134.第二十六次防衛戦 撤退開始
二二〇三年二月四日 〇八五八 KYT 入口防御拠点
戦力の集中を考え、防衛拠点はコンパクトにされた。その為に82中隊と831小隊と司令部小隊が右翼に設営した曲輪の一つに集まった。
準備が完了すれば、約九十名が狭い曲輪の壁に密着し、ひしめき合う状態となるだろう。
左翼の曲輪には81中隊が配置され、約七十名が同じ様に待機していた。
片隅では、井守が菱村の存在に緊張して委縮し、蛇喰は憎悪を込めた視線を小和泉へ送り、わずかばかり雰囲気が淀んでいる様に感じた。
「うちの大隊も人数がかなり減ってきたからかな。士気は高いけど、雰囲気が少し悪いようだね。」
小和泉は、分隊無線で思ったことをそのまま口に出した。
「仕方ないかと思われます。大隊二百二名中、負傷者二十一名、戦死者三十九名を出しております。」
「死傷率30%。」
「全滅判定じゃねえか。駄目だな。こりゃ。」
「そうだね。元気、いや怪我をしていないだけの兵士が百六十名か。この戦場は終戦処理に入っているくらいだからね。」
「総司令部の判断ミス。」
「なぁ、隊長。俺達は生き残れるのか。」
「菜花、その質問はすべきではないです。」
「でもよ。桔梗。みんなヘトヘトになってるじゃねえか。それなのに交代要員は地下に行っちまった。補給は何も来ない。どうやって勝つんだ。頭の悪い俺でも結果が分かるぜ。」
「その為の籠城戦でしょう。総司令部が全滅を覚悟するとは思えません。」
「巣ごもりして、どうやって逆転するんだよ。」
「何か策があるのでしょう。」
「だから、その策は何だって聞いてんだよ。」
「そこまで。情報なし。議論無効。生存に注力。」
「そうですね。鈴蘭の言う通りです。私達で議論しても答えはでません。止めましょう。」
「鈴蘭が言うなら仕方ねえ。ちょいとよ。心配になっただけなんだ。この中の誰かがさ、そのな、欠けるのがな。嫌だったからさ。」
菜花がモジモジと照れていた。
―うん、三人共かわいいね。意外にも鈴蘭の発言力が一番強いんだよね。知性の桔梗と直感の菜花は、考え方が対照的だからね。この喧嘩になりそうでならない処が、実に愛でていて楽しいよね。―
「隊長。鼻の下、延びている。不謹慎。」
小和泉の思考を鈴蘭に指摘される。
「これは失礼。さて、生き残るためにもっと力を出すよ。」
『了解。』
―そう、もっと本気になる。桔梗、菜花、鈴蘭、鹿賀山、東條寺だけは、この手で守る。他の部隊を盾にし、いざとなれば、カゴも贄にしよう。―
カゴは一度も発言することなく、気配を消した状態で小和泉に付き従っていた。カゴの存在に気がついているのは、小和泉と菜花あたりだろう。それほど見事な隠形だった。
ついに、小和泉は、遊び抜きの本気の戦いを挑もうとしていた。
二二〇三年二月四日 〇九一一 KYT 入口防御拠点
「隊長。防御拠点設営まもなく完了します。」
副長は、危うい波風が立ちそうな雰囲気の中、淡々と告げた。この程度の雰囲気の悪さに左右される様な大隊司令部ではなかった。
「ようし、野郎共。命懸けの撤退戦の始まりだ。気を引き締めてかかれ。友軍には、一発も当てるんじゃねえぞ。副長、後は頼む。」
「了解。引き継ぎます。第一中隊は左翼を担当。第二中隊、831小隊、司令部小隊は右翼を担当。その間に友軍を通す。全隊、整備大隊が折角用意してくれた機銃だ。十分活用する様に。では始める。安全装置解除。戦闘用意。」
「第一中隊、解除確認。準備よし。」
「第二中隊、解除確認。準備よし。」
「831小隊、解除確認。準備よし。」
各隊隊長から報告が入る。副長は、大隊無線から連隊無線へと切り替えた。
「告げる。収容準備完了。第四大隊より戦術マップに記載のルートにて撤退を開始されたし。当該ルート以外の安全は保障できない。撤退を開始されたし。」
