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閑話 思い出の味

長すぎて間に合わず……

私はジェイドというものだ。


私達一族はつい先日、生まれ育った故郷を捨て、このコハンスティール領ラナーク村に移住して来た。


故郷で私は親族の他、昔は親しかった友人もいたが、娘のアリスが誕生して以来皆の目が変わってしまった。

我が一族は穢れた血だと蔑み、貶められ、村の中での生活は針の筵にいるのと変わりない鬱々とした日々を過ごしていた。


「ジェイドッ、ミシェルさんがっ!」


そしてとうとう、心無い者達の悪意に晒され続けた結果、自分の所為だとずっと気に病んでいた妻のミシェルは心労で倒れてしまった。


このままこの村にいてはいけない。

村の離れに見つけた馬房を、何とか人が住めるように形を整え、親族達でそこに移った。


旅に必要な資金を稼いだら、この村からでよう。

いつか、あいつらを見返してやる。


毎晩合言葉のように声を掛け合って、搾取され続けているせいでなかなか貯まらない現実のなかでも、私たちは奮闘し、鼓舞し合った。


そして、運命の日が訪れた。


私はその日、理不尽でも従うしかない物資の交換に私と兄弟達で村の中心に向かっていた。

女子供に村の醜い人間達を見せる訳にはいかない。

何より、ミシェルのように倒れてしまっては大変なので、男連中で交代で担っていたのだ。




「……何だ?」


誰かが泣き叫んでいる……声?


