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12話 小さな手

「無駄だとは分かっているけど、一応聞いておくわ。 一体何があったの?」


 母の穏やかな笑顔がめちゃくちゃ怖い。

 普段怒らない人が怒ると一番怖いというのは、都市伝説ではなかったようだ。

 そんな下らない事を考えながら、気を抜くと何かが下半身から漏れ出そうになる自身を叱咤して、客室に押し込まれた御一行様について母に説明を始めた。




「今回は流石にダメだろ」


 戦々恐々としていた俺に、きっぱり言って退けたのはサフライ。

 いつもついつい勢いで暴走してしまう俺に、根気よく面白半分で付き合ってくれる兄にそう言われてしまうともう何も言えなかった。


「でも一度連れて来てしまった以上、小動物のように捨てて来なさいとも言えないわよね……」


 母は困った事になったと、苦悩の色を隠せていない。

 初めてみる母の表情に、改めて自らの行動を思い返すと、背中に嫌な汗が伝う。

 これまでは周りのフォローでなんとかなって来たが、今回の事は無断ですべき事ではなかった。誰かに、まずは相談すべきだったのだ。


「父上が不在のいま、あの者達が目覚める前に早急に処遇を決めた方がいい。 目覚めて暴れ出されでもしたら、この村に関わる一大事になるぞ」


 せめて、このとっても頼りになるガハンスにでも最初から頼っていれば……。




 俺は今日、魔法の練習を兼ねて一人で森に入り、心許なくなってきた肉を獲ようと狩に勤しんでいた。

 久しぶりだからか、前回、俺と母とガハンスで森の恵みを取り尽くし、数が少なくなってしまっていた魔獣や野生動物達が、どこからか移動してきたようだ。増えた獲物達に俄然テンションが上がった俺は次々と屠っていく。

