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回想

「こんな時間に、何故ここにいるんです」


 鬼気迫る表情でレイモンドが問いただす。有無を言わせぬ迫力に気圧されて、ソフィアはおずおずと口を開いた。


「証人襲撃計画があったので、……その現場に行っていたんです」

「何ですって?」


 問い詰めるレイモンドの表情は一段と険しくなった。率直に言って恐いくらいだ。


「事前に安全な場所に移動させていたので、証人は無事です。それに警察が待ち伏せして犯人は全員逮捕されました。裁判に問題はありませんから、安心してーー」

「私が聞いているのは、そういうことじゃない……!」


 もうソフィアには関わらないと言った言葉が嘘のように、レイモンドはソフィアににじり寄る。少し手を伸ばせば触れられそうなところまで来て、レイモンドはピタリと立ち止まった。まるでそこに見えない壁があるかのようにそれ以上は近づかず、漆黒の瞳が問うようにソフィアを見つめている。

 鋭い眼光に、ソフィアは後ずさりしたくなるのを堪えた。会話の主導権を握られて、ソフィアは叱られた子供のように縮こまる。

 だが冷静になってみれば、余裕がないのはレイモンドの方かもしれなかった。

 

 ーーこれは、心配してくれているのだろうか。


 あまりの剣幕に怒っているようにしか見えないが。

 ソフィアとて、決して軽はずみな気持ちで行動したわけではない。そう言いたかったが、レイモンドは憤懣ふんまんやるかたないといった顔でソフィアを見つめていたので、口に出すのが躊躇われた。


「それより、レイモンド様はどうしてここに?」


 話題を変えようと、ソフィアは視線をトビーに向けた。先ほどからずっと気になっていた。何故この二人が一緒にいるのだろう。

 トビーはよく見れば、ひどく青ざめどこか焦点が定まっていない。ソフィアの存在など視界に入っていないようだった。


「遺体の身元確認に来たのです」


 端的な答え。どういうことだろうとレイモンドを見上げたソフィアだが、彼はそれ以上答えてはくれなかった。


「それより、君の話をーー」

「ソフィア・オールドマンさん?」


 レイモンドが話している途中で、別の声が割って入った。二人が声のする方に顔を向けると、若い刑事がソフィアを呼んでいる。


「はい。私ですが」

「お話を聞きたいので、こちらへ」

 

 ソフィアが呼ばれて、話はそこまでになった。

 ライオネルら護衛達もそれぞれ別室で聴き取りをするという。

 ソフィアは若い刑事の後をついて歩き、長い廊下の一番奥にある部屋に入った。既に部屋ではロジャーが待ち構えている。その隣に案内した刑事が腰を下ろした。


「さぁ、話していただきますよ。どうやって襲撃計画のことを知ったのか」


 今日こそは言い逃れは許さぬと、ロジャーは厳しい顔になる。ソフィアは考えながら口を開いた。


「……警部はオールドマン家の中傷記事が出たことは、ご存知でしょうか?」

「勿論知っています」

「事実無根の報道ですが、オールドマン家にとっては痛手です」

「そうでしょうね」


 ソフィアは何が言いたいのだろうと訝しげな表情をしつつ、ロジャーが頷く。


「オールドマン家の人間は、あの報道が嘘であることを知っています。ならば、嘘をーー父を罠に嵌めようとしている人間が誰か、推測することは簡単です」

「バーシルト家だと考えたんですね」

「はい。父の潔白を証明するには、真犯人を見つけることが近道だと思いました。ですから、バーシルト家不正の証拠を調べていたんです」


 これは本当だ。


「バーシルト家に人を潜り込ませて調べさせました。その過程で、証人襲撃計画を知ったんです」


 アルマの存在を伏せながら、できるだけ真実に沿うように、ソフィアは説明した。


「つまり、バーシルト家にスパイを送り込んだと?」

「はい」

「その者の名前は?」

 

 ロジャーの言葉にソフィアは首を振った。


「それは申し上げられません」

「その者の証言があればロムシェル・バーシルトを有罪にできるのですよ。それこそが貴女の目的ではなかったんですか」


 死者の言葉は証拠にならない。しかしそれをありのまま伝えることはできなかった。


「言えばその者の身に、危険が及びます。内通者がいると知れたら、命が危険にさらされます」


 その言葉が真実か見極めようとするように、ロジャーはじっとソフィアを見つめる。ソフィアもまたロジャーの瞳を見つめ返した。誰も一言も喋らない。沈黙が場を支配して、10秒程が経った頃。ふぅとロジャーは溜息をついた。


