114.〇三〇一一五作戦 二重遭難
二二〇三年二月一日 一二四五 SW20基地跡
目前の光景に井守は、反射的に空中へ飛び出した。薬で弛緩した体は、言う事を聞かず背中から落ちた。しかし、井守は複合装甲を纏っている為、衝撃も痛みも無かった。すぐに顔を上げ、前を見た。
カワズがアサルトライフルを連射し、周囲から迫る月人を蹴散らしていた。そして、血の池に倒れている部下二人の姿が目に入った。
―急げ。早く走れ。助けるんだ。―
井守は駆けた。何度も躓き、転びそうになる姿は不恰好だったが、部下を助けたいという気持ちが全面に出ていた。
出血が激しいクジに辿り着くとアサルトライフルのスリングを外し、太腿の付け根を力の限り強く絞めつけた。出血が若干弱まるが、完全には止らなかった。まだ、締め付けが弱かった。
複合装甲の力を開放し、更にスリングを絞めつけた。クジの逞しい筋肉にスリングが食い込んでいく。食い込むと同時に傷口からの出血が静まり、止まった。
「カワズ、クジを受け取れ。」
井守は複合装甲の筋力補正を最大限にし、クジを抱え上げるとカワズへと放り投げた。
筋力補正を上げ過ぎたために、クジの骨を折ってしまったが、それは些末な事にすぎなかった。
カワズはクジをしっかりと受け止めるとすぐに床に転がせた。
「隊長、嬢ちゃんも頼んます。」
カワズの言葉で井守は、舞へ視線を向けた。体を貫く長剣が邪魔をして、抱え上げることができなかった。井守は、舞の前に回り長剣の柄へ手を掛けた。
「駄目っす。抜いたら、出血が激しくなるっす。」
カワズの忠告で井守は、剣から慌てて手を離した。
「剣の前後を折って、それから持ち上げるっす。」
井守はカワズの言葉通り、長剣の刃の前後をへし折った。体内に刃が残る形になったが、カワズの言う通り出血は少なく、抱え上げやすくなった。
井守は、舞を抱え上げるとすぐにカワズと愛が引き上げてくれた。
「舞ちゃん、舞ちゃん。しっかりして。」
愛が舞の体を揺さぶろうとするため、乱暴だがカワズは愛を蹴り飛ばした。
「触るな。出血がひどくなる。隊長、手を。」
カワズは、壁に叩きつけられた愛を見ることなく、井守へ手を差し出した。
差し出された手を握ると一気に引き摺り上げられ、貨物室に転がされた。
井守が体勢を立て直し、外を見ようとするとすでにオウジャが目の前にいた。
すでに装甲車の観音開きのドアは閉じられていた。
「収容完了です。感謝します。」
「御苦労でした。」
オウジャの報告に蛇喰は鷹揚に頷いた。
装甲車に全員が乗り移り、一息ついたところで、オウジャは、井守へくの字型の物体を手渡した。
「隊長。忘れ物ですよ。」
それはかなり重く、一瞬、手が沈んだ。柔らかく生温かい感触が掌に伝わってきた。
それは人の足だった。クジの斬り落とされた右足だった。
井守は、驚いて床に落としそうになるが、右足を慌てて抱きしめた。大切な部下な足だ。ぞんざいな扱いは出来ない。
うまくいけば、切断された足を繋ぐことも可能だ。その可能性を考え、オウジャは回収してきたのだった。井守には、そこまで頭を回す余裕が無かった。
「そうか。そうだな。気が付かなかった。ありがとう。」
井守は、ようやく自分達が窮地を脱した事に気が付いた。だが、負傷した二人の容体は安心できない。今はカワズと8314のカガチがクジと舞の応急手当てを行っていた。
8313分隊の収容までは予定通りだった。だが、蛇喰の想定を超える事態と陥っていた。
収容完了したにも拘らず、未だに発進出来ずにいた。装甲車は、数十匹の月人達に取り付かれていたのだった。
8313を収容する為に装甲車の表面に流す高電圧電流を一時的に切っていた。それを補う為に弾幕を張っていたが、掻い潜った月人による接触を許すことになってしまった。
