表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
73/110

証言

 即座に異議を唱えたのは、ジェレミーだった。


「証人の事前申請がされていません!」


 これには間髪入れずに、ケヴィンが反論する。


「いいえ! 証人は昨日裁判所から正式に承認されています。事務手続きの遅れで、弁護側に通知がまだ届いていなかったのでしょう」

「詭弁だ! 検察側は意図的に証人の存在を秘匿していた。休廷を求めます!」

「故意だという証拠は? 我々は正当な手続きを踏んでいます。その発言は我々検察に対する侮辱であり、ひいては裁判の神聖な手続きを蔑ろにしていると言わざるを得ません。手続きに不備はない! 裁判の続行を求めます!」


 双方一歩も引かずに睨み合う。一拍間をおいて、裁定を下す裁判官の声が法廷に響いた。


「ーー検察側の主張を認めます。証人尋問をはじめてください」


 ケヴィンは満足げに頷くと、トビーの方へと歩み寄った。


「姓名を教えて下さい」

「トビー・ヒッグスと申します」

「職業は?」

「運輸省に勤めております」

「被告人との関係を教えていただけますか」

「彼がまだ運輸省にいた頃、一時期彼の下で働いていました」

「上司と部下だったというわけですね」

「はい」


 落ち着いた口調とは裏腹に、トビーの顔は青白い。その顔を見ながら、先日裁判所の前でトビーに声をかけた日の事を、レイモンドは思い出していた。


『……それで、一体何の話を?』


 場所を移した後も、トビーの警戒心はなかなか解けなかった。トビーの警戒を解こうと、レイモンドは真面目な顔になる。


『先日見つかった無縁墓地の遺体についてです。それが奥様と関係しているのではと』


 その言葉は、トビーの表情に劇的な変化をもたらした。


『フィオナに何か?』


 教えてくれ、と前のめりになったトビーに、レイモンドはゆっくりと口を開く。

 レイモンドの話を聞きながら、トビーの顔は徐々に青ざめていった。

 最後は混乱したまま立ち上がり、警視庁に行こうとよろよろと歩き出したトビーの背中を見ながら、レイモンドの瞳は冷徹さに冴え冴えとしていた。


 ーーイライアスを追い詰めるまで、あと少し。


 あの男の本性を暴くのだと、黒い双眸は強い光を放つ。


「ーーでは、8年前の事についてお聞きします」


 ケヴィンの声に意識を現実に引き戻すと、法廷では8年前の汚職事件について、尋問が始まるところだった。


「8年前、あなたが所属していた部署を教えてくれますか」

「鉄道整備局です」

「亡くなったアドルファス・バスカヴィル氏と同じ部署ですね?」

「はい」


 人々の視線はトビーに集中していたので、その時イライアスが凄まじい形相でトビーを見つめている事に気づいたのは、レイモンドだけだった。

 トビーは淀みなく、ケヴィンの質問に答えていく。


「8年前、鉄道建設計画に絡んで、運輸省の人間が賄賂を受け取っていたという話をご存知ですか」

「はい」

「運輸省内部の調査では、アドルファス氏に嫌疑がかかっていたそうですね。そのことは?」

「知っています」

「その話は事実なのでしょうか」

「……賄賂を受け取っていたのは、アドルファスではありません」


 今や傍聴席の人々にも、ケヴィンが何を明らかにしようとしているのかが、分かりはじめていた。

 トビーの口から誰の名が出るのか。それを期待する人々の熱が徐々に高まっていく。


「あなたは賄賂を受け取っていたのが誰か、ご存知なのですか」

「はい」

「その人物は、この場にいるのでしょうか」

「はい、おります」


 ケヴィンの焦らすような質問に、人々の興奮は極限に達しようとしていた。


「ーーその者の名を、教えて下さい」


 しん、と法廷が静まり返る。

 トビーは被告人席に顔を向けた。


「イライアス・フェラーです」


 その発言に法廷の静寂は今再び破られた。場は騒然となり、興奮と熱気で空気が震える。「有罪だ!」という叫びが傍聴席からあがり、人々はざわざわと落ち着きなく、近くに座る者と言葉を交わし合っている。場を制するように、ガンッガンッと木槌の音が法廷に響いた。


