59話 護りたいもの2
「しかし、伯爵家出身は伊達ではなかったということだな」
「昔の事ですよ」
階段を降りた先に待ち構えていた父に、ラスティアは苦笑するしかないようだった。
彼が自ら正体を明かしたことで、彼の出自と、これからの運命を俺たちは知ってしまった。
彼が言うところの天変地異とは、聞いた限りでは地震で間違いないと思うが、ラスティア達は対策しようもない事だと思っているようだ。
「王都内の地図はありますか?」
「はい。こちらにございますよ」
俺の問いに、老執事はすかさず地図を差し出した。
巻物になっている羊皮紙を拡げ、ところどころ文字が滲んでいて年季を感じさせるそれを皆でのぞき込む。
その中でも特に目立つ建物と言えば、当たり前だが王族の住まう王宮。そして王宮よりは少し小さいが、充分に広さはありそうな建物。……うん、これを補強出来れば。
「よし。ここで決まりですね」
「待て、いつの間に何が決まったんだ?」
「避難所です」
トントン、と指で地図上のそこを指し示す。
「えーと、ここは学校で間違いないですかね?」
「そうだが。そこは貴族の子弟達が多く通うところだぞ?」
「非常事態ですから開放して下さい。無用なトラブルを避ける為に、この左右の別館で貴族と平民で分けるのも良いかと。それでも煩く訴える貴族がいるなら王族の権限でもなんでも使って厳しく取り締まる事。……それくらいは、出来ますよね?」
「っ、あぁ。必ず遂行しよう」
正直、元日本人の俺としては神官の"お告げ"なんて、怪しい事この上ないと半分くらいは疑っている。
ただ、魔法があるこの世界では本当に神と讃えられる存在がいる可能性も否定しきれない。もちろんそれは教祖などと呼ばれる怪しい人間ではなくて。
ラスティアにもそれとなくそのお告げをした人物は本当に信頼出来るのかと探ってみると、彼は思考停止したように固まってしまった。
「いや、まさか……。教会側の人間を疑うなんて考えた事も無かった……」
「いえ、僕が勘繰り過ぎなだけかもしれません。ですが、神官も所詮は"人間"です。どこかで真実が捻じ曲げられていてもおかしくないのではと思したので」
「いやはや、ごもっともな意見ですな」
老執事もコクリと頷いていた。
「ひとつ聞くが、アルは無神論者だったのか?」
「いいえ? ただ僕は、特定の神を信仰するのではなくて、その辺に沢山いる神様を信仰しているだけです」
「その辺に? しかも沢山だと……?」
「さて、これは時間もないのでこれくらいにしておきましょうか。次は災害時に備えての食糧と水の備蓄についてですがーー」
ガタッ!!
「……おいっ、どこだ! 神よどこにいるのだ!?」
立ち上がって、肉眼で見つかる筈もない神をキョロキョロ探し始めたラスティア。
騒がしい人は放っておいて、老執事と先に話を進めておく。
確認だけでも早めにしておくに越した事はないからな。現状十分ではなくても、対策のしようはまだある。……と思いたい。
「その数百年前に起こったものも同様のものだと考えられているんですよね」
「はい。その時は軒並み民家が激しい揺れに耐えきれずに倒壊し、王宮にも多大な被害が出たと記されています」
「数百年毎にしか起きないから、耐震性の技術が進歩しなかったのか……」
世界でも有数の地震大国であった日本ではその点、世界に通用する耐震技術を持っていた。
地震が起こることが珍しくないからこそ、他国なら自然災害だと諦めてしまう自然災害と真っ向から向き合わなければいけなかった。
「タイシンセイ? それはどんなものだ?」
「地震が起きても建物が倒壊しないように補強することですね。最低でも全壊は避けたいです」
俺は前世で大工や建築士をしていたわけではない。
今から経験や知識を得るには時間も教材も足りないが、魔法を使えば何とかなる余地は残されている。
「……話を詳しく聞かせてくれ」
神妙な顔で再び席に着いたラスティアを見届けてから、話を再開した。
「なあ、私はこれを止めるべきだと思うか?」
「……」
「だよなぁ」
同じ席で白熱した議論を繰り広げる3人を横目に、父ガジルは隣に座る息子にボヤく。
自分たちはいつもなにかとやらかす9歳児に振り回されてばかりだが、今回ばかりは先手を打てたものだと思っていた。
