降霊会
「降霊?」
はっきりと戸惑いの表情を浮かべて、ソフィアは聞き返した。ここのところ以前にもましてオールドマン家への訪れが増えている友人を前に、はぁと間抜けな声が漏れる。ヴァネッサが新しい話題を持ってくるのはいつものことだが、今日はとりわけ突拍子がなかった。
昼過ぎに着いたばかりのヴァネッサは、応接室で向かい合うなり、「今夜、降霊会に行かない?」と意外な話を切り出したのである。困惑するのは当然だった。
見れば、ヴァネッサの瞳は、好奇心にキラキラと輝いている。
「エレン・ラングレイって名前くらいは、ソフィアも聞いたことがあるでしょ?」
「知らないわ」
あっさりと首を横に振るソフィアに「またなの」とヴァネッサは呆れ混じりの溜息をついた。「有名な降霊術師よ」と説明するヴァネッサに、ソフィアは眉間に皺を寄せる。ソフィアから言わせれば、ヴァネッサの方こそなぜ降霊術師の名など知っているのだと聞きたい。
疑問が顔に出ていたらしい。ヴァネッサは芝居がかった仕草でチチチと指を振った。
「エレン・ラングレイは、ただの降霊術師じゃないのよ。彼女は霊感があるだけじゃなくて、未来を見るらしいの」
「未来?」
「そう。まぁ、占いの類だと思うけど。彼女の言葉はよく当たるって評判よ」
国内随一の霊能者。財界や政界の大物の中にも足繁く彼女の元に通うものがいる、とヴァネッサは説明した。
「未来を見るって、どうやって?」
少なくともソフィアには、そんな芸当はできない。
降霊術は、自らを依代にして死者の言葉を伝えるわざだ。霊を自らの体に憑依させ、言葉を伝えるのである。その点、ソフィアとは力の質が大きく異なる。
ソフィアには、霊を我が身に降ろすようなまねはできない。
霊を呼び寄せる力と未来を予見する力。本当であればソフィアでさえ想像もつかぬ異能である。
不思議に思って尋ねるも、ソフィアの抱く疑問にヴァネッサはあっさり首を振る。
「分からないけど、霊能者ってそういうものでしょ?」
「霊を呼ぶことと、未来を見ることは、全く違うわよ」
「そう? どちらも不思議な力ってところは同じじゃない。霊を体に降ろすと、不思議な力が手に入るんじゃないの?」
ソフィアはいっそう不可解そうな顔になった。そういうものだろうか。
「私の父がエレン・ラングレイの降霊会に参加するっていうから、無理を言って追加で二人分、席を確保してもらったの」
めったにないチャンスだから一緒に行こう、とソフィアの手を強く握るヴァネッサに、行くべきか否かソフィアは逡巡した。
正直に言えば、興味はある。
霊能者。それは、ソフィアと近しい力を持つ人々のように思うから。
実際、ある時期ソフィアは霊能者と呼ばれる人々に興味を抱き、降霊会にも何度か参加したことがある。自分と同じ力を持つ者がいるかもしれないと、そう思ったからだ。今は亡きエミリアの存在を知ったことが大きかった。
ーー探せばまだどこかに、同じ力を持つ人がいるかもしれない。
グウィン探しと並行して、15の頃、名だたる霊能者の降霊会に参加した。
そして結論から言えば、酷く失望した。
そこにソフィアの探しているものはなかったからだ。霊の仕業だという怪奇現象は人の手によるインチキであり、死者の憑依は演技だった。ソフィアは誰一人として、本物の霊能者を見つけることができなかったのである。以来、そういった場所からはすっかり足が遠のいている。
「面白いじゃない。行ってみましょうよ」
部屋の片隅からそう声を発したのは、アルマである。ヴァネッサがいる手前、その言葉に反応することはできない。ソフィアの態度を気にする素振りも見せず、アルマは続けた。
「私が行けばインチキかどうか一発よ。本物の霊能者なら、私の事が見えるはずだもの」
そう言って、皮肉めいた顔で笑う。
最近のアルマは気まぐれのようにソフィアの元に戻って来ては、またふっとどこかに消えてしまう。きっとジャック・スミスを探しに行っているのだろうと思ったが、敢えて尋ねてはいなかった。
アルマの存在に気づかないヴァネッサは、滅多にない機会だからと、尚も説得を続けている。
