29話 騙されやすい男
「アリス、美味いか?」
「ん! ありちゅ、おいちーの」
「そっかそっか」
口の周りに食べカスをつけながら、慣れないスプーンを握りしめてアリスは一生懸命食べていた。
美味いかと問いかけてやれば、振り返ってにぱっと笑う。
このマイナスイオンとでもいうのか、穢れのない笑顔は荒んでいた大人達の心を癒す効果があるのは何故なのか。
「アル様もちゃんと食べてらっしゃいますか?」
「はい。もちろん」
「アルはすっかり懐かれたな」
俺に心配そうに聞いて来たのはミシェルさん。
それというのも、いつもはミシェルさんの腕の中が定位置のアリスが、今は俺の膝の上にいるからだ。
今夜は、旅館の一階を解放し、みんなで炊き出しの夕食を食べている所だった。
「違うッ! もっと早く混ぜねえと素材の味が死んじまうだろーがあああっ!」
「はっ、ハイイィ!」
「……」
なんか遠くの厨房から怒号と悲鳴が聴こえてくる。悲鳴をあげている人には申し訳ないが、尊い犠牲になって頂こう。
昨日はスラウから話を聞いた後、夜も遅かったのでうちの客室に泊まってもらっていた。
料理人の朝は総じて早いのか、朝早くに出勤し、キッチンへと向かうミルクに何故かついて行ったスラウは朝ご飯の支度をするミルクが気になるのか、後ろ姿を大人しく見つめていた。
「はははは! スラウ殿も流石ですね!」
「ミルク殿こそ、独学でここまでやるとはな!」
いくら料理人といえど万が一の事があっては困るので、起きて来た母・マリアと共に客室で待機を命じた筈なのだが、昼前には何故かうちのキッチンでミルクと張り合うように数々の食事を作っていた。
「がーっはっはっは!」
……うん。スラウさん人格かわっとる。
二人の磨き抜かれた技を見てるのも楽しいのだが、凄い勢いで食糧庫が減っている気がする。しかも誰も止めないし。
不安にかられた俺はガハンスにチクリに行った。
「ガハンス兄様、アレは止めなくていいのですか?」
「……彼奴らは、ああいう病気だから放っておけ」
最近は兵士が増えた結果、幸い食糧庫も溢れかえりそうになっていたらしく、二人に調理してもらった食事を夕食前に配りに行けばいいと、どこか遠い目をしたガハンスが言う。
毒物混入に関しては、昨日のうちに身体検査を済ませているし、俺もこっそり調べていたので心配はなかった。
「それに、スラウもじっとしていられないのだろう。妻子が借金のカタにとられているうちは」
「……」
昨夜、スラウは泣きながら父に助けを求めた。
曰く、親族に騙されて、知らないうちに借金の連帯保証人になってしまっていたのだと。
しかもタチの悪い事にその親族は所謂闇金から金を借りていたらしく、既に膨らみきっていた借金のせいで王都にあった食事処を差押えられてしまった。
だが、それでもまだまだ足りない借金は日に日に増えていくばかり。
しかし、食事処まで差押えられてしまったのだからスラウ一家は返済の術をもたない。
埒があかないと思った闇金屋は、スラウさんにこう持ちかけた。
「……おい、幻のパンを持ってこいや」
「え!?」
「そうすれば、借金をチャラにしてやってもいい」
幻のパンは、数年前から王都で出所不明として騒がれているものだ。
しかし、誰が売っているのか何処で売っているのか、ましてや製法などはまだ明かされていないはず。
中には、あまりの遭遇率の低さに法螺話ではないかと揶揄する輩がいる始末である。
そんな奇跡のようなパンなど、そうそう見つかる訳がない。
「あのパンは、私も気になって仕入れの際に色んな商人に伝手はないかと散々探し回りましたが、ついぞ見つかりませんでした! そう簡単には……」
料理人からすれば、新しい調理方法など喉から手が出るほど欲しいものだ。 わからなかったと回答が来る度、何度肩を落としたかしれない。 気になるあまりそこにつけ込まれて、少額ではあったがスラウは詐欺にも遭った事もある。
“ 幻のパン ”の名に相応しい希少さに、自分を含む数多の料理人が歯噛みした事だろう。
料理やその知識に関しては自負をもつスラウは、見つかる訳がないと男に噛みついた。
「まぁ待て。そこで、とっておきの情報だ」
「……」