装甲車の車内には、装甲を叩く乾いた音が何度も何度も鳴り響く。前後、上下、左右、全ての壁から何かを叩きつける音が続いた。
恐らく長剣や岩を装甲に叩きつけているのであろう。
「外部の確認できません。カメラは何かで塞がっています。アクセルを踏んでますが、動きません。タイヤがロックし、モーターが空転します。」
運転手であるオロチ上等兵が報告を上げた。
操縦用の前部大型ディスプレーも月人の影に埋もれ、電源が入っていないのと等しい状態だった。
装甲車に多数設置された車載カメラは、月人達の身体に塞がれ、外を確認することができなかった。
モーターが高回転で回る音が聞こえるが、タイヤへは繋がらず、空転していた。タイヤがロックした時の安全装置が作動していた。
「さて、獣どもがタイヤを押さえつけているのかもしれませんね。高圧電流を流しなさい。一網打尽です。」
蛇喰は、余裕の笑みを浮かべつつ命令を下した。
「この数を貼り付けたまま電流を流すと、故障の恐れがありますが。」
副官のクチナワ軍曹が、助手席から反対意見を述べた。
「何か別案はお持ちなのでしょうね。」
「…いえ、有りません。」
「では、即座に実行です。この騒音を何とかしなさい。耳障りで仕方がありません。」
「…了解です。高圧電流を流します。放電、今。」
これ以上の意見具申は無意味であることは、クチナワ達はよく知っていた。蛇喰が好む答えで無い限り意見は採用されない。
装甲車の外側に高電圧電流が流された。車体に貼り付いていた月人達の動きが一斉に止まった。
高電圧電流により筋肉が収縮し、自分の意思で身体を引きはがすことができなくなり、声も出せなかった。装甲を叩く音は、ピタリと止まった。
装甲車に触れている部分は高熱を帯び、肉体から煙が上がり始める。だが、月人達は無反応だった。
すでにショック反応により心臓は活動を停止していた。
装甲車に近い月人から炭化が始まり、一番外側に居た月人も煙を上げ始めた。
「ふん、獣風情が。では、発進なさい。」
「了解。発進します。」
カメラが塞がれ、視覚情報は無い。だが、ナビに従い、元来た道をトレースすることは可能だった。
オロチがアクセルをゆっくりと踏むが、モーターの回転数が上がるだけで装甲車が動く気配は無かった。
「炭化した月人の塊がタイヤハウスに埋まり、こびり付いてる模様。タイヤが回りません。」
「使えないタイヤはパージなさい。さっさとここを離れますよ。」
「それが六輪全てです。パージ不能です。」
「ならば、外からゴミを剥せばよいでしょう。井守准尉、貴方の部隊で解決できますね。」
突然、話が降りてきた井守は、状況が呑み込めなかった。薬の効果もあり、判断力が低下していた。
「聞こえないのですか。早く剥して下さい。時間がありませんよ。」
「蛇喰少尉、お言葉ですが、外に出るのは、危険ではありませんか。」
恐る恐る井守は、蛇喰の依頼を遠まわしに拒否した。
「我々は、決死の覚悟で救援に来て上げたのです。それに報いるのが筋でしょう。何かおかしいところがありますか。」
「きゅ、救援には感謝しております。ほ、他の手段を考えるべきではないでしょうか。」
「では、策を提案しなさい。三分待ちましょう。」
策と言われても頭には何も浮かばなかった。救援されたという安心感と薬が井守の思考を停止させていた。
現実としては、鹿賀山が懸念していた二重遭難が起きてしまった。この事態は、蛇喰の独断専行が原因だった。
鹿賀山の命令に従っていれば、今頃、全員が無事に基地外へ脱出した未来があったかもしれなかった。だが、判断力が鈍っている井守には、その点に全く意識が向かなかった。