「お話は分かりました。今日はもう遅い。お帰りいただいてかまいませんよ」

「……よろしいのですか?」

 

 拍子抜けしたソフィアが聞くと、「尋問ではありませんので」とロジャーは苦笑いになる。


「貴女の言葉で証人は守られました。もしあの情報がなければ、警護に当たっていた人間も無事ではいられなかったでしょう」


 貴女は仲間の命を救ってくれましたーー静かにロジャーはそう言った。

 ソフィアは立ち上がって部屋を出る。早く家に帰ろう。帰りの遅いソフィアを心配しているかもしれない。


 エントランスホールにはまだ護衛たちの姿はなく、代わりにレイモンドが壁に凭れるように立っていた。それを見て心臓が跳ねる。近くにトビーの姿はない。先に帰ったのだろうか。

 レイモンドが思いつめた顔でこちらへ顔を向けたので、彼がソフィアを待っていたのだと分かった。


「まだ話の途中でしたから」


 レイモンドが言い訳のように口を開く。周囲に誰もいないことを確認しながら、ソフィアは声を落とした。先ほど警察にした話を繰り返す。


「バーシルト家不正の証拠を調べている途中で、証人襲撃計画がある事を知ったんです。警察に伝えて、今日は様子を見守ろうと」

「どうしてそんな危険なことを」

「私のが役に立つと思ったので。ーーレイモンド様なら私の力をご存じでしょう?」


 もってまわった言い方だったが、ソフィアが彼の正体に気づいていることを分かってくれるだろうか。ソフィアは恐る恐るレイモンドの表情をうかがった。


「どうしてーー」


 かすれた声がレイモンドの口から零れた。愕然とした表情を浮かべて、レイモンドは固まっている。それで、ソフィアにもレイモンドが全てを察したことが分かった。

 レイモンドのショックを受けたような表情に困惑してしまう。

 そんなに正体を知られたくなかったんだろうか。こんな顔をするほど? もしかしたら、ソフィアに関わりたくないというのは本心なのか。会いたいと思っていたのは、ソフィアだけなのだろうか。胸には言いようのない不安が押し寄せる。


 だが己の正体がソフィアに知られていると理解したことで、レイモンドの中で何かが切り替わったらしい。瞬時に表現を真面目なものに変え、レイモンドがしたのは意外な提案だった。


「明日の昼1時、私の屋敷に来られますか?」

「明日、ですか?」

「……貴女には、話さねばならないことがある」


 ソフィアがこくこくと頷くのを見て、「では、明日」と言ってレイモンドは立ち去った。思いがけない展開にソフィアの胸が波立つ。


 ーーちゃんと会えるの?


 ソフィアとグウィンとして会えるのだろうか。そういう、ことなのだろうか。

 その後ライオネル達の聴取が終わり、家に帰り着いてからも、どこかふわふわとした心地は消えない。明日、彼に会ったら何を聞こう。会えなかったこれまでのこと。彼の身に何が起こったのか。聞きたいことは山ほどあった。


 ーーそれに、これからのことも。


 明日が待ち遠しいような、でも怖いような気もする。聞きたいこと、伝えたいこと。一体何から話せばいいのだろう。


 ーーまだ、私の気持ちも伝えていないわ。


 味方でいること、帰りを待っていること。それだけは伝えなければ。

 ある程度話すことを頭の中でまとめると、ソフィアはすぐに寝支度をはじめた。万全な状態で明日に備える為だ。寝間着に着替えて、もぞもぞとベッドに潜り込むと、ソフィアはあっという間に深い眠りに落ちていった。


 そして翌日。

 昼前にソフィアは家を出た。レイモンドの屋敷の前に馬車をとめると、今日は出迎えがいる。


「ライアンと申します」


 黒目黒髪の従者である。レイモンドと一緒にいるところを目にしたことはあったが、しっかりと顔を見たことはなかった。ライアンはソフィアと同い年位の青年で、切れ長の目を持つ整った顔立ちの青年だった。怜悧な瞳が、値踏みするようにソフィアを見つめている。その瞳に一瞬剣呑な色が宿ったように感じたが、それはすぐに消えてしまった。