「ククッ、疑り深い奴だな。 俺はお前の為に、わざわざ持ってきてやったんだぜえ? 幻のパンとやらの情報をよ」
「なっ!?」
スラウも最初は信じられなかった。
だが、住居兼職場である食事処を奪われ、今は収入源すらなく借金が増えるばかり。
縋れるものは、たった今男が垂らした怪しい光を放つその糸しか残されていない。
起死回生を掛けて、情報量を借金に上乗せし、なんとか糸口を見つけようと家族全員で話し合った。
「じゃ、お前の嫁と娘は貰ってくぜ」
「何故ですか!? そんな話は聞いていません!」
「はあ? 借金には担保が必要に決まってるだろ? お前にはもう家すらねーんだからよ」
闇金の男と更なる借金の契約書を交わすと、後ろに控えていた部下らしき人物が妻と娘を羽交い締めにした。
慌てて奪い返そうとするも、数人がかりで抑えられてしまい、為す術なく闇金の男の馬車に連れて行かれてしまった。
「け、契約はやっぱりしません! ですから妻と娘を返して下さい! お金はどうやっても返しますから!」
「あ〜? 聞こえねえなあ。じゃ、半年後までに持ってこい。これがその情報だからな。出来なきゃこいつらを娼館に売り払うが、それまでは綺麗にしといてやるからよ」
手のひらサイズの紙をスラウの頭上からひらりと落とし、可笑しそうにけらけらと嘲笑う男。
また、自分は騙されてしまったのだ。
罪のない妻と娘を、あんな男の元へと連れて行かれてしまうわけにはいかない。
「あなた!」
「やだぁ! とうちゃん!」
「サリー! ロビン!」
必死に馬車を追いかけたが、あっさりと距離を離されてしまった。
ひたすら走り、ボロボロになった足を引き摺って右も左もわからない暗闇に包まれた頃にやっと足を止めた。
腹も減り家族もなく、茫然自失だったスラウが唯一手にしていたものは、肌身離さず持っていた包丁と、奇しくも憎い男が残した紙切れひとつだった。
「…………聞いたことない村じゃないか」
そこに書かれてあったのは、ラナーク村という字と、ミルクという名前、裏面にその村の所在地知らせる簡易な地図だけ。
こんなちっぽけな紙とあの二人が同等な訳がない。
改めて、自分はとんでもない失態をしでかしてしまったのだと、悔し涙と一緒に乾いた笑いすら出でくる。
あの男のいうことは信用に値しないが、何もしないよりはと、危険を伴う一人旅でラナーク村を目指した。
料理人故、強い魔獣を倒す腕こそなかったが、この国に溢れている森の浅い所に入れば、食べられるキノコ、山菜やキャロスやマルネギは簡単に手に入る。
小さな野生動物や赤子の様な魔獣を討伐し、肉と魔石を得て食い繫いだ。
時には盗賊らしき人物を見かけたり強い野生動物や魔獣がいたが、なんとか生き延びて寄った村で道を尋ね、ラナークの村と呼ばれる場所に到着する。
ポケットに入っていた身分証明を提示して無事に防壁門をクリアした後は、領民に尋ねてから領民に見張られるようにして我が家まで辿り着いたらしい。
「……本当なら酷い話ですよね」
「ああ。正直、そこまで次から次へと騙されるものなのかと疑いたくはなるがな」
「父様はどうされる気なのでしょうか」
父は、全く知らぬ仲でもないからと一文無しのスラウに無償で客室を貸していた。
父のその大らかというか、大雑把というか、度量や器が大きい所は好きだから構わないのだが、スラウの話を聞き終わると初対面であるガハンス以外の家族の許可を取る前に、
「まず、風呂に入れ。 その間に飯を用意しよう。あと、一室貸してやるから泊まっていけ。 着替えは私のものでいいだろう」
と言ったのには驚いた。
そこまで親しかったわけでもなさそうなのに、なぜ、と思わずにはいられない。
父はとんだお人好しだなと俺が言うと、ガハンスは苦笑した。
「父上は昔、そのお人好し達のおかげで命を助けられたそうだからなぁ。 あと、お前には言われたくないと思うぞ」
「ふふ、そうですね」
「ねぇー?」
「…………」
隣のガハンスに頬を突かれ、ミシェルさんに笑われてしまう。
しまいには、意味が分かってないだろうアリスまで二人の真似をして反対側の頬を突くものだから、俺はとっても恥ずかしい気分になった。
ーーそ、そんなことないんだからねっ!




