127.第二十六次防衛戦 原隊復帰
二二〇三年二月四日 〇三四五 KYT 西部塹壕
小和泉達8312分隊は、自分達で持ち込んだ散布型地雷を全て撃ち切った。
本来ならば帰隊しているはずなのだが、未だに第四大隊司令部の塹壕から離れられずにいた。
今度こそ帰隊したいと考えながら、小和泉は少しまごつきつつ無線操作をした。
「第四大隊長殿、よろしいでしょうか。」
「小和泉大尉、何かな。」
「お約束通り、原隊に復帰したいのですが。」
小和泉は、原隊復帰の確認を行った。もうこれが何度目か忘れてしまった。
「はっはっはっ。すまんな。もっと付き合ってもらうぞ。
飽きたら返せと菱村が言っていたが、狂犬を使うのがこんなに面白いとは思わなかったぞ。」
大隊長は、満足そうな声で言った。
「面白い、ですか。周囲からは、厄介者、異端者、はぐれ者と言われている様ですが。」
「確かに癖は強いが、命令は確実に履行し、俺の考えも先読みし戦闘をこなす。
ゆえに俺は戦況を有利に進めることができている。月人の突進を受け止め、奴らの大出血を強いている。お前達が撒いた地雷が功を奏している。平らだった地形を歩きにくい凹凸のある地形に変化させたことにより、進軍速度が落ちておるわ。小和泉大尉、よく俺の意図を読み取ったな。
菱村の奴が、後生大事に抱え込んで手放さない訳だ。自慢の息子だと酒の席で言うのも然り。」
「買いかぶり過ぎです。話を戻しますが、原隊に戻して頂けませんか。第八も心配ですし。」
―心配というのは嘘なんだけどね。おやっさんが後方支援をしくじるわけが無いからね。それに鹿賀山もいるし、僕無しでも上手に回すよね。現実に戦術ネットワークでも第八大隊の損耗率は0%を示しているからね。―
「それならば、この最前線でもっと敵を削ってくれ。後方よりも効率良く削れるぞ。効率良く削れば、第八の安泰にも繋がるぞ。」
「ですが、我が分隊は昨日よりの連戦により消耗しております。休息が必要です。」
―面白い事が無いから帰りたい、って言ったら怒られるだろうな。
向こうに戻れば、桔梗にお茶を入れてもらったり、鈴蘭に肩を揉んでもらったり、ノンビリできるんだけどなあ。―
「なるほど。確かにな。狂犬の言う通りだろう。そろそろ休ませるべきか。
よし。ここで小休止、いや特別だ。中休止を取れ。」
「お言葉ですが、最前線では気が休まりません。」
「狂犬ならば問題なかろう。どこでも休めるだろう。」
「本官は問題ありませんが、部下には過酷な環境です。ご再考をお願い致します。」
実際に最前線では、地雷の爆発音と振動が響き、兵士達の怒号や駆けまわる足音が塹壕の中を反響している。さらに月人達の断末魔も遠く聞こえてくる。
実際に大隊長の言う通り、この程度の騒音は、戦場では当たり前だった。
―これらを気にする様な繊細な神経を持つ部下は居ないんだよね。恐らく休めと言えば、即座に熟睡するだろうね。だけど、ここはか弱い女性を演じてもらうのが良いだろう。
菜花が聞いていれば、
『そんなにヤワじゃねえよ。』
と怒りそうだね。―。
「ふむ。確かに休むには適した環境では無いか。しかし、今ここを抜けられると楽が、いや、辛いのだが。
そうだ、いっその事、俺の部下にならんか。総司令部に掛け合って、今よりも良い待遇で迎えるぞ。無論、分隊全員まとめて面倒をみよう。狂犬部隊の称号を勇者の意味にしてやる。良い話とは思わんか。」
「そこまでだ。第四の。勝手に俺の物を奪うんじゃねぇよ。そういう事ならば、さっさと返しやがれ。」
突如、無線に不機嫌な菱村の声が割って入った。
「げ。菱村か。あちゃ~。聞かれたか。小和泉大尉。貴様、無線を菱村にも回していたのか。」
「おかしいですね。そのつもりは無かったのですが、操作ミスでしょうか。失礼致しました。」
無論、操作ミスでは無い。わざとであった。確実に帰る為に菱村に無線を聞かせた。
菱村中佐が、最初に無線応答しないことは賭けだった。無線を繋いだ時に第四大隊長と一番に呼びかけたのが、功を奏した様だ。菱村は無線が繋がった時、すぐに小和泉の意図を理解した。
小和泉の作戦は、成功しそうだった。
