102.〇三〇一一五作戦 SW二〇基地
二二〇三年一月三十一日 一九四一 KYT南西二十キロ地点
日は沈み、ただですら分厚い雲に日光が遮られた薄暗い地上は闇の世界へとなっていた。
ほぼ平らな荒野には、平屋建ての複合セラミックス造りの兵舎があった。
荒野を掘り起こし、そこにパネル式の簡易建造物を日本軍は据えていた。第五歩兵大隊 約三百八十名が常駐し、前線基地としての機能を発揮し始めた。
日本軍は、この基地をSW二〇基地と命名した。
今も兵舎は、砲兵大隊等の部隊を受け入れることができる様に、工兵隊による拡張工事が進められていた。その為、兵舎の規模は大きく、一キロ四方のフェンスの中に多数の建物が建っていた。
基地が手狭になれば、その都度拡張されていく。その為、動かせない複合セラミックスの壁ではなく、拡張しやすいフェンスによる防御に頼っていた。
入口は、KYT側の北門とその反対側に南門があった。北門は、多数の戦闘車両や工事車両が基地とKYTを往来している為、荒野に一本の道が自然と出来上がっていた。
重量級の車両により荒野は、平らに踏み固められていった。
戦闘車両は荒れ地を進むことを前提に設計されているので、踏破能力が高く、砂場や地面の裂け目で足を取られる事は無かった。しかし、地下都市内の平地で使用することを前提に設計された工事車両は荒野を簡単に進むことはできなかった。大きな窪みやかまぼこ型の段差などが原因による立ち往生が初期には目立った。
その都度、工兵隊が立ち往生を起こした箇所を整地し、巨大な車両がすれ違える様に幅も広げていき、無事に道路は完成した。
月人との戦争が始まって以来、地上に初めて作られた建造物と道路だった。
道路は舗装されていない為に、速度を上げ過ぎると砂埃が舞い後続車の視界を奪う。ゆえに時速二十キロの速度制限がされていた。だが、工事車両が荒野を一時間でKYTからSW二〇基地まで移動できることは画期的であった。その為、工兵隊は基地には常駐せず、KYTから毎日通っていた。
戦闘車両は、乗り心地を考えなければ荒野を時速八十キロで駆け抜けることは容易だった。しかし、工事車両との速度差は、非常に危険な為、道路上では速度厳守を命じられていた。
今回の作戦において、基地が完成するまでOSKへの捜索隊は派遣されない為、南門は未だに使われておらず、南門の外は手つかずの荒野のままであり、道は無かった。
SW二〇基地は、地下都市OSKを探索するための前哨基地である。
先の長蛇作戦により、正確な方位を人類は、ようやく知ることができた。これにより地殻変動前の地図のままであれば、地下都市OSKは、KYTから南西四〇キロ地点に存在する筈だった。
一気にOSKまで調査隊を派遣する計画案も行政府や日本軍からも出た。だが、発見できない、存在しない、破壊されている等の反対意見も多かった。
何よりもOTUの様に敵対的である可能性が考慮され、慎重策が今回の作戦の主流派となった。その為、中間地点に前哨基地を設けることになった。
それは、OSK探索が長期化した場合、補給や人員の交代などが速やかに行えると判断されたからだった。最悪の結果として、OSKが敵対勢力であれば、後詰めの部隊を駐屯させられる点も基地建設を押し進めることになった。
KYTの資材は、今までは乏しく、使用に大幅な制限がかけられていた。
だが、先の長蛇作戦によって、OTUを解体利用することが可能となり、資材に余裕ができた為、基地建設が可能となった。
人手不足は解消されていないが、今、KYTの地下深くでは育成筒をフル稼働させ、促成種を育成していた。今回の育成ロットでは選別は行われず、すべてを人材として投入する為、質の落ちる者が多数混じるが、来年には人手不足が緩和されると期待されていた。
基地に設置された物見櫓には歩哨が立ち、周辺警戒を行っていた。もちろん肉眼による警戒だけで無く、監視カメラと温度センサーを使用したコンピュータによる警戒解析も同時に行われている。解析に使用するコンピュータは、ここには無かった。開通させた光ファイバーケーブルを通じて、KYTに設置されているコンピュータが解析し、同時に基地の保守管理にもあたっていた。