「どうぞお入り下さい」


 そう言うと屋敷の鉄扉を開けてソフィア達を招き入れる。玄関までの庭は、物寂しいと感じるほど殺風景であった。背の高い木は一本もなく、丈の低い草木はあっても花はない。手入れの手間を最小限にしているのが見て取れた。屋敷の中に入ってからもその印象は同じで、装飾品も含めここには必要最低限のものしか置かない主義のようだった。


「従者の方はこちらでお待ちを」


 ライアンが一階にある控室前で立ち止まると、護衛達は渋る顔をした。


「いえ、我々はお嬢様についております」

「それはなりません。我が主人はお会いするのはソフィア様だけだと」


 男と2人などにさせられない、とライオネルは不満げだ。


「大丈夫だから」


 ソフィアは安心させるように言う。レイモンドは決して無体なことをする人ではない。ライオネルを同席させられないのは、彼の正体についての話をするからだろう。


「しかしですね……」

「何かあったら大声で助けを呼ぶわ。だからここで待っていて」

  

 必死なソフィアの表情に、渋々ライオネル達は引き下がった。

 ライオネル達とわかれ、廊下を何度か曲がった後、ライアンに通されたのは広々とした応接間だった。ライアンが扉を開けると、座っていたレイモンドが立ち上がる。

 その光景を見ながら、ソフィアは固まったように動けなくなった。

 レイモンドがゆっくりとそばに近づいてくる。なんでもないその動きでさえ、ソフィアの胸をいっぱいにさせる。だってこんなに近くにずっと会いたかった人がいるのだ。


「ソフィア?」


 扉の前で動かないソフィアにレイモンドが首を傾げる。ソフィアは泣き笑いのような顔をした。


「ーー名前」

「名前?」

「ソフィアって」


 "君"でも"貴女"でもなく。ソフィアの名前をレイモンドが呼んだのは、これが初めてだった。


「ああ」


 そういえばそうだなと、レイモンドが言う。その表情はこれまでソフィアを拒んできた厳しい顔から比べると、随分穏やかに見える。口調にもソフィアを拒絶しようという棘は感じなかった。


「私はこれで」


 ライアンはそう言うと、廊下の奥に消える。

 レイモンドから席を勧められて、ソフィアはおずおずと腰を下ろした。何から話せばいいのだろう。そもそもこの家で、彼のことを何と呼べばいいのだろう。迷った末、ソフィアは率直に尋ねることにした。


「レイモンド様、とお呼びした方がいいでしょうか?」

「いや、この家の者は私の本当の出自を知っているから。ここでは敬語も不要だよ」

「……じゃあ、本当の名前を呼んでもいいの?」

「ああ」


 そう言われ、ソフィアは躊躇いがちに口を開いた。


「……グウィン」


 恐る恐る発せられた、消え入りそうに小さな声。それでもレイモンドの耳にはきちんと届いたようだった。


「ソフィア。久しぶりだな」


 優しい瞳に、様々な感情が濁流のように押し寄せる。ずっとこの時を待っていた。会いたくてしょうがなかったその人が今、目の前にいる。息をして、ソフィアを見つめている。この気持ちをどう言えばいいのだろう。


「ーーずっと、会いたかったの」


 結局ソフィアが口にできたのは、何一つ飾らないありのままの言葉だった。


「無事で本当によかった」

「ソフィアも元気だったか?」

「うん。大丈夫」

 

 ソフィアは笑顔で頷いた。実際はそんなに簡単な話ではなかったが、今はもう瑣末な事に思える。お互いに言葉を選びながら、ポツリポツリと言葉を交わす。


「いつから?」

「え?」

「いつから、私の正体に気づいてた?」


 その質問に少し考える。


「グウィンに似ていると思ったのは、夜会で初めて見た時からだけど。なかなか確信はもてなくて。グレグソン警部に頼んで、グウィンらしき遺体の確認もしたのよ。それでグウィンはまだ生きているって思った。決定打はバスカヴィル領の新しい買い手が、ティトラ・スチールだという話を聞いたからかしら」

