41話 覚悟
「2人とも、いけるか?」
深夜三時頃。
大人の遊戯を終えた客や夕方から深夜まで色街街で
働く人々は、夜明けの少し前に仕事を切り上げて宿なり自宅なり、それぞれの帰路に着く。
季節にもよるが、五時頃に夜が明けてそれ以外の職に就いている者が起き出してくる。つまり、夜明け前である三時半の今頃の時間帯は唯一街が眠る時間帯だ。
「うんっ、大丈夫だよ!」
「お任せ下さい。……カンラはもうちょっと声を小さくしてね」
「!」
ガハンスが声を掛けると大きな声で元気良く返事をするカンラに、頷きながらそれを嗜めているヴィラ。あっ、という顔をして両手で口を押さえるカンラが微笑ましい。
2人には、まだ子供なのにこんな時間に働かせてしまい申し訳なく思うが、多分これきりだと思うので勘弁してもらいたい。
「スラウ」
「はい」
次は父に呼ばれたスラウが王都から着て来ていたシャツをヴィラとカンラの前に両手で差し出した。
受け取った2人が服に鼻を近づけて、すんっ、とひと嗅ぎすると、その匂いを頭にインプットするかのように目を瞑る。
「え、2人とももう覚えたの?」
ものの数秒で預かった服を返し、思わず疑問を口に出してしまった俺に向かってこくりと頷く2人。
獣人の血が混ざる彼等は特に猫の獣人の血が混ざっているためとびきり鼻が良くどんなに微かな匂いでも嗅ぎ分けられるそうで、2人が俺達の宿を探し当てたのもこの鼻のおかげだと言っていた。
「あのね。おじちゃんとちょっと似てて、ちょっと違う血の匂いがこのあたりの糸からするから、それがサリーちゃんの匂いだと思うんだ」
「そうね、間違いないと思うわ」
「……これは、娘のサリーが私に作ってくれた服なんです
畳まれた服を見つめ、切なそうに笑うスラウ。
傍目からは全くわからないが血の匂いがするそうだから、サリーという少女は針で間違えて指でもさしてしまったのだろう。
家族との思い出に浸ってしまったのか、スラウはくしゃりと泣きそうな表情を一瞬見せたが、父に肩を叩かれると、ハッとして前を向いた。
「おとうちゃんっ!?」
「しーっ。みんな起きちゃうから、静かにね」
ヴィラ達の鼻は本当に優秀だった。
余り多くても目立ってしまうので、父、ガハンス、スラウ、ジェイドと俺の5人がヴィラとカンラに先導されて、とある屋敷の地下階に辿り着く。
冬も近いというのに、冷え込む狭い木檻の中、薄っぺらい布一枚を地面に直接敷いて横になっている少女を見つけた。
揺すり起こされた少女は時間が時間なので眠たそうにしていたが、ボヤけた視界で父親を見つけると躊躇いなくその胸に飛び込んでいった。
「うぅっ、とうちゃん、とぉちゃん……っ!」
「ごめんなサリー。怖い思いをさせた」
「ねえ、これ夢じゃないよね? 朝になったらまた消えたりしないっ?」
「ああ、もう大丈夫だよ」
よほど心細い日々を送っていたのか、ポロポロと頬に流れ落ちる雫もそのままに父親にしがみ付いてなかなか離れないサリー。
そんな娘を宥めつつ、スラウも瞳の端に光るものを溜めてサリーの頭を撫でている。
もっとずっと眺めていたい光景だが、時間は有限だ。母親のロビンさんがまだ見つかっていない。
「ひっく、おかっ、お母ちゃんはっ、ここに着いた初日に……! 偉そうな人に連れてかれ、ひぐっ、ちゃった、の!」
強い子だ。
安心感からか、嗚咽しながらだけど目を見てしっかりと受け答えが出来ている。
ロビンさんはこの地下階にはいないそうだから、まずはサリーだけでも連れて帰るべきか。
「いえ、ロビンも見つけたいです」
サリーが逃げたのが明るみになれば、ロビンさんもどうなってしまうかわからないからとスラウは言う。
「ははっ、やっと人を疑う事を覚えたのか?」
