42話 救出
最低限の灯りがあるだけの屋敷内はどこまでも薄暗く、窓ガラスから射し込む月影だけが俺たちを照らしている。
この時の俺は、5人を無事に連れて帰ることが出来たら色んな可能性が拡がるのではないかと明るい未来すら思い浮かべていた。それまでが順調すぎて、そう信じて疑わなかった。
「こんな時間に客とは珍しいな」
希望を持って扉を開けた先には、精巧に作られたヴェネチアンマスクで目元だけを覆った赤髪の男が居た。
「!?」
「面会予約は入っていなかったはずだが……。まあ、いいか」
驚き過ぎて誰一人声も出せない。
人の気配は確認したつもりだったが、完全に油断してしまっていた。寝ている人間がいるだけだと思っていたのに、まさかまだ起きている人間がいるなんて全く感じ取る事が出来なかったのだ。
頭の中が真っ白になり、赤髪の男から重く放たれるオーラに急速に寒気すらして、額と手のひらにじんわりと不快な汗が滲んでくる。
「それで、用件はなんだ?」
「……女を1人、引き取りに来た」
「女?」
誰一人声も出せない中、父が地を這う様な低い声を出し、それに対して細身の男が寸刻考え込み頷くと、身体の向きを変えた。
男が急に動いた事で俺を含めた全員が身構えたが、男は意にも介さず隣に続いているのであろう部屋の前へと歩いていく。
スタスタと部屋の中にも敷き詰められている絨毯の上を進み部屋の前まで着くと、男はためらいもなく扉を開け放った。
「ここにあるのであれば、好きに持っていけ」
顎をしゃくり、幾らでも見ていけという態度で部屋の中身を見せようとしている。
父は警戒心を払いながら男に近づいて行き部屋の中の覗くが、すぐにかぶりを振って男と向き直ることになった。
「だめだ。私ではわからない」
「わからない?」
「あそこにいる奴の家族なんだ」
数人の気配がする暗い部屋の中では、父には区別がつかなかったらしい。
指名を受け、全員の視線が集まったことで思わず唾を飲み込んだスラウが震えながら、それでもしっかりとした足取りで2人の方向へ歩いてくいく。
敵か味方か。どちらとも見当がつかない細身の男の動向を探るが、気配を消すことができるこの人間には無駄な抵抗なのではないかと心のどこかで思っていたかもしれない。
「ロビンッ!!」
部屋の中を覗き込んだスラウが一目散に部屋の中へと駆け出した。
途端に無防備になった背中にこれは不味いと各々の武器が構えられ、俺もいつでも魔法が放てるように身構える。
「おい、起きてくれロビン!」
「……え? あ、なた……?」
「お母ちゃん!?」
扉の向こうから微かに聞こえる女性の声に、それまで大人しくしていたサリーまで反応してしまう。
父親に続いてなりふり構わず走り出そうとする彼女を何とか押しとどめ、ジェイド達の背中に隠されて子供3人は細身の男から遠ざけられた。
それほど時間が掛からずにスラウと彼の妻ロビンだと思われる少し恰幅の良い女性が部屋から姿を現したが、このまま何も起こらずここから退散出来ればそれに越したことはない。
だが、そううまくはいかない予感はしていた。
「そちらの望みは叶ったか?」
「ああ。礼を言う」
一見不遜な態度にも思えるが、男のそれは堂に入っており余計な口をたたけないような雰囲気があった。
いきなりこちらの要望が叶えられるなどとは思っていなかっただけに、その笑顔の下で何を考えているのかぞわりと薄気味悪いものを感じてしまう。……何だ? 一体何を企んでいる?