「ソフィアもちょっと面白そうだと思うでしょ?」
一緒に行こうという友人に、ソフィアの心も少し傾く。確かに気にはなっているのだ。ならば行ってみてもいいのかもしれない。行かずに後悔するより、行って後悔すればいい。
ソフィアはこくんと頷いた。
「そうね。行ってみたい」
「そうこなくちゃ」
うきうきと声を弾ませるヴァネッサに、ソフィアも笑顔になる。もしエレンの力が偽物でも、ヴァネッサと一緒ならきっと楽しいだろう。
ヴァネッサはそのままオールドマン家に留まり、夕方連れ立って出掛けることになった。
エレン・ラングレイという女性の名をソフィアはその時はじめて知ったが、実際かなりの有名人らしい。流行り廃りの早い社交界において、じわじわと評判を高めてきた人物だという。
降霊会に向かう馬車の中でヴァネッサが熱心に説明するのを、ソフィアも真剣に聞き入る。
「彼女は力を見せる時に、金銭を要求しないの」
彼女の力がペテンではないと言われる理由のひとつだとヴァネッサは言った。貴賤によらず誰にでもその力を披露する。確かに詐欺師であれば、なかなかできないことだろう。
「でもそれで、どうやって生計を立ててるの」
「彼女の力に惚れ込んだ有力者達が、パトロンになってるのよ」
早く見てみたくなるわよね、とヴァネッサは笑う。降霊会の会場は、とある貿易商の邸宅だった。
会場に足を踏み入れた時、そのあまりの普通さにソフィアは少し驚いた。これまで行ったことのある降霊会は例外なく薄暗く怪しげな飾り付けの部屋ばかりだったのだ。だがここは夜だというのに光に溢れた広間。そこかしこに明かりがともり、開放感があるホールには、椅子が半円を描くように何重にも置かれている。
「ヴァネッサ!」
「お父様」
ヴァネッサを呼ぶ声に顔を向けると、恰幅のいい男性が二人を手招きしている。ゲイリー・モーソン。ヴァネッサの父親である。
「ソフィア嬢もよく来たね。毎回ヴァネッサの我儘につき合わせて悪いね」
「いいえ。私が来たいと言ったんです」
「そうよ。ソフィアもエレン・ラングレイに興味があるって」
ゲイリーが用意してくれた椅子は会場の最前列に位置する、特等席であった。腰を下ろそうとして、ソフィアの動きが止まる。ふと近くの席に、最近出会ったばかりの人物を見つけたのだ。思わずその背中に声をかけていた。
「こんばんは。こんなところでお会いするなんて、奇遇ですね」
先日、町中で出会った老人である。ソフィアの声に振り返った老人は、意外そうに目を見開いた。
「これはーー、先日の」
「おじいさんもエレン・ラングレイを見に?」
「ああ。私は彼女のファンでね」
驚いた表情は一瞬で、すぐに皺の多い顔を更にしわくちゃにして、老人は笑顔をつくる。
「ソフィア。そちらの方は?」
「この間街で会ったの。ええとーー」
そういえば、この老人の名を知らない。付き人の男性も旦那様としか読んでいなかった。その疑問を汲み取ったのか老人がソフィアの言葉を引き取って、歯を見せて笑う。
「ロイと言います。こちらのお嬢さんに具合が悪くなったところを助けてもらってね。そういえばお嬢さんの名前を私も知らないな」
「ソフィアです。ソフィア・オールドマンといいます」
「おや。もしやあのオールドマン家のお嬢さんかね?」
「はい。有名なのは、私ではなく父ですが」
よく聞く名だと老人が髭をさする。
「何はともあれ、あの時は助かりました。どうもありがとう」
「いえ。お元気そうで安心しました」
「いやぁ、気は若いつもりだったが、面目ない。ーーああ、そろそろはじまりますな」
介添の男性をともなって部屋に入ってきた女性を見て、ロイが呟いた。「ではこれで」と席につくロイに、ソフィアも自らの席へと戻る。50名程の人々が、この場に集っていた。広間はすでに、満席である。
エレン・ラングレイはゆっくりとした足取りで歩を進める。付き添いの助けで椅子に座る彼女を見て、すぐに気づいた。
ーー彼女、目が見えないのだわ。
うっすらと開いた瞳は焦点が合わず、どこか空を彷徨っている。
「皆様、今日はようこそおいでくださいました」
