130.第二十六次防衛戦 前に獣、後ろに刃
二二〇三年二月四日 〇六五五 KYT 長蛇トンネル
第四中隊は、多くの犠牲を出しながらも、この遭遇戦を乗り切ろうとしていた。
彼らが通り過ぎた後には、仲間と月人の死体が絡み合う様に幾重にも地面へ倒れ、足の踏み場が無かった。
「撃ち方止め。中隊に紛れた残敵を排除せよ。」
そんな中、副長は心を凍らせ、命令を下した。心を凍らさなければ、正気を保つことは難しい。追随している兵士達も同じだった。
「副長。前方百メートル、熱源反応確認。」
「数は?」
「判別不能。大量です。」
兵士の報告に副長は、暗視モニターから熱源モニターに切り替えた。
第四中隊が帰るべき長蛇砦を塞ぐように煌々と真っ赤に染まるトンネルが表示された。
判別不能の報告理由が分かった。数が多すぎるのだ。数が多く、幾重にも体温が重なりトンネル全面が真っ赤に染まっていた。輪郭すら認識することが出来なかった。
副長は暗視モードに戻し、望遠で確認をした。
友軍であって欲しかった。せめて、ネズミなどの害獣であって欲しかった。
現実は、厳しく、悲しいことが多い。
長蛇トンネルにひしめき合うのは、月人だった。どこから湧いたのかは分からない。
だが、それは問題では無い。どう突破するのかが、問題なのだ。
念の為、中隊長に確認をしようとしたが、それは不可能だった。
中隊長の生体モニターは、黒色になっていた。今の遭遇戦で月人に斃されていた。
―道理で俺に報告が来るわけだ。くそ。だから早く異動したかったんだ。俺が指揮官か。面倒だな。いや、ひと手間挟まずに済むと考えれば良いか。今は生き残るが先決。―
副長は、中隊長が戦死し指揮権を引き継ぐことを面倒だと思った。
現実は副長が、第四中隊の指揮を執っていたに等しい。小心者の中隊長への説明と承認が不要になる分、指揮の速度は早くなるだろう。
少しでも生存率が上がるのであればと、副長は、面倒事に目をつぶった。
「目の前の敵は月人だ。あれを突破しなければ、砦に戻れん。
援軍を呼ぶにしても、無線は乱反射して使えん。我々の力だけで抜けるぞ。生きたければ前に進め。
後退は死しかない。走り抜けろ。後ろを振り返るな。一人でも多く駆け抜けろ。攻撃、兵装自由。生きろ。」
一旦、深呼吸をし、腹に力を込めた。
「突撃。」
副長は力強く命令を下した。
『オー。』
兵士達は即座に反応した。前衛はアサルトライフルを乱射しつつ、月人へ躊躇いなく突撃していく。
乱射により月人の前衛の一部は崩れたが、層は分厚く、群れの終わりは見えない。
生き残る為、砦に帰る為、待ち人のもとへ戻る為、兵士達は様々な覚悟で月人の群れへ突撃していった。
二二〇三年二月四日 〇七二一 KYT 長蛇トンネル
果敢な突撃を行なった第四中隊は、序盤は確実に月人を削り、一歩、また一歩と砦へ近づいていった。
だが、第四中隊は疲労が蓄積していく。月人は前衛を斃せば、中衛が前へ出る。一度も戦闘に参加していないものだ。身体能力や武装は日本軍が勝っていようとも、疲労に打ち勝てる者はいない。
息切れで深呼吸をした一瞬に長剣を刺される者。眩暈によりたたらを踏んだ隙に首を圧し折られる者。
疲労による集中力と体力の低下が、第四中隊の最大の敵となった。
突進力は弱まり、ついには足が止まった。
「第一小隊下れ、第二小隊前へ。」
副長は命令を下すが、実行されなかった。
「こちら第二小隊。トンネルが狭すぎて入れ替われません。」
「第一小隊。喰い込まれている。無理だ。」
狭いトンネル内での乱戦では、命令の遂行は不可能だった。
月人の勢いが増し、第四中隊はジリジリと後退をさせられていった。
「下がるな。前へ。砦へ近づけ。せめて無線が入る地点まで。応援が呼べる地点まで行くんだ。」
副長は、悲痛な声で叫ぶ。
気が付けば、第一小隊の後方にいた副長は、最前線に立っていた。手が届く距離に月人がいる。
第一小隊の兵士達は、月人に磨り潰されるように倒れていったためだ。
力押しに負け、徐々に最前線が下がり始める。第一小隊は、消えようとしていた。
「押し返せ。俺は生きる。」
副長は檄を飛ばしつつ、兎女の長剣を掻い潜った。そして、密着し、アサルトライフルの引き金を引く。
兎女の胴に三回、光弾が吸い込まれた。
