起訴
「ロムシェル・バーシルトを調べましょう」
アルマの顔を見ながら、ソフィアは言った。部屋の外では、太陽が南の空高く昇っている。
セオドアの疑惑報道から3日が経ち、オールドマン家を取り巻く状況は、ゆっくりと、しかし確実に悪化していた。新聞報道に取引先の反応が変わってきたのである。
自身の中傷記事に対して、セオドアはすぐに反論と否定の記事を出させたが、あまり効果があったとはいえない。「やっていない」ことを証明するのは、簡単なことではないからだ。
連日続く報道に、はじめは馬鹿馬鹿しいと一蹴していた人々が、オールドマン家と距離を置きはじめていた。徐々に記事の内容を信じる者が、出はじめていたのである。この国の人々にとって、新聞は最大にしてほとんど唯一といえる情報源。信じるな、という方が無理な話だった。
「……力は使わないんじゃなかったの?」
少し冷めた口調でアルマが問えば、ソフィアの顔は真剣味を増す。
「事件に関わっているか、分からない場合はね。でも、この件に関してはお父様の了解を取ったわ」
ロムシェルはイライアスと繋がっている。警察に勾留されているイライアスが、オールドマン家の記事を書かせたとは考えづらい。となればイライアス以外の誰かーー新聞社に顔が利き、オールドマン家の失墜を画策する何者かの仕業だと、ソフィアにも容易く想像がつく。そしてそんなことができる人間は、限られていた。
ロムシェルが裏で糸を引いているのではと尋ねたソフィアの言葉を、セオドアは否定しなかった。
『力を使って、バーシルト家不正の証拠を見つけます』
イライアスは既に逮捕されている。ならば今ソフィアが調べるべきは、ロムシェルの方だろう。力を使うと口にしたソフィアに、セオドアは心配そうな視線を向ける。
『ソフィア、まさか復讐しようなどとは考えてはいないよな?』
意外な言葉に、ソフィアは目を瞬かせた。
ーーそうか。お父様はグウィンが生きていることを知らないから。
グウィンの仇を討つために、ソフィアが復讐を考えているのではと、セオドアは懸念しているのだ。そこまで考えて、ソフィアはゆっくりと首を振った。
『彼らがバスカヴィル家の事件に関わっているのなら、法の裁きを受けさせたいだけです』
オールドマン家としても、ここで手を打たねば悪評は広がるばかり。このまま何もせず、この状況を静観する事などできなかった。ロムシェルは本気で攻撃を仕掛けてきている。今力を使わずして、一体いつ使うというのだろう。
それでも渋る表情のセオドアに、最後のひと押しをすべく、ソフィアは言い募った。
『オールドマン家の為にもこのままにはできません。この家やセントラル鉄道で働いてくれている人達を、路頭に迷わせるおつもりですか』
鬼気迫る声音で言えば、セオドアは考えた後一つ息を吐いた。
『分かった。いいだろう』
それが、昨夜の出来事である。
ソフィアの話を聞き終えたアルマは、ゆっくりと立ち上がった。
「いいわ。調べてあげる」
「ありがとう。エレン・ラングレイには気をつけて」
盲目のエレンにアルマを見る事はできないのではと思ったが、降霊術師である彼女なら死者の気配を感じ取れるのかもしれない。エレンとロムシェルの間にどういった繋がりがあるかまだ分からない以上、油断は禁物だった。
「分かってる。気をつけるわ」
部屋から出ていく直前、アルマはソフィアの方を振り返った。
「ソフィアはどうするの?」
「私は、行くところがあるの」
ソフィアの方は、レイモンドの屋敷に行こうと決めていた。会ってもらえるか分からなかったが、レイモンドに伝えたいことがある。
ーー貴方の味方だと。
何があっても。
貴方が戦うのなら、自分もともに戦いたいのだと。ただそう、伝えたかった。
ライオネル達護衛を連れて、エルド中心地から離れた場所に建つレイモンドの屋敷へ向かったのは、アルマを見送ってすぐのこと。屋敷の場所は、セオドアから聞いた。
しかし屋敷の前まで辿り着いた時、ソフィアはすぐに自分の考えが甘かったことを悟った。
目の前には、鉄柵の門。煉瓦造りの門楼に訪問者を阻むように備え付けられている。
敷地はソフィアの背丈の2倍ほどの高さのある狭間胸壁に囲まれ、庭に足を踏み入れることさえできない。人の訪れを拒むように、門にはベルさえなく、徹頭徹尾来訪者を拒絶する構えであった。この屋敷を作った人物は相当な人嫌いだったに違いない、とソフィアは恨めしく思った。
屋敷の前でなすすべなく立ち尽くす。屋敷の中は明かりも見えず、人の気配もない。
ーー困ったわ。どうしよう。
これでは何度足を運んでもレイモンドには会えそうにない。諦めるべきか逡巡していると、ふいに人の気配を感じた。ソフィアのすぐそばに誰かいる。
周囲を見回すと、至近距離に少年が立っていた。14、5歳くらいのさっぱりとした出で立ちの少年だ。焦げ茶の髪に、同じくブラウンの瞳。ライオネル達の顔を確認するように、ソフィア達のすぐそばに佇んでいる。
だがソフィアが驚いた理由は別にあった。
ーー影がない。
「あっ」
思わず漏れた小さな呟きに、少年もソフィアの方へ顔を向ける。その時、少年とばっちり目が合った。
互いが驚きに目を瞠った次の瞬間、少年はしまった、という表情で顔を顰め、素早くソフィアに背を向けた。そのまま屋敷から遠ざかるように駆け出す。
「待ーー」
待ってと声をかけようとして、ぐっと言葉を飲み込んだ。今は駄目だ。ライオネル達がいる。
そうしている間にも少年はぐんぐん遠ざかり、あっという間に視界から消えてしまった。
ーー誰?
