第15話 クレイジーエンジニアと不戦の誓い(14.9k)
40代の開発職サラリーマンだった俺が、剣と魔法の世界といえるこの異世界に転生してから一年と二百十五日目。サロンフランクフルトへの【里帰り】で俺がこの世界の【魔王】の在り方を決めてから二十四日後の夕食後。
ジャジャジャジャーン
「首都の名物 中年ボーイスタッフ 臨死レッド!」
「航空輸送はもはやインフラ 臨死ブルー!」
「メカ担当 短納期は楽しく突貫 臨死イエロー!」
「黒目黒髪 そして腹黒 ひさびさ黒焦げ 臨死ブラック!」
「【ハリセン】で【医師道精神】語る医者 臨死グリーン!」
「臨死戦隊!」
シュババッ
「ゴエイジャー!」
シャキーン
ドーン
一升瓶メイド達が夕食の片付けをする中、テーブル周辺ではしゃぐ俺達。
「そういえば、ゴエイジャー全員集合したのって久しぶりね」
「そうだな。レッドが長期間首都に行ってたというのもあるけど、ブルーやイエローも結構外泊多かったし、ブラックも長期で有給取ってたし」
「全員集合と言いながら、新メンバーの【臨死グレー】が居ないみたいだけど」
「あちゃー」
アンの指摘で新メンバーを思い出す俺達。エスタンシア帝国国籍の【臨死グレー】。あちらの国で自由に動ける立場を利用した特殊任務のため、四十九日前にエスタンシア帝国に出かけてから帰ってきていない。
「そうだ。今日の昼間にそのグレーから荷物届いていましたよ」
ブラックがそう言いながら、【魔王城】エントランスにある荷受け場から、俺の前世世界で言うところの宅急便の120サイズ程度の箱を持ってきた。
「宛先は誰宛てなんだ? 開封前にそれは確認しておいた方がいいぞ」
【里帰り】の時に、オリバーから受け取ったメモをジェット嬢に読んでもらったがために、ちょっと怖い目に遭った俺が念のため確認する。
「宛先は何故か私宛ですが、中身は任務の成果物と書いてあるので問題ないでしょう。開封しますよ」
そう答えるとブラックは手早く箱を開けて、中身をテーブルの上に並べていく。
中身は書籍と、魚の干物だ。あとは手紙か。
なんかこう、前世で一人暮らししていた時に、親が送ってくれた荷物を思い出す。主に食料とかだったなぁ。
「書籍が多いわね。料理の本もあるわ。魚料理が載っているのかしら」
「あっ!」
テーブル上に並べた書籍を物色していたイエローが何かに気付いたような叫び。
同時に、周囲の空気が凍る。何だろう。
「イエロー、ちょっとその本渡して頂戴」
「は、はい」
イエローなのに青ざめたイエローがジェット嬢に本を三冊渡す。
何の本なのかは俺には読めないが、皆の表情から察するにあまり良くない物らしい。本を受け取ったジェット嬢は末尾の奥付のようなところを確認しているようだ。
「ブラック。この本の入手元について情報は無いかしら」
「はっ! 手紙に同封されていた【領収書】によると、エスタンシア帝国入国後に【カランリア堂南東部3号支店】の【輸入書籍】コーナーにて購入したようです!」
手紙を読んだブラックがシャキーンと応える。それを聞いたジェット嬢が明らかに苛立っている。何なんだ。その本一体何なんだよ。
「そう。この本がエスタンシア帝国で流通しているのね」
シーン
緊張感に包まれる【魔王城】メンバー。いや、本当にその本一体何なんだよ。
そしてブラックよ。宛先がブラック宛てなんだから、ちゃんと中身を確認してからテーブルに広げたほうが良かったんじゃないのか。
「イエロー。また残業になるけど、【双発葉巻号】に太めの金属パイプを一本と、左側面の窓際に私が座れる椅子を用意して頂戴。明日午前中には出るわ」
「了解です!」 シャキーン
ダダダダダダ
「ブルー。明日午前中にボルタ領上空に飛ぶわ。イエローと一緒に準備お願い」
「了解です!」 シャキーン
タタタタタタタ
「【辛辣長】。【通信筒】を用意して」
「了解です」