「静粛に!」


 場内が落ち着くのを待って、ケヴィンは質問を続けていく。


「あなたがその事実を知っているのは、何故ですか」

「それは、……私自身がイライアスと同じく、賄賂を受け取っていた側の人間だからです」


 トビーの思わぬ罪の告白に、ひそひそとした人々の話し声が傍聴席から聞こえてきた。


「被告人の仲間だったと?」

「仲間……そう、そうなのでしょう。ですが言い訳をさせてもらえるのなら、私が関与したのは8年前の収賄だけで、殺人には関わっておりません」

「では8年前の贈収賄について、お聞きします。当時、あなたと被告人は別の部署に配属されていたそうですね」

「そうです」

「被告人はどこの部署にいたのですか?」

「国土政策局の幹部でした。建前は鉄道整備局と同等の権限を持つ別部署ですが、実質の権限は国土政策局が上です」

「あなたは鉄道建設計画において、どんな役割を果たしていたのですか?」

「アドルファスとともに、業者選定に携わっていました」

「賄賂を受け取って、便宜を図ったのですね」

「そうです。上層部はイライアスが根回しをし、実務レベルではイライアスの指示を受けて、私が動きました」

「そして実際に、その鉄道会社が選ばれた」

「はい」

「その会社の名を教えてくれますか」

「北部シュタール鉄道です」


 するするとトビーの口から言葉が紡がれてゆく。


「8年前はまだ、収賄の件は噂になっていなかったようですが」

「ええ。ただアドルファスは、その時疑問を抱いたようでした」

「アドルファス氏は鉄道建設計画に絡む不正を、自ら調べはじめた」

「はい」

「それが5年前に起きた事件と、どう繋がるのでしょう」


 ケヴィンはトビーの答えを待たずにくるりと陪審員席の方へ振り返ると、茶色の紙ファイルを掲げた。


「ここに5年前のバスカヴィル一家殺害事件の捜査資料があります」


 陪審員の視線を、自らの手元に誘導する。


「当時、トビー氏は警察の事情聴取を受けています。理由はアドルファス氏ら3人が殺害された日の夜7時頃、バスカヴィル邸を訪ねていたからです。間違いありませんね?」

「はい」

「事情聴取の際、あなたは仕事の話をしに行ったと説明している」

「ええ、当時はそのように話しました」

「実際は違うと?」

「はい。5年前は虚偽の証言をしました」

「それは、何故ですか?」

「保身の為です。事実を言えば疑われるのは明らかでしたし、収賄の件が明るみになれば、キャリアの終わりだと思いました」


 間違っておりました、とトビーは沈痛な面持ちになる。


「では、実際は何の話をしに行ったのですか」

「アドルファスの告発を止めるための説得です。死の直前、アドルファスは不正の証拠を掴んでいました。そのことをイライアスから聞き、今更蒸し返して何になるのだと、告発を思いとどまるよう頼みました」

「アドルファス氏は何と?」

「告発をやめる気はないと。イライアスにもそう伝えた、と言っていました」


『彼は明日、自首をすると言っている。トビー、君も罪を認めるんだ』


 アドルファスの言葉を、トビーは淡々と口にした。


「もうこれで自分のキャリアは終わりだと思い、バスカヴィル邸を出た後、パブで正体をなくすほど酒を飲みました」


 だが終わりではなかった、とトビーはゆるゆると首を振る。


「翌日やって来たのは、私を収賄容疑で逮捕する警官ではなく、バスカヴィル家の殺人事件を調べる刑事達でした」

「誰がバスカヴィル一家の殺害犯か、その時点である程度予想がついたはずですね」

「分からないと思いますか? 私はそこまで馬鹿じゃない。イライアスがやったのだと、そう思いました」


 トビーはイライアスを睨むように見つめる。興に乗っているケヴィンは、少し芝居がかった仕草で首を傾げた。


「ですが、分かりません。何故今になってあなたは証言する気になったのか。陪審員達も不思議に思っているでしょう」


 この点を説明してください、とトビーに続きを促す。


「ずっと罪悪感は感じていました。自分が関わった収賄事件が、アドルファスの死の引き金になったからです。ですが当時、私は自己保身の為沈黙を選びました。イライアスの罪を告発することは、自分自身の首を絞めることになりますから」

