133.第二十六次防衛戦 防衛拠点設営
二二〇三年二月四日 〇八二〇 KYT 入口防御拠点
人類は、地上の生存圏を失おうとしていた。もしかすると地球のどこかでは、地上生活を続けているかもしれない。だが、外部と一切連絡がつかない環境では、小和泉達には意味が無いことだった。
宇宙にまで進出していた人類は、月人の襲来と共に滅亡の崖を落ち続けていた。
ついに地表からも追い出され、地底へと閉じ込められることになる様だった。
地球の生態系の頂点は、人類から月人へと交代を強いられていた。
それに抗う為に日本軍、いや人類は月人に対し、徹底抗戦を行ってきた。
日本軍は、血と汗を流し、反吐と小便を撒き散らしながら月人と全力で戦っていた。
行政府は、それを支える為に資源の再利用を極限まで高め、新技術の開発と投入を行なった。
司法府は、行政府の活動を全面的に支える為、法整備を行い、市民たちの協力を仰いできた。
市民たちも生き残る為に自由と引き換えに耐えてきた。
まもなく、そのシステムも機能しなくなるのだろう。更なる困窮が待ち構えているに違いない。
戦場への補給は完全に途絶え、し尿処理の交換パックは、すでに使い切り、溢れ、漏れ、塹壕の床へと垂れ流していた。
食事をとったのは、何時だったかハッキリと言える者は、いなかった。
空腹、睡魔、疲労が重く圧し掛かり、集中力が揺らいでいく。それは、皆同じだった。
そんな汚れた塹壕の床には、多くの戦友達が倒れ伏していた。戦死しているのか、気絶しているのか、誰も気に留めない。
ひたすらに月人へアサルトライフルを撃ち続ける。イワクラムだけは、無限に近いエネルギーを発生させる。アサルトライフルならば、数千発撃ったところでエネルギー切れを起こすことは無い。
銃が撃てる限り、最前線に残らなければならない。
この戦場は、限界を超えている。
そんな極限状態に追い込まれていても、第八大隊の士気は高かった。
小和泉の予測通り、第八大隊は早々に第二線から離脱し、KYTの軍専用の巨大な出入口の左右に曲輪の様に土嚢を積み上げ、外側には地下都市の外壁装甲パネルを貼り付けた防壁を作った。
所々に銃眼を開け、身を晒すことなく、銃撃を行なえる様に設計をした。
二つの曲輪の間の出入口の前は、大きく開かれ、味方の撤退がスムースに進む様に障害物は一切なかった。前線から真っ直ぐに出入口に走り込める強固な防御拠点を短時間で構築していた。
この草案は鹿賀山が提出した。そこに第八大隊副長が都市外壁修理用の予備の複合セラミックス製の外壁パネルを接収し、使用する案を付け加えた。
ただの土嚢は、強固な装甲パネルに包まれることになり、月人の投石に対する防御効果が付与されるという修正案は、菱村が即座に承認した。
それに伴い821小隊が、外壁装甲パネルの接収に走り出した。時間の戦いだった。防衛拠点の設営が遅くなれば、それだけ味方に被害が出る。ゆえに第八大隊の動きは機敏だった。兵士達は、寝不足と疲労を自主的に強壮剤でごまかし、予定より早く防衛拠点である曲輪を仕上げた。
強壮剤の正体を知っている小和泉と鹿賀山は、8311分隊と8312分隊には使用させなかった。
一度の使用ならば問題は無いが、依存性が非常に高い危険な物であることを知っていた。
強壮剤を服用すると多幸感、疲労回復などの効果があった。だが、それはあくまで薬に含まれる成分による気のせいだ。ストレスが解消されることも、蓄積された疲労が筋肉から消えさることはない。
薬効が切れた後に来る揺り返しは、今までの倍以上の苦痛として返ってくる。そして、強壮剤に手を出す悪循環が生まれる。
その様な薬を自分の直属の部下に使用する気にはならなかった。
特に小和泉率いる8312分隊は、その薬効を井守准尉で目の当たりにしていた。ゆえに自分から、薬に手を出す人間はいなかった。
