100.満員御礼
二二〇三年一月二十二日 一五五九 KYT 日本軍立病院
小和泉が入院している病室の個室に主治医である多智が訪れたのは、目覚めてからかなりの時間が経過してからだった。
小和泉のベッドの半分は、泣き疲れた東條寺が占領し、静かな寝息を立てていた。
ベッドの周囲には、鈴蘭から連絡を受けた桔梗と菜花も駆けつけ、静かに椅子に座っていた。
「さて、現状を説明したいのだが、本来は患者とその家族のみに伝えるのだが、どうする。」
端末を握った手を腰に当てた多智が小和泉へと尋ねた。
「別にいいよ。隠す様なことじゃないし、皆、家族だよ。僕としては、説明しなくても良くなるから、かえって都合がいいよ。それよりも、主治医なら患者が目を覚ましたら、すぐに来るんじゃないのかな。」
小和泉が目を覚ましてから、かなりの時間が経過していたが、多智が来たのは今が初めてだった。
「私が診察したのだ。問題が起こる訳がない。それに目覚める時間も計算通りだ。ならば、慌てる必要は無い。様態が急変したのであれば、別だがな。」
「でも、友人としては、心配じゃないのかな。」
「何度も言うが、私の診察は適切だ。心配事は起きない。逆に部下、いや家族に心配をかける様な行動は、自重するべきだな。」
多智の最後の一言には、小和泉は返す言葉が無かった。論戦は、小和泉の完敗だった。
多智の説明によると小和泉の現状は、骨折十ヶ所と太腿の刺し傷が重傷であった。取るべき治療行い、今は自然治癒に任せているそうだ。現状は、小和泉が眠っている間に自然治癒はかなり進んでおり、肉も骨も着き始めていた。
太腿の刺し傷は、見た目よりも軽傷だった。手術の縫い目に多智らしい正確さを見ることができなかったのが疑問だった。
だが、確実に肉と皮膚が元に戻ろうとしていることは、明らかだった。
傷跡は残りそうだが、小和泉は気にしない。傷だらけの体に、傷跡が新たに一つ増えるだけだ。
縦に刺された事により、主要器官に傷はついていなかったが、縫い合わせる必要はあったことは理解できたが、どうしても下手ではないが、上手くもない縫い方に小和泉は納得できなかった。
「これを縫ったのは、多智じゃないのかい。」
「ほう。なぜ、そう思う。」
「多智なら、定規で測ったかの様な規則正しさを感じるんだけど。」
「ふむ。私の腕をしっかり評価している様で安心したよ。小和泉は、私を過小評価しているのではないかと、疑っていたところだ。」
「他の医者が執刀したのかい。」
「いや、違う。医者じゃない。」
「おいおい、僕を実験台にしたのかい。」
「仕方ないだろう。小和泉の家族が立候補したのだ。ならば、私はその気持ちをくみ、監督したのだよ。それに衛生兵であれば、前線で外科手術位できて当然だろう。」
「つまり、多智の指導の下、鈴蘭が縫ったわけかい。」
「察しがいいじゃないか。脳にダメージは無い様で安心したぞ。」
多智は、カルテに何かを書き込んだ。今の会話から小和泉の回復具合を書き込んだのだろう。
「隊長、すまない。練習したかった。戦場で必要な技術。貴重な体験。皆を救える。傷口に医療用接着剤もしっかり塗り、縫合。問題無し。大成功です。」
鈴蘭が目を輝かせて言う。その目を見れば、小和泉も文句を言う気持ちが無くなった。
「人体実験は、ほどほどに頼むよ。」
「了解。」
鈴蘭の真剣な表情に、小和泉はこれ以上の抗議を諦めた。
「で、多智。退院はいつになるのかな。」
小和泉の質問に対し、多智は問答無用の触診で示した。多智は、小和泉の痛がる顔を見るためにあえて強い力で傷口を押さえつけた。無論、怪我が悪化しない様に細心の注意を払っている。
だが、小和泉も多智の思い通りにはさせない。心の中で脂汗を流し、表情は変化させない。
「面白くない患者だな。少しくらい苦痛の表情を見せたらどうだ。あと二週間入院だな。リハビリは、明日から行おう。」
「リハビリなら自分でするよ。即、退院でいいよ。」
「ダメだ。カゴにて、リハビリをしてもらおう。リハビリの詳細は、私が教える。お前のリハビリは、ハードすぎることが予測できる。
