53話 お約束
「……五月蝿い」
今朝方から珍しくドタバタと部屋まで響いてくる騒音に、エンファーは眉をひそめた。
この温泉旅館で一番良い部屋を年中貸し切り状態にしているエンファーの朝は早く、騒音によって目が覚めたということはなかったが、この階には最低限の人の出入りしかなく静かでくつろげるこの場所が気に入っていた。
嫌な予感と共に思考の隅である人物の顔がチラついて、原因を確かめに行くべきか、それも藪蛇になってしまいそうな気もして、一体どうしたものかと思案する。
「師匠いますか~?」
「騒がしいと思ったらやっぱりお前か」
自宅に帰ろうと決意した瞬間、気の抜けた声と部屋をノックする音が響く。
聞こえなかったフリをしようかとも思ったが、最近は忙しいやらなにやらで色々理由をつけて修行の回数が減ってしまっていたので、帰宅前に魔法の腕や身体がなまっていないか確かめるのもいいかと思い直したのだ。
「やっぱりってなんですか。人聞きの悪い!」
許可を出すより早く当たり前のように入ってきた馬鹿弟子は、自分がいつも騒動の中心にいる自覚がないのだろうか。
ぷりぷり怒ってはいるものの、しかし次の瞬間には他の話題に気を取られて忘れ去っているので、問うまでもなかったかとエンファーは自己完結する。
「それより、誰かこの階で部屋をとったのか?」
「あっ、そうです! 僕はそれを言いに来たんですよ」
ほら、師匠って神経質ですし。と余計な一言を添えてあっけらかんとしている。
やはりこいつは母親の腹の中に、遠慮とか自重とか色々なものを置いてきているようだ。
話の続きを促せば、貴族らしき人物が奥の部屋を取ったらしく、それで騒がしかったのかと合点がいった。
「分かっているとは思うが、」
「はい! もちろん師匠の部屋には干渉しないようにお願いする予定ですのでご安心を」
本人は全てわかっているからと言わんばかりににこにことしているが、死んだ魚のような眼をしているエンファーは全くと言って良いほどアルファンを信用していない。何故なら、馬鹿弟子だからだ。
やはり面倒ごとの予感がビシバシする。
暫くは自宅に引きこもるべきだと思ったその時、アルファンが締め忘れていたのか、部屋の扉の隙間から人影が現れた。
「よかったアルファン君、気のせいかとも思ったのですがこちらから声がしたので。良ければ一緒に食事を……っとすいません。ほかにお客様がいらっしゃったのですね。不躾な真似をしてしまい申し訳ありません」
「っ!?」
しまった! と振り返ったまま動かない後頭部からでも考えている事が手に取るように分かり、エンファーはますます不安になる。
そして、アルファンを挟んだ先にいる人物を改めて確認すると、己の嫌な予感が当たってしまったことを知った。
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なんてこったい。
今朝いきなりやってきたラスティアを一旦部屋に押し込め、家に帰ったらさっそく家族会議だと一度旅館から引き上げたものの、師匠への説明を忘れていたのを思い出してこっそりとんぼ返りして来た。はずだったのに……。
「おや? 貴方はもしや」
「久しいな」
極力お互いの顔を合わせないようにしようと思っていた矢先、俺が扉を締め忘れたせいで早速引き合わせることになってしまった。……おかしい。俺の記憶ではきちんと締めたつもりだったんだけど。
しかしどう考えても俺の失態には変わりなく、この事態をフォローしようかと焦っていたところ、二人は予想外の反応を見せた。
「お二人はお知り合いだったのですか?」
驚きに何度か目を瞬かせ、妙な沈黙が流れている中、交互に2人の顔を見比べる。
本人は否定するが、人見知りの気がある師匠が無表情であることには別段驚きはない。今に限らず俺とじーちゃん以外の人には常にこんな感じだから。
「やはりエンファー様でしたか! いやはや、まさかこんな場所で再びお会いできるとは。あれから20年程になりますでしょうか?」
「そうだな」
対して一見人の好さそうな笑みを浮かべている老執事の表情の裏に、何か企みがあるのではと疑ってしまうのはなぜだろう。
「ああ、すいませんアル君。私とエンファー様は以前の職場仲間、というか私の先輩だった方でして」
「師匠の?」
師匠は自分の事をあまり語りたがらない。
魔法を始めとした机上での勉学や実地学習、一般知識なども多岐に渡って教えてもらうことは出来るが、特に過去の事は必要以上に口を開くことはしなかった。
「ええ。当時、エンファー様はそれはそれは優秀なお方でした。にもかかわらず働き盛りの年齢で早期退職されたでしょう? やはりもったいないと惜しむ声もあったのですよ。憧れている方も非常に多くてーー」
「…………」
居心地悪そうな師匠と、それに気づかず話し続ける老執事。
聞きたい気持ちもなくはないが、師匠自身が嫌がっているのにこのまま聞いていてもいいものか。
「爺、遅いぞ! アルファンはいたのか!?」
その時、パーン! とその場の空気と扉をぶち破る勢いでラスティアが登場した。
彼が部屋から出てきて少ししか経っていないので、決して遅いと言われるほど待ってはいないと思う。
あと、元気すぎやしないか。この人躊躇いもなく入ってきたけど、師匠の部屋だからねここ。頼むから扉は壊さないで欲しい。
「おぉ、いるではないか!」
「えっ、ちょっ」
「わはは! やはりお前も私と一緒に食事を取りたかったのだな!」
常識なんて知ったこっちゃないとばかりに、ラスティアは俺を見つけるなり強引に腕を取って自分の部屋にぐいぐい引っ張っていく。
どうしようこの人。悪い人ではないんだろうけど、なんか既に面倒くさい。絡みづらい。
「ほら、爺も何をもたもたしている。そこの客人も呼ぶなら早くしろ」
「そうですね。エンファー様もお食事がまだでしたら是非」
「…………そうだな」
ああっ、師匠の目がまた死んでる! あとさっきから「そうだな」しか言ってない!
身長差故、ラスティアにずるずる引きずられていく俺と、心ここにあらずで現実逃避し始めた師匠。
何故、こんな事に。本当なら今頃は家で軽食を取りながら、昼過ぎからする予定の村の案内で、どこをアピールしてどこの部分は隠しておくべきなのか父様やガハンス兄様に相談したかったのに。
それに、すぐ戻ると言って来たのに全然戻らない俺に家族はとても心配しているはずだ。心配かけてごめんみんな。アルファンは尊い犠牲になったのです。しくしく。
一方その頃、俺がいない我が家では。
「ガハンス。アル君の姿が見えないけどどこかに行ったの?」
「……老師様に会ったらすぐに戻ると言っていたのだが、まだ戻っていないようだね」
「やはりあの方に捕まったのではないか? だからやめておけと言ったのに」
「あいつは物事を大きくする天才だからな。ほら、お約束ってやつ。なぁ、それより腹減った。先におやつ食っていい?」
「そうねぇ。この分じゃお昼からも大変そうだし、先に頂いちゃいましょうか。ヴィラちゃんとカンラは部屋にいるはずだから呼んでくるわね」
などとあっさりした反応で、露ほども心配されていないことなど知る由もなかった。
遅くなり申し訳ございません。
53話がかなり長くなってしまい終わり時を見失ってしまったので、半分くらいカットで次回分にまわしました。なので若干短いのですが、次の更新は今週中に出来そうです。