サササササササッ
「アン、メイ、今から【ジェット☆アーマー】で飛ぶわ。ボードの準備と【お着換え】手伝って頂戴」
「らじゃー!」
シュタタタタタタタ
…………
【魔王城】メンバーが見守る中、入口広場東端の崖から【ジェット☆アーマー】はいつもの手順で離陸。日没後の東の空へと消えていった。
【通信筒】を複数本搭載していたようだが、一体何をするというのか。
◇
【臨死グレー】からの荷物に入っていた謎の書籍により、【魔王城】メンバーが緊張感に包まれて、【ジェット☆アーマー】が緊急発進した翌日の午前中。
俺とジェット嬢は、ブルーとイエロー操縦レッド同乗の【双発葉巻号】に乗ってヘンリー領の西隣にあるボルタ領の一都市上空を旋回飛行している。
昨日深夜に【ジェット☆アーマー】は無事帰還。遅くまで照明係兼、着陸後の【お着換え】係として待機していたアンとメイは、ご褒美として【残業飲酒権】を獲得して大喜びだった。
グレーからの荷物に入っていた【魚の干物】を軽く焼いたものが酒のつまみに良いと絶賛していた。
機内貨物室にて、左側面の窓近くに機体進行方向と逆向きで俺が脚を伸ばして座る。その脚の上にジェット嬢が座る。去年の【有給休暇】の時に馬車の残骸の中で一夜を明かした時の配置だ。
昨日の夕方、ジェット嬢はイエローに【椅子】を用意するように言ってたよな。
でも、機内に用意されていたのは、俺をこの場所に固定するための専用シートベルトと、その姿勢で丁度掴める位置にある手すり。
まぁ、それはいい。
俺の上に座ったジェット嬢は機体左側面の窓から、φ120ぐらいの太い金属パイプを外に向かって構えている。
「目標見えたわ。左旋回お願い」
「主翼に当てないでくださいよー」
「分かってるわ」
主翼の少し後ろにある側面の窓。俺の知っている前世世界のこの機では、自衛用の機銃が搭載されていた窓だ。ブルーが主翼の心配をしているが、まさかここから【魔導砲】を撃つのか。
「レッド。交渉の状況はどう?」
レッドは操縦室にある指令席から望遠鏡で外を見ている。
「指定時刻は過ぎていますが、建屋から意思表示ありません」
「作戦決行ね」
機内に緊張が走る。
何をするつもりなんだジェット嬢。
そして、作戦って何なんだ、俺聞いてないぞ。
「反動は少ないはずだけど、しっかり持っててよ」
「了解だ」
脚の上に乗るジェット嬢の腰を、後ろから左腕でしっかり保持する。
「撃ち方用意」
「ヨーソロー」
「撃ち方はじめ!」
ドガン ドガン ドガン ドガン ドガン ドガン ドガン
俺の前世世界における【戦車砲】ぐらいの口径の光弾が、ジェット嬢の構える金属パイプから主翼の後ろを掠めて地表へと飛ぶ。
【目標】とおぼしき建物の周囲から土煙が上がる。
【航空砲撃対応背後抱擁保持型滅殺破壊系ヒロイン】爆誕
一体誰得なんだよ。
建物には当たっていないが、建物周囲を綺麗に取り囲むように七個のクレーターができていた。
「建屋屋上から人が出てきました。あっ! 白旗上がりました」
「交渉成立ね。任務完了よ。帰投するわ」
「了解!」
レッドの報告に対して任務完了宣言するジェット嬢。
一体何の任務だったんだ。
そして、今のが交渉か?
「昼食には間に合いそうね」
太い金属パイプを機内に収納しながらジェット嬢が一言。
【双発葉巻号】はガンシップ機にもなる。
一応、気になることは聞いておこう。【魔王】として。
「ジェット嬢よ。飛行機を武器みたいに使ったらウェーバが怒るんじゃないか?」
「機体引き渡し時の使用条件は守っているわ」
「やっぱり条件あったのか。どんな条件なんだ?」
「機体に銃や爆弾を搭載するのは厳禁だけど、私が乗って魔法を使う分にはかまわないって。ただし、怪我人が出ない範囲なら」
条件設定にウェーバの葛藤を感じる。怪我人が出るようなことをするなら機から降りてやれということか。もしかしてそのための【投下口】か?