それが、今やすっかり蚊帳の外で話はどんどん進められ、何故自分達はここにいるのだろうと疑問すら湧いてくる。
そんな意味を込めた父の問いに、「もう手遅れです」と無言で首を振るしかないガハンスであった。
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「という訳で、兄様も手伝って下さいね!」
「あ"ん? いきなり来て何が『という訳で』だ。説明をしろ説明を」
……ちっ、御都合主義で誤魔化されてはくれなかったか。
いつも工房に引き篭もっているサフライの元に協力を仰ぎに来たが、怪訝な顔をされてしまった。
仕方なしに掻い摘んでラスティアが王族である事、近いうちに自然災害が迫っていることを説明し、その上で最大の被害に見舞われるであろう王都中の建物を地震に備えて強く作り変える必要があることを強く訴えた。
「……はあ。正直、説明を聞いてもよくわからねーことだらけだが、その依頼は断れないってことだけはよく分かったわ」
大きな溜息を吐くと、諦念が滲む声で頭の後ろをガリガリ掻きながら言う。
口の悪さや態度はチンピラそのものでも、サフライは意外と押しに弱いし、こちらの状況も直ぐに汲み取ってくれるのでとてもありがたい。
「アル様、あの人達を助けるの?」
「ん?」
工房から徒歩数秒の自宅に戻る途中で、後ろを付いて来てはいたものの、ずっと無口だったカンラが口を開いた。
「ん〜、まぁ他に選択肢はないからね」
「……」
いつも天真爛漫なカンラの表情には、今は眉間に皺が寄せられていた。
カンラもこの状況では仕方ないことも分かってはいるが、すんなりはいそうですかとも言いたくないのだろう。
「でも、俺が一番護りたいのは家族とこの村の人達だよ。本音を言えば、会った事もない人の事なんて二の次三の次だし、いざとなれば大事な人だけを連れて逃げるかもしれない」
「えっ?」
俺がそんな事を言うのが意外だったのか、カンラは弾かれた様に顔を上げ、パカリと口が開いたままになっている。
「でも、その王都にはエミリア義姉様の父親で、父様の兄でもある伯父上がいるんだ」
もしもの事があれば義姉様や父はもちろん悲しむだろうし、俺だって会いたがってくれている伯父に一度も会わずに死に別れるなんて嫌だ。
そんな伯父にももちろん大切な友人や仲間の一人や二人はいるだろうし、その友人達にしたって同じことだろう。
「人はどうしたって誰かと必ず繋がってる。カンラだってそうじゃないのか?」
「……うん」
今、彼の脳裏には優しい笑みをたたえた少女の姿が浮かんでいる事だろう。
俺は何も正義のヒーローを気取りたいわけではない。
ただ、自分の目の前の光景が少しでも曇ってしまうのが嫌なだけの、臆病で我儘な人間なんだ。
「アル様は……」
「ん? 何か言った?」
「ううん何でもない。それより僕も何かお手伝いしたい! 何をしたらいいかな?」
「ありがとうカンラ」
結局、彼の中でどういう解釈がされたのかはわからない。
だがその後度々行われた会議では、ラスティア達と顔を合わせても敵対視することもなく普通に対応していた。まあ、好意的かと言われれば微妙なところだけど……
「本当に大丈夫なのか?」
「そんなに心配しなくても、僕等も直ぐに追いつきますから」
そうこう忙しくしているうちに日々は過ぎて、長く思えた冬も雪解けが始まり、春を迎えようとしていた。
自宅から大量の荷物が運び出されるのを尻目に、自分がいなくなった後のことが余程心配なのか、まだもう少し村に残っていたほうが良いのではないかと頻りに確認してくる。
「ガハンス兄様。お気持ちは嬉しいですが、これ以上エミリア義姉様をお待たせしてはいけませんよ?」
「うっ、それはそうだが……」
小声で諭してやれば、エミリアに負い目がある兄は口を噤んだ。
「それに、あちらに行っても兄様と義姉様にたくさん頼らせて貰いますから」
近いうちに、俺達も王都に向かう事になっている。
滞在中の住処から早速、エミリアの実家である伯爵家でお世話になる気満々な俺だった。
なんせまだ子供なので、厚かましくは思われないはず。我ながらあざとい子供なのは自覚している。
「……わかった。だが、くれぐれも迂闊な行動はしないようにな!」
王都に旅立つガハンスの最後の言葉は、過去に何百回聞いたかわからないそんな台詞であった。