「……遺体を。そうか」


 レイモンドは考え込むように目を伏せる。赤銅色の髪がはらりと落ちて、形の良い額に影を作った。


「グウィンは、これまでどうしてきたの?」


 13歳の少年がなんの後ろ盾もなく生きるのは大変だったろう。


「ソフィアはどこまで知っている?」

「……あまり知らないわ。5年前に生き埋めにされて、助かったということくらいしか」

「ああ。オズワルドは私を生きたまま埋めたんだ」

 

 淡々と話すレイモンドの表情からは感情は読み取れない。


「行き倒れていたのを近くの集落に住む老夫婦に拾われた。彼らが医者を呼んでくれたんだ。正規の医師ではなくて、もぐりの闇医者だったけれど。でもあれがなければ多分死んでいたと思う」

「身元を確かめられたりしなかったの?」


 その時身元が分かっていれば、ソフィアだってあんなに辛い思いをせずに済んだかもしれない。

 ソフィアの問いに「あの集落に住む人達は、なにか後ろ暗いところがあったみたいだ」とレイモンドは遠い目をした。

 

「あまり警察には関わりたくないようだった。それでも重傷の子供を見殺しにはしないだけの良心はあったんだろう。一言も喋らない私に対しても、ショックで喋れなくなっているんだと、そう解釈したようだった」


 結局動けるようになるまで半年近くを要したという。「私が生きているのは、彼らの助けがあったからだ」と、レイモンドは静かに言う。


「なのに私は何も言わずにその場所を去ったんだ」


 復讐という目的があったから。そう言った声には、罪悪感が滲んでいた。


「その後は?」


 一体どういう経緯で、レイモンド・マックスウェルという別人になったのか。


「シュタールからティトラに定期船が出ていることは知ってるよな?」


 その問いに、ソフィアはこくんと頷く。シュタールとティトラを結ぶ定期船が、東海岸の港町クリンプトンから出ているのだ。

 一度に1500人以上を運ぶ巨大客船が、2週に一度クリンプトンを出港する。


「5年前、ティトラへ向かう船の荷に紛れ込んでこの国を出た」


 密航である。貧しい者が新天地を求めてしばしばそういう手段に出る事はソフィアも知っている。先を促すように次の言葉を待つが、そこで一旦レイモンドは伺うようにソフィアの方を見た。


「まだ続けるかい? あまり、気持ちのいい話ではないよ」


 その言葉に、ソフィアは首を傾げた。ここまできて、聞くのを途中でやめるはずがないのに。

 レイモンドの不安げな顔を見て、ソフィアは気づいた。彼は、ソフィアの反応を恐れているのだ。

 本来、密航は獄に繋がれる行為である。今レイモンドがしているのは、罪の告白なのだ。そのことに気づいて、ソフィアは緩く首を振った。


「グウィンがどんな風に生きてきたのか、きちんと知りたいの。そんなことで、貴方を嫌ったりしないわ。続きを聞かせてくれる?」


 それでもレイモンドの表情のかげりは消えなかったが、やがて彼は意を決したように口を開いた。


「ティトラはまっさらな新天地だと、シュタールではそんな風に言われているだろう? 誰もが平等にチャンスを与えられ、落伍者でも受け入れる寛容の国だと。あの時の私は、そんな甘言を信じていたんだ。だが現実はそんなに甘くない」


 飢えに苦しむ日々だった、とレイモンドはポツリと言った。

 貴族の少年が身一つで生きる術など、簡単に見つかるはずがない。貧民街に落ちるのは、時間の問題だった。

 流れ着いたのは西海岸の都市、ディアビル。


「まともな人間が住むような場所じゃなかった」


 常に何かが腐ったような臭いが立ち込め、腐朽して悪臭のする家屋。子供たちは半裸に近いボロをまとい、自分より遥かに幼い少年少女が病人からものを盗む。高潔であれ、などという貴族の教えはここでは無意味だった。

 盗まねば、奪わねば自分が死ぬのだから。


「私も盗み奪った。……そして人を傷つけもした」


 口調は淡々としているが、レイモンドの表情は苦しげだ。

 その瞳に感情の揺らぎが見える。ソフィアの方へ視線を向けながらレイモンドが吐露したのは、痛々しいまでの彼の本音だった。


「ーーソフィア。私は君に会いたくなかったよ。変わってしまった私を、知られたくはなかったんだ」

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