ソフィアとレイモンド
長い長い話だった。レイモンドの話が終盤にさしかかる頃には、時計の針は3時を指していた。話がはじまって既に2時間。
窓の外は暖かな午後の陽気に包まれているのに、部屋の中は灯が消えたように重苦しい雰囲気に包まれている。
ソフィアは時折相槌を打ちながら、静かに耳を傾けていた。
ディアビルでの出来事を語るレイモンドは終始落ち着いた口調であったが、唯一、ディエゴにした事を話す時だけは、少し声が緊張していた。ソフィアの勘違いかと思うほどの、僅かな変化ではあったけれど。
レイモンドの話を聞きながら、ソフィアの胸は締めつけられるように苦しくなった。彼がこの5年で見てきたもの。貴族の少年が一人で生きるのは、並大抵のことではないだろうと思っていたが、ソフィアの想像以上に彼の歩んできた道は過酷だった。
生き埋めにされ、生死の境をさまよい、海を渡った先にあったのは安住の地ではなかった。飢えと暴力が蔓延する貧民街での生活。そして新天地で出会った友の死は、レイモンドをどれほど傷つけたのだろう。
レイモンドの話はディアビルからボリスでの出来事に移ろうとしていた。
「メイソンさんに近づいた時は、最初は利用するつもりだった。けれど調べる内に、彼の過去を知ったんだ。私と同じく家族を亡くし、失意の中海を渡った人だった。あの人は私の出自を知った上で、全てを受け入れてくれたんだ」
レイモンドの口調が少しだけ柔らかいものになる。それだけで、レイモンドがメイソンに寄せる信頼が見て取れた。
「……それで、養子に?」
確かにレイモンドの人生は数奇なものだが、他にも悲惨な状況に置かれた子供はティトラには沢山いただろう。話を聞いただけであのメイソン・マックスウェルが、レイモンドを養子にしたというのだろうか。
不思議そうに小首を傾げるソフィアに、「復讐の為だった」とレイモンドは手元に視線を落とした。
「私の復讐と、メイソンさんの復讐と。互いの復讐の為に、彼は私を養子にまでしてくれた」
「復讐ってーー」
「彼はロムシェルと因縁があるんだ」
もう40年近く前のことだけれど、とレイモンドは瞼を伏せた。
「最初は私が復讐を持ちかけたんだ。彼自身は会社があって、自分で動く事はあまりできなかったから。話を聞いて、彼は私に協力すると。教育とマックスウェルの姓を私に与えてくれた。それだけじゃなく、彼は自分が持っている知識の全てを私に教えてくれたんだ」
感謝してもしきれない、とレイモンドは言った。
「本当の出自を隠すために、彼の隠し子だという話をでっち上げた。本人が認めれば、嘘だと思う人間はいないから」
「じゃあその髪も……」
「ああ。容姿を変えるためと、隠し子の話に信憑性を持たせるために染めたんだ」
レイモンドは赤銅色の髪を少し摘んで、「かれこれ3年になる」と思い出すように呟いた。
それからレイモンドは改まったように視線をあげ、ソフィアを見つめた。2人の視線がぶつかる。
「ーーごめん、ソフィア。どれほど謝罪しても足りないけれど、これまで本当にすまなかった」
溜め込んでいたものを吐き出すように、レイモンドは謝罪を口にした。
「それは、何に対しての謝罪……?」
「生きていることを隠していたことと、ずっと苦しめてきたことに対して。それに、ーーこれからのことも」
その言葉に、胸が痛んだ。
これまでの話を聞きながらソフィアが感じていた不安。レイモンドが今日ソフィアを呼んだ理由は、この5年間の溝を埋め、ソフィアの元に帰ってくるためではないのかもしれない。
彼は自らの罪を告白することで、ソフィアを遠ざけるつもりではないか。
「質問しても、いい?」
「ああ」
勿論かまわない、とレイモンドは頷いた。
「私が気づかなかったら、ずっと正体を隠すつもりだった?」
