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攻防

 カチリ、と秒針の動く音が部屋に響く。

 時刻は夜の9時。

 アルマが出て言ってから、数時間が経過している。この間ソフィアはひたすらに時を待っていた。ーー助けは必ず来る。チャンスが来た時、その兆候を見逃さぬようにしなければ。

 入口付近の部屋の隅には、アンガスの遺体が布もかけられずに横たわっている。目を背けたくなる光景。

 こうした極限の緊張とストレスの中待ち続けるのは、かなり骨の折れることだった。本当に生きて帰れるのだろうか。もしかしたらもう二度と愛する人達には会えないかもしれない。そんな思考を追い払い、必ず生きて帰るのだと、何度も心の中で繰り返す。

 同じ部屋、ソフィアからさほど離れていない位置にナサニエルが座っていた。ナサニエルは先程から膝に腕を置いたままこうべを垂れ、岩のように動かない。眠ってしまったようにも見えるが、ソフィアが身じろぎをするとピクリと肩が反応するので、単に身体を休めているだけなのだろう。

 ソフィアのわずかな動きにさえ、ナサニエルは敏感だ。ナサニエルと同じ空間にいるだけで神経がすり減るように思うのは、気のせいではないだろう。


 ーー大丈夫。


 必ずレイモンドは来てくれる。そう信じなければ。心を強く持てと自らに言い聞かせる。

 その時階下から聞こえた物音に、ソフィアははっとした。耳に届いたのは、壁沿いを歩く小さな小さな足音。人が動く気配がある。ソフィアは息を詰め、全神経を集中させた。

 続いてわずかに廊下の羽目板がきしむ音が聞こえた。やはり気のせいではない。レイモンドが来たのだろうか。

 だがソフィアでさえ気づいた気配に、ナサニエルが気づかぬはずがない。ナサニエルは突然ガバッと顔を上げると、手に持っていた拳銃とともに立ち上がった。右手に銃を構え、閉じられた扉にひたと狙いを定める。ーードアが開いた瞬間、侵入者を狙い撃つつもりなのだ。

 それが分かって、ソフィアは猿轡さるぐつわ越しに声を上げた。危険を知らせなければとそう思うのに、塞がれた唇からは意味をなさない音が漏れただけだった。

 小さな足音は徐々に近づいてくる。

 ドアの向こうからカツン、という音が聞こえた次の瞬間、部屋に閃光がひらめいた。ナサニエルが発砲したのだ。ちょうど人の背の高さにあわせるように、扉に向かって引き金を絞る。さらにもう一発。

 ソフィアは身をすくませ息を止めたが、予期していたような呻き声や人が倒れ込む音は扉の向こうからは聞こえてはこなかった。

 廊下は完全に沈黙している。その手応えのなさに、ナサニエルは目を細めた。

 ナサニエルは拳銃を構えたまま、ちらと部屋の隅に座り込むソフィアの方を見る。人質の位置を確認すると、再び視線を前に戻した。そっとドアノブに手をかけ、勢いよく扉を開ける。間を置かず開いたドアから一歩廊下へ出ると、ナサニエルは油断なく左右に銃口を向けた。

 しかし、廊下には誰もいない。確かに人の気配がしたはずなのに、痕跡が見当たらないのだ。

 何かがおかしいと違和感を覚えつつも、ナサニエルは再び部屋に戻ろうと後ずさりーーしかし上から突如として現れた影に、大きくバランスを崩して倒れ込んだ。天井のはりから跳躍した人物が、ナサニエルに襲いかかったからだ。

 梁の上に身を潜めていたのは、レイモンドである。

 頭上という死角に、咄嗟にナサニエルの反応が遅れた。この隙を、レイモンドは見逃さない。ナサニエルの上に馬乗りになって殴りつけると、銃を奪おうと手を伸ばす。銃把じゅうはを掴んで強く引くが、ナサニエルも簡単には手放さない。

 銃を奪い取ろうとするレイモンドと、抗うナサニエルの間でもみ合いになる。ナサニエルはあらん限りの力で、銃口をレイモンドの方へ向けようと試みた。ぶるぶると互いの手が震え、血管が浮かび上がる。

