15-1 免停キャスリンの悲鳴(3.8k)
40代の開発職サラリーマンだった俺が、剣と魔法の世界といえるこの異世界に転生してから百十四日目。ウィルバーが【製造業の悟り】を開いてから四日後。のはず。
ジェット嬢が腰痛の治療のため俺を含めた波動生成で【回復魔法】を使用。俺は再び【波動酔い】で失神したんだっけ。
何処からともなく声が聞こえた気がする。
だんだんと視界が明るくなっていくような感覚。
『ニャギャァァァァァァァァ!』 「うおっ!」バサッ
とんでもない悲鳴が聞こえて思わず飛び起きる。
俺が寝かされてたのは、失神前と同じ医務室のベッドだ。
声のした方を見ると、椅子に座るメアリの膝の上にキャスリンがうつ伏せで乗せられてぐったりしている。
そして、それを見守る男二人。イェーガ王子とウィルバーだ。
さっきの悲鳴はキャスリンか。
まだ頭がぼーっとしていて、うまく思考がまとまらない。
いいツッコミが思い浮かばないので、とりあえずベッドに座って成り行きを見守る。
足がしびれているのでしばらく立てなさそうだ。
「次に伺いたい件ですが、【試作2号機】の事故調査を通じて設計や点検要領に多くの改善点が見つかりました。でも、不可解なことに、機体各所に耐荷重を超える負荷がかかった痕跡がありました。墜落事故とは直接の関連はありませんが、検証が必要です。何か心当たりはないでしょうか」
「どうしてもやってみたくなったので、宙返りができないか試してみましたの」
見下ろすウィルバーの問いかけに、メアリの膝の上でキャスリンはしれっと応える。
それを聞いたウィルバーは顔をひきつらせ、こめかみにビキビキッというような感じで青い血管を浮き上がらせる。
かなりお怒りのようだ。
「機体引き渡し時に僕説明しましたよねぇ。重いあの機体じゃ宙返りは無理だって。それができるぐらい加速すると限界速度を超えるし、引き起こし時に耐荷重を超えるから、機体強度の限界を超えて空中分解するって。僕、ちゃんと説明しましたよねぇ」
「あと少しで出来そうでしたの! 心を燃やして、限界を超える覚悟さえあれば、耐荷重は超えてからが勝負ですの!」
「そういう無茶をしたいなら事前に設計者に相談しなさい。あと、場所は選びなさい。そして、怪我をしたならちゃんと報告しなさい。メアリ様。神経が燃えて痛みが限界を超えるような一発を耐荷重いっぱいでお願いします」
ウィルバーとキャスリンのやり取りを聞いていたイェーガ王子が呆れた様子で非情な一言。
それを聞いたメアリが手を振り上げる。
「お許しを! どうかお許しを! ご存じですか? 限界は超えてはいけないから限界というのですよ!」
スパァァァァァァァン
『ニャギャァァァァァァァァァァァァ!』
脳の内側からも響くような大音響の悲鳴が聞こえる。
メアリは楽しそうだ。
「この娘もいい声で鳴くわぁ……」
怖い。
妃殿下に尻叩き。いいのかな。
でも、夫のイェーガ王子の指示だからいいのか。
【正妻への制裁】の指示を出しているイェーガ王子は見覚えのあるオーラを出している。
あのオーラは俺の前世世界で見た覚えがある。
【農家出身で刈払機やチェンソーやコンバインも自在に操りムカデやスズメバチも平気で駆除する頼もしいけど可愛げの乏しい妻が、台所で突如現れたゴキブリを見て悲鳴を上げているところを見てつい可愛いと思ってしまった時】
のオーラだ。
イェーガ王子よ。その右手に持っている紙束は【断罪リスト】か?
この機会に今までの暴挙を裁こうとしているのか?
夫婦間の話だから介入はしないけど、ほどほどにしておかないと【DV】になるぞ。
そしてウィルバーよ。製品の正しい安全な使い方を顧客に伝えるのも製造業の仕事だ。
危険な使い方を改めない顧客に対しては、時には強く出ることも必要だ。
良く分かっているじゃないか。
足のしびれが取れてきた俺は、キープディスタンスの心でそーっと医務室を抜け出した。
医務室を出て、はじめて時間が夜だということに気づいた。
どれだけの間寝ていたか気になる。
機械室で寝直す前に何か食べたい。
とりあえず食堂だ。
食堂に行くとジェット嬢が車いす搭乗でテーブル席で縫物をしていた。
俺を見つけると、素早く裁縫セットと縫物をメイド服の中に仕舞って車いすで俺に向かってきた。
その服、収納スペースあるのか。
「目が覚めたのね。散歩行きたいの。散歩行きましょ!」
近寄って来るなり、散歩のおねだり。犬か?