「でしたら何故、今更告発しようと?」

「フィオナの死にイライアスが関わっている事を、最近知ったからです」


 唐突に出てきた名前に、人々は困惑した。傍聴席の気持ちを代弁するかのように、ケヴィンが疑問を口にする。


「フィオナというのは誰ですか?」

「妻の名です」


 フィオナ・ヒッグス、とトビーは小さく言い添えた。


「5年前に殺害されました」

「あなたはそれに、被告人が関わっていると?」

「はい。無縁墓地から見つかった30の遺体の内、ひとつはフィオナのものでした」


 イライアス以外にありえません、とトビーは言った。

 その声は怒りに震えている。


「何故被告人の仕業だと?」

「アドルファスが死んだ直後、私は良心の呵責に耐えかねて、妻にだけは収賄の事実を伝えたからです。その時イライアスの名も妻には話しました。それで多分、妻はイライアスに会いに行ったんだと思います」

「被告人に会いに? なぜです? 彼は殺人犯だと教えたのでしょう?」

「いいえ。私が妻に告白したのは、収賄の件だけです」

「なぜ教えなかったんです?」

「証拠がなかったからです。私自身はイライアスがバスカヴィル一家殺害の犯人だと信じていましたが、あくまでも憶測です。他に犯人がいる可能性はゼロじゃない。殺人犯だ、などと簡単に口にはできません」

「ですが何故フィオナ夫人は被告人に会いに行ったのでしょう?」


 ケヴィンが重ねて尋ねると、トビーは苦悶の表情を浮かべて「分かりません」と口にした。


「何故フィオナがそんな事をしたのか、私が一番知りたい」


 そう言って黙り込む。それが証言中唯一、トビーが答えられなかった質問だった。その様子を目にしながら、レイモンドはライアンの言葉を思い出していた。


『あの人を、解放して欲しかっただけなの』


 フィオナの霊は、そう告げたという。それでイライアスに会いに行くなど軽率で浅はかな行動だったと言わざるを得ないが、確かにフィオナはトビーの為に行動し、そこで命を落としたのだった。

 死者の言葉をそのままトビーに伝えるわけにはいかなかったので、フィオナの思いをトビーは知らない。

 結局レイモンドが告げたのは、無縁墓地に埋められた遺体のひとつがフィオナではないか、という疑惑だけだった。レイモンドにとって重要だったのは、トビーを証言台に立たせるというその一点のみであって、親切にもフィオナの言葉のすべてをトビーに伝える気はなかった。そもそもトビーは不正に加担していた側である。真実を隠し続けてきたトビーにかけるべき同情心を、レイモンドは自身の中に見つけることができなかった。たとえ彼が罪の意識に苛まれ、ハイゲート墓地を訪れようとも、それでトビーに対する怒りがおさまるわけではなかったのである。

 フィオナの遺体をあの暗い墓地から掘り起こし、彼女が望む人間の元へ還す。レイモンドにできるのは、それくらいだった。


 ケヴィンはトビーの証言の裏づけとして、フィオナが所持していた遺品の写真と供述調書を示した。


「遺体が身につけていたイニシャルの入った結婚指輪と、ペンダントです。トビー氏以外の複数の親族にも確認をとりました。この写真に写った品々は、フィオナ・ヒッグスの持ち物で間違いないと証言しています。その供述調書もあります」


 この指輪こそ、レイモンドがトビーを説得する材料に使ったものだった。


『もしかしたら覚えておられないかもしれませんが、私達は以前ローグ・ホテルの劇場で会っているんです。その時あなたがはめていた指輪と全く同じものを、無縁墓地から見つかった遺体が身につけていたものですから』