 命をかけた力比べ。わずかでも気を抜けば、そこには死が待っている。

 一拍の後。ナサニエルが引き金を引くのと、レイモンドが銃口を上に向けさせたのがほぼ同時だった。重く響く銃声が3発。天井に銃弾がめり込む。ナサニエルに銃弾を消費させ、残りは1発。

 ナサニエルともみ合いになりながらも、レイモンドは叫んだ。


「ライアン!」


 その言葉と同時にライアンが部屋の中に押し入った。後ろにはアルマの姿もある。ライアンはソフィアのそばへ素早く駆け寄ると、猿轡と手足を縛っているロープに手をかけた。猿轡は簡単に外すことができたものの、問題はロープの方だった。特殊な結び方をされているのか、なかなかほどくことができない。


「クソっ!」


 イライラと舌打ちをしつつ、ライアンは懐からナイフを取り出した。綱を切ろうというのだ。ソフィアを傷つけぬよう慎重に、けれど早急に事を運ばねばならない。

 そうこうしている間にも、レイモンドとナサニエルは激しい攻防を続けていた。銃把を握ってもみ合いになりながら、レイモンドはナサニエルの頬に肘打ちを入れる。したたか殴られ、ナサニエルの頬が赤く染まった。

 対するナサニエルはレイモンドを振りほどこうと、身体をねじりながら右足で腹部を蹴りつけた。下から思いきり蹴り上げられ、レイモンドが思わずよろめく。銃を掴むレイモンドの握力がわずかに緩んだのを見て取ると、ナサニエルは一気に腕を引いた。

 銃身がレイモンドの手元から離れ、二人の間にわずかな距離ができる。

 ナサニエルはその間隙を逃さない。ナサニエルの銃口がレイモンドへ向けられているのを見て、ライアンが叫んだ。


「よせ!」


 ソフィアのロープを切っていたライアンは、慌てて自らの銃を持つ。

 だがこの時、ナサニエルはまるで後ろに目がついているかのような動きを見せた。ライアンが銃を構えたのとほぼ同時に、振り向きざまその手元へ発砲したのである。ライアンの右手の甲を弾がかすめ、持っていた銃を取り落とした。ライアンの手から、血がだらだらと流れ出る。

 だが、この1発でナサニエルの弾倉は空になった。

 レイモンドは隠し持っていた銃を取り出そうと懐へ手を差し入れたが、ナサニエルは即座にレイモンドの意図を見抜いて距離を詰めた。

 レイモンドが懐から銃を引き抜いた瞬間、その右手をナサニエルは蹴り上げたのだ。レイモンドの右手にびりびりとしたしびれが走る。銃が床に転がったと見るや、ナサニエルは部屋の奥まで銃を蹴り飛ばした。

 同時に右手でダガーナイフを取り出すと、ナサニエルはそれを躊躇なくレイモンドの瞳めがけて横なぎに振るった。

 明確な殺意を持った一閃。

 この時判断が一瞬でも遅れていたら、レイモンドの瞳は二度と物を見ることはできなくなっていただろう。レイモンドは咄嗟に顔をのけぞらせてナサニエルの一撃を避け、一歩後ずさった。ダガーの切っ先は尚もレイモンドに迫ったが、その全てをレイモンドはぎりぎりのところで躱し続けた。

 そのナイフ捌きを見る限り、とても怪我を負っているようには見えない。

 もっと言えば、ナサニエルの強さは尋常ではなかった。つい先程まで具合が悪そうにしていたのが嘘のように、その動きは俊敏で無駄がない。

 ソフィアはライアンが入れてくれたロープの切れ込みから、足首をよじって拘束をはずそうとしていた。手首はまだ縛られていたが、足が自由になれば身動きはとれる。なんとかこのロープをほどかなければ。

 ライアンは負傷した右手でなく、左手で銃を持ち直すとレイモンドを援護しようと、引き金に手をかけた。

 しかし激しく攻守が入れ替わる状況の中、ナサニエルだけに照準を定めるのは、簡単なことではない。ましてや銃を握っているのは、利き腕ではない左手だ。今のライアンでは、誤ってレイモンドに当ててしまうかもしれない。