穏やかな声音でエレンは口を開いた。40代、いや50代だろうか。腰まである長い髪は麻色で、少しくすんで見える。普段着のくつろいだ格好で席に座るエレンは、どこにでもいそうな普通の女性だった。
とても凄腕の霊能者には見えない。
「なんだか普通の人ね」
ヴァネッサが隣でポツリと呟く。ソフィアも頷いて、同意を示す。
「今日の依頼主はどなた?」
エレンが呼びかけると、一組の若い夫婦が前に進み出た。歳に似合わず、二人ともやつれ、疲れ切っているように見える。
夫に肩を支えられたまま、女性が口を開いた。
「私達です。娘とーー2年前に亡くなった娘と話がしたいのです」
どうかお願いしますと、懇願する声は震えている。
「手を出して」
エレンが伸ばした指先に、女性がそっと手で触れた。
「娘さんの名前は?」
「マレーナです」
「なぜ彼女と話したいの?」
「……辛くて。あの子のいない生活に耐えられないのです。もう一度だけでいい。最後にもう一度、あの子と話がしたいのです」
「分かったわ。マレーナに呼びかけてみましょう」
その言葉を最後に、エレンは口を閉ざした。仰々しい言葉も、演出もなく。沈黙だけがその場を支配する。
誰もが固唾を呑んで成り行きを見守る中、ソフィアはある異変に気がついた。きっとそれは、ソフィアにしか分からぬ変化。エレンの周囲が白く発光しはじめたのである。
ソフィアにとっては馴染み深い光。死者がこの世から消える際、発する光とよく似ていた。目の前の光景に、ソフィアは瞬きもせず、固まってしまう。やがてその光が霧散する頃、ゆっくりとエレンが口を開いた。その声を聞いた途端、ぞくりと肌が粟立つ。
「お父さん、お母さん」
幼い少女の声だった。6、7歳くらいの。
エレンの口から出る声は、明らかに先ほどまでの彼女の声ではない。隣のヴァネッサが息を呑むのが分かる。ソフィアもまた、その異様な光景に釘付けになった。
「マレーナ? マレーナなの?」
その呼びかけに、エレンはあどけなく笑う。まるで童女のように。瞳はいつの間にか焦点を結び、母親だという女性を捉えていた。
「お母さん、泣いているの? そんなに泣いてたら、そのうち目がとけちゃうよ」
「マレーナ! 本当にあなたなの?」
「変なの。お母さん私のこと、わすれちゃったの?」
「そうじゃないわ。……マレーナこれ、分かる?」
震える腕で差し出されたのは、クマのぬいぐるみである。「わぁ!」とエレンは歓声をあげた。いや、今はマレーナと呼ぶべきだろうか。ぎゅっとぬいぐるみを抱きしめ、頬を擦り寄せている。
「パティ! お母さん、持ってきてくれたの?」
「ああ……! マレーナなのね? 本当に……」
崩れ落ちるようにエレンにしがみつく若い女性と、ぬいぐるみを抱きしめはしゃぐエレン。異常としかいえぬ光景を前に、その場の誰も言葉を発することができない。
見た目は確かにエレンなのに、彼女の中に別のモノがいる。声も仕草も、幼い少女そのものだった。何より今のエレンは目が見えているとしか思えない。
その時既に、ソフィアはエレンの力を信じはじめていた。彼女の力は、本物だと。心臓がドクドクと音を立てている。
エレンは生まれて初めて出会った、ソフィアと"同じ側にいる人"なのだと直感がそう告げる。と同時に、エレンの力は己の力とは違う、とも思う。
ーーエレンは、あの世へ旅立った魂を呼び戻している。
憑依する時、マレーナの姿はソフィアには見えなかった。
ソフィアが見ることができるのは、未練を残してこの世に留まった死者達だけだ。であればエレンの身体の中に入ったモノは、もうすでにこの世界のものではないのだ。既に現世から旅立った魂を、エレンはその身体に降ろしている。
ならばジョエルやリリーの魂もまた、エレンは呼び戻す事ができるのだろうか。
ーーなら、グウィンは。
胸の奥の方に、ずっとしまい込んでいた不安が唐突に溢れ出す。グウィンを探しはじめてから、ずっとずっと口にはできなかった恐れ。
もしグウィンが、もうこの世のどこにもいなかったのだとしたら。
その魂を、彼女は呼び戻す事ができるのだろうか?