悪いことばかり続く中、良いことが一つだけあった。整備大隊が装甲車に搭載している機銃を外し、用意してくれたことだった。都市出入口まで整備大隊が、整備工場がある下層からわざわざ届けに来てくれたのだ。さすがに前線まで届ける度胸は無かった様だ。もっとも、戦闘の素人が前線に来られてもお荷物になるだけだ。
出入口に積まれた機銃は、各分隊に一丁ずつ配備され、第八大隊の戦力は増強された。
整備大隊は、機銃をトラックから降ろし終えるとすぐに整備工場に逃げ帰った。すでにこの場には居ない。軍属とは云え、非戦闘員ではここに来ることすら恐怖であっただろう。それに耐え、機銃を運んでくれた。
第八大隊で、一人を除いて整備大隊の行動を非難する者はいなかった。逆に感謝をしていた。死傷確率が1%でも下がるかもしれないからだ。
だが、世の中には例外は必ず存在する。
「信じられません。日本軍人であるにも関わらず、一発も撃つことなく逃げるとは何事ですか。友軍を守るという気概は無いのですか。」
その一人とは8314分隊の蛇喰少尉だった。
心の奥底から立腹しているが、部下達は宥めるどころか、近づくことさえせず、機銃の組み立てと設置に黙々と打ち込んでいた。
「ふむ。仕事に集中しているのでは、仕方がありません。返事が無いことは不問と致しましょう。」
この男は、秀才であるのかもしれない。だが、人間性に疑問を感じる人物だった。度重なる不快な言動の結果を如実に表していた。
対照的に部下に好かれている、いや、愛されているのが小和泉だった。
「贅沢を言えば、装甲車が欲しかったすね。あと、飯とし尿パックの補給が欲しかったな。」
「無理。装甲車、解体整備中。機銃に三脚付き。必要充分。輜重は担当外。」
「整備の方々が、即席の三脚をつけて下さっただけでもありがたいことです。」
三人娘が機銃に対する感想を言っていると、
「そうだぞ。これが有るのと無いのでは生存率が大きく変わるからな。整備兵共に感謝だ。飯は、無事逃げおおせたら、大隊全員に奢ってやる。」
第八大隊大隊長の菱村中佐が背後から顔を突き出す様に会話へ割り込んだ。
「おぉ。はい、ありがたいっす。」
「っ。感謝です。」
「じゅ、重々、承知しております。」
三人娘は、唐突な菱村の割り込みに驚き、曲輪の防衛任務に意識を戻した。
背後から三人娘に忍び寄る菱村に気付きながら、表情に一切出さなかった小和泉は、気になる事を尋ねた。
「ところで、おやっさんとその取り巻きの司令部小隊は、何で831小隊にいるのでしょうか。普段は811小隊じゃないですか。」
「細けえことはいいんだよ。狂犬の。たまには、可愛い娘のところがいいじゃねえか。」
小和泉の問いに菱村は狒々爺のような言葉を返した。
「可愛い娘って、まぁ、気持ちは、分かる様な気もするかな。」
と小和泉は、思わずこぼした。
「小和泉、どこで指揮を取られても大勢に影響はないし、問題も無い。付け加えるなら至極当然の意見だ。今生の別れになるのかもしれない。」
と鹿賀山も意味の解らない援護をしてくる。
「こ、小和泉大尉が、わ、悪さできなくて、な、何よりです。」
どもりながら話す東條寺は、何かに緊張している様に見えた。
「今の状況で単独行動は取らないよ。」
考えたところで理由は分からないし、興味が無い小和泉は、それ以上の思考を放棄した。
「ところで、おやっさん。」
「なんでい、狂犬。」
「大隊全員に奢れば、破産しませんか。」
「それ位の蓄えはあらぁ。」
「促成種は、自然種の五倍は食べますよ。」
「おい、鹿賀山。狂犬の言うことは本当か。」
「事実です。でなければ、自然種の五倍の筋力と敏捷性を維持できません。普段は、促成種専用の栄養剤で補給していますが、この調子ですと通常食を期待しているのでしょう。」
「副長、なんで止めてくれなかった。」
「士気を保つのも副長の仕事です。今さら止められません。」
「結婚費用が飛んじまう。」
菱村は、ポツリとつぶやき、空を見上げ固まった。
その言葉に東條寺も一緒に固まってしまった。