急所を穿たれ、生命力を失いつつある兎女は、副長の身体に覆い被さってきた。避ける為、反射的に副長は身体を背後に引いてしまった。これで最前線がまた一歩後退した。
「くそっ。」
悪態をつくが、即座にその空間を狼男が埋めた。まだ息をしている兎女を踏み台にして。狼男の強い踏み込みにより兎女の胴体が潰され、血が周囲に飛び散った。
「そこを通せ。」
副長は、アサルトライフルに装着している銃剣を力一杯上段から振り下ろした。
狼男は、前腕部でライフルの銃身を受け止め、眼前で刃を止めた。
副長は、すかさず前へライフルをスライドさせ、狼男の額に銃剣を突き立てる。
浅い突きだった為、毛皮を裂き、骨を削る程度だった。だが、狼男を押しのけるには十分な威力だった。
体勢を崩した狼男を押しのけ、一歩踏み込んだ。最前線を押し戻した。
―よし、まだいける。―
だが、副長の希望は、簡単に砕け散ることになる。
殿を務める第四小隊は、背後を警戒していた
月人の不意打ちに備え、充分に警戒していた。だが、友軍に歩哨所の方向へ押し戻されるとは想像していなかった。
「おい、押すな。」
「どうした。砦へ戻るのじゃないのか。」
第四小隊の兵士達が、第三小隊の兵士に尋ねた。
「敵が前面に出現。交戦に入ったが、劣勢らしい。」
第三小隊の兵士が答えた。この間にも友軍は、グイグイと後退し第四小隊も押し戻らされる。
「止れ。止まってくれ。」
「そうだ、この先には。」
第四小隊の兵士達は、後方警戒を止め、友軍を押し戻すことに必死になった。
「まずい。だめだ。ひっかかる。」
爆発音と共に第四小隊の最後尾にいた兵士達は、全身に痛みを感じた。全身に散弾銃で撃たれたかの様に穴が穿たれ、血が流れていた。重要な筋肉を傷つけられ、地面へと崩れ落ちていく。
「くそ、罠の指向性対人地雷の範囲に入っちまった。早く前へ進め。ヤバイ。」
「前へ行ってくれ。トラップゾーンに入っちまう。」
第四小隊は、往路で設置した撤退用の指向性対人地雷と三連型切断筒を起動させつつ、後退していたのだった。その罠に自分達がかかりつつあった。
「無理だ。俺達も前から押されているんだ。押し戻せない。」
第四小隊の兵士が押し込まれ、一歩だけ右足を下げてしまった。
「いやだ。いやだ。いやだ。いや、いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや。」
その兵士は、自分が踏み込んではならない領域に踏み入れたことを悟り、力一杯叫んだ。
だが、いくら力強い声や思いを込めた言葉でも未来は変えられなかった。
何も無い空間に兵士の右足首だけがぽつんと地面に残った。支えを失った体は、背後から地面へと倒れ込んでいった。
兵士が地面に近づくと、全身を三十センチ間隔に綺麗に断ち切られた。断面からは臓腑を零し、地面へ大量の血液を広げていく。同じ様に十数人の兵士も罠にかかり、輪切りにされていった。
血が付いたことにより、そこにある物がようやく見えた。細い鋼線だった。
それは第四小隊が起動させたもう一つの罠、三連型切断筒と呼ばれるものだった。直径五センチ、長さ一メートル程のパイプであった。地上より約十五センチの高さにワイヤーを張る罠だ。
設置したい場所にて地面と水平に寝かせ、スイッチを押すと固定用の楔が地面に撃ち込まれ、パイプが持ち上がる。続いて側面より三本のワイヤーが射出され、地面に撃ち込まれる。ワイヤー長は五メートルあり、弛みがあれば自動的に巻き取られる。こうして、罠は完成する。
そのワイヤーは、髪の毛よりも細く強靭で触れる物を全て切断する鋭利さと強靭さをもっていた。
ちなみに兵士達の間では、切断鋼線と呼ばれていた。
これらの対人地雷と三連型切断筒がこのトンネルに設置され、撤退した箇所から順に、第四小隊が既に起動させてきた。
その罠を発動させた第四小隊自身が、罠の餌食となった。効果的に配置された地雷と切断鋼線が第四小隊の兵士の命を確実に奪っていった。
第四中隊は、前から大量の月人に削られ、背後は自隊が仕掛けた罠により自滅し、消滅した。
後には地面に横たわる第四中隊九十名全員と月人約四百匹の死体が転がっていた。
敵を屠り終わった月人の大群は、踵を返し、静かに長蛇砦へと進軍を始めた。




