39話 座敷童子とぬこさま
ーー目があった瞬間、堕ちてしまった。
朝露に濡れたような悲しげな瞳で僕をみつめる。
庇護欲を誘われ、気付けば抱き上げて腕の中に囲い込んでしまっていた。
寒いのか、頼りなげな震える身体を慰めるうちに助けてあげられるのは自分しかいないのだと強く自覚して。
まるで幻覚に囚われた愚かな男のようだと、笑いたければ笑えばーー
「阿保か」
「あだっ」
スパーン! と振り下ろされたのは、兄の右手。
うまいこと脳天に直撃したものだから、漫画みたいに視界がチカチカする。
ところでさ、最近の兄達は俺に対して本当に容赦がなくなってきている様な気がするよね? 溺愛設定はどこにいったの?
「だって兄様! “にゃんこ”ですよ、“にゃんこ”!」
俺は腕の中でミャアミャア鳴いている白と黒の仔猫2匹を、兄に見せつけた。
「? それがどうした」
心底理解出来ない、といった風に腕を組んでいたガハンスは頭を傾げた。
……くっ! まさか、このにゃんこ達の可愛さが理解出来ない人間がいたとは!
「父上と合流してから戻る」
昨晩。兄の班も巻きこんでしっかりと屋台の後片付けも手伝ってもらった後、所要で出かけている父を迎えに行くと言うガハンス班を一旦見送る。
「後でしっかり説明して貰おう」と言い残していった兄の微笑みに震えつつ、先に夕食をすませていた俺の班、ジェイド、ランパード、スラウ、俺の4人は先に宿の部屋で各自休息を取る事にした。
部屋に着いた俺は、一日中働いていた疲労と満たされた腹に眠気を誘われ、いつの間にか俺は眠りこけてしまっていた。
気配もなく、俺たちの部屋に潜り込んでいた小さな2つの影にも気付けずに。
ーーポフッ
「ん?」
つんつん、と頬がなにやら柔らかいものでグイグイ押されている?
その刺激で目が覚め、辺りを見渡すと部屋も部屋の外も薄暗い。
昨日も寝不足気味だった俺はあのまま眠ってしまったのだとわかった。
それはそうと、先ほど俺の眠りを妨げたのはなんだったのだろうか。
気になった俺はベッドから身を起こし、指パッチンの【ライト】で手元に小さな灯りを出現させた。
「こ、こんばんは」
そこには、少年と少女が静かに佇んでいた。
「ひいやあああああ!?」
とりあえず俺は絶叫した。
だって、暗闇の中に顎下から顔を照らされたおかっぱ頭の子供が目の前にいたら誰だってビビるだろう。 座敷童子かと思うだろう? あの光景はまごう事なきホラー映像だった。
ちくしょう誰だよあんなベタなドッキリ仕掛けたのは! 危うくちびるとこだったじゃないか!
……うん。ごめん全て俺のせいだったわ。
「「なっ、何事だ!?」」
俺の絶叫に、ちょうど帰って来ていた父と兄、それと兵士のみんながドタバタと部屋に雪崩込んできた。
この世界では寝始めている人もいる時間帯に近所迷惑もいいところだが、宿には他の泊まり客が居なかったのか受付の婆さんが来なかったのは幸いだった。
あのおっかない婆さんが起きて来ていたら、真夜中に外に放り出されていてもおかしくなかったと思う。
……さて。何故この子達がここにいるのか。
理由を突き詰めていけば、言い方は悪いが俺が昼間にエサを与えたのが原因で、子供達は俺について来てしまったようだった。
発覚してから兄には、「見境なくなんでも拾ってくるんじゃない!」と叱られてしまったが、この件に関しては俺が積極的に拾って来たわけではないと言いたい。
でもこれは、前世の「野良猫にエサを与えてはいけません」に該当するのだろうか。
野良猫にエサをやるのが良いのか悪いのか、それを議論してしまうといつまで経っても終わらなさそうなので、一旦放り投げておく。
その後、俺はひととおり叱られ、その途中でランパードや子供達にも庇われる感動的な一幕があったわけだが、今は割愛する。
そして、翌日の今朝。
話し合いの結果、「ヴィラとカンラはお前の好きにしろ」という何とも投げやりな回答を保護者達から貰い、2人は将来俺の部下になれるように教育する事になった。
5歳のカンラはともかく、12歳のヴィラへ9歳の俺が一体何が出来るというのか甚だ疑問が残るが。
だからといって何もしないわけにもいかないし、その件に関してはとりあえず村に戻ってから考えることしている。
もちろん俺も無条件でこの2人を村へ受け入れようとしたわけではなく、きっかけは1人が発した言葉がきっかけとなった。
「ヴィラとカンラは、俺たちがここに居る事がよくわかったっすね」
朝食の席で、目の下にうっすらと隈を作ったランパードがすっかり萎縮してしまっている子供たちに声をかけた。
隈をつくっているのは、子供たちの話を聞くのに時間が掛かってしまった事と、特にランパードは俺と一緒に長々と最後まで叱られていたためである。
「あ、私達には獣人の血が入っているみたいで……」
「獣人?」
「お姉ちゃん。見てもらった方がいいよ」
服の裾を引っ張るカンラへ、こくん、と頷いたヴィラ。
2人は何かを呟くと、しゅるしゅるとその身体が縮み、あっと言う間にその姿を変えた。
「ニャー」
「んなっ、ぬこさまだと!?」
ーーそんなこんなで、話は冒頭に戻る。
突如降臨された猫様に心を奪われ少々自我を失ってしまったが、容赦なく振り下ろされる兄の手刀と、制限時間が過ぎ元の姿に戻った2人を見て平常心を取り戻した。
「ふむ。では、君達は姿を変えられるという事か」
「はい。本当に少しの間だけなのですが……」
この場にいる大半の人間が獣人についての予備知識が少なかったので、子供たちにもう一度【獣化】をして見せてもらえるかと頼んでみた。
2人は少し戸惑ったあと、お互いに顔を見合わせ、再び呪文のような言葉をボソボソと呟く。
今度こそは覚えておきたいなと俺はその言葉に耳を澄ませてみたが全く聴き取れず、ただの人間には聴き取れない発音なのだと後で教えて貰った。
呪文を唱え終える頃には、2人はその場に服を残して姿を変えていた。
女の子のヴィラは、髪の色と同じ真っ黒な仔猫。
男の子のカンラも、髪の色と同じ真っ白な仔猫だ。
「ケモミミ! ケモミミ最高ーーっ!」
かっわいい! これはかわいいぞ!!
