1-1 涙の異世界転生(2.0k)
俺は40代の開発職サラリーマンだった。
月曜朝、いつもより早く出勤したら、事務所にまだ誰も来ていなかった。
いつも通り、自分のデスクに向かった。
自分のデスクの左端に部下からの報告書が提出されていた。
座る前に全体に目を通してみようと、そのクリアファイルに手を伸ばした。
その瞬間。
左胸に今まで感じたことのない激痛を感じて、意識を失った。
…………
気が付いたら崖の下の林で仰向けに転がっていた。
身体は動きそうだったので上体を起こしてみたら、胸のあたりに乗りかかっていた何かが落ちた感触。
「ぎゃふっ」
声のしたほうを見下ろすと、腹ばいでこちらを見上げている黒目黒髪の女と目が合った。
腰まである長髪。若干面長で目つきが鋭い悪役顔系の美人さんだ。
若い娘で、体格は女性にしてはちょっと大柄さんかな。
白いローブのようなものを着ている。
そこでとっさに思った。
俺は妻子持ちのオッサンだ。
こういうのと関わると後々めんどくさそうだ。
状況も分らんし、とりあえず逃げよう。
「ぬおりゃあああああ!」
俺は雄叫びを上げながら飛び起きて、振り返らずに全力逃走猛ダッシュ。
後ろから何か声が聞こえたような気もするが、無視を決め込んでキープディスタンス。林の中にランアウェイ。
…………
しばらく走って冷静になったところで、立ち止まって考えて青ざめる。
「やってもうたぁぁぁぁ!!」
倒れている女性を放置して逃走って、ダメな行動パターンだ!
そう。俺はとっさの行動がダメな側に行くダメ行動癖がある。
今回も完全にやってしまった感がある。
あの女とまた会うかは分からないが、初対面印象最悪は間違いない。
「まぁいつものことだし。いいか。後悔後を絶たずだ」
ダメ行動癖によるダメ行動パターンと、それによるダメな結果が日常となっているので、立ち直りも速い。
俺はポジティブなのだ。
ポジティブシンキングと理由付けしていろいろ棚上げしたところで、自分の状態を見直してみる。
自分の身体。
元の俺の身体でないことは明らかだ。
元の身体も大柄ではあったが、今の身体は大柄通り越して規格外の筋肉モリモノのビッグマッチョ。身長2m以上あるかな。服装は分厚い本革のような素材の服。顔は鏡がないからよくわからない。
そして、場所。
どう見てもさっきまで居た会社の事務所じゃない。
それどころか、なんかこうよくわからないが、世界が違う感じがする。
別世界で別人に生まれ変わったのか? そうなると、元の俺は死んだのか?
ちょっと理解が追いつかないまま、行くあてもなくとぼとぼ歩く。
しばらく歩くと、ちょっと開けた場所に行きついた。
そこに座るのにちょうどいい岩があったのでそこに腰を下ろす。
なんとなく【考える人】のポーズを取ってみる。
左の腰に剣を装備していることに気付いた。ここはファンタスティックワールドで、ここでの俺は剣士なのか?
じゃぁさっき置いてきたローブ着用の腹ばい女は、ファンタスティック魔術師かな。あくまで見た目で判断だけど。
装備品や所持品を改めて見直してみる。
着ている服。本革製の分厚い服。オートバイでサーキット走った時に着る皮つなぎの素材に近い。こういうのって、動きは重くなるけど関節プロテクタと組み合わせると防御力抜群だよね。
なんか心臓のあたりに剣で突かれたような穴が開いてて、血がべったりついてるけど、中身の俺の身体は何ともない。
死んだ戦友から拝借したのか? それはちょっと酷いんじゃないかな。
分厚い皮の服の下にポーチのようなものがあったので、中を探ってみる。
A4三つ折りぐらいのサイズの封筒が出てきた、中には書類が二枚入っている。
上質紙に何かいろいろ書いてあって、下のほうにはなんかのハンコが押してある。そこに書いてある文字が俺には解読できなかった。
文字の解読ができなくても、書式は何となくわかる。契約書とか覚書とかそんな感じのフォームだ。二枚とも片方だけ記名押印してある。
座って書類を眺めていると、会社の事務所で最後に手に取ろうとした部下の報告書のことが頭に浮かんだ。
将来が楽しみだった優秀な部下。
クレイジーエンジニアを自称していつも無茶苦茶する俺を、文句も言わずに支えてくれた上司。
家で帰りを待つ専業主婦の妻。
育ち盛りでよく食べてよく暴れる息子二人。
それらが次々に脳裏に浮かぶ。
そして、会社の自分のデスク前で最後に感じた胸の激痛。
アレはヤバイやつだった。
俺は死んだ……。死んだ…………。
なぜか、夢よりもファンタスティックに奇抜なこの状況が夢とは思えない。
現実として重くのしかかる。
俺は40代のオッサンだ。
社会の中で、上司から部下へ、親から子供へ、過去から未来へ、いろんなものをつないでいく要となる世代の一員だ。
だが、俺はそれをつなぎきる前に、役割を果たす前に、死んだ。
俺のつながりは断ち切られてしまった。
「仕事も、家庭も、何もかも途中だ……。40代って、一番死んだらアカン世代じゃないか……」
持っていた手紙に水滴が落ちる。
俺は座ったまま、泣いた。




