116.〇三〇一一五作戦 完全失敗
二二〇三年二月一日 一三五三 KYT 第八大隊控室
831小隊は、月人の追撃を掻い潜り、基地跡から脱出した。
重傷者を抱えていたが、追跡される事を恐れ、迂回しつつ第八大隊本隊へと合流した。
現地の解析済み情報を受け取った菱村は、基地跡を再占領する価値は無いと判断し、重傷者も居る為、即時撤退を決定した。
つまり、OSK探索を目的とした〇三〇一一五作戦は、完全失敗した。
OSK探索の為の前哨基地は、月人に蹂躙され、日本軍の手によって灰塵と化した。ここまで月人の勢力範囲が広がっているのであれば、OSKに辿り着く前に撃破される可能性が高い事は、十分考えられた。
無理にOSK探索任務を続行する価値は無くなった。強行すれば、日本軍の損害を大きくするだけだろう。荒野の地下に潜む月人は、神出鬼没である。どこで不意討ちを受けてもおかしくはない。このまま索敵活動を続ければ、兵士達は恐怖と不眠。そして疲労により自滅することは自明の理だった。
日本軍総司令部も同じ考えに至っていた。第五大隊が消滅した今、歩兵大隊は一、二、四、六、八の五個大隊しか残っていなかった。その中の第八大隊は、正規の員数を揃えていない。四個中隊で一個大隊だが、二個中隊と一個小隊で大隊を名乗っていた。通常の大隊規模の半分に等しい。
さらに、日本軍はこの数年で歩兵大隊を三個失い、歩兵戦力は約六割にまで減少していた。
無理な遠征を行なうよりも、防衛力を取り戻すことが最優先であった。
菱村の判断は、正しいと判定されたのだった。
重傷の愛とクジは軍立病院へ運びこまれ、現在手術中だった。容体についての詳細は、不明だった。第八大隊の誰もが、無事であることを当然の様に信じていた。
第八大隊の控室には、愛とクジの二人を除いた全員が揃っていた。戦場でかいた汗も流さず、複合装甲も解除せず、戦場から帰ったままの姿で口を閉ざし待機していた。
普段ならば、戦闘後には皆シャワールームに駆け込むのが常なのだが、今回は違った。
重苦しい雰囲気が天井から圧し掛かり、口を開くことが出来る者はいなかった。
皆が蛇喰の独断専行を菱村がどの様に判断するか、気になっていた。
現場の臨機応変と捉えるか、命令違反と捉えるかが争点だった。
皆、机に向かい仕事をしている様な素振りを見せているが、戦場から帰還したばかりの部隊にデスクワークは無い。まずは、兵士には休息をとることが、士官には戦闘詳報を報告する事が義務付けられていた。それらは、次の戦闘に備える為だった。
だが、隊員達は、聞き耳を立て、状況がどの様になるか興味津々だった。
大隊控室の奥にある大隊長席の周りには、副長と今回の当事者達が集まっていた。
当事者とは、831小隊所属の鹿賀山、東條寺、小和泉、桔梗、井守、蛇喰の士官が呼ばれた。
大隊長席に座った菱村の後ろに副長が立ち、それを取り囲む様に六人が立っていた。
小和泉だけが、
―僕は関係ないでしょう。席に戻ってもいい?―
と、菱村に目で訴えかけていたが、無視されてしまった。ちらりと副長に視線を送ったが、こちらにも無視されてしまった。
蛇喰は、小和泉へ視線を固定していた。本人は気づかれていないつもりだろうが、井守以外は気がついていた。その視線には、嫉妬と憤怒が込められていた。
―はてさて。僕は今回、蛇喰に何もしていないのだけどなぁ。心当たりが無いなぁ。今回の件ならば、鹿賀山だよね。何で、常に僕に敵愾心を燃やしているのだろうかね。相手にした事、一度も無いのだけどなぁ。―
小和泉には、蛇喰の対抗心が理解できなかったし、小人の気持ちを理解するつもりも無かった。
その蛇喰の心は、怒りに満ち溢れていた。
―なぜ、あの男が軍に優遇されるのです。奴と私では、私が優秀なのは明らかです。何故評価されないのですか。階級は私が上になる筈です。上層部にコネでも持っているのでしょうか。本当に気にいりません。私の前から消え失せればよいものを。―
蛇喰は、菱村の話を聞きつつ、小和泉へ無意識に敵意を送っていた。
同期である士官学校時代の三人の成績は、鹿賀山、蛇喰、小和泉の順番だった。もっとも小和泉は、いつも手抜きをして、成績は及第点で良しとし、褒められた素行では無かった。