「そうか。ちなみに今回の作戦は何なんだ」
「作戦名【滅殺の自由】よ」
「一体何なんだその物騒な名前の作戦は」
「私は温厚で慈悲深いから【陰口】や【密談】は黙認するわ。でも【記録に残る】ものを作られると我慢の限界を超えるのよ」
深く聞くのはやめておこう。
【魔王】として。
◇◇◇◇◇◇
【双発葉巻号】がこの世界初のガンシップ機として、謎の目標施設に謎の航空攻撃を仕掛けて【交渉成立】させてから六日後の夕方。俺達はイエロー作のジェット嬢単独着艦装置【ジェット☆ブランコ】の試運転も兼ねて、首都郊外の工業団地のような場所の上空を飛んでいる。
この【ジェット☆ブランコ】は、【双発葉巻号】の投下扉から下ろした長い縄梯子の支柱の先端に俺の両足首を固定したもの。つまり、俺を飛んでいる飛行機から逆さ宙吊りにするものだ。
扱いはあんまりだが、着艦装置としての使い勝手は悪くない。単独飛行で接近するジェット嬢を空中ブランコの要領でキャッチすればいいだけだ。
腕だけでもつかめれば、推力を止めたジェット嬢は自力で俺の背中によじ登って金具を固定できる。それさえできればあとは俺が縄梯子を昇るだけで【着艦】完了だ。
待っている間に逆さ宙吊りが辛くなったら縄梯子の踏桟に昇ればいいので、防寒着さえ着ていれば俺もわりと楽だ。
今回はφ40の金属パイプを持って単独で【発艦】したジェット嬢。【双発葉巻号】の投下扉から下ろされた縄梯子の踏桟の上で、ジェット嬢の帰還を待つ俺。
夕日に照らされた工業団地を上から眺めていると、ジェット嬢が単独飛行で降下したあたりから火の手が上がったのが見えた。何をしているんだ。
遠くてよく見えないが、工場区画内の小さい建屋が吹っ飛んだ。その後、近くの大きい建屋の二階から出火。そして【魔導砲】の閃光らしき光。
ジェット嬢は何をしているんだ。
今度は、建屋二階の火が消えた。ジェット嬢が消火したのかな。金属パイプから水魔法で放水という技は【魔王城】の掃除をしているときにたまに使ったけど、飛びながらそれが出来るなら【消防ヘリ】にもなれるんだな。
『小火でフォードが怪我しちゃった。治療するから着陸するわ』
ジェット嬢からよく通る声で指示。
フォードが怪我したのか。それは大変だ。
「一旦【着艦】するか?」
ジェット嬢の姿は見えないが、多分聞こえてるだろうから返事する。
キャスリンの【一方通信】とは違って、ジェット嬢のは双方向で通話ができるらしい。どこからどこまで聞こえているのか分からないのがたまに怖いが。
『時間が無いからそこから飛んで』
「了解だ」
足首の固定ワイヤーを外して縄梯子から飛び降りる俺。ジェット嬢を背負わず飛ぶのはこれで二度目だけど、飛び降り自体は日常的にしているから、抵抗がなくなってきた。慣れって本当に怖い。
頭を下に自由落下していたら、夕日とは反対側にジェット嬢を発見。落下する俺を上から追いかける形で接近したところを無事に空中キャッチ。今回は成功した。
アンとメイに見られたら【配慮】が足りないと言われる形ではあったが。
『【双発葉巻号】はサロンフランクフルト飛行場へ、夜間着陸になるから気を付けてね』
金具を固定して俺を背負った【カッコ悪い飛び方】で飛びつつ、ジェット嬢は【双発葉巻号】に呼びかける。聞こえたであろう【双発葉巻号】は翼を三回振った後、北東方向に飛んで行った。
センサやレーダーの技術が無いこの世界の飛行機は、夜間着陸が難しい。ジェット嬢が同乗していれば魔法による広範囲照明が使えるが、そうでない場合はサロンフランクフルトの照明設備付き滑走路に降りるしかない。だから夜間飛行はなるべく避けるようにはしているが、今日はやむなくこうなった。
【安全第一】でよろしく頼むぜブルーとイエロー。
二階に小火の跡のある工場らしき建屋の近くに着陸したら、その通用口近くに直径1mぐらいのクレーター。その傍にズタボロになったフォードが転がっていた。
「ジェット嬢よ。これは、小火による怪我か?」
「……いいから治療するわよ。フォードの横に腹ばい姿勢をお願い」
ジェット嬢が【回復魔法】を使うためには、俺を繋げた状態で治療の【波動】を生成する必要がある。だがそれをすると俺が意識を失ってしまうので、俺が立ったまますると危ない。
だから俺は最初から寝転がっておく。腹ばいで寝た俺の背中にジェット嬢が座り、フォードの治療をする形だ。
【妻】の尻に敷かれるのは【夫】の義務。
それを体現するような姿勢での【回復魔法】だ。
「治療始めるわよ」
腹ばいの俺を尻に敷くジェット嬢が合図。
気になることができたので聞いておこう。
