113.〇三〇一一五作戦 8314へ駆けろ
二二〇三年二月一日 一二四三 SW20基地跡
「接舷まで、五、四、三、二、一、今。」
カワズは装甲車の左側後部の扉を蹴り開けた。
8314の装甲車は、後部をこちらに向け、観音開き式の後部ハッチを開放していた。距離にして五メートル程だろうか。
カワズは、すかさず、アサルトライフルを地面に対し連射した。月人の存在を警戒したのだが、幸い敵は居なかった。
「敵影無し。」
カワズは装甲車から飛び降り、目の前に停まった8314の装甲車へ駆けだす。
ほんの五メートルが長い。一キロを行軍するかの錯覚がした。
二台の装甲車の機銃が周囲にエネルギー弾を撒き散らす。アサルトライフルの光弾が、8314の装甲車の銃眼からも多数ばら撒かれていた。少しでも月人を近づけさせない牽制だった。
その中を四方八方に視線を送り、警戒、発見、射撃を繰り返す。呼吸も忘れ、一心不乱に駆ける。
額の汗が左目に入り、視覚を奪う。こんな短時間で汗をかく程の運動はしていない。冷や汗だろうか。
残り一メートルの所でカワズは大きく飛び上がった。地面に落ちるカワズの影に長剣が刺さった。
勘だった。脳裏に飛べという声が生じた様な気がした。その言葉に素直に従った。
その判断で生死を分ける。今回の博打はカワズの勝ちだった。見えている右目が月人を捉えた。
「オオオオオォォ。」
カワズは吠え、アサルトライフルの引き金を絞ったまま、照準を合わせていく。地面に黒い点線を描きながら、兎女の身体へ斜めに弾痕を刻み込んだ。
「死んでたまるか~。」
無理な射撃姿勢がたたり、落ちる様に地面叩きつけられ、転がされ、起き上がった。
カワズは、軋む体を黙らせ、何とか8314の装甲車の地上から高さがある後部貨物室に昇り込んだ。すぐに振り返り、アサルトライフルを構える。これから走ってくる戦友を援護する為だった。
まだ、一息つくわけにはいかない。
「舞、愛、出ろ。」
たった今、生死を分ける攻防を見せつけれられ、心は死の恐怖に囚われていた。
だが、オウジャの言葉に舞と愛は、反射的に装甲車から飛び降り、走り出した。日頃の訓練と戦闘による刷り込みの結果だった。命令が下りれば、身体が即座に実行する。それが兵士の義務だからだ。
心は、後からゆっくりと追い付て来る。そして、我に帰った時に恐怖で押し潰されそうになることが多かった。
一部の古参兵は、その恐怖すらも感じなくなるという。だが、恐怖を感じなくなった兵士は、その時点で兵士の寿命を迎える。
恐怖は、死への警報なのだ。警報を受け取れなくなると言うことは、死を回避することができないことと同意義だった。恐怖を消すのではなく、飼い慣らすことが生き残ることに繋がる。
その道を二人は、歩み出していた。今は恐怖を凍らせ走ることに頭が一杯だった。
二人ともアサルトライフルはスリングで背負っている。両手が塞がると乗り移るのに手間取ると考えた。これも死から少しでも逃れるための行動だった。
全力で両手を振り、腿を高く上げ、少しでも早くなる様に走った。
先に乗り込んでいたカワズが膝撃ちで数発発射した。撃った弾が愛の横を掠める。だが、走ることに必死な愛は気が付かなかった。
カワズの銃口の先には、近くの穴から飛び出した狼男が銃弾に穿たれ、地面に横たわり、動かなくなった。
「クジ。行け。」
「ウッス。」
クジは、機銃を自動射撃に切り替え、機銃席から軽快に飛び出すと同時に左側へアサルトライフルを軽く連射した。何かが動いた様な気がした。周囲には敵しかいない。誤射の心配なく射撃ができた。押し潰した様な低音の悲鳴が幾つか聞こえた。
井守が車載カメラで確認すると数匹の月人が倒れていた。クジの判断は正しかった。
クジは基地跡を走り抜け、舞と愛にあっさりと追いついた。二人は、地上より一メートル以上の高さがある装甲車の後部貨物室に這い上がるのに必死だった。
