111.〇三〇一一五作戦 8313分隊 孤立
二二〇三年二月一日 一二四一 SW20基地跡
井守准尉の乗る装甲車は、順調に基地跡を駆け抜けていた。だが、井守の指示により致命的な結果を引き寄せてしまった。ほんの一瞬の出来事だった。
強烈な衝撃と共に装甲車は宙を舞った。乗員の体にシートベルトが深く食い込み、次の瞬間、重力からの束縛を逃れた。重力は即座に乗員達を捕まえると、地面に叩きつけた。再びシートベルトが深く乗員達の肉にのめり込んだ。井守だけは複合装甲を纏っていた為、何とも無かった。
だが、複合装甲を着けていない促成種である者達は、苦痛の呻きを上げた。
だが、何事も無かった様に乗員達は、すぐに状況把握を開始した。
「装甲車停止。進行不可。」
「機銃異常無し。」
「車載OS、正常稼働中。」
「各種センサー、車載カメラ、異常無し。」
「装甲、気密、異常無し。生命維持機能、正常稼働。」
「周辺警戒中。敵影確認できず。攻撃ではない。」
「装甲車、走行系確認中。しばらく待って下さい。」
乗員達が端末を操作し、装甲車とその周囲の状況を確認していく。
日頃の訓練通りの動きが再現されていた。
頼りないとされている井守は、部下達のバイタルサインを網膜モニターに表示させた。脈拍や呼吸数が上昇しているが、許容範囲だった。
―怪我人は無し。良かった。一体、何があったんだ。―
井守には、現在の状況が把握できていなかった。
下手に部下の手助けをすると、邪魔になる事を自分自身が良く知っていた。
今は部下の報告を聞くことだけが、井守に出来る事だった。
センサーや映像解析の結果、装甲車は瓦礫に乗り上げ、底部から全体を持ち上げられてしまったことが判明した。
「准尉、申し訳ありません。瓦礫に乗り上げました。接地面、底部装甲のみ。六輪全て浮いています。」
8313分隊の運転手であるカワズ二等兵の顔色が青く染まる。
「ええっと、まずは、車高調の調整を。」
井守が装甲車の仕様を思い出しながら、指示を出す。
「すでにサスペンション伸ばしましたが、六本とも地面に届きません。」
情けない声でカワズが報告をする。
「あとは、あとは…。」
井守の頭脳が高回転で回り始めるが、それはただの空回りだった。
「ハンドルの角度は試したか。」
すかさず副分隊長であるオウジャ軍曹が声をかけた。こちらの声は、落ち着き払っていた。軍歴十年を超えるベテランならではだった。
「はい、試します。」
装甲車は、六輪独立操舵が可能になっている。通常はコンピュータ制御で最適化されているが、手動により六輪を自由自在に車輪の角度を調整することができる。
舵角の都合上、真横への移動は不可能だが、四十五度方向に移動することは可能だった。
「駄目です。六輪全てあらゆる角度を試しましたが、接地確認できません。」
「タイヤの空気圧は試したか。」
「まだです。」
「サスペンションを伸ばしたまま、最高圧力まで膨らませろ。地面に掠れば良い。」
「空気注入開始。最高圧力確認。タイヤ限界値まで膨張。…接地、確認できません。
舵角、回します。」
カワズがハンドルを必死に左右に回し、時折端末を操作し、六輪を色々と制御する。
「ダメです。効果、有りません。」
カワズの声の張りがますます無くなった。あきらめの色を纏っていた。
「ほ、本官には、よく分からないのだが、地面を撃つとか、榴弾筒の反動でどうにかすることはできないだろうか。」
井守は、副官であるオウジャへ自信なさげに弱々しい声で訊ねた。
―准尉殿は、もう少し士官らしく堂々と振る舞えぬものか。いや、昔に比べればマシになったか。これ以上は望むまい。生き残ってから考えるべき事か。―
オウジャはため息をつきつつ、質問に答えた。
「機銃を外して手持ちで撃てば良いのでしょうが、外から蒲鉾石を撃つ必要があり、その間に月人に襲われるでしょう。
榴弾筒は近すぎて狙えません。仮に足元を狙えたとしても高威力により、装甲車に何らかのダメージを与え、走行不能となる可能性が高いです。