「それはかまわんが、俺はここで一晩放置か?」
「終わったらすぐに起こすわ。飛び起きないでよ」
ザァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ
【波動】生成を始めたのか、脳内にホワイトノイズが響き意識が遠くなる。でも、すぐに起こすって、まさか。
…………
ガブッ
「どぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!」
首筋の左後ろにとんでもない痛み。思わずエビ反り。でも、意識を失う前に聞こえた声を思い出し、そーっと元の体勢に戻る。
「…………」
見えないけど、やっぱりジェット嬢が後ろから齧りついている気配がする。痛みは消えたが、なんかこう、太い注射針を抜かれているような感触。
「飛び起きないでって言ったでしょ。振り落とされたら大変なのよ」
「すまん。あまりの痛みについ。治療はどうだった」
「完了よ。今は寝てるけど、意識もすぐに戻ると思うわ」
「そうか。じゃぁ建屋内に運ぶか」
俺の背中でジェット嬢が動く気配。
「金具固定したわ。起きても大丈夫よ」
「了解だ」
背中に乗るジェット嬢を地面にぶつけないように気をつけながら立ち上がる俺。さっきまでズタボロだったフォードは綺麗に治っている。服は穴だらけでボロボロだけど、まぁ許容範囲だろう。
建屋の中に運ぼうと思って建屋の入口を見ると、その中から【殺気】を感じた。同時に何か嗅いだことのある臭いを感じる。
「ジェット嬢よ。この建屋から【殺気】を感じないか?」
「感じないわ。だけど、引火性の溶剤が置いてあるそうよ」
ジェット嬢が【殺気】を感じないというなら、これは人間や【魔物】からの【殺気】じゃない。この建屋自体からの【殺気】だ。
「ちなみにこの建屋は一体なんだ。工場に見えるが」
「フォードが管理している印刷製本の工場よ」
「印刷工場か。フォードを運び込む前に中を確認したい。熱を出さない形の照明の魔法が使えるか?」
「使えるわ。いつも使っているアレよね」
火魔法応用の照明だったが、やはりアレは火じゃなかったか。フロギストンを光エネルギーに直接変換するとかそういう形だろうな。だとしたら今はすごく助かる。
既に夕日も沈んで周りも暗い。当然工場内も暗い。ジェット嬢の【熱の出ない火魔法の照明】を頼りに、通用口から工場に入る。
火気の使用を控えるのには理由がある。
工場の照明を使わないのにも理由がある。
工場内から有機溶剤の臭いがするのだ。
俺はこの世界の文字が読めない。だから、この世界で使われている化学物質や溶剤についての知識は無い。だが、前世の俺は【危険物取扱者】や【高圧ガス製造保安責任者】の資格を持っていた。実際に仕事を通じていろんな薬品を扱った経験もある。
今感じているこの臭いは、引火性の有機溶剤の臭いだ。印刷工場ならそれが大量にあってもおかしくない。
そして、俺が建屋自体から感じる【殺気】。これは正確には【殺気】ではない。
【なんかこう危なそうな気配】だ。
俺は前世で勤続年数二十年を超える40代の開発職のベテランサラリーマンだった。そういう仕事を長年していると危険な目に遭うこともある。【ヒヤリハット】というアレだ。
そして、そういう経験を重ねると機械や設備が放つ【なんかこう危なそうな気配】を感じ取ることができるようになる。経験による【第六感】のようなものだ。
こういうのが結構バカにできない。特に根拠が無くても、コレを頼りに探っていくと潜在的な危険性を掘り当てたりできるものだ。
工場内に通じる通路両脇に【殺気】を感じる。
通路の両脇にガロン瓶のようなものが乱雑に積まれている。
【通路に物を置く】
これはやってしまいがちだが、危険度の高いダメ行動だ。通路は通るための場所。荷物を置くための場所じゃない。この基本的なルールを無視するといろんなパターンで危険な結果を招く。
荷物を持って歩く人間は下方に死角ができる。そんな状態で歩くこと自体が不安全行動であるが、その状態で物が置かれた通路に遭遇すると悲劇が起きる。【労災】だ。
車両にしても同じ。フォークリフト等の荷役車両も下方は死角だ。物流倉庫の荷役車両の通路にパレットを放置したりするとやはり悲劇が起きる。【大事故】だ。
今回通路に置かれているのはガロン瓶。しかも乱雑に積まれている。何かが衝突すると積まれた瓶が崩れて割れてガラスの破片と中身の薬品が床に散らばる可能性が高い。危険だ。非常に危険だ。
通路出口の天井付近からも【殺気】を感じた。
上を見ると、【防火シャッター】のようなものがある。