「次はこちらの番だな」
「どういう意味だ?」
「その代わりに、その後ろにいる黒と白の子供をもらいうけたいと言っている」
黒と白とはつまり、黒髪のヴィラと白髪のカンラの事か。
サリーとロビンさんは無事助け出す事が出来たが、やはりそううまくはいかないらしい。
「やれん。この子達は全員連れて帰る」
「む、それではこちらばかりが損ではないか」
「…………」
相手の要望を切って捨てた父であったが、男側からすれば、こちらからも差し出したのだから相手にも同等のモノを求めるのは当然で、フェアではないと言いたいようだ。
「ではそいつはどうだ? 手前にいる黄色の」
「!?」
「お前は先程から私に殺気を飛ばして来ていたな? 私が少しでも動こうものなら、こう首のあたりをスパッとやられてしまいそうだったぞ」
簡単に引き下がったかに見えた男は、何を思ったのか今度は俺に矛先をかえた。
得体の知れない男にヴィラとカンラを奪われてたまるかとずっと睨みつけていた事は認めるが、自身の首を切るフリをしながら楽しそうに喋る内容でもないだろうに。
「その子供がそれほど大事か」
誰かが何を言ったわけでもなかったが、武器を構えたままの俺たちの態度で引き渡しを突っぱねたのがわかったのだろう。
武器を持つ周囲の大人達の手に、ぐっと力が入ったのがわかる。
「わからんな。なぜお前達は出会ったばかりの孤児達までそう必死に守ろうとする?」
男は知っているのだ。
ヴィラとカンラが孤児院から飛び出して来たことを。
「実に、興味深い」
ーーほんの、一瞬。
それまでは無表情か緩く口角を上げていた男の口元がニタリと歪み、パッという音が聞こえたと思うと目の前から男は居なくなっていた。
いや、違う。正しくは、俺の背後にまわり込まれていたのだ。
「さあ、来い」
「だめ! ご主人様逃げてっ」
「っ、【催眠】!!」
「!?」
ヴィラから悲鳴が聞こえた次の瞬間、振り向きざまに手のひらを向けて咄嗟に放っていた。
無意識に出た防御手段は功を奏し、相手の男は膝から崩れ落ちていく。
「なん、だ……?!」
「父上、今のうちに!」
「わかってる!」
「……くそ。っま、て……!」
呻き声を漏らす男から距離を取り、父と兄を先頭に即座に脱出を始める。
ここに辿り着くまでにも何度も使った【催眠】は、大抵の者にはすぐに効果が現れ昏睡状態に陥っていた。
その点、この男は突如自由に動かなくなった身体に必死に抗おうとしているのだから、本当に恐ろしいと思う。言わば、執念に近いものだろうか。
「お頭! こっちだ!」
都合良く開けたままだった大きな窓から全員脱出すると、屋敷を出たところで外で待機していたランパード達と予定通り合流した。
まだ本調子ではないロビンはスラウの背中におぶさり、俺以外の子供達はそれぞれ兵士の肩に担がれている。
幸い追手はいなかったが、念の為あらかじめ決めておいた別々のルートでそれぞれ宿へと戻る事となった。
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「……やっと行ったか」
床へ倒れ込んでいた姿勢から、パチリと目を開けた男がいた。
身体を起こした拍子に外れた仮面を手に取り、何事もなかったかのように歩きだすと、閉められたままだった反対側の扉の前へと向かう。
「おい、起きろ」
部屋の中には、床に転がされた男2人がいた。
その者達は両手足を拘束され、顔や足先など限られた場所しか肌を露出していなかったが、顔中あちこちが腫れ上がって真っ青に彩らせた瞼が痛々しい。
男はそれを冷ややかな目で見遣ると苛立ちのあまりそれごと蹴り飛ばし、それまで意識を失っていた2人は悶絶して目を覚ました。
「ん゛んんんんーーッ!?」
「煩い黙れ」
呻き声も不快だともう一度やや強めに手前の男を蹴りつければ、ゴロゴロと床に転がっていく。
転がっていった男へと近寄ると、グシャ! と容赦なく靴底が振り下ろされた。
「おい、貴様らは自分が何をしたのかわかっているのか? よりにもよって私の書斎から重要書類を盗み出し、ありもしない架空請求をでっちあげて市民権を持つ一般市民を巻き込み挙句の果てには貴様らの勝手な都合でこの街の数名の命を奪っていただと? 民の命をなんだと思っている。他にも不当な人身売買、隷属契約を無断で行なっているとの情報も上がってきているが、何か申し開きはあるか?」
問いかけると、ぐりぐりと革靴の底で踏みつけられ、無抵抗でされるがままだった男は必死で何かを訴えようとしている。
赤髪の男はその視線に気付くと、余計な口が聞けぬようにと嚙まされていた布が取り払われた。
「……ちが、違うんだっ! だって兄上もあの幻のパンや化け猫達を欲しがっていただろう? だから私は兄上の為にっ」
「ほう? あくまでお前は私の為に、私が望んでもいない方法で、私の名を騙ってわざわざ余計な仕事を増やしてくれたと言うわけか」
しゃがみこんだ兄に胸ぐらを掴まれ、ぎりぎりと首が締め付けられていく。
「ぐあ……! それ、は……っ」
「ふざけるなよ愚弟が。暫く私の前に顔を見せるな」
最愛の兄にも見放され、満身創痍の極限状況に陥った男は口から泡を吹いて意識を失ってしまう。
そんな弟を興味をなくしたとばかりに掴んでいた服ごと投げ捨てると、部屋の隅でカタカタと震えていたもう1人の男と目が合った。
「ひっ!」
「貴様も、処分は免れぬと思え」
「……ぐ、うぅ、うあ、ぅああああああーー! おまえがっ、お前が死ねええぇーーー!!」
「だから、お前達は愚か者だと言うのだ」
ーーザンッ!!