あと榴弾筒の反動程度では、装甲車の重量をどうこう出来ません。逆に影響がある様では設計不良ですな。」
「そ、そうか。…よし、ならば、本官が機銃を持って蒲鉾石を破壊してみよう。援護を頼む。」
「気構えは買いますが、無理ですな。視界には入っていませんが、温度センサーを見て下さい。月人に囲まれ始めています。外に出たら、すぐに殺されますよ。」
オウジャは、ディスプレーに温度センサーを表示させた。いつの間にか、装甲車の周辺に月人のものと思われる人型が十数匹集まりつつあった。
「これじゃ、外には出られないか。」
井守の肩がガックリと落ちた。
「准尉、手詰まりです。最終判断を。」
オウジャは、井守へ最終判断を促した。
機銃席から床を蹴る音が装甲車の中に響いた。機銃手であるクジ一等兵が、腹たち紛れに床を蹴り飛ばしたのだった。
後部のお荷物と化していた舞と愛は、絶体絶命の危機にあることだけは理解し、互いの体を抱き合い、震えるだけだった。彼女達には、コンピュータとプログラムに対する造詣は深いが、この様な状況では役に立たなかった。心拍数や血圧などの数値がどんどん上がっていく一方だった。
井守は、深呼吸を一つした。ほんの少しだが、焦りが消えた様な気がした。窮地に追い込まれてしまったせいだろうか。諦めの境地に辿り着いてしまった。
―ここまで生き抜けただけでも、自分の性格と能力を考えれば、マグレなのだろう。僕は兵士という職業を選ぶべきでは無かったのかもしれない。せめて、迷惑をかけるのは、自分の分隊だけにしよう。―
「皆、済まない。自分があの穴が気になるから近づけろと言ったばかりにこの様な状況に…。」
井守の声から後悔の念が溢れていた。
「准尉、判断は正しかったんですよ。実際、あの穴倉から月人が出てきた。偵察する必要はあったんですよ。こればかりは運が悪かった。貴方の所為じゃない。」
オウジャが優しい声で慰める。
「俺が悪いんす…。運転が下手で…。だから、みんなを危険にさらして…。」
運転手であるカワズは弱々しい声で謝った。その声はしわがれ、涙に染まっていた。
「運転手を決めたのは大隊司令部だ。貴様に罪は無い。気にするな。」
オウジャは、本来、井守が言うべき言葉を代わりにかけた。
クジは一言も話さず、床を蹴りつけるだけだった。
クジも分かっていた。
―井守准尉の判断は正しかった。
それを止めなかったオウジャ軍曹も正しい。
戦闘機動で装甲車を横転させず、瓦礫の上を走り続けたカワズも悪くない。
急なルート変更に対応したら、装甲車の最低地上高より高い瓦礫がたまたま有っただけだ。大きく揺れる視界では、そこまで見えないだろう。でもよ、俺が瓦礫を機銃で砕いていれば…。ちっ。俺も何も言えねえ。―
ただ、自分が役に立たず、月人に命を握られ、その選択の上で死が迫っている。そんな状況に腹を立てていた。
誰かに怒りをぶつけることが出来れば良かった。だが、その相手は存在しない。
ゆえに装甲車の床を静かに蹴り飛ばす事しかできなかった。物に己の怒りをぶつける事しかできなかった。
装甲車の床を蹴りつける度に響く音に、後部の舞と愛が身を震わせていることには、気が付いていなかった。
クジも心に余裕が無くなっていたのだ。
「こちら8313スタック。脱出不能。見捨てて下さい。」
井守は、小隊無線のスイッチを震える手で押すと、思わず叫んでしまった。普通に話すことができなかった。目の前にある死の恐怖。その為、声は引きつり、金切り声になってしまった。
月人に囲まれる恐怖。
今さら、格好をつけても仕方がない。もう人生が終わるのだから。
「鹿賀山だ。まずは状況を報告せよ。」
「瓦礫に乗り上げました。前後共に動きません。」
「空気圧や車高調は調節したか。」
「効果有りません。六輪、すべて空転します。」
試せることは全て試した。それは鹿賀山も理解した上での質問だった。
もしかすると試していない方法が残っているかもしれないと、確認をしただけだった。
無線は沈黙を続けた。誰も言葉を電波に乗せない。普段は気にもしない無線の小さな雑音が、嫌に耳についた。