「狂犬。お前、やはり知恵者だろう。武闘派とか軟派野郎を演じて、楽しようとしているのではないか。面倒な作戦立案は、小隊長辺りに押し付ける為の方便だろう。」
第四大隊長に図星をつかれる。考えるのが面倒なので、鹿賀山に全て投げているのは事実だ。
小和泉に立案能力が無い訳では無い。面倒くさがりなのだ。
「お~い、第四の。な、狂犬は灰汁が強いだろ。使いこなすには鹿賀山少佐がいないと難しいぞ。
何せ親友、いや嫁さんだからな。抑えになる奴が必要なんだよ。うちの子供も寂しがってるんでな。
てな訳で、そろそろ返してくれや。こっちも休憩のやりくりに苦労してるんだわ。」
―いや、嫁さんは無いでしょう。せめて女房役くらいにして欲しいものだね。まあ、実際に受けだから、間違いでもないのかな。―
「菱村、それは正式な要請か。」
「おう。それでいいぜ。第四の」
「分かった。原隊に戻す。貸してくれて、助かった。」
「貸しは高いぜ。」
「はっ。生き残ってから言いな。」
「それもそうだな。という訳だ、狂犬。帰って来いや。お疲れさん。」
大隊長同士の話し合いは終わった。
「了解。8312分隊、原隊に復帰します。第四大隊長、お世話になりました。これにて失礼致します。」
小和泉の背後に桔梗達が整列し、小和泉の敬礼に合わせた。一糸乱れぬ行動だった。それだけで周囲に居た第四大隊の歴戦の兵士達に圧力をかけた。狂犬部隊の名は、伊達では無いことを知らしめた。
そんな部隊が最前線から離れる事実に、そこかしこから溜め息が聞こえた。
「お前達の活躍に助けられた。武運を祈る。ちなみに、いつでも門戸は空けておく。」
そう言うと第四大隊長は、敬礼を返した。その顔は、本当に手放すのが無念であると、眉間に皺を寄せていた。
二二〇三年二月四日 〇五三一 KYT 西部塹壕
第八大隊に戻った8312分隊には、九十分の休息を与えられた。苦しい戦況の中では、長い休息時間が許された。塹壕の壁に寄りかかると即座に眠りについた。歴戦の勇士であろうと疲労は蓄積される。最前線より少し離れたとはいえ、騒音が和らぐことは無い。
それでも即座に眠りにつけるのが、良い兵士である。無論、状況が急変すれば、覚醒し戦闘に復帰できるは当然だ。
体内時計が正確な桔梗は、九十分経過と同時に目を覚ました。周囲を見回しても、まだ誰も起きてはいなかった。連戦の疲れによる深めの仮眠を堪能していた。
ただ、カゴだけは眠るというよりも目を瞑っているだけに見えた。小和泉の為に寝ずの番をしているのかもしれない。
カゴがいつ眠っているのか、誰も知らない。その様な素振りを皆の前で見せたことは一度も無かった。
―さて、皆さん、朝冷えで体が冷えているでしょうから、温かい食事でも用意をしておきましょう。―
小和泉の分だけでも良かったのだが、一人分用意するのも五人分作るのも大差ない。戦場では戦闘糧食を頬張るだけだ。調理することは、まず無い。
桔梗は、分隊全員の戦闘糧食を鍋に突っ込み、水と共に電熱器で温め始めた。お湯を沸かす火力が桔梗を優しく包み込む。電熱器から伝わる優しい温もりが、地面に奪われた桔梗の体温を徐々に戻していく。
―何か、心が落ち着きます。二日ぶりでしょうか。頭に昇っていた血がようやく降りてきたようです。―
鍋の底から浮き上がる気泡をぼんやりと見つめていた。
桔梗は、表には出さないが戦闘では興奮し血が上る方だった。それを理性で押さえつけている。
周囲からは、冷静さが必要とされる狙撃手を担当している為、冷静沈着な人物だと思われていた。
小和泉だけが、桔梗の本質を見抜いている様に思えた。
仮眠をとったことにより興奮が冷め、思考が正常運転を始めた。
戦術ネットワークを立ち上げ、網膜モニターに投影し、戦況を確認する。
地雷原は七割まで浸食され、最終防衛戦の鉄条網帯に月人が迫ろうとしていた。
―腑に落ちません。九十分でこの程度の浸食率ですか。ありえません。×です。月人の突破力は、この程度では無いでしょう。情報が足りません。月人の目的が分かりません。総司令部では何かを掴んでいるのでしょうか。―
桔梗は疑問を感じたが、答えを出せなかった。だが、その答えをまもなく知ることになる。