「村で何か起こってるみたいだ。 このままここで様子見しよう」


異常事態に気付いた私たちは、村の中には入らず森の中に潜んでそっと様子を見守る事にした。

後から思い返してみても、村に入る前に気付けたのは本当に運が良かったとしか言えない。

もう少し前に、もしくは後に村に入ってしまえば私たちの命はなかった。

それも、これまでの行いをみていた女神様がようやく私たちに微笑んで下さったのだと思った。


我々を迫害した村の者が、目の前で次々と殺されていく。


手足が震え、冷や汗が止まらない。

人を人と思わぬ盗賊達の所業はとても恐ろしかった。

つい先日、私に石を投げた者の頭が転がっている。

出産直後のミシェルを罵倒し、水を浴びせていた者が盗賊達の慰み者になっている。

その他にも百人近くいると思われる盗賊に、村の人々は一人残らず殺されていった。


「ジェイド、もう逃げよう。 俺たちがいる事はまだ奴らに気付かれてない。 まだ、まだ間に合う」


緊迫した空気の中、私は焦りで汗が止まらない兄に腕を引かれ、私たち兄弟は交換しに来た物資をそのまま持って静かにその場を後にした。


そうだ、私たちには夢がある。

いつかまた、親族みんなが笑顔で暮らせる安住の地に行くのだ。

こんなところでむざむざと殺されてはいけない。

倒れて以来、滅多に笑わなくなってしまったミシェルやアリスを再び笑顔にする使命が私にはある。


直ぐに馬房の掘っ立て小屋に引き返した私たちはみんなに事情を説明すると、二十名総勢で移動を始めた。

幸か不幸か荷物は僅かしかなかったので、荷物を直ぐに纏めることは出来た。

後は盗賊達に気付かれずに、細心の注意を払いこの村から一番近いというラナーク村を目指すのだ。


ラナーク村の話は、昔少し聞いたことがある。

あの村と同じように貧しい村だそうで、それでも新しく立ったという領主は評判が良いらしい。

今の自分達にはこれ以上貧しくなりようもないし、命の危険に晒されている今、領主の評判がいいというだけでそこは天国のように思えた。


あの村の領主は何をしていたか。

知るはずもない。

声さえ姿さえ現さず、定期的に税を徴収させに代理のものを遣わせるだけだったのだから。


幸い、腕には自信があった。

列をなして森を歩き、時折襲ってくる魔獣や動物を返り討ちにし、その肉を魔石で火を起こして焼いて食べる。水も飲める。

何故か、森にはいつもより魔獣や動物が少なかったが、食べる分以外に襲ってくる魔獣達が少ないのは好都合だった。

思ったよりも随分と順調にラナーク村へ向かえたのも、女神様のお導きに違いないと皆が言った。

女神様は我々に、生きても良い、生きなさいと仰せなのだと馬鹿な事を本気で信じていた。


「気を付けろ! 今、森の外で馬車が走っていたらしい」


「ッ!!」


兄の潜ませた声で、みんなに緊張が走る。

盗賊達が私達の存在に気付き、追って来ているのかもしれない。

我々は慎重かつ迅速に、ラナーク村への足を急がせた。


最初は順調だったラナーク村への旅路も、徐々に疲れが出始めその歩みはどんどん遅くなっていった。

それもそうだ。あの村を出てからここ一週間程は全員が満足に眠れていない。

その上、昼夜問わず襲ってくる魔獣や動物に足を取られ、後ろからはいつ盗賊が追いかけて来るのかと思うと精神的にも身体的にもみんなもうギリギリまで追い詰められている。

それでも私達は夢の為に、足を進めなければいけない。


「ジェイド、アリスのピアスを」


「ああ」


あの村から出る計画は、ずっと立てていた。

実際に村を出た時に、他の村や町で受け入れて貰うにはどうしたらいいのか。

また、妻やアリスに悲しい顔をさせない為に。

家族を守る為ならば、私達はどんな嘘でも一生貫く覚悟は出来ていた。


「……おとーた?」


「ごめんな、アリス」


そのままのお前を偽る事しか出来ない父親で。


きょとんとしているアリスの耳からそっとピアスを抜き、用意していた木箱に入れて穴を掘って埋め、落ち葉で覆った。

子供らや妻達を代わる代わる背負い時間を短縮してきた甲斐あって、ラナーク村はもう目の前にまで来ている。


「我々の安住の地はもうすぐだ」


みんなが熱い息を吐いたその時だ。


「みんな逃げろぉっ! ベアーディップの群れが出たぞ!!」


ーー馬鹿なっ、ベアーディップだと!?


ベアーディップと言えば、この周囲の森の主と言われている騎士や冒険者の者でも個人では太刀打ち出来ぬ凶暴な魔獣ではないか! しかも群れでだと!?


混乱しながら私達は妻子を抱え、ひたすらに走った。

まだこんな力が残されていたのかと、膝の感覚がなくなる程に。

しかしすぐに追いつかれ、妻と子供らを背中に庇いつつ戦うも、既に疲労困憊を極めていた私達に敵う相手ではなかったのだ。


「……あなたっ、アリスを!」


「ミシェル!?」


背後に回り込んだ魔獣にミシェルが襲われそうになるや否や、ミシェルは抱いていたアリスを空に放った。

私は託されたアリスを受け取ると直ぐにミシェルの元に向かい、蹴り上げた足を魔獣の脳天に食らわせ間一髪で助けることが出来たが、何十もの魔獣や野生動物の瞳はギラギラとした肉食獣のそれであり、皆、顔を青ざめさせた。




ーー遂には、味方が次々と倒れていき、意識があるのは私とアリスだけになった。





「……だれか、たすけてくれ」



アリスを胸に蹲ったまま、私の意識はそこで途切れた。




****



次に目覚めると、私は知らない場所に居た。


「アリスッ!」


アリスはどこだ確かにこの腕に抱いていた筈のアリスが居ないミシェルもいない私は家族を守り切れなかったのか!?


その時の私は混乱極まって居たようで、恐れ多くも後に主と仰ぐ事になるお館様とその長男様に取り押えられた。

私の声に目覚めた者にも拘束され、暴れようがなくなった私は意外と近くにいた妻にまで頭を叩かれ、アリスは保護されているとお館様より聞かされ、ようやく落ち着いて話をする事ができたのだ。






「それでなぜ、其方らは助かったのだ」


「「「…………」」」


私達は難民である事、この村の庇護を求めている事を話したまではいいが、その経緯についてまで問われるとは思ってもいなかった。

元来私はあまり頭を使うことが得意ではなかったし、なによりあの村から逃げ出した時は命を守る事に精一杯だったので、その質問がきた時、私達は一様に噤むしかなかったのだ。


