47話 長兄の務め
「父上?」
「……ああ、ガハンスか」
「どうしたのですか、難しい顔をして」
ラナーク村の領主・ガジルの目の前には、期日が迫っている書類仕事がある。
仕事を手伝っていたガハンスが執務室に入ると、それに全く手を付けず、以前息子達から贈られたお気に入りの椅子に座ったまま珍しくぼんやりとしていた父親がいた。
いつもの様子と違う父親にどことなく違和感を覚え声をかけたが、心ここにあらず……。というか、一応返事は返ってきたので自分がここにいることは認識してくれてはいるだろう。しかし、依然として違和感は拭い切れなかった。
「これを見てくれ」
「?」
ガハンスはそう言われて初めてガジルの手元に目線を落とす。
一体何があったのかと顰めた父の顔ばかり見ていたので、気付くのが遅れてしまったのだ。
「これはまた……」
タラリ、と額から汗が流れる。
一抱えもあるそれは見た目からしてずっしりと重そうな、威圧感のある巨大な作物。
実際に見るのはガジルやガハンスも初めてだったが、2人が別時期に王都にいた頃に噂だけは聞いたことがある。
曰く、外見は真ん丸でなんの変哲もない緑色のそれは、一度ナイフを入れると人間と同じような赤い血を流し、真っ二つに切り分けると中からいくつものとぐろを巻いた舌が現れ、自らを食べようとした人間を逆に喰らう食肉植物であるそうだ。
「アルと同い年の男の子が1人いただろう? あそこの父親が畑を持っていてな」
農夫ロナウドは、畑に植えた覚えのないこの作物がいつの間にかここまで育っていたのだと嬉しそうに報告に来た。
食えるものは何でも食う。それが貧乏人の掟であり、ましてや食いでのありそうな作物があれば嬉々としてしまうのも無理はない。
しかし、それが曰く付きのものだと知っていて食せる者はどれだけいるだろうか。
「噂では、ナイフを入れずに丸ごと燃やしてしまえば安全らしい。農夫には毒入りの可能性もあるので決してナイフを入れたり口にしようとするなとは言っておいたのだが……」
「心中お察しします」
ロナウドが言うには、いくつかの畑から同じものが発見されており、農夫たちの好意で一番大きなこれを持って代表で報告に来てくれたのだそうだ。
だが、こちらの正直な感想としては「扱いに困る」の一言に尽きた。
あくまでも善意で報告に来てくれた領民の好意を無碍にすることははばかられ、咄嗟にお礼を言って受け取ってしまったが、被害が出てからでは遅いしこのまま黙っているわけにもいかない。
複雑な胸中を息子に吐き出せたことで頭の中を整理できたガジルは、まだ少し農夫達に申し訳ない気持ちもあるが、昼にでも“緑の悪魔”の事情を話して一斉に処分させようと午後からのスケジュールを決めた。
「では、昼から時間が空けられるように、今のうちに片づけられるものは片づけておきましょう。とりあえずこれは目の前にあると集中出来そうにないので、一旦私の部屋に運んでおきますね」
「そうだな。頼む」
そうして2人が必死で仕事をこなした結果、一日分の仕事は午前中の半日で全て終わらせる事ができた。
一息ついたので妻のマリアにお茶でも淹れて貰おうかとリビングに移動すると、既にお茶と茶菓子まで用意されており、2人の表情が思わず綻んだ。
「うむ。やはりマリアが作った焼き菓子が一番美味い」
カリコリ、と席についた2人がお茶の合間に口にするのは領主夫人お手製の芋クッキー。
芋クッキーはそのままでも自然な甘みのあるさつま芋を使っているので子供に大変人気だが、携帯食としても仕事に行く夫に持たせるのにいいと最近は村の大人にも人気の高いおやつだ。
父親はいつも母の手作りが国一番の出来だと豪語し、嬉しそうに口に運んでいた。
「しかし、お前が騎士団に入った年から数えるともう8年になるのか。道理で私も歳を取るわけだな」
「はは、それはそうですね」
王都で生まれて直ぐにこちらに越してきたガハンスにとって、15歳で家を出るまではラナーク村が自分の世界のすべてだった。
