。」
「もちろんっす。」
「身も心も隊長と共に。」
「宗家の仰せのままに。」
皆の返事を聞き、小和泉は満足そうに頷いた。
8312は撤退準備を終え、次の命令が下りるまで射撃戦に戻った。
二二〇三年二月四日 一〇二四 KYT 入口防御拠点
第六大隊は、曲輪の横を重い足取りで駆け抜けている。ボロボロの野戦服の促成種に、複合装甲の一部が弾け飛んだ自然種が眼を血走らせていた。月人の投石を避ける為、前屈みによたよたと走る姿は、幽鬼を思い浮かばせた。百鬼夜行と言い換えてもおかしくは無かった。
彼等は正面の都市入口しか見ていない。
あの隔壁を潜り抜ければ、生き残れると信じ、鉄枷が付けられたかの様な重い足を気力だけで動かし続けていた。そして、今、第六大隊の最後尾が第八大隊の真横を通過する。
「司令部小隊、831小隊、第六に続け。」
「831了解。」
鹿賀山が副長へ応答し、
「831撤退開始。」
命令を下した。
「8312、了解。」
「8313、了解。」
「8314、了解。」
ついに、第八大隊に地獄が回ってきたのだ。