『ニャギャァァァァァァァァァァァァァァ!』
どこからともなくキャスリンの悲鳴が聞こえる。
いや、医務室に居ることは分かっているんだが、音というよりも、なんかこう脳内に響くような感じで聞こえるのは何なんだろう。
ジェット嬢が車いすの上で怯えて耳をふさいでいる。
ジェット嬢にも聞こえているのか。
「俺も散歩に行きたくなったが、その前に何か食べたい。あと、俺は今回はどれだけ寝てたんだ?」
「今回は一日よ。腰痛の治療をしたのが昨日の朝。調理場で軽食作って持ってくるわ。外で食べましょ」
「できればコーヒーも欲しい」
「淹れてくるわ」
バスケットに軽食を詰めて、ジェット嬢を背中に張り付けて食堂棟から出て夜の散歩に出発。
両脚の無いジェット嬢は脚代わりの俺が居ないと行動範囲が制限される。
食堂棟内ならバリアフリー構造により、生活での必要最小限の動きはできるが不便だろう。
そして、食堂棟から出ることはできないから退屈だろう。
そんな状態が三日続いていたんだから、俺を見るなりすごい勢いで散歩をおねだりするのも分かる気がする。
背中合わせで二人で軽食をつまみながら食堂棟北の広場のあたりを夜の散歩。広場の脇に見える【西方運搬機械株式会社】の工場の事務所には明かりがついている。残業かな。
ゆっくりとした時間。背中に張り付くジェット嬢に気になったことを聞いてみる。
「【回復魔法】が使えなかったってことは、脚を切断した時はどうやって処置したんだ?」
「あの時は火魔法で傷口を焼いて止血したわ」
ゾッ
「痛かっただろう」
「痛かったけど、生きるためには仕方なかったし。戦場ではこのやり方は珍しくないわよ」
俺の【失言】のせいでこんな酷い目に遭っていたとは。
俺は、言葉遣いの大切さを改めて思い知った。
『ニャギャァァァァァァァァァァァァァァァァァ!』
キャスリンの悲鳴が未だに聞こえる。
ジェット嬢が震えているのが分かる。
「この悲鳴は一体何なんだ。闇魔法か何かか?」
「闇魔法の一種ね。キャスリンに闇魔法適性があるのは知らなかったわ」
「そもそも闇魔法って何なんだ?」
「人の感覚や心に影響を与える魔法全般を【闇魔法】って分類してるわ。使える人は多いみたいだけど、魔法の性質からして適性があっても秘密にすることも多いの。だから、闇魔法適性があるかどうか人に尋ねるのは失礼にあたるわ。アンタ気を付けなさいよ」
「それは危なかったな。メアリに聞きたいと思ってたところだ」
「本当に危ないわね! 無茶苦茶怒るわよ! 一日歩けなくなるわよ!」
危ないところだった。本当に危ないところだった。
ナイスだジェット嬢。
「瀕死の重傷から生還すると、魔力が強くなるとかあるのか?」
「確実ではないけど、そういう場合もあるとは言われてるわ」
「じゃぁキャスリンもそれで魔力が強くなって、闇魔法に覚醒したとかかな」
「そうかもしれないけど、本人に言っちゃだめよ。闇魔法についてはすごく失礼なことだから」
「元は風魔法が得意だったっけ。そっちも強くなったのかな」
「その可能性はあるわね。風魔法についてはそれほど失礼に当たる物でもないし、魔力が変わっているなら自覚はあるはずだから聞いてみてもいいかもしれない。でもなんでそんなことが気になるの?」
「いや、キャスリンの魔力が強くなったら、イェーガ王子の苦労が増えるんじゃないかと思ってな」
「……あり得るわね…………」
夜風にあたりながらとりとめのない話をする。
そんな時間も楽しいものだ。
『ニャギャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!』
まだ断罪やってるのか。
ジェット嬢が背中で震えてる。
イェーガ第二王子とその妻キャスリン。
悪い人達ではないけど、二人揃っていろんな意味で残念過ぎる。もしも彼等が王位を継承したら国の行く末が不安だ。
会ったことのない第一王子とその伴侶がマトモであることを切に願う。
俺が西向きに立ち、二人で北の空を見る。
ユグドラシル王国側ではここより北に町は無い。広大なヴァルハラ平野が広がり、その北には国境線となるヴァルハラ川がある。
その向こうはエスタンシア帝国の領土だ。
「何か聞こえるわ」
「俺には聞こえないが、何が聞こえるんだ?」
「なんかこう、叫び声や、打撃音? みたいな?」
「悲鳴ならさっきから大音量で脳に響いているが、それとは別にか?」
「別だと思うんだけど、空耳かしら」
「エスタンシア帝国側で祭りでもしてるのかな」
「だといいわね」
『ニャギャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!』
そろそろ勘弁してあげて。
キャスリンも反省してると思うよ。
その後、裏山周辺まで散歩して、悲鳴が止まったあたりで俺達は食堂棟に帰った。
キャスリンは医務室のベッドの上で腹ばい状態で泣いていた。
その様子を満足げに見下ろしていたイェーガ王子によると、キャスリンは【航空機危険操縦】の罪で一カ月の飛行禁止処分とのこと。
つまり、【免停】だ。