「第四大隊、了解。」
「第六大隊、了解。当隊撤退開始まで支援する。」
「第四大隊、撤退に移行。秒読み始め。三、二、一、今。」
その合図とともに、第四大隊の兵士達が小隊単位で規則正しく、指示された通りに迷路の様な塹壕を低い姿勢で走り始める。月人の投石に頭部を砕かれぬようするためだった。
都市に近い部隊から撤退を始め、遠い部隊は空いた空間を詰める様に射撃しながら移動する。第四大隊の攻撃が薄くなり、月人の前衛が前進を始めた。
「左翼は、第四へ援護射撃に集中。月人を押し戻せ。」
副長が状況の変化に即座に対応する。
「第一中隊、了解。月人を押し戻します。」
第一中隊隊長が副長の命令を復唱する。即座に、左翼の攻撃は前進する月人へ標的を切り替えた。
機銃の威力は素晴らしかった。射程、連射力、貫通力、全てがアサルトライフルの性能を凌駕する。
一斉射するだけで数十匹の月人が倒れ伏す。しかし、数万の敵に対しては、効果があるとは言えなかった。だが、第四大隊の前面の月人の突破力を挫くことは十分可能だった。
敵の進軍速度が鈍った。
「機銃はぶっ壊していいぞ。その代わり、性能以上に撃ち続けろ。一匹でも多くぶっ殺せ。どうせ機銃は都市内では威力が有り過ぎて使えん。こんな重てえ物は、捨てていくぞ。」
菱村は、常に先を考えている。撤退には素早さが重要だった。荷物になる物は捨て、身軽さを最優先させる。その命令に応じ、戦場の光線が一層激しく瞬いた。
第四大隊の第一陣が、二つの曲輪の中央を走り抜け、地下都市へと撤退していく。続いて、第二陣、第三陣と途切れることなく続いていく。
どの隊の兵士達の足取りは重く、予想よりも撤退に時間がかかりそうだった。
野戦服や複合装甲は、泥と血と排泄物に染まり、元の荒野迷彩が認識出来ない程に汚れていた。
小和泉達が応援に入っていた時は、まだ砂埃に汚れている程度だったが、第二線に下がってから、地獄が始まったのだろう。
腕を引き千切られた者、足を吹き飛ばされた者は、戦友の肩を借り、または肩に担がれ走ってきた。
ヘルメットのバイザー越しでもその苦痛に耐える顔は、曲輪のすぐ傍を走り抜ける為、よく見えた。
その苦痛は、痛みの所為なのか、敗戦の口惜しさなのか、それとも戦友の亡骸を戦場に置いていく辛さなのだろうか。いや、恐らくその全てなのであろう。
小和泉は、労りや労いの言葉をかけることはなかった。ただ、横を走り抜けていく兵士達を醒めた目で見つめていた。これが戦争。いつ自分がそちら側に身を置くか分からない。己の姿と重ね合わせていた。
―『明日は我が身』って言葉があるけど、明日どころじゃないね。数分後の姿かもね。―
第四大隊の兵士達を他人事の様に見つめることなどできなかった。
まもなく第四大隊の撤退が終わろうとしている今、左翼から月人の大群が迫りつつある。機銃により攻撃力が大幅に増加しようとも、万単位の月人の群れを押し返すことはできない。せいぜい、進軍速度を遅らせるのが精一杯だった。
次の第六大隊の撤収が始まれば、さらに右翼からの月人の圧力が高まり、第八大隊の正面には月人の大群のみが広がることとなる。
今、この戦場で死地に立っているのは第八大隊なのだ。他人を気遣う余裕はない。我が身を守ることすら難しい。
「正面来るぞ。」
「機銃を切らすな。」
「前に撃てばいい。勝手に敵が当たる。」
「撃て、撃て、撃て。」
「次は一時方向。続いて十一時方向。出鼻を挫け。」
「投石する月人を優先だ。損害を抑えるぞ。」
現に、大隊無線には、色々な指示が飛び交っている。第八大隊も生き残る為に必死なのだ。
先に撤退しているボロボロの部隊に憐憫の情は湧かなかった。