この世界にもあったんだ。
俺は前世で【消防設備士】の資格も取得していた。だから、防火設備にもある程度知識がある。
【防火シャッター】とは、火災発生時に火災報知器や煙感知器に連動して、自動的に火災発生区画を遮断する防火安全設備だ。動作時はシャッターが自重で落下するので、電力が途切れていても閉鎖自体は確実にできる。
万が一の火災発生時に被害を最小限に留めてくれる、頼もしい防火安全設備だ。だが、これを有効に活用するためには絶対にやっちゃいけないことがある。
【防火シャッターの下に物を置く】
防火シャッターの下に障害物があると、いざ防火シャッターが落下した時に完全に火災発生区画が遮断できない。それどころか、シャッターに挟まった障害物を通じて隣の区画に火災を広げてしまう。
【殺気】を放つ防火シャッターの下を改めて見て、血の気が引く。防火シャッターの下にもガロン瓶が積まれている。よく見ると、乱雑に積まれたガロン瓶の下の一本に亀裂が入っており、中身が漏れている。さっきから感じていた有機溶剤の臭いはコレか。
なんということだ。この状態で防火シャッターが作動したら、自重で落下する防火シャッターが引火性の有機溶剤の入ったガロン瓶に衝突する。なんて危険な。
天井の防火シャッター床のガロン瓶の間からも【殺気】を感じた。
防火シャッターのレールの途中に、配線が三本通っている。
この世界では【絶縁電線】が実用化されていない。いや、エスタンシア帝国にはあるのかもしれないが、ユグドラシル王国では使用されているのを見たことが無い。
だから、三本は裸銅線だ。碍子引きで配線されている。そのうち太めの二本の配線経路を目で追うと、工場奥から俺達が入ってきた入口側にある制御盤らしき金属箱に繋がっており、その制御盤のランプは点灯している。この世界では電球が実用化されていたのか? エスタンシア帝国からの輸入品かな。
制御盤のランプが点灯しているところを見ると、この線は間違いなく【活線】だ。電圧規格は分からないが、触ったら感電するし、短絡させたら火花が飛ぶ状態だ。そして、その配線経路がマズイ。
【増設工事時の思慮不足な配線経路】
俺の前世世界でもたまに問題になった。新築工事なら建築工事と設備工事で合わせて設計図通りに施工するので、施工管理の腕次第ではあるがそんなに困ったことは起きない。
それに対して、増設や改築等で既存の設備に手を加える場合にやってしまいがちな失敗があった。空いてる場所と思って配線経路にしたら、近くのドアを全開にしたときに当たる場所だったとかいうアレだ。ドアが繰り返し配線に当たることで絶縁体や心線が徐々に傷んで、それが限界を超えると、断線したり電気火災になったりする。
この三本の配線も増設で付けたのだろうが、あろうことか防火シャッターが落下したら衝突する場所にある。裸銅線だから金属製の防火シャッターが衝突したら短絡だ。
もしこの防火シャッターが作動したら、電灯用の裸銅線を短絡させて電気火花が発生した直後に通路に置かれた有機溶剤入りのガロン瓶が割れるのか。
これはもはや防火安全設備なんかじゃない。【工場自爆装置】だ。こんなもの作動させてたまるか。急いでガロン瓶を片づけねば。
危険な位置にあるガロン瓶に近づく。
すると、電線三本のうち細い一本から強い【殺気】を感じた。
【ねじり接続】で継がれた部分が外れかかっている。
【電気配線の不適切な施工】
俺は前世で【電気工事士】の資格を持っていた。だから、電線の接続工事については一通りの知識がある。この世界の電気施工の常識は未確認だが、俺の前世世界では低圧電気工事での結線はスリーブによる圧着が主だった。なぜなら、【ねじり接続】は外れやすいからだ。施工に技量が必要なうえに所要時間も長いので、【ねじり接続】が使われることはほぼ無かった。
その外れかかった配線の行先を目で追う。天井に取り付けられた何か、形状からして、【火災報知器】か。一本の線がそれに入り、もう一本が出ている。そして出た方の線は、天井を伝って俺達が入ってきた入口傍の制御盤のようなものに入っている。
【断線による火災の検知】
俺の前世世界では、【火災報知器】が家庭や工場で活躍していた。家庭用としては電池駆動で火災検知時にブザーが鳴るだけの物が主流だったが、工場用としては、煙や火災を検知した時に【断線】するような回路を入れたものが普及していた。
そのように作った多数の【火災報知器】を直列に接続し、その回路の断線を制御盤から電気的に監視することで、接続された【火災報知器】のどれかが火災を検知したことが分かる。その時は消防ベルを鳴らして防火シャッターを落とすのだ。
