57話 カミングアウト
「では、こちらにサインを」
「うむ」
厳かな雰囲気の中、カリカリと羽ペンを走らせる音だけが部屋に響き渡っていた。
それというのも村の案内をした翌日の今日、一晩旅館に泊まり布団を実際に使ってみて気に入ったらしいラスティアが、早朝から慌てた様子で契約を結びたいと言って来たのだ。
「そんなに慌てなくても綿布団は逃げませんよ?」
「……寝具は逃げなくとも、もたもたしていては横から掻っ攫われることはある」
無事に書面でのやり取りを終え、自家製のハーブティーを片手に一息ついたらしい2人にそう言うと、表情は苦虫を嚙み潰したようで、まるで以前に体験したような口ぶりである。
「ですがもう師匠を使い走りに使わないで下さいね? 何故か僕が八つ当たりを受けるのですから」
「ああ、悪かった」
「申し訳ございません。主人の暴走を止めることが出来ず、エンファー様にも申し訳ないことをしました」
2人の様子はさも反省しているように見える。だが、今朝、厳めしい顔をした爺さんにモーニングコールをされた俺の気持ちを考えてもみて欲しい。
雑にゆすり起こされて、目を開けた瞬間に「さっさとあいつ等を引き取れ」と厳しい顔をした不機嫌MAXな師匠が枕元にいたのだ。確実に縮んだ寿命を返して欲しい。
「ここの場所が分かったのでもうしない。それに、なかなかいい対価を取られたからな……」
遠い目をしているラスティアは、師匠に迷惑をかけた対価に一体いくら請求されたんだろう。
俺と違って、師匠は瞬間移動できる事を特にひけらかしはしないが隠してもおらず、貴重な中級魔法使いを朝から使い走りにした運び屋代が相当高くついたのだと思われるが。
「それにしても、ここも良い館だな。家具や置物にも随所にこだわりが見える」
飲み終えた茶器をソーサーに戻したラスティアはリビングを軽く見渡した。
「ああそれは、うちには腕のいい専属がいるので」
「なんと! 料理人だけでなく、専属の家具職人までいるのですか?」
驚きに目を見開く老執事の考えていることは何となくわかる。前に言っていたことと同じようなことだろう。
しかしこればかりは誰もどうしようもないと思う。
「すみません。言い方が紛らわしかったようですね。専属とは言葉の綾で、うちの次男が手を入れているのですよ」
「……どーも。次男です」
領主の館に迎え入れたからには、サフライ1人だけ不在なのもおかしいからと自宅横にある工房に引きこもっていたのをやや強引に連れてこられて、簡潔な自己紹介の後、分かる人にはわかるすごく面倒くさそうな表情で少し離れたところに立っていた。
彼はさっきまで「早くこいつら帰んねーかな……」とか思っていたに違いない。
無駄に顔がいいので愛想笑いで誤魔化せるレベルだけど。
「そうか、それは仕方ないな」
領主の息子となれば話は違うのか、今回は熱心に勧誘されることもなかった。
そしてもう帰るというので、父と何故か俺が指名されて旅館まで送り届けることになった。
「昨日も見て回って思ったが、ここは良い村だな」
家を出て4人でサクサク歩いていると、唐突にラスティアがそんな事を呟いた。
「勿体ないお言葉です。正直まだまだですが、お世辞でもそう言っていただけるのは有難いです」
「そう謙遜しなくとも良い。良い人材ばかりが集まるのは領主に人望があるからであろう。なにより、ここでは子供たちが無邪気に笑っていられるのが良い証拠だ」
このラナーク村には孤児院やそれに代わるようなものもなく、村の中にある農場と養鶏場のおかげで昔なら餓死者を心配をしなければならなかった冬の時期でも飢える可能性はかなり低い。
村の人数に合わせて増やした牛と鳥もなかなかの数がいるので、もし玉子や牛乳がとれなくなっても万が一の時は鶏肉や牛肉として暫くは食いつなぐ事が可能だ。
「それだけでなく畑作や林業、綿布団などの事業も地道ながら手掛けているようだし、領民にとってはこの上なく安心して暮らせる環境だろうな」
特に王都では人気も価値も高い玉子や、まだあまり知られていない牛乳の加工品があるのであれば、今後はその販売も視野に入れると良いとアドバイスまでくれた。