ごろり、と嫌な音が聞こえた。
両手足を縛られていたはずの男は、懐に忍ばせていたナイフで拘束を解き、絶体絶命の危機に反撃に出た。
しかしその反撃は相手に届くことはなく、はあ、と吐いた男の溜息と共に呆気なくその命を散らす結果となる。
せめてもの救いといえば、忙しなく動く眼球が胴体と切り離されたことを理解する前に、もうじき活動を終えそうなことだった。
一仕事終え執務室に戻り、本来の男が座るべき中央の椅子に腰掛けると、先程はいなかったはずの人間が男の目に入った。
「お疲れ様でした。こちらを」
「……ふ、ふふふっ」
何処からともなく現れた執事服の老人。
頬についた返り血を拭う為に用意されたハンカチーフを差し出すが、どこか精神が壊れてしまったのか、主人は何故か笑っていた。
老執事はその様子を痛ましそうに見つめ、一向に受け取ろうとしない主人の頬を血が乾き始める前にと黙って拭い始める。
「爺、どうやら私は彼奴らに感謝しなければならないようだ」
「……はい?」
「とは言っても、1人殺してしまったがな」
てっきり、実弟からの裏切りといえる所業に落ち込んでいるのだと思っていた老執事は大いに戸惑った。何故なら、当人がとても愉し気だったからだ。
まず、揃いも揃って3階からの躊躇いなく飛び出していくでたらめな身体能力。あの様子では飛び降りたところで怪我ひとつ負わないのだろう。
そしてあの子供に最後にかけられた魔法。
今回はわざとやられたフリをしたが、自分のように魔力耐性を鍛えていなければ一瞬で意識を失っていても可笑しくなかった。現に、男は気を抜けば今すぐにでも倒れてしまえる自信がある。
獣人族の特徴である白と黒、所謂色無しと呼ばれる貴重な子供達を手元におく機会を活かせなかったのは残念だが、それよりももっと面白いものを見ることが出来たので相殺されたと思えばいい。
「しかし、あの子供は一体何者なのか……ん?」
席に着いていた男の目に入ったのは、執務机に置いてあった巾着型の皮袋。
手にとってみれば、男の手のひら大の大きさで、さして大きくもなく持ち上げてみても非常に軽い。
さっさと開けようとすると老人執事に見咎められたが、無視して硬く結ばれている紐を解き逆さにすると、コロリとした何かがひとつ机上に転がり落ちた。
「なんだこれは?」
皮袋から出てきたのは……ただのパンであった。
2人は暫し固まったのち、ふにふにとパンを弄りまわすと、赤髪の男は不用心にもそのままパンにかぶりつく。
老執事がそれに静かに怒っていたことも知っていたが、どうしても好奇心が抑えられなかったようだ。
「んむっ!? 柔らかくてなかなかふまいな。爺もろうら?」
「食べながら喋らないでください。それよりもこんなものが」
「おっ?」
ぱくぱく食べ進める主人を尻目に毒物検査をしていた老執事は、皮袋の底に縫いつけられていた紙切れを見つけていた。
興味津々な赤髪の男は、見せてみろ! と奪い取り、既に目を通し終えていた老執事はその隙にまだ残っていたパンを手に取る。
「あっはははは! あいつら、いい度胸だな!」
「ええ、全く」
読み終えた赤髪の男がまず笑い、いつの間に用意したのか紅茶を啜っていた老執事もその意見に追従する。
最も、折りたたまれていた紙切れに書かれていたのは、
『ラナーク村にて、お待ちしております』
というものであり、今し方殺し合いが始まりそうだったことを鑑みれば、宣戦布告として受けとられても致し方ないのかもしれない。
「戦争の真似事でもする気か?」
「さあねえ」
「……っておい爺! それは私のだぞ! 全部食うなよ!」
「おや失礼。パンには殿下の名前が書かれておりませんでしたので」
2人で争うように食べていたパンはあっと言う間になくなってしまった。
まだ食べ足りなさそうな主人を見て、あの子供に会いに行きたいと主人が言い出すのも時間の問題だろうと老執事は心の中でそっと溜息を吐いたのであった。




