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40話 裏と表

「どこに行ったんだ、あいつら」


 光属性の魔石で舗装され、色街通りへと続く煌びやかな路面をヤンシーは歩いていた。

 いつもならばどこの店に入ろうか、どの女にしようかと悩んでいた筈なのに。

 いつもとは全く違う陰鬱な気持ちでここを訪れるなど考えた事もなかったのだ。


『嫌っ』


『このガキャア、優しくしてやったらいい気になりやがって!』


「……?」


 少し遠い場所から、罵声を浴びせているしゃがれた男の声が聞こえた。

 会話の内容や声を聞くに、相手は子供なのだろう。

 ヴィラであってくれればと、祈りに似た気持ちを抱きつつ、建物の影から覗きこんだ。


『離してよっ! 父ちゃんとあんた達との契約期間はまだのはずでしょう!?』


 子供ではあったが、ヴィラではないようだ。

 そうそうそんなにうまい話もないかと気落ちする。


『はははっ! まぁーだパパが恋しいってかお嬢ちゃん。いい加減大人にならなきゃ、お前の大好きなパパにも愛想尽かされちまうぜえ?』


『うるさいっ、あんた達には関係ないでしょ!』


『いや、あるね。俺たちゃジャドウの旦那に頼まれてんだよ』


 ……何やら込み入った事情がありそうだ。

 2人の声が大きいせいで、まだ声が聴こえてくる。巻き込まれてしまってはかなわない。

 さっさととその場を退散するのが一番だとヤンシーは判断した。


「っ、すまない」


 慌てて引き返す道すがら、誰かにぶつかってしまった。

 この街で一番栄えている色街街近辺ではあちこちに埋め込まれている魔石照明が朝方まで人も物も照らし出してくれているが、一歩路地裏に入れば照明など一切なく、月の灯りのみでゆっくり歩みを進めなければならない。