 それで気になって声をかけたのだ、とレイモンドはトビーに説明した。苦しい説明だとは自分でも思ったが、幸いトビーはレイモンドの話のあらより、フィオナらしき遺体が発見されたという方に意識が向いていたので、それ以上用意していた嘘を口にする必要はなかった。

 レイモンドの眼前では、尚もトビーの尋問が続いている。


「フィオナ夫人は5年前から行方が分からなかったはずですが、あなたは警察に捜索願いを出していませんね。なぜですか?」

「知らなかったんです。妻は私に愛想を尽かして、出ていったものだとばかり」

「何故そのような誤解を?」

「……手紙が届きました。フィオナの筆跡で書かれた手紙です」

「こちらの手紙ですね」

 

 そう言ってケヴィンは証拠の手紙を読み上げる。内容はフィオナからトビーに宛てた、別れの手紙であった。

 不正に手を染めた相手とはもう一緒に暮らせないこと。ひとり静かに生きるため、家を出ること。自分の事を探さないでほしいこと。犯罪者の家族として後ろ指をさされることには耐えられないので、どうか不正の真実は公表しないで欲しいこと。そう綴られた手紙が、トビーの元へ送られてきたという。


「筆跡はフィオナ夫人のもので間違いありませんか」

「はい。確かにフィオナのものです」

「フィオナ夫人は手紙を書いた直後、殺されています。つまりこの手紙は何者かによって強制的に書かされたものである可能性が極めて高い」


 ケヴィンは怒涛の勢いでまくし立てる。


「ここで初公判時、我々が提出した資料をいま一度見てください」


 指し示したのは、イライアスの銀行口座の流れを追った証拠書類である。初公判時は弁護側から穴を指摘された資料であったが、指摘箇所の持つ意味が今や様変わりしていた。


「起訴状にある5人の殺害依頼とは別に、同額の現金が引き出されている時期があります。これはフィオナ夫人の殺害時期と一致します」


 ケヴィンは声に力を込めて、陪審員に語りかける。


「汚職の話を聞いた後、フィオナ夫人は何らかの理由で被告人に会いに行き、ナサニエルという男が使っていた無縁墓地に埋められました。このことが示唆するのは、イライアスと殺し屋との繋がりです。トビー氏は5年間、最愛の妻が殺されていたという真実を知りませんでした」


 こんなに酷い話があるでしょうか、とケヴィンはイライアスを糾弾した。


「確かにトビー氏は汚職に関わっていました。かつては真実を隠し、嘘の証言もしています。ですがフィオナ夫人の身に何が起こったか、その真実を知って彼は変わったのです。己の罪が公になることを厭わず、証言台にあがった彼の意思は本物です」


 陪審員達の何人かが、同意を示すように何度も頷く。


「最後にお聞きします。その後被告人との関係はどうなったのですか」

「イライアスからは、アドルファスが死んだ後ほとぼりが冷めるまでは大人しくしていろと言われました。ただ私はもうイライアスとは距離を置こうと思っていましたので、それ以来関係を絶っています」

「ありがとうございます」

 

 以上ですと口にすると、ケヴィンは席についた。

 続く反対尋問は、あまり効果的なものとは言えなかった。

 ジェレミーは5年前にトビーが虚偽の証言をしたことを理由に、その供述の信憑性に疑義を投げかけたが、焼け石に水だった。さんざんイライアスを善人だと持ち上げた反動もあって、陪審員達の心証はすこぶる悪い。

 奇襲を仕掛けた検察側に、裁判の流れは完全に傾いていた。


 裁判の大勢は決した、とレイモンドは思う。

 公判が終わって、隣に座るアリシアを見やると、彼女の顔は蒼白だった。レイモンドの視線にも気づかず、小さく「嘘よ」と呟く声が耳に届いた。

 その表情が、この裁判がアリシアに与えた衝撃の大きさを物語っていた。だがまだ、レイモンドの復讐はこれで終わりではなかった。イライアスを絶望させるには、まだ足りない。


 「アリシア」と2、3度呼びかけると、ゆるゆると視線がレイモンドの方に移動する。レイモンドは低い声で慎重に話しはじめた。


「ーーアリシア。この後、話がしたいんだ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