この家を3年離れて王都で生活してみて、それまで自分が生きてきた世界があまりにも狭かったことを知り、それでも尚故郷が恋しくて、初めて愛した人との間で幾度も思い悩んだことも今となっては良い思い出だ。
「こうして話すのもあと少しか」
「はい。後の事は2人に託します」
この冬を超えて春になれば、ガハンスはエミリアと共に王都に向かう事になっている。
当時は赤ん坊だったアルや、手先が器用でものづくりが好きなサフライに次期領主の役割などとても押し付けられないと思っていたが、いつのまにか弟達は自分と同じ目線で語り合える男になりつつあった。
自分は兄として弟達を守ってやるべきで、村の未来を誰かに託すことになろうとは割と最近まで考えてもいなかった。
当初の予定通りに騎士団を辞めた時は、裏切る形になってしまったエミリアの事だけは気がかりだったが、この村で貧しいながらも穏やかに生きて行くのだと、この地で骨を埋める覚悟までしていた。
しかし、3年ぶりに帰還して最初に目にした光景は村人達の活気。
もともと気の良い彼らは3年前も快く送り出してくれたが、わずかな不安は浮かべていたはずだった。それが、今や彼らは心からの満面の笑みを浮かべている。
もちろん自分の帰還を喜んでくれているのもあるだろうが、それだけではないのだと直感で理解できた。ガハンスはそのことがほんの少し寂しくもあり、とても嬉しかったのだ。
「これから村がどう変わっていくのかを間近で見られないのは残念でなりませんが、安心して旅立てそうです」
もう大丈夫だ。私が居なくても。
急激に村を発展させていく弟達を眺めていても、不思議と悔しさや妬ましさはなく、肩の荷が下りたような安堵感が胸に広がっていった。
「ああ、私もまだまだ引退するつもりはないからな。そしてお前は今までよくやってくれた。どこに出しても恥ずかしくない自慢の息子だ。もうこの村や弟達の心配はせずともいいから、今後は自分の事と、今まで待たせた分、エミリアの想いに報いてやれ」
「っ! ありがとうございます、父上」
父から向けられた笑みと労いの言葉に、目頭が熱くなる。
たった一言で、これまで苦悩しながら選択してきた道は間違いではなかったのだと、今、すべてが報われた気分だ。
「あ~、そろそろ向かうか」
照れくさそうに突然立ち上がった父に続き、席を立つ。
空になった茶器と茶菓子の容器は使用人の老婦がひいてくれたので、自身の部屋に置いてある例のブツを取ってくると父へ言い残して部屋へと向かった。
何かにぶつかった拍子にアレが破損でもしたら洒落にならないので、ガハンスは壁際にあるベッドの上に置いておいた……のだが。
「え」
時が、止まった。
「おい、どうかしたのか?」
「……父上」
ガジルはいつまで経っても戻って来ない息子を心配し、ドアから顔を覗かせた。
声を掛けられたガハンスは、ギギギ、と機械じみた動きでぎこちなく振り返り、この世の終わりのような血の気の引いた顔をしている。
「申し訳ありません! “緑の悪魔”を紛失してしまいました!!」
「なっ!? あんなもの一体誰が……いや、待て! とりあえず落ち着け! なっ?」
「申し開きのしようもなく……!」
床に頭擦り付ける勢いでガハンスは平身低頭して謝罪した。
とんでもないことになったと恐慌状態になって頭を下げ続ける息子を立ち上がらせ、お互いにとりあえず深呼吸をして心拍数を落ち着かせる。
……だが何故だ。どうしていきなり無くなった? 誰かが家に侵入して部屋に入って持ち出したのか。村の者だとは考え難いが、一体誰がーーー?
「「あ」」
2人はフル回転で頭を働かせた結果、脳裏に一人の人物が思い浮かぶ。
お互いの目を合わせてみても、頷き一つで同一人物が思い浮かべているのを確認できた。
すなわち、この家に自由に出入りし、ガハンスの部屋にも無断で侵入可能な人物。これは、アレだ。経験則から言ってもきっと、多分。いや間違いなく。
犯人は、アイツだ。