 眩しいほどの光を浴びた直後では余計に目が暗闇に慣れるまで時間が掛かってしまっていたのだ。

 ヤンシーは反射的に、ぶつかってしまった男の顔を見上げた。


「ってえな。気を付けろ」


「ーーっ!」


 ぶつかった男の顔を見た瞬間、息を呑む。


「ん? なんかお前、どっかで見た事が」


「申し訳ありませんでした! しっ、失礼します」


「お? おう」


 ーー危なかった。


 暗闇のお陰か、相手の男側からこちらの顔はよく見えなかったらしい。

 足早にその場を去り、人気の少ない通りでしゃがみ込んだヤンシーは常時よりうるさく鳴り響く胸の音を元に戻す為にしばらくその場に留まった。

 しかし、ドクンドクンと一向に治らない動悸に、先程の事で自分どれだけ動揺しているのかを自覚させられる。


「……チッ」


 思わず出てしまった舌打ち。

 最近はこんなに心を乱される事なんてなくなっていた筈なのに、思わぬ人物の登場で動転してしまっている。

 知らず識らずのうちに苦い表情をしていたヤンシー。だが、ある事を思い出してその表情は一変する。


「そうだ。ジャドウの旦那に聞けば良いんじゃないか?」


 光明を得た、と言わんばかりに再び動き出した足取りは軽くなる。

 盗み聞きをした結果が自分にとっての救いになるなど思いもしなかったが、この答え以上のものが浮かばかったヤンシーは、その歩みを止める事なく目的の場所へと辿り着いた。




「旦那に取り次いでくれ」


 色街街の端、倉庫が建ち並ぶ一角に唯一人が出入りする一際大きい立派な建造物があった。

 しっかりとした作りの門壁を越えると正面玄関には数名の門番も立っており、物々しい雰囲気を漂わせている。


「ーーーー」


 この屋敷ともいえる場所に立ち入る為の合言葉を門番と交わすと、毛足の長い絨毯が敷き詰められ、足音が全くしない室内へと通された。

 豪奢な家具や絵画、毎日入れ換えられているのであろういつ来ても満開の美しい花達。

 ここだけは別世界なのではないかと、まるでいつもの自分とは縁遠い場所にいる事に気後れしてしまいそうになる。

 だが、久しぶりに会ったにもかかわらず、ジャドウの旦那は表情を変える事なくにこやかに迎え入れてくれた。


「お久しぶりですね、ヤンシー。仕事は順調ですか?」


「はい、それが……」


 孤児院職員の職に就くまでのヤンシーの生活といえば、日雇いのその日暮らしで、コネクションを使って今の仕事先を紹介してくれたのはこの旦那だった。

 これほど大きな屋敷を持ち、時折貴族様と関わることもあるという噂まである立派な人物だというのに、付き合いがあっても何の旨味もない自分の様な人間とも真摯に向き合ってくれる。

 ジャドウとこうして同じ目線で対話することは畏れ多いと思う反面、自分がとても誇らしく感じられ、会う度自尊心が満たされていた。


「ーーなるほど」


 事情を話し終え、何とか力になって貰えないだろうかと懇願する。

 そんなヤンシーに即答はせずに、心を覗き込む様にじっと目を見つめてくるジャドウ。

 居た堪れないような空気感の中、2人と数名いる護衛達は身動ぎもせず少しも音を出してはいけない気持ちにさせられ、余計に緊張感が高まった。


「ご協力したい気持ちはあるのですが……」


 申し訳なさそうに、しかし、こなさなければならない仕事が溜まってしまっているのだとやんわり断りを入れられる。

 ……ここでもし、ヴィラを見つけ出せなければ自分はどうなってしまうのだろう。

 基本的に、孤児達は成人を迎えるまで孤児院に留まり、それ以降は孤児院を追い出されてしまう。ごく稀に自らで就職先を見つけてさっさと出て行ってしまい気づけば居なくなっている者もいる。この事からもわかるように、孤児が孤児院を出て行くのに誰の許可も必要はないのだ。


 この夜中じゅう探し廻っても2人の消息はまるで掴めず、元から居なかったかの様にパッタリと消えてしまった子供たち。

 見つかるかも知れないが、見つからないかもしれない。

 その時自分はどうしたらいいのだろうと、漠然とした不安がヤンシーを襲った。


「旦那様」


「ん?」


 諦めかけたその時。仮面をつけた護衛の1人、茶髪の青年がジャドウに耳打ちをしてジャドウの表情が変わる。


「ふむ、そうですか。あの方が関わっているのでしたら話は別ですね」


「え?」


「どうやら貴方方の尋ね人は、私の知人が欲していた子供達のようです。こちらでも探してみましょう」


「……良いのですか?」

 

「ええ。これも何かの縁でしょう」


「っあ、ありがとうございますっ!」


 助かった!

 何が起こったのかはよくわからないが、首の皮一枚で繋がった。

 仕事の件といい今回の事といい、自分が本当に困った時にいつもジャドウは助けてくれる。感謝しても仕切れない。そんなありったけの感謝を込めて、ヤンシーはこれ以上ないほど深々と頭を下げた。


「では、そろそろ」


 何度も下げていた頭を上げるように促されると、後ろ髪を引かれながら護衛に見送られ屋敷を後にした。




「もう大丈夫です」


 先程まで座っていた執務室の椅子から立ち上がり、窓ガラスのカーテン越しにヤンシーが屋敷を出たのを確認して言葉を改めると、フーッと苛立ちを押さえるような溜息が聞こえた。