 今思うと、テンションハイになりすぎてゾーンとやらに入っていたんだろう。

 耳の感覚がいつもより鋭くなり、狩猟中、普段は魔獣達の鳴き声に搔き消されて聴こえないような虫の囀りさえはっきりと区別出来た。


 そんな中だったから、聴こえたというか、聴こえてしまったと言うべきか。


 ーーだれか、たすけてくれ。


 遠くから聴こえて来たそのか細い声を怪しく思いつつ、忍び足で向かうと、そこには結構な人数の人間が倒れていた。

 一番最初に目に入ってきたのは、今にも魔獣に食べられそうなピクリとも動かない成人男性と、その腕の中にまだ意識があるらしい小さな子供。

 意識を失ってなお、親が子供を守ろうとするその光景を見た俺は、衝動的にその魔獣どもを蹴散らしてしまった。


 倒れている大人と子供含めた総勢二十名の団体を食糧だと思って、魔獣や野生動物達は大挙してこの森に押し寄せてきていたのだ。


 助けた以上このまま放って見殺しにする事も出来ず、無属性魔法を使い、倒れている団体一行を全員地面から浮き上がらせて自宅まで運んだ。

 ざっと見た所、大きな傷からかすり傷まで怪我はあるようだが、幸いなことに皆意識なないが息はしており、一命は取り留めているようだ。

 それでも、出血多量で死んでしまうこともある。 連れて帰って自宅で手当てをしなければ。

 その時の俺はとにかく無我夢中になっていて、後の事など全く考えずに行動に移していた。





「仕方ないわね。 問題無いような人達なら、うちで面倒見る事にしましょう」


 何かを吹っ切った顔で、母は顔を上げた。


「しかし母上、彼等が例の盗賊と繋がっている可能性もあります。 父上がいない今、私一人で全員を守りきれるかどうか……」


 そう。それこそが、現状での一番の懸念事項である。

 ガハンスが言ったように、本日不在である父と伯父は村の空き地でバザーを行なっていた。

 食糧庫に山ほどあった肉は我が家や村人達で順調に消費されたが、毛皮や骨や牙は無論食べる事は出来ないのでそのまま食糧庫に放置されていたのだ。

 俺が今日新たに肉を狩る予定があったし、非常に場所を取ってしまうので、必要な分だけ確保した後は村人たちへ格安でバザーに卸す事になっていた。


 本当は父だけ空き地に向かうはすが、伯父とアリッサさんまで付いて行ったのは予想外の事だったが。


「……でも、その子(・・・)が居るなら取りあえず大丈夫だと思うわ」


 いざとなったら人質にしましょう? とチラッと俺の腕の中ですやすや眠る存在に目を向ける。


「命を賭して護った娘を犠牲にしてまで、こちらに歯向かっては来ないんじゃない?」


「…………」


 俺の胸元を掴んで離さない小さな手を見下ろした。


 魔獣どもを殲滅した後、父親らしき男の胸元から這い出てきた子供は、肩まで伸びた赤い髪とまん丸なオレンジ色の瞳をした二歳くらいの女の子だった。

 父親の胸の中で大事に護られた彼女はキョロキョロと辺りを見渡したが、周りの大人達が倒れている状況を理解出来るはずもなく、自由に歩き回り始めた。


 歩みはよたよたととても危なっかしいもので、靴も履いていない。素足では怪我をしてしまうだろう。俺は慌てて駆け寄ってしゃがみこみ、女の子を抱き上げた。


「う?」


 きょとんと俺を見て、振り返って父親か母親を求めて小さな手を伸ばす。


「おとーた、とーた!」


 意識の無い父親の近くに下ろしてやると、父親の頭をパシパシと叩き、早く起きて相手をしろと催促していた。


「……お父さんは今疲れてるから、ゆっくり眠らせてあげような?」


 小さな頭をぽんと撫でてやると、間を置いてからこっくり頷いた。

 そんなこんなで、抱き上げて自宅に戻るまでに彼女は眠ってしまい、俺の服を解放してくれなくなってしまったのだ。




「はぁ……」


「ご、ごめんなさい兄様」


 何にも言わない代わりの、とても深いため息がかえって俺の胸を抉ぐる。

 すまん、本当にごめんよ兄ちゃん。 この借りはいつかきっと返すからっ!

 ガハンスは暫く眉間を揉み込むと、仕方なさそうに笑った。


「まあ、経緯を聞けば致し方ない部分もある。 最終的な判断は父上がするだろうから、それまでは私が近くで警戒しておくよ」


「…………はい」


 結局、俺の暴走の後始末は彼等に押し付ける形になってしまった。……ちょっと反省しよ。


「アルは、ミルクを呼んで来てくれる? 彼等が目覚めたら直ぐにご飯が食べられるようにしておかなきゃ」


「わかりました」


「……こんな事言うのもあれだけど、あの様子じゃしばらく食べれてなかったんでしょうね」


 母の言う通り、彼等の中には肥えている者は一人もおらず、どちらかというとガリガリに近かった。

 ラナーク村のみんなも似たようなものだが、最近は食糧庫が潤っているのでちょっぴり肉付きは良くなってきている。


 しかし、しばらく絶食状態に近かったのなら、最初は胃に優しいものから口に入れるのが基本だよな? うーむ。


「それなら、じゃがいものミルク粥にしましょうか」


「あら、また新しい料理ね?」


 二十名分ものパンは用意出来ないので、今回は余裕があるじゃがいもがメインだ。

 その他の食材も消化が良いものばかりなので無理なく食べられるはず。あくまで前世の判断基準だが。母の目がキラッと輝いたが、そんなに難しいものでもないんだけどな。


「では、いってきます」


「あ、まて」


 ミルクを呼びに行く為に席を立つと、何故かガハンスに呼び止められた。

 未だ、話していない事があったのだろうか。


「?」


「……今日は、あのスイートポテトが食べたい」


「喜んでっ!!」


 その晩のデザートには、いつもより大きなスイートポテトが並べられたという。


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