「レイモンド! 離れろ!」


 その声に反応して、レイモンドが飛び退る。

 だがライアンの叫びに反応したのは、レイモンドだけではなかった。ライアンの銃が火を吹く直前、ナサニエルはレイモンドに向かっていた身体をひねると、ライアンの方へダガーナイフを投擲したのである。咄嗟にライアンがその攻撃を銃身で受けたことで、わずかに生まれた隙。

 ナサニエルはその隙をつく。

 猛然と向かってくる敵にライアンは再び銃口を向けようとしたが、それよりもナサニエルが距離を詰める方が早かった。

 結果的にライアンが放った6発の銃弾は、床に6つの穴を開けただけだった。ナサニエルが銃身を掴んで、銃口を下に逸らしたからだ。

 ライアンの弾切れを確信した瞬間、ナサニエルはライアンの左手をねじり上げると、顔面へ肘打ちを食らわせた。強烈な一撃に、ライアンは膝から崩れ落ちる。軽い脳震盪を起こしたのである。

 ナサニエルの一連の動きは、全くもって人間業とは思えない。人の姿をした悪魔ではないかと、戦慄とともにソフィアは思った。

 投げたダガーを拾いあげようとしたナサニエルの動きは、しかし後ろから伸びた腕に遮られた。

 レイモンドの腕がナサニエルの首に回り、後ろから激しく締め上げたのだ。


「ソフィア、逃げろ!」


 ソフィアの足からロープがほどけているのを見て取り、レイモンドから鋭い声が飛ぶ。


 ーーでも。


 ソフィアは動けなかった。

 恐怖の為ではない。レイモンドが心配だったからだ。

 無論ここにいても自分は足手まといになるだけだと、分かっている。

 だがナサニエルの強さは化物級だ。このままでは、レイモンドが殺されるかもしれない。そうしてレイモンドのいない世界に帰っても、ソフィアにとっては何の意味もないのだ。

 ソフィアは咄嗟に部屋の奥に転がっていたレイモンドの銃に目を向けた。あの銃があれば、形勢はこちらに有利になるのではないか。

 次の瞬間、ソフィアが入口ではなく部屋の奥に向かったことで、ナサニエルもその意図に気がついた。首を絞められ、ナサニエルの息は上がっている。それでも、ナサニエルは反撃を諦めなかった。

 ダガーの他に仕込んでいた小ぶりのナイフを、脚にくくりつけた鞘の中から右手で抜き取ると、後ろ手でレイモンドの足に突き立てたのである。レイモンドの太ももから、鮮血が飛び散る。

 うっと苦しげな声を上げて、ナサニエルの首に回った腕の力が緩んだ。

 腕を振りほどいたのと同時に、ナサニエルはレイモンドを後ろの壁に突き飛ばすと、ソフィアの方へ向かって行った。

 ソフィアの手が銃に届く寸前。ナサニエルは腕を伸ばしてソフィアの髪を掴むと、力の限りに引っ張った。バランスを崩して後ろに倒れ込んだソフィアの肩を掴み、ナサニエルは容赦なくソフィアを投げ飛ばす。ソフィアは入口付近まで転がった。

 

 ーー駄目。


 駄目だ。今やあの銃まで、ナサニエルが1番近い。銃がナサニエルの手に渡ってしまう。それは駄目だと、脳が全力で警鐘を鳴らす。

 このままでは、全員死ぬ。

 絶望的な状況の中、刹那の閃きがソフィアの脳裏をよぎった。

 まだ武器はある。アンガスの銃(・・・・・・)があるはずだ。ソフィアを脅す際、胸元に隠していた銃が。

 その時は恐怖や悲しみよりも、生きたいという本能がソフィアの身体を動かした。反射的に身体は動き、手首を縛られた状態のまま、目の前に横たわるアンガスの胸元から銃を取り出す。それを手にした瞬間、レイモンドに向かって投げていた。


「グウィン!」


 悲鳴のような声だった。祈りとも懇願ともつかない、切羽詰まった声音。

 レイモンドの手に銃が渡るのと、ナサニエルが銃を拾って振り返るのと一体どちらが早かったのか。

 

 ーー次の瞬間、銃声が部屋にこだました。

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