どうしても会いたい人。どれほどの時間が経っても、諦めることができなかった人。もしグウィンがこの世界のどこにもいなかったら、きっと心は行き場をなくしてしまう。もうどこにも行くことができずに、ソフィアは迷子のように立ち尽くすしかない。
だから心がそれ以上傷つかぬよう、その不安に蓋をしたのだ。きっとグウィンは生きていると。だが今、エレンの力を前にして、封印していた思いがふいに顔を出したのだった。
「なんだ、つまらない」
ポツリと横から声がして、見ればアルマだった。
アルマの顔からは表情が消えている。昼間インチキを暴くと笑っていたのが嘘のように、今はひっそりと気配を消して、エレンを見つめていた。この世を去った魂の行方。アルマは何を考えているのだろう。全てが終わった後、彼女の魂は一体どこへ向かうのか。その答えを、エレンは知っているのだろうか。
様々な事を考えている内に、若い夫婦はマレーナとの最後の別れを済ませたようだった。その顔からははじめの悲壮感が消え、どこか憑物が落ちたかのようにすっきりとしている。
「マレーナ。そちらの世界は辛くないかい?」
父親の言葉に、エレンは首を振った。
「あちらは平和で、いいところだよ」
嫌なことも苦しいこともないという言葉に、二人は穏やかな顔になる。心の底から安堵したような、ほっとした表情を浮かべる夫婦に、エレンの力は二人の救いになったのだとソフィアは思った。
「じゃあ、もう行くね」
その言葉を最後に、ガクンとエレンが首が前に大きく傾く。息を詰めて見守る人々の視線の中、ゆっくりとエレンは顔を上げた。
「マレーナは行ってしまったわ」
もう、エレン自身の声になっている。その言葉に張りつめていた空気が弛緩した。溜息があちこちから漏れ聞こえる。
簡単には落ち着かぬ興奮とざわめき。席を立つ人々の中で、ヴァネッサが口を開いた。
「予見の力は見れなかったけど、なんだか凄かったわね」
「……ええ。本当に」
あまりに特異なエレンの力。興奮冷めやらぬヴァネッサに対し、ソフィアはまだ先ほど見たものを消化しきれない。
ぐるぐると考えているソフィアは、ヴァネッサの後をとぼとぼとついていく。会場を出る直前、ソフィアの隣を歩いていたアルマが急にばっと後方を振り返った。立ち止まってきょろきょろと何かを探すように視線を動かすアルマに、ソフィアも足を止める。
「どうしたの?」
前を歩くヴァネッサに聞こえぬよう小声で囁くと、アルマが眉を寄せた。
「今、誰かの視線を感じたの」
エレンだろうか。席に視線を向ければ、既にその姿はない。別の出口から出て行ったのかもしれない。不思議そうにアルマを見ると、彼女は小さく首を振った。
「ーーいや、気のせいね」
そう言うから、それきりソフィアも忘れてしまった。エレンの事で頭がいっぱいだったというのもある。
エレン・ラングレイ。はじめて出会った、ソフィアと近しい存在。その名を、ソフィアは胸に刻んだ。