手のひらサイズの仔猫2匹が俺の足下をうろちょろして上目遣いで「んなぁー」とか鳴かれてみろ! 鼻血ものだ!
「【獣化】ができるという事は……。君たちはもしやアレも使えるのか?」
「はい。カンラはまだ5歳なのでまだ上手く使えませんが、あたしは使えます」
「…………そうか」
顎に手を置いたガハンスが、目線を落として何かを考え込んでいる。物凄く集中しているようで、俺たちが話し掛けても暫くは全く反応が返って来なかった。
こんな時のガハンスには何を言っても無駄なので放置するように皆に言っておく。俺は俺で、他にやる事があるしな!
今まで酷い環境に居たようだし、怯えているこの子達の心を先ずは救ってやらねば!
「若、まさかとは思いますが自分が猫達と戯れたいが為に【獣化】してもらったんじゃあないでしょうね」
「しかもヴィラとカンラが怯えてるのは、若の目がちょっとイッちゃってて怖いからだと思います。……ってもう話を聞いちゃいませんね」
「に、似た者兄弟っすね」
外野が何か言っているが、既に2人と戯れ始めていた俺には何も聞こえなかった。
****
同日夕刻。
「ランゼリン院長」
「おお、待っていたぞ」
遊楽都市ビビ、第五孤児院孤児院長 ランゼリンは、報告に現れた職員を院長室へ招いた。
「ヴィラはどうした? 連れて来ているんだろう」
昨夜は何故か途中で居なくなってしまったが、大事な話の途中だったのだ。
「い、いや。それがですね……」
「ん? 門限はとうに過ぎている筈だろう。まさか、まだ帰って来ていないとでもいうのか」
「あ、いえっ、そうではありません!」
歯切れの悪い返答をくり返す職員。
孤児院の職員という職に就く事で、ようやく何不自由ない生活を手に入れた新人・ヤンシーは、窮地に陥っていた。
ヤンシーもこの街の孤児院出身で、新人ではあるが、安定した職に就くのに四十手前となる年齢までかかってしまっている。
何とか生き長らえた幼少期は里親も見つからず、青年に差し掛かる年齢になると孤児院を追い出された。
命の糧を得る為に盗みも殺しも躊躇いなく行い、殺人犯だと指名手配にあった時はそこいらの住人を身代わりにし、身分証明を奪ってその人物と成り代わったのだ。
そして別人としての人生を歩み、何とかこの職にありつく事が出来た。
孤児院出身の者ならよく知る事であるが、この街の孤児院の職員は孤児達の面倒を見る事など一切しない。
孤児達に院内外の掃除をさせ、自分達の洗濯をさせ、唯一の仕事と言えば人数減少で援助金が下がる事がないように孤児達の人数を門限の閉門時に数える事くらいである。
しかし、それすらまともにやっている職員は少なく、人数が減ろうが増えようが前回の人数が下回らないようにおざなりな報告のみで済ませている者もいる。それまでは、ヤンシーもその1人だった。
「ヴィラがいないだと!?」
「いえ、ですからカンラの姿も見えないので、おそらく2人でどこかに、」
ダンッ!
「それをいないというんだろうが!!」
ヤンシーの言葉を遮り、激昂したランゼリンはよく肥えた拳で勢いよくテーブルを叩きつけた。
「ひっ」と悲鳴を出したヤンシーの頬に、卓上にあった陶器の花瓶が倒れて割れてしまい、飛び散った破片が数センチの傷を刻む。
「あいつはなっ、お貴族様がいたくお気に召されて、来月には高く売る約束をしているんだぞ! どうしてくれるんだ!!」
「!?」
なんの話だ。
職員の仕事は仕事と言えないようなものだったが、点呼だけでも孤児達の人数が多過ぎるためかなりの時間が掛かってしまう。なので、孤児院長のお気に入りや孤児達が寝る階によって担当はざっくりとだが分けられている。ヴィラとカンラは、そんなヤンシーの担当だった。
だけど、自分はそんな話は聞いていない。聞かされていれば嫌でも気にしていたし、見失うような真似は絶対にしなかった筈だ。
貴族がかかわる事態だと知らされたヤンシーは顔を蒼褪めさせた。
「な、なぜ言って下さらなかったのですか……?」
「ふん! 犯罪者のお前に言って、金目当てにヴィラを拐われてはかなわんからな!」
……正体を知られていたのか。
それを知らされた今、ヤンシーは尚更逃げ出すことは出来なくなった。
相手は貴族だ。逃げたところで、このままヴィラが見つからなければこのランゼリンに真の誘拐犯だと罪をなすりつけられてしまうだろうし、不思議な力を持つ貴族達から逃げ切る事など不可能だ。
「街中くまなく探せっ! 街の中にはいるはずだっ」
「はっ、はい!」
その声に応えるように、ヤンシーは閉めたばかりの門を開錠し、夜の街へと飛び出した。
日を越えてしまった、、(白目)