何らかの理由で配線が断線してしまった場合も【火災】として警報が出るので、火災報知器の配線の異常確認もできるというよく考えられた方法だ。まぁ、【断線】と【火災】の区別ができないという問題点はあるが、それは普通はそれほどの欠点にはならない。
改めてその【外れかかっている一本の線】を見る。宙ぶらりんになっている【ねじり接続】の部分が隙間風に揺られて今にも外れそうだ。これが外れたら、制御盤は【火災】と判断して、消防ベルや【防火シャッター】を作動させるに違いない。
そして、工場の奥からも【殺気】を感じた。
通路に放置されている有機溶剤の瓶は二十本近く。
だが、この奥にもある。確実に。
有機溶剤だけじゃない。ここは印刷工場だ。
可燃物の紙は大量にあるはずだ。
「工場内に放置された溶剤は八十ケースあるはずよ」
背中に居るジェット嬢から怖い情報。
何でそれを知っているのかは突っ込まない。事態は急を要する。
今まで感じた【殺気】を統括する。【外れかかっている一本の線】が外れると【火災報知器】が【火災】を検知したとみなして制御盤が【防火シャッター】のブレーキを解除。
自重で落下する【防火シャッター】が電灯線を直撃して短絡の電気火花を発生させた上で、通路に積まれた有機溶剤入りのガロン瓶の山に衝突し粉砕。中身を床にぶちまける。
その有機溶剤に火花の余熱で着火。近くに放置された八十ケース以上の有機溶剤に引火し、さらに印刷工場内にある大量の紙に延焼。そうなった場合、消火は不可能。工場全焼だ。
【工場自爆装置】なんて生易しいもんじゃない。
工場全体が【信管の生きている不発弾】状態だ。
【火災報知器】や【防火シャッター】という防火安全設備が【思慮不足な施工】と【不適切な安全管理】のせいでとんでもない危険物になってしまった。いくら設備投資をしても、それを扱い、そこで働く人間の【安全意識】が欠如していると何にもならない。
ウィルバーは【品質というのは一時が万事】と言っていた。これはそういうことか。社会においても、【インフラ】や【ルール】や【システム】をいくら整備しても、その中で生きる人間の【意識】が伴っていないと健全な社会が維持できない。
誰も間違ったことはしていないのに結果的に不幸な人間が出てしまうのは、そういうところに問題があるのだろう。俺は、【品質】と【品格】と【道徳】を統括する【魔王】として、人々の【意識】を変えるための何かをしなくてはいけないのだ。
まぁ、深く考えるのは後にして、とりあえずこの状況を何とかしよう。
この世界の【魔王】は【不発弾】の処理をする。
…………
ジェット嬢の照明を頼りに大急ぎで危険物入りのガロン瓶を屋外に運び出した。亀裂の入った瓶は建屋から離れた場所に置いた。
全部運び終えた直後に、【外れかかっている一本の線】が断線。防火シャッターが落下し、それが命中した電線が轟音と共に激しく火花を飛ばしたが、シャッターに焦げ跡を刻み、融けた銅線が通路内に飛び散って床と壁を焦がしただけで済んだ。
間一髪だ。
…………
工場内の休憩室らしき部屋にフォードを運び、ソファーに寝かせる。ソファー近くにあった椅子にジェット嬢を降ろしたら、フォードが目を覚ました。
「調子はどう?」
ぼーっとしてるフォードにジェット嬢が声をかける。
「……なぁ、イヨ。昔言ってた【一発芸】ってさっきのアレのことか?」
「そうよ」
起きるなり一体何の話だろう。
「アレは、【一発芸】って次元の物じゃないと思うんだが」
「何? アンタもう一回見たいの?」
「やめてくれ。二度もされたら【廃人】になる。って、それで【一発芸】か」
「そうよ。同じ人に二度したことは無いわ」
「……その【一発芸】は何のために考えんだ?」
「【獲物】が【捕食者】を襲うのは間違っているってことを理解してもらうために編み出したの。ああすると分かりやすく伝わるでしょ」
「……俺、【売れっ子作家】目指すのやめるよ。物書きに向いてないって今分かった」
「そう。分かってくれて嬉しいわ。でも、急にどうしたの?」
「さっき見た物、目の前に居る人物、それを表現する言葉が浮かばないんだ」
フォードが遠い目をしている。
さっきまで何をしていたんだ。
そして、一体何を見たというのだ。
「物書きはやめて、俺【工場長】を目指すよ。工場の安全管理ってけっこう奥が深いんだ」
「向いてないわ」
俺もそう思う。
先程確認した工場内の安全管理状態について【品質保証部】に報告すると伝えた。フォードはギロチンは嫌だと泣いていたが、【品質】と【品格】と【道徳】を統括する【魔王】としてそこは容赦しない。