「はい。今更かもしれませんが、2人を守る為の覚悟が私にもようやく出来ました」
今まで色んな人に騙され続けて来た人間の言葉だと思えない台詞に思わず茶化してしまう父だが、スラウはただ、柔らかく笑った。
「包丁と鍋しか握って来なかった自分がどれだけお役に立てるのかはわかりません。ですが、娘と妻を助け出した暁には、誠心誠意、この命尽きるまで貴方様にお仕えさせて戴きたく存じます」
「「「…………!」」」
周囲から、息を呑む音が聞こえる。
スラウは旅中や、この街に着いてからも必要以上に何かを語ろうとしなかった。
それを傍で見ていて、何かを考えているのだろうな、というのは周りにいる人間全員察していた事だ。
「……本気か?」
「はい」
スッと片膝を折り、頭を垂れ、料理人にとっては何よりも大事であろう包丁を差し出して忠誠を誓う際の姿勢で父に跪く。
彼の服装は父からの借り物の安い服だし、差し出したのは剣よりかなり短い刃の包丁ではあったが「家族を守りたい」と真摯な表情で語る父親がいた。
凜としたその佇まいはさながら物語に登場する騎士がそこにいるようで、初めて出会った際のどこかおどおど、ビクビクしていた彼はどこにも見当たらなかった。
おそらく、何の見返りも求める事なく自分の妻子を助けようとしている父へ、彼なりに最大限の感謝の意を伝えようとしていたのだ。
予期せぬ忠誠を示されて呆気に取られていた父だったが、我にかえって包丁の柄を握って受け取ると「死んでも奪い返すぞ」とニヤリと笑った。
……うん。かっこいい。俺もこんなかっこいい親父達になりたい。
「さあ余りのんびりはしていられん。早く出よう」
父の言う通り、そろそろこの地下階から脱出しなければならない。
ここに来るまでの見張りは俺の無属性魔法【催眠】で眠らせておいたが、いつ起き出してしまうかわからない。なんせ、いつもは森にいる魔獣や野生動物相手にしか使った事がなく人間相手に試みたのははじめてだったのだ。
「よし、皆居るな」
物音を立てないように静かに来た道を戻り、梯子になっている階段を慎重に登って全員が地上1階に戻ってきた。
屋敷内を1階から順番に見て廻る事にして、まず俺と父が先頭を歩き、誰かに出会ってしまったら先程と同様に魔法で眠らせる手筈となっている。
吐く息が白く染まっていた地下階とは違い、地上1階からは魔道具でも使っているのかとても暖かく、足元も厚手の絨毯が敷かれていて足音を気にせず歩く事が出来た。
「(ご主人様!)」
「(ん?)」
何も見つからなかった1、2階を通り過ぎ、最上階の3階まで登ってくるとカンラが小声で話しかけて来た。
「(あっちの部屋から、コレと同じ匂いがする!)」
「(……! よし、良くやったっ!)」
スラウの持ち物にはロビンさんの匂いが付いていたものがなかったのでサリーだけ見つかった時はどうしたものかと思ったが、運が良い事に、サリーは母親が刺繍を施した綺麗なハンカチを持っていた。
主婦のロビンさんは刺繍の際に血がつく事もなく何度も洗濯されたハンカチには僅かな匂いもほとんど残っていなかったが、カンラがなんとか嗅ぎ分けてくれたようだ。
お手柄を上げたカンラの頭を皆で撫でていたらぐしゃぐしゃになってしまったが、何故か当の本人は嬉しそうだった。
「(こっちこっち!)」
指をさされた方向へ皆の足取りが自然と軽くなる。幸い、浮き足立って早くなった皆の足音も聞こえることはない。
あっという間に扉の前に辿り着き、これで全員無事にラナーク村へ帰れる。新たな仲間達を連れて帰るんだ。
そう信じて、扉に手を掛けた。
「…………おや?」
暗闇の中で唯一人、気配もなく佇んでいた男がいた事も知らずに。