鹿賀山と蛇喰は、研鑚し上位グループに名を連ね、教官達の評価も高かった。
ゆえに蛇喰は、卒業すれば、すぐに小和泉を階級で引き離し、出世できるものだと確信していた。
だが、現実はどうだろうか。小和泉は初陣から活躍し、すぐに狂犬の二つ名を手に入れた。二つ名を与えられる軍人などほぼ居ない。軍の規格から外れている異物だからだ。異物は、軍から排除されるのが通例だった。過酷な最前線に送られ、戦死を望まれる。ゆえに二つ名を持つ軍人は、存在できなかった。
だが、異物である小和泉は軍に、正確には兵士達に受け入れられた。
狂犬のいる戦場は、死傷確率が低い事を兵士達は知っていた。
同時に狂犬が投入される戦場は、危険性が高い事も理解していた。
それでも遭遇戦や防衛戦では、小和泉の存在は、守護神の様に頼もしい存在であった。
もっとも苛烈に戦い、月人の目を惹きつけてくれるからだ。そして、同時に多くの月人を屠ってくれた。月人の圧力が弱い時は、隣の戦区に応援に駆けつけてくれることもあった。
ゆえに兵士達は、畏怖しつつも狂犬を受け入れていた。口だけの士官よりも己の身を張る士官に信頼を置くのは、当たり前の話だった。
小和泉と平時に接した兵士は、本人に出会っても狂犬の凶暴さを微塵も感じなかった。
逆に好青年に見え、畏れられる理由が見当たらなく、不思議であった。
だが、戦場の小和泉を知っている兵士は、狂い様を目の当たりにし、背筋を凍らせる。
月人を容易く屠り、弄ぶ。それは修羅か鬼か。いや、そんな上等な者じゃない。獣だ。狂った獣だ。本能を剥き出しにし、理性は無く、性欲亢進の獣だった。絶滅した猛獣である熊や狼にすら劣る獣だ。
そんな姿から、狂犬と呼ばれる様になるには、時間はかからなかった。
そんな規格外の男が、規律重視の軍の中で、大尉にまで昇進していた。
士官学校を卒業すれば准尉に任官され、一年以上、戦場を生き残り、問題が無ければ少尉へと昇進する。
士官学校を卒業し、数年経った今、蛇喰は未だに少尉のままだった。蛇喰は納得できなかった。与えられた任務を予定通りに達成し、数々の作戦にも貢献してきた。だが、昇進の話が出ることは一度も無かった。
鹿賀山の少佐への昇進は、理解できた。極秘実験や様々な作戦の成功などの噂を耳にしていたからだ。
だが、小和泉の昇進だけは許せなかった。
蛇喰の目からは、前線で好き勝手に暴れている様にしか見えなかった。さらに昇進寸前になると月人への残虐行為を起こし、昇進の話をふいにしている傾向が見受けられた。
―ありえません。ありえません。自分から己の功績を打ち消すなんてありえません。奴は、昇進できない私を馬鹿にしているのですか。きっとそうに違いありません。自分は何時でも昇進できる。こんな簡単な事が何故できないのかと挑発しているに違いありません。何ともいけ好かない男です。私が叩き潰して差し上げます。―
蛇喰の眼球の毛細血管は、異様に盛り上がり、白い部分は真っ赤に染まっていた。
蛇喰への軍の評価は、正当な評価であった。邪推やコネなどは一切入っていない。
彼は、与えられた任務や作戦を問題無くこなす。
そこが昇進できない理由だった。問題無くこなすということは、テストで七十点台の成績でしかない。軍が望む結果を超える功績を出して、百点を得ることができる。
これは軍だけでは無い。実社会の中でも同じだ。
商社で仕入を頼まれた時、大きく分けて二つのタイプが存在する。
一つは、上司に言われた通りに発注するタイプだ。これは余計な事をしない為、上司には使いやすいが、ただの駒だ。自分で考えて行動することはない。
もう一つは、頭を使い、数社から相見積をとって少しでも安く仕入れてくる。上司の望む事を超える結果を出してくる。同じ値段で顧客に売るにしても仕入れ値が安ければ、それだけ利益が生まれる。使える部下を使いこなせる上司は、会社からの評価も上がる結果に繋がる。
ゆえに、そこでその人間の評価が分かれる。上司としては、指示するだけ己の評価を上げてくれる部下を可愛がりたくなるのは、人間として普通の反応だ。
蛇喰は前者であり、言われたことを言われた通りに実行するだけの軍人だった。その為、昇進を進言してくれる上司は居なかった。それに蛇喰は気が付いていなかった。