【労災】が起きてからでは遅いのだ。
ちゃんと改善されるまでこの工場は【操業停止】だ。
この世界の【魔王】は工場の安全管理の指導をする。
◆◇◇
フォードの印刷工場に【操業停止】処分を通達してから十二日後の夜。相変わらずグレーは帰ってこないが、それ以外のメンバーにキャスリンを加えて【魔王城】で【忘年会】をしている。
皆がある程度飲んでくると、テーブル組と座敷組に分かれてそれぞれで盛り上がる形になってきた。アンとメイは忘年会を楽しみながらも厨房とエントランスを行き来してつまみや酒を適切に補充している。なんだかんだ言って働き者だ。
座敷組は、俺とジェット嬢とキャスリン。ジェット嬢は先日グレーから届いた魚の干物に夢中だ。
「【西方農園】の【株式】について少々お尋ねしたいことがありまして」
軽く飲みながら、キャスリンが話を切り出す。
「発行した【株式】を王宮で購入して、配当金を資金源の足しにしようとしていた件か。無事に購入手続きは終わったのか?」
「それが、【株式】は発行されたのですが、オーナーの意向で別の出資者の方に買い占められてしまいまして。【ターシ財団】というところらしいのですがご存じ無いでしょうか」
俺が国内の資本家の名前なんて知っているわけがない。だけど、なんかこう聞いたことがあるような無いような。
「私は温厚で慈悲深いから【陰口】や【密談】は黙認するわ。だけど【記録に残る】ものを作られると我慢の限界を超えるのよ。それで、オリバーどうなったのかしら」
「【家宅捜索】で【不適切な書類】が発見されたので【不敬罪】で投獄しましたわ。【腹ばい】状態でストレッチャーに乗せられて【軍用2号機】で首都に搬送されましたの」
思い出した。
ジェット嬢のフルネームは【イヨ・ジェット・ターシ】。【ターシ財団】というのは恐らくジェット嬢が関わっている何かだ。
そして、すまんオリバー。でも大半は自業自得だ。
【セクハラ】ダメ絶対。
なんかキャスリンから見覚えのあるオーラが出てきた。
あのオーラは前世世界で見たことがある。
【ホタテの養殖をしていたらラッコが現れて全部食べられてしまったけど、ラッコは法律的に駆除もできないし、網を動かしてもすぐに見つかって食べられるし、来年からどうすればいいんだろうと途方に暮れた時】のオーラだ。
せっかく獲得できそうだった王宮の資金源を取り逃してしまって途方に暮れてるんだな。王妃様は本当に大変なんだな。でも俺が口に出したら火に油だから黙っておこう。
「そういえば、エスタンシア帝国の北部鉱山はどうなったのかしら。あのへんの【鉱毒】も何とかしておかないと、魚が獲れなくなるらしいわ」
ジェット嬢は魚が気に入ったようだ。
最近鉱山周辺の航空写真を熱心に見ていたのはそこが気になっていたからか。
「いろいろあって秘密裏ではありますが、エスタンシア北部鉱山にユグドラシル王国から鉱山技術者を派遣して、こちらの製錬技術等を供与する計画を進めておりますの。メンバーにはソド公も加わっていますわ」
「そうか。ユグドラシル王国の技術で鉱山周辺の環境改善と採掘量の増加ができたらいいな」
「そうですわね。国内でも金属資源の不足は問題になっているので、エスタンシア帝国から適切価格で金属材料を輸入できる体制が構築できればお互いの利益になりますわ」
ちょっと警戒していたけど、今日は問題発言は出なかった。
終戦も講和条約も締結していないけど、お互いの苦手な部分を補い合うことで共に利益が出る関係ができつつあるようだ。両国の関係は良い方向に向かっている。【魔王】として安心した。
「【魔王妃】様に頼まれていた【写真機】の件ですが、先方から新型機の資料を頂いたので持参しましたわ」
キャスリンはウェストポートから資料を取り出してジェット嬢に渡した。
「イイじゃない。手持ちまではできないけど、持ち運びできるのね。これ手に入るかしら」
「北部平野の環境調査用として小型化したそうです。今は軍用優先で製造しているのでこちらに回せないそうですが、部隊に必要数配備できたら融通してくれるそうですわ」
「楽しみね。さすがに持って飛ぶことはできないけど、持ち歩いて地上でいろいろ撮影したら楽しそう」
その場合、俺が機材全部運ぶんだよな。いいけどさ。
資料の図を見ると、前世世界の写真機によく似ていて、写真機本体と三脚とか望遠レンズとかフィルム収納容器とかそういうものがハードケースにひとまとめにされた、普通に欲しくなる一品だ。
「この望遠レンズとか面白そうだな。でも、【現像】とかどうするんだ」