ちなみに軍規違反で営倉入り二週間が決まっているそうだ。退院するならば、即座に第八大隊に引き渡す。入院を続けるのであれば、明日からの入院期間が営倉入りと同等の扱いになる。
どちらを選ぶ。好きにしろ。」
営倉は、三畳ほどの和室だ。和室にはトイレと洗面所は備え付けられているが、営倉入りの間、入浴は許可されない。
起床中は正座を強制される。寝る時は、あえて何年も洗濯していないせんべい布団に眠ることになる。監視はつかないので正座を崩すことはでき、昼寝をする事も可能だ。
だが、精神的につらいのは、人の往来が多い廊下に面しており、壁は無く、鉄格子で囲われ、全てが丸見えであることだった。通行人からは好奇心の目で見られ、仲が悪い者や生真面目な者から正座を指示される事もある。その場合は、即座に従う必要があった。
小和泉が営倉に入れば、狂犬を見たい見物人が殺到する。
営倉入りを何度も経験している小和泉にとって、営倉入りは処罰にもならない。逆に見物人をからかう程の余裕があった。
それに三畳もあれば、鍛錬は可能だった。暇な時間など存在しない。
しかし、多智の言葉で小和泉の気持ちは即座に変わった。
「なるほど。多智の言う通りにするしかない様だね。」
小和泉がもっとごねると考えていた桔梗達は、心変わりを予測できなかった。
「多智様、錬太郎様は本当に大丈夫なのでしょうか。酸素中毒で脳に異常があるとか。」
桔梗が恐る恐る多智に尋ねた。
―多智の次は、桔梗が同じ事を考えるのか。そんなに普段と違う行動をしているのかなあ。―
小和泉はため息をつくと同時に肩を落とした。
「酸素中毒になる前に育成筒に潜り込んだため、脳に異常は無い。育成筒に送られる空気は、医療用の空気だ。地下都市の空気を送っているわけではない。それと、精神の異常は昔からだ。」
「確かに。安心致しました。」
多智と桔梗の会話から、自身の評価に対し、小和泉は泣きたくなってきた。
二二〇三年一月二十二日 一八〇九 KYT 日本軍立病院
小和泉の病室は、満員御礼となった。
最初から居た鈴蘭と東條寺。鈴蘭から小和泉が目覚めたと連絡を受け、駆けつけた桔梗と菜花。
そして、定時で仕事を終わらせた鹿賀山が見舞いに立ち寄った。
鹿賀山と一緒に井守がついてきたのは、誰もが意外だった。
七人もの男女が四畳半ほどしかない病室に集まると、流石に狭く息苦しさを感じた。
「うんうん。僕って人徳があるみたいだね。」
小和泉は、まんざらでも無さそうに喜んだ。
「狂犬が苦痛でのた打ち回る処を見に来たのだが、元気そうで残念だよ。」
鹿賀山が苦笑いしつつ答えた。
「自分は、初陣よりお世話になっております大尉殿には、大恩があります。心配して当然であります。」
井守は、狭苦しい病室で敬礼を放ち、周囲から顰蹙を買った。すぐに井守は体を縮こませ、壁へと身を寄せた。
「さて、小和泉大尉への第八大隊による軍法会議の判決を伝える。
作戦遂行中の独断専行。作戦区域からの離脱。これらの軍規違反により敵前逃亡罪の適用の話も出た。だが、大尉が地下都市内にて囮として行動をした為にO2計画の迅速な遂行が可能となったと考慮できる。ゆえに罪を減じ、営倉入り二週間とする。第八大隊隊長 菱村 剛。以上。
何か言いたいことはあるか。」
鹿賀山が小隊司令らしく、威厳を持った態度で小和泉に対した。
鹿賀山のベッドの上での甘えん坊ぶりを思い出した小和泉は、笑いをこらえるのに必死だった。
「小和泉、こんな時くらい神妙な顔をしろ。」
鹿賀山には小和泉の考えが、手に取る様に理解できた。
「すまん。思い出し笑いだよ。了解しました。小和泉大尉、営倉二週間、入ります。」
小和泉は表情を固くし、敬礼をした。鹿賀山もすぐに敬礼を返した。
「菱村少佐からは、伝言を預かっていたな。要約すると娘さんの看病に感謝しろとのことだ。」
「そちらも了解。退院次第、ちゃんと何かするよ。」
「怪我人の部屋に長々と居るのは悪いな。小和泉の元気な姿も見たし、この辺で失礼する。ではな。」
そう言うと、鹿賀山は井守を連れ、病室を辞した。