そしてあの反応はなんだろう。ソフィアを見て一目散に逃げるとは、どうしたことか。
これまでソフィアが死者から逃げる事はあっても、死者の方が逃げ出すなどはじめてだった。
だって彼らにとって、ソフィアは数少ない話し相手だったから。自分の未練を伝えようと近づいて来ることこそあれ、ソフィアから逃げる理由がない。
少年が消えた方角を見つめながら、驚きとわずかな不安がゆっくりとソフィアの胸に広がってゆく。
ーー何が起こっているんだろう。
その答えを持つ者はここにはいなかった。
***
ソフィアが屋敷を訪ねた同時刻。
レイモンドは、フェラー家を訪れていた。イライアス逮捕以来、連日足を運んではアリシアを気遣うレイモンドに、アリシアは元より使用人達も徐々に信頼を寄せるようになっていた。
というのもレイモンドは、使用人達に対しても等しく励まし、宥め、時に厳しく指示を出してイライアス不在の混乱を静めてきたからだ。
数度ノッカーを鳴らして訪問を告げる。しばらく待っていると、顔を出したのは執事ではなくアリシアだった。扉を開けてレイモンドを見つめるアリシアの顔は青ざめ、目には涙が浮かんでいる。
「アリシア? どうした」
気遣わしげに聞けば、アリシアの頬をぽろりと涙が一筋伝った。
「レイ……。どうしよう。お父様が起訴されたと昨夜連絡が」
どうすればいいの、とはらはらと泣くアリシアはきっと一晩中泣き続けていたのだろう。瞼は腫れ、目元が真っ赤に染まっていた。
それでも涙はいまだ止まることを知らず。アリシアはレイモンドに歩み寄ると、ぎゅっとその胸に顔を埋めた。そのままとめどなく泣き続けるアリシアをなんとか宥める。
「落ち着くんだ。アリシア、大丈夫だから」
低く、穏やかな声音で語りかける。しゃくりあげるアリシアを落ち着かせるため、レイモンドは持っていたハンカチを差し出した。アリシアはレイモンドにもたれ掛かったまま、深く呼吸を繰り返す。渡されたハンカチで涙を拭うと、アリシアはもぞもぞと顔を上げた。その瞳にはまだ、涙が膜を張っている。
「警察はお父様を陥れる気よ。どうすればいいの?」
心細い表情でレイモンドを見つめるアリシアに、どこか空々しい感情が隙間風のように胸を通り過ぎた。こういう時、自分が変わってしまった事をまざまざと自覚する。
ーー私もまた、イライアスと同じく怪物になろうとしているのかもしれない。
泣く彼女を見ても、少しも心は動かない。
当然だ。仕組んでいるのは、全部自分なのだから。同情心など、浮かぶはずもなかった。
「アリシア、君の父君の事を調べてもいいだろうか?」
レイモンドの言葉に、アリシアは不思議そうに首を傾げた。
「調べるって?」
「私には独自の情報網があるんだ。きちんと調べれば、父君の無実を証明できるかもしれない」
「本当?」
ぱっとアリシアの顔に期待が浮かぶ。
「約束はできない。調べた結果、辛い現実を知ることになるかも」
「お父様が犯人のはずがないわ!」
確信のこもったアリシアの声に、レイモンドは静かに頷きを返す。
「ーーそうだな。だから、私が調べることを許してくれるだろうか」
「勿論よ。お願い、レイ。お父様の無実を証明して」
わかったと言いながら、気持ちは酷く冷めていた。
彼女は何一つ知らない。イライアスがこれまで何をしてきたのか。自分の生活が、なんの上に成り立っているのか。
それはきっとイライアスが隠してきたからだった。美しい世界だけを見せ、嘘で真実を覆い隠して。
ーー無知ならば、許されるのか?
知らなければ、許されるのか。たとえ、数多の屍の上に自分の幸福があろうとも。
イライアスの罪は、アリシアには関係がない。それは、分かっていた。親の罪を子が贖うなど馬鹿げている。だが何も知らず微笑むアリシアを見る度に、心は血を流し悲鳴をあげた。
イライアスが娘にだけは知られたくなかった事実。それを知った時、アリシアはどうするのだろう。真実を知って尚、父親を庇うだろうか。それともあれほど愛した父親を、憎むようになるのだろうか。
アリシアに真実を知られた時、イライアスは己の罪を悔いるだろうか?
そこまで考えて、自嘲気味にその考えを否定した。イライアスが悔い改めたとして、それが何になる。
ーー今更、そんなつまらぬ改心で満足などできるわけもない。
イライアスから全てを奪い取る。その先にあるものが虚しさだけだったとしても、自分の進むべき道はもう他に残されてはいないのだ。
期待に輝くアリシアの顔を見ながら、残酷なまでにレイモンドは冷静だった。