シウラリアスの件がまた知れ渡れば、ようやく辿り着いたこの村で心穏やかに暮らせるわけがないのだから。


「父上、彼らはそれでは口を割らないでしょう」


「……そのようだな」


「だから、こう言ってやればいいのです」


長男様はそら恐ろしい笑顔をにっこりと私達に向けると、こう仰った。


「貴方達は、今、ご自分達の置かれているこの状況を理解されていますか? 私達は先程説明した通りこの村の領主一族の者ですが、さて、貴方達が今いるこの場所はどこで誰の家でしょうか? 特に貴方、ジェイドさんと仰いましたか? 貴方の娘であるアリスは私達が保護していると言った筈なのですが、何も聞いていらっしゃらなかったのでしょうか?」


息を途切れさせることなく滔々と語られるそれに、血の気が引いた。


私達が向かった先がラナーク村で、その近くの森で倒れたのは明確な事実。

ならば、倒れていた私達を少ないとは言えない人数であるにも関わらず、領主一族様は誰一人欠ける事なく私達を拾って村まで移動し、意識のなかった私達の怪我の手当をし、その上この立派な一室と重傷者が寝ているベッドを一晩借り受けまでさせて頂いた。

更に、私の可愛いアリスまで保護して頂いたと言う。

これ以上ない手厚い保護を受けていながら、私達は都合の悪い事には蓋をしようとしていたのだ。



ーー恥知らずにも程があるではないか。




「…………少し長くなりますが、私達の話を聞いて頂けますか」


「よかろう」


がくりと項垂れた私達に、お館様は鷹揚に頷いて下さった。





****





「食事の用意をいたしますね」


「え?」


お館様と長男様が私達の証言の裏付けに出て行かれてからすぐに、お館様の奥方より食事だと言って大きな鍋が運ばれてきた。


「…………なぜ」


手には、久しぶりの温かな食事。

言われるまま受け取りはしたが、これは受け取って良いべきものなのだろうか。

そんな私の心の声が漏れてしまい、奥方は首を傾げていた。


「なぜとは?」


「まだ余所者でしかない私達にここまで施しをされれば、領主一族様がこの村の住人に責められてしまうのでは……?」


あの村の噂では、ラナーク村はあの村と変わらないほど貧しいと聞いている。

なんでも小麦の収穫量が悪く、毎回最低限の税しか払えないのだと。

このスープのような食事にパンは見当たらなかったが、なら尚更、万が一の時の為にこの様な散財をすべきではないし、村人達が優先ではないのかと思った。


失礼に当たらないよう、何とか言葉を選びながら疑問をぶつけると、


「良いのです。 私は息子と約束をしましたから」


「約束、ですか……?」


「ええ。 貴方達を最初に発見した私の息子が、貴方の小さな娘を随分大事そうに抱えていましたからね。 その娘を保護するには貴方達の存在が必要不可欠だと思って、私は息子に貴方達が悪人でなければ我が家で世話をすると約束したのです」


つまり、ただの親馬鹿なのですよ。

奥方はそう言って、肩を竦めていた。


奥方からすれば、私達はアリスのおまけなのだ。

その直球な物言いにしばし呆然としてしまったが、隣に座るミシェルもまた、呆気に取られていた。


「……アリスに感謝しないとな」


誰が最初に言ったのかはわからない。

だが次第に賛同者の声が増えて大きくなると、ミシェルは大きな瞳を潤ませて、コクリコクリと何度も頷いた。


ミシェルは、自分がアリスをあの髪色と瞳の色に産んでしまったばかりに家族や親族や、なによりアリス自身に苦労をかけてしまったとずっと気に病んでいたので、アリスがアリスであったからこそ私達は助かったのだと胸を張れる事が、よっぽど嬉しかったのだろう。


「さぁ、アリスのご相伴にあずかるぞ」


そうしてミシェルやみんなと笑って囲んだご飯は、生涯忘れられない味となった。

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