念の為、環境維持用にバックアップとしてのコンピュータは、基地内に設置されていた、
これらにより、数キロ先から荒野を迫る月人の早期発見は、容易い事であった。
基地の一日は終わりを迎えようとしていた。
小隊毎に交代でとる夕食が始まり、次いで入浴も始まった。
最前線ではあったが、複合セラミックスの建物に守られたこの基地は、幾度となく月人の斥候部隊を撃破してきた。
屋上に据えつけられた機銃と装甲車の機銃により、月人達を基地に寄せ付けなかった。
この基地は攻略されないという安心感が、いつの間にか第五大隊を包み込んでいた。
本日の工事は終了し、建設機械は静まり、灯火管制が敷かれ、荒野の静けさと闇が戻っていた。
ある男性兵士は食事をすぐに終えると、浴槽に浸かり、今日の疲れを癒していた。食事の時間を短縮すれば、短縮しただけ風呂の時間に割り当てることが出来る。その為、早食いをし、入浴に時間をかける様にしていた。おかげでいつも一番風呂だった。
循環浄化式の風呂の為、透明度は悪く、少し茶色く濁り始めている。中の湯を交換したのは何時の事だろうか。もしかすると一度も交換をしていないのかもしれない。
しかし、消毒はされている為、不都合は無い。前線では水は貴重品である。にも関わらず、毎日風呂に入れることは、とてつもない贅沢なのだ。
この贅沢を思う存分に楽しみたいと考えるのは、娯楽が無い基地では仕方ない事だった。
兵士は浴槽のへりに頭を乗せ、蒸しタオルで両目を覆い、寛いでいた。消毒薬の香りが、今一つ残念ではあった。
四肢を伸ばすと、自分の体がお湯に溶けていく様だった。
湯船のお湯が大きく揺れ、誰かが入って来た。いつもの二番手だろうと兵士は思った。
「お先に入ってるぜ。風呂は最高だな。極楽、極楽。」
兵士は、風呂に入ってきた者に声をかけたが、返事は無かった。
代わりに乾いた木の枝が折れる音がすると静かになった。
湯船の茶色いお湯に暗い赤が、ゆっくりと混じっていった。
ある女性兵士は、更衣室で髪を切っていた。髪が伸び、複合装甲に絡みつく様になってきたからだ。
「う~ん。あまり短くしたくないけど、これ以上、髪を延ばすと挟まって痛いのよね。」
洗面台の前の鏡を見ながら、ハサミを入れる位置を悩んでいた。だが、これも娯楽の無い基地では、数少ないお洒落を楽しむ機会であり、女性兵士は楽しんでもいた。
「短めにすると次に切るまで時間があるから楽だけど、私には似合わないのよね。まずは、少しだけ切ってみようかな。」
髪先を一センチ程、兵士は切ってみた。
「ダメだな。これじゃまだ装甲に絡むかな。もう少し切らなくちゃ。」
兵士が髪にハサミを入れた瞬間、兵士の首が、洗面台に転がり落ちた。まだ意識があった兵士は、頭の無い自分の体を見上げた。それが最後の映像になった。
別の男性兵士は、トイレの個室に籠っていた。洋式便器に座り、端末から壁に映像を投影し、ニュースを読んでいた。
「KYTは異常なし。平和なりか。さて、次の休暇、どうしようかな。彼女でもいればなぁ。」
軍隊にプライバシーは無い。唯一の個室は、トイレだけだった。その為、一人になりたい時、兵士はトイレに籠る習慣があった。
端末を操作し、ホットキーワードを表示させる。だが、兵士の興味を引く物は無かった。
「本当にどうしようかな。独身寮に居たら、先輩に連れ出されるだろうな。それは避けたいな。」
兵士が何気なく天井を見上げた瞬間、それと目が合った。居る筈の無いものが居た。
兵士は驚きのあまり、大きく口を開け、身体が固まり、思考停止した。
即、男の口へと長剣が真っ直ぐに突き入れられた。
長剣は、兵士の胴体を突き抜けた。剣先からポツリポツリと血が便器内に垂れ落ちる。長剣が引き抜かれると大量の血が、便器内に噴出し、兵士はユックリと床へ崩れ落ちた。
基地のあちらこちらで惨劇が始まった。だが、気づいた者は未だにいない。ゆっくりと死の帳が基地を包み込んでいった。