「ったく、あの鈍間(のろま)めが」


 深く被っていた護衛服用の帽子を投げ捨て、先程までジャドウとして(・・・・・・・)振る舞っていた体格の良い男と入れ替わりに深く腰を掛ける。


「子供のおつかいも碌に出来ないんじゃあ、あいつを取り立てても意味がなかったんじゃないか?」


「まあまあ、そう言わずに。あれもなかなか従順で使い勝手の良い男なのです」


「くっ」


 ヤンシーはジャドウの表の顔として活躍している目の前の男がある日突然拾ってきた男だ。

 裏稼業の後始末の際に、ヤンシー、否、本来のヤンシーであった男を誤って殺めてしまい、罪のない一般市民が殺されたとなれば大変な醜聞になると危ぶんだ男が「彼は逃げ遅れて盗賊にやられてしまいました! 貴方も早く逃げなさい!!」と、知古であった死んだ男を探しに来た今のヤンシーに告げたのである。


「確かに、あれはお利口さんだよな」


 亡くなる直前に仲違いでもしていたのか、「俺のせいだ……」と彼がしばらく塞いでいたのも都合が良かった。

 本来のヤンシーは既に天涯孤独の身であったが、孤児で真っ当な職を見つけるまでは半市民権しか持っていなかった今のヤンシーと違って、彼は市民権を持つ善良な平民であったのだ。


 市民権とは身分証明を持てるかどうかで区別され、半市民権しか持てない孤児や元孤児達は手にする事なくその一生涯を終える者がほとんどだと聴く。

 そしてその行き場のなくなった身分証明を面倒事ごと戸惑う彼に押し付け、仕事先を紹介し、表のジャドウはまんまと彼の「恩人」に成り代わった。


「疑う事を知らないとは、幸せな奴だ」


 親友を殺した男は目の前に居るというのに。


「まあ、なんだ。せっかくあの【化け猫様】達とお近づきになれそうなんだ。何が何でも手に入れるぞ」


「はっ」




  ****




 その頃、ラナークご一行様は。



「ぬ。これは……っ!」


「どうです父様? とってもプリティでしょう」


「ぷ、ぷりちー?」


 アルファンの頭の上に乗った仔猫2匹を、父ガジルに自慢気に見せつけていた。

 ぷりちーとはなんだ? また変な言葉を作るんじゃない、と真面目に突っ込んでいるのはガハンスで、その他の兵士やスラウは慌ただしくあちこちを走り回っている。


「若ーッ! 材料足りないっすよ!」


「ちょっと待って下さい。今僕が動いたら2人が落っこちてしまいます」


「いやいや、2人は元の姿に戻って貰えばいいだけでしょお!?」


 今日も地域住民らとの約束通りに昨日と同じ場所で屋台を出す事にしたようで、屋台の前には昨日よりも大勢の人が集まっていた。

 秩序(じゅんばん)を守る、という習慣が余りないのか、昨日と違ってラナーク民総出で屋台を運営しているものの、客が増えた分だけ暴徒化しないように整列させる方にも人員が取られててしまい、結果、昨日よりもてんやわんやの事態と相成ってしまっていた。


「や、柔らかいな!」


「ふふふ。これは綿布団をも越えるモフモフですからね。盥のお風呂にも入って貰ったので、洗いたての毛皮は最高でしょう?」


「いやまて、それよりもこの脚の内側のぷにぷに具合が私は好きだぞ」


「肉球もたまりませんよね!」


 ケモナーになってしまいそうなガジルに、モフモフの魅力ははね退けたものの肉球の魅力にやられそうになっているガハンス。控えめに言って仔猫達にメロメロだ。至って顔は真顔だったが。


「〜〜っわかる! わかりますけどぉ!」


 すれ違う度、仔猫のヴィラとカンラにデレッとした顔をしてすぐ去っていく兵士達。

 早よ働け! と言いたいのはやまやまなのだが、言おうとする度にアルファンが幼気な仔猫達を眼前にズイッと突きつけてくるのだ。これでは、猫好きでなくとも何も言えなくなってしまう。確信犯か。


(何かを早まったかもしれない……)


 仔猫の姿とはいえ、散々あちこちを触られ、撫でられ、肉球を何度も突かれて、女子としての何かをゴリゴリと削られてしまった気がするヴィラであった。


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