―渋滞か。技術系兵士はこれだから困るんだよ。―
クジは、舌打ちをすると後部ハッチの前で振り返って仁王立ちし、アサルトライフルを構えた。
舞と愛が上がらない限り、クジも上がれない。待っている間、連射し敵を牽制するしかなかった。
―ちっ。早く飛び出し過ぎたか。この二人がここまでとろくさいとはな。しくじったぜ。装甲車で待ってりゃ良かった。―
人間は急かされると失敗を引き起こしやすくなる。黙って、二人が登り終わるのを待つことになってしまった。
愛自身は必死だった。一瞬でも早く装甲車に乗り込みたかった。堅牢な装甲車に乗っていれば、死ぬことは無いと信じていた。いや、信じ込みたかった。
最初から短命で戦闘する為だけに産み出された促成種であろうと、死は恐ろしい。二十年程の寿命でも全うしたい。その様に刷り込みされていた。
日本軍としても、高い金と時間を掛けて仕上げた兵士を簡単に消耗するわけにはいかなかった。すぐに突撃して死ぬだけの兵士では、戦争の継続は不可能だからだ。
その為、死の恐怖により手すりが上手く握れず、装甲を窪ませた足場から足を滑らせ、もたつく結果となっていた。
通常の促成種であれば、ここまで精神的動揺を起こすものでは無い。促成種の肉体構造は、設計通りになるのだが、精神面に関しては個体差が大きくつけられていた。多様性が無ければ、生物としての成長が無いと考えられていた為だ。
―何で。何で登れないの。訓練じゃ簡単に登ったじゃない。―
身長が153センチしかなく、無駄に大きい胸が登攀の邪魔をしていた。
愛の焦りは、高まる一方だった。それは意識せず、舞の足を引っ張る原因にもなっていた。
横にいる舞が登ろうとすると、愛は無意識にしがみ付き、引き摺り落とす結果となっていたのだ。だが、そのことに気づいていなかった。
「愛兵長。先に登りなさい。下から押し上げます。」
舞は、先に上がって愛を引き上げようと考えていたのだが、
―これでは蟻地獄です。―
と考え、登る事を諦めた。
愛の背後に回り、両の掌を重ねて愛の足裏を乗せる。愛の体重が両手に圧し掛かるが、筋力が増強されている促成種には問題無かった。一気に愛を持ち上げ、装甲車の中へと放り込んだ。
―手のかかる子ですこと。―
そう思った瞬間、腹の中心に灼熱が生まれた。舞は、視線を降ろすと見慣れない物が腹から突き出していた。
突起物は先端が尖り、鈍い光を放ち、やや暗い赤い色の液体が纏わりついていた。
舞は、急激に下半身から力が抜け、地面へ座り込んだ。
喉の奥が熱くなり咽た。咳と共に口から大量の赤い液体がヘルメットのバイザーを濡らした。
―あれ、私、どう、したの。お腹が、熱いよ。何で、血を、吐くの…。―
そこで、舞の意識は途切れた。
オウジャは、舞が崩れ落ちて気が付いた。8314の装甲車の下に兎女が隠れていることを。
「クジ。装甲車下部掃射。」
クジは、返事をする時間も惜しみ、即座に振り返った。兎女が使う長剣が腹を貫通した舞が血の海に座り込み、身動き一つしていなかった。その背後には、赤い目が幾つか光っていた。
舞に当てぬ様にアサルトライフルで掃射する。たちどころに何匹かの月人がエネルギー弾に踊らされ、地面に沈んだ。
だが、舞が座っている位置が悪かった。クジから死角になる位置にまだ月人は存在した。
掃射中に飛び出してきた兎女が長剣を一閃した。
反応できなかったクジの右太ももが少しずつ前後にずれていく。同時にクジも切られた方向に体が倒れていった。
切断された右足からは、赤く熱い血流が噴き出し、血溜まりを作った。
クジは、急激な血圧の低下に意識を失いそうになった。
―こいつだけは殺す。―
強靭な意志でアサルトライフルの銃口を兎女の口に突っ込み、引き金を絞った。
数発の光弾が兎女の後頭部から抜け、地面に崩れ落ちた。
―いて~。俺の運もここまでかぁ。俺の人生、良い事なかったなぁ…。―
クジの意識は飛んだ。