いつになく父を褒めちぎるラスティアに、父は驚きつつも照れ臭そうに喜んでいる。
「では、私共はここで」
話ながら歩いているうちに、あっという間に旅館に着いてしまう。
父が俺の背中を押して踵を返そうとしたところで、「待て」と声が掛かった。
「少し息子を借りても?」
「……承知しました。ですがこれもまだ幼い子供ですので、お手柔らかに」
苦笑した父が、意味深な台詞を残して去って行く。
まあ、わざわざ俺を指名してきたからには何か用があるのは最初から分かっていた。
父の背中を見送り、見えなくなったところでくるりと2人に向き直る。
「さて? 今度はどんなご要望がおありでしょうか」
「話が早くて助かる」
にやぁ、といやらしく笑ったラスティア。
その顔に少々イラつかないこともなくはないが、一応聞くだけは聞いておく。だってタダだから。
「あ-、そうだな。間怠っこしいのは苦手なので単刀直入に聞くが、お前はシウラリアスの末裔についてどう思っている?」
「っ!?」
瞬時に、息を飲みこんだ。
頭に浮かんだのは昨日会ってきたアリスの顔で、その次に浮かんだのはアリスの父ジェイドさんから聞いた前の村で迫害を受けた話だった。
普通に考えれば2人がアリスに会っている筈はないし、ほとんど俺が付き添っていたようなものだからそんな時間もなかったのは俺が一番よく知っている。
頭では冷静に気付かれている筈がないと理解しているのに、無意識に反応してしまった指先をぎゅっと握りしめた。
「……どう、とは?」
「忌避感はあるか」
「いいえ」
「即答なんだな?」
意外だったのか、片眉を上げて聞いてくるラスティアはどんな回答を予想していたのだろう。
だが実際に伝承通りの人物をこの目で見ている俺に言わせれば、アリスが他の女の子とどこが違うのか全く区別がつかないし、そんな真偽もあやふやなものに惑わされるのは滑稽だとしか思えない。
「僕が無知なだけかもしれませんが、これだけ色とりどりな髪の色をしている人がいる中で赤髪だけが差別されるのは不思議で仕方ないです。それとも、過去の犯罪者はすべて赤髪の人だけだったりするのですか?」
「いえ、それはありえませんな」
「ですよね」
ラスティアより早く、老執事がきっぱり否定してくれたおかげで正直少しホッとした。
前世から引き継がれているであろう俺の倫理観からすればあり得ないのは分かっていたが、この世界では異端な思考である可能性もぬぐい切れなかったから。
続きは長い話しになるからと部屋まで案内され、昨日と同じように対面して席に着いた。
「爺、近くには?」
「大丈夫です」
2人は何かを確認しあうように頷くと、改めてこちらに目線を定める。
……一体何を言う気だ?
てっきり、ラスティアの他愛ないわがままでも言われるのだろうと割と気軽な気持ちで付いて来たというのに、四つの瞳が真剣そのもので、チャカせる雰囲気ではなくなってしまっている。
「私は……いや、実際に見てもらった方がいいな」
「へ?」
「暫し待て」
待ても何も、さっきからずっと待っているんですが。
勿論そんな事を言える訳もなく、席を立った主人に付き添おうとした老執事をこの場に残して、ラスティアは風呂場に向かった。って、何で風呂場?
まさか人を待たせておいて今から入浴するってことは……あ、シャワーの音してるし。
執事さんまでなんかピリピリしてるし間が持たないから、のんびり入浴するのは控えて欲しかったんだけどなぁ。
「アルファン様」
「あっ、はい!?」
ぐるぐる一人で考えているところに不意に声が掛けられて、ビクッと肩が跳ねる。
「この老いぼれからの、後生の願いです。どうか……どうか! あの方へ力添えをして頂きたいのです! 勿論私めに出来ることであればどんな事でもーー」
「え? ちょ、落ちついて」
「煩いぞ、爺」
ギィ、と扉を開ける音と共にラスティアの声。
必死の形相で俺に掴みかからんばかりだった老執事と俺の間を割るように、消して大声ではないがよく響く声が届いた。
シャワーにしたってもう少し時間がかかると覚悟していたのに、烏の行水で帰って来たのかと2人でそちらに視線を向けるとーーー。
「これが私の本来の姿だ」
いつか見た、赤髪の“彼”がいた。