「【現像】は今まで通りエスタンシア帝国に依頼する形になりますが、現像用の機材も小型化が進んでいるそうなので、いずれは【魔王城】でもできるようなりますわ」
「それも楽しみね。写真機と現像機材と写真乾板と。【魔王城】で完結できるようになればいろいろできることが増えるわ」
本当に【写真機】が気に入ったんだな。俺も楽しみだ。
「あと、もう一つ、エスタンシア帝国から新技術として【電信】を購入しましたの。銅線を使って遠方に信号を送る技術ですわ。国内の【電信】網整備の前段階として、年明けの休戦一年後の時刻にそれの試運転を行う準備を進めておりますの」
「ふーん。便利な技術ねぇ。そしてその試運転って何をするの?」
「年明けの休戦一年後の時刻に、【電信】を使って【休戦一周年慰霊祭】の会場からの発信で全国主要都市にて同時にサイレンを鳴らしますの。そのサイレンに合わせて両国国民揃って黙祷を捧げる計画ですわ」
俺の前世世界での【終戦記念日】のようなものか。
【反斜面陣地】跡地で両国の元兵士と両国の首脳部が集まっての【慰霊集会】も計画されているとのことだが、デタラメ要素である俺達は参加を辞退した。
いずれは、【品質】と【品格】と【道徳】を統括する【魔王】として両国民の前に出られるようになれたらいいなとは思った。
◆◇◇◇◇◇◇
キャスリン込みで【忘年会】をした十六日後の昼過ぎ。グレー以外のメンバー全員で【魔王城】入口広場に並ぶ。
南側にある村の方からサイレンの音が微かに聞こえる。それに合わせて、東に向けて全員黙祷を捧げる。
一年前のこの日、この時間。
あの戦場で両国の戦いは終わった。
両国の対等な国家関係構築のため。
今の平和な日常のため。
あの戦いで多くの命が散った。
何故戦わなくてはいけなかったのか。
二度と同じ過ちを繰り返さないために、これからどうすればいいのか。
それを考える日として両国はこの日を【不戦の誓い】の日と定めた。
この【黙祷】も両国共同の行事として毎年行うとのことだ。
グレーからは十日前に魚の干物の追加と手紙が届いた。それによると、グレーは戦友と一緒に【反斜面陣地】跡地で行われる【慰霊集会】にエスタンシア帝国側の【元・兵士】として参加するとのこと。
それで【魔王城】にはいつ帰って来るんだろう。
まぁ、仕事はしてるからいいけどさ。
◇◇◇◇
休戦一年後の黙祷を捧げて、全国民が【不戦の誓い】を共有した日から四日後の夕方。日も暮れようとする時間帯。相変わらずグレーは帰ってこないが、【魔王城】メンバーが夕食のためにテーブルに集まった頃に突然の来客。
来客はキャスリン。
「ごめんくださーい!」
「いらっしゃいませー」
今日は全員で飲食店風に返答。いつも通りの流れだけどこんな時間に来るのも珍しいし、何か様子もおかしい。酷く慌てているようだ。
「突然で申し訳ありませんが、一大事ですの」
エントランスに駆け込んできながらそう言うと、キャスリンはジェット嬢に手紙のようなものを渡した。怪訝な表情をしながらそれを読み上げるジェット嬢。
ソド公国建国宣言
政治的無策により、山林を枯らし川を汚し大地を荒野にして北部平野住民の生活を破壊したエスタンシア帝国政府に、もはや国を名乗る資格は無い。
無能なる政府から北の大地と人民の生活を守るため、ユグドラシル王国【元・国王】としてこの大地に【ソド公国】の建国を宣言し、エスタンシア帝国政府に対し独立戦争を開戦する。
怒る命を刃に変えて立てよ国民。
正義の心と【北の希望】を武器として、己が欲望のために道徳心を忘れ技術の扱いを誤った者共に裁きの鉄槌を下すのである。
「なによコレー!」
あんまりな内容に叫ぶジェット嬢。
「北部鉱山に技術支援に行っていたソド公が、現地で反乱軍を結成して武装蜂起しましたの」
その場にへたり込んだキャスリンが一言。
「何やっとるんじゃ あのオヤジー!」
●次号予告(笑)●
環境工学の権威として北部鉱山の製錬技術支援に向かったユグドラシル王国の【元・国王】は、【ソド公国】を名乗り鉱山施設跡地を要塞化してエスタンシア帝国に宣戦を布告。あろうことか有毒小麦【北の希望】を武器にすると宣言。
それに対しエスタンシア帝国は国内に残存する戦力を集結し、要塞化された鉱山施設を包囲。
一触即発の最前線。戦端が開くのを防ぐため背中合わせの二人は要塞上空から舞い降りる。そこで見たものは、停戦の糸口を見失い泥沼化していた両陣営のあんまりな現実だった。
そして、己が欲望のために道徳心を忘れ技術の扱いを誤った者共に裁きの鉄槌が下される。
次号:クレイジーエンジニアと道徳戦線
(幕間とかいろいろ入るかも)