ソフィアがグウィンは死んだのだと信じていたら。グウィンの遺体を埋めたというオズワルドの証言は、新聞を通じて国中に広まっている。今やグウィンの死は公然の事実。ソフィアだって最初にロジャーからその話を聞いた時は、グウィンの生存を絶望視した。もしあの時、ソフィアが諦めていたとしたら。彼は自分の正体を生涯明かす気はなかったのだろうか。たとえ事件に決着がついたとしても。
ソフィアの質問にレイモンドは後ろめたそうな顔をした。
「ーーそうだ」
自分から正体を明かす気はなかった、とレイモンドは口にした。「すまない」と呟いた声が耳朶を打つ。それでまた、締めつけられるような苦しさが増してゆく。
「私がずっと探し続けたこと、迷惑だった?」
「いや。ソフィアが帰りを待ってくれていると知って、嬉しかったよ」
でも同時に辛かった、と眉を寄せたレイモンドは苦しげだ。
「戻る気も、正体を明かす気もなかったから。私の復讐にソフィアやオールドマン家の人達を巻き込みたくなかったし、私がこれまでしてきた事を知られたくなかった。だからソフィアが私の事を探していると分かっていても、正体を隠し続けた。それで結果的に、君をより一層傷つけてしまったけれど。でも私の事を忘れた方がソフィアの為だと思ったのは事実だ」
「なら今日、私を呼んだのはどうして?」
「ソフィアが私の正体に気づいていると知って、これ以上の嘘には意味がないと思ったから。きちんと話した方が、納得してもらえると思った」
それは真実を伝えてソフィアを遠ざけるという意味だろうか。
「話を聞いて分かっただろう? 私は君にふさわしくない」
「ふさわしくないだなんて、そんな事思わないわ」
一体誰が彼のした事を責めるのだろう。誰もディエゴから彼や子供達を守ってくれなかったのに。
レイモンドの話を聞いている間、ソフィアが感じていたのは、恐れではなかった。
辛かったのは、レイモンドが受けた数々の仕打ちの方だった。自分がシュタールで家族に守られている間、レイモンドが味わった身も心もえぐられるような苦しみ。そして喪失と哀しみ。それを思うと、ソフィアの胸は切り裂かれそうに痛んだ。
「私はディエゴを死に追いやったんだぞ」
「でもグウィンがやらなければ、もっと多くの犠牲者が出ていたかもしれない」
レイモンドの話を聞く限り、犠牲者は霊になった3人だけではなかっただろう。確かにレイモンドのやったことは私刑といえる。法的には許されない行為だ。だがソフィアはレイモンドを裁く立場にないし、そうしたいとも思わなかった。
「ソフィアは私が恐ろしくないのか?」
理解できないというようにレイモンドは呟いた。
「恐くないわ。ーーグウィンだから、恐くない」
その言葉に、レイモンドは虚をつかれて目を見開いた。
もしも彼ではなかったら、たとえ相応の理由があったとしても、ソフィアはその行為を受け入れられなかったかもしれない。どれほどディエゴが悪辣な人間でも、手を下したという事実を、理解はできても、恐れずにいられるかどうか分からない。
でもレイモンドの事は恐くなかった。彼がどれだけ否定しようとも、ソフィアは信じていたからだ。5年が経って尚変わらないその優しさを。
「自分が何を言っているのか、分かっているのか?」
「分かってるわ。話を聞いても、私の気持ちは変わってない。だから全てが終わったら、あなたに帰ってきて欲しい」
ひどく動揺して、レイモンドの瞳が揺れている。
ソフィアの声は落ち着いていた。己の心の中を探しても、レイモンドに対する恐怖心や嫌悪感はどこにも見当たらない。
予想外のソフィアの反応に、レイモンドはしばらく困惑の表情を浮かべていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「ーーナサニエルを、殺すつもりでも?」
「え?」
「家族を殺したあの男には、自分で手を下したい。ソフィアはそれでも、私を恐れないと言えるのか?」
レイモンドは見ているこちらが苦しくなるような顔をしていた。ソフィアの灰色と青の瞳を覗き込んで、レイモンドは呻くように言う。
「君のことが大切だ。だからこそ、一緒にはいられない」




