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フェラー父娘

 朝、目を開けると、泣いていることに気づくことがある。どんな夢を見ていたのかは、目覚めるともう思い出せない。


 うっすらとした覚醒の波が訪れて、レイモンドは目を開けた。部屋の中は薄暗い。殺風景な部屋を視界に入れながら、顔を動かして時計を見れば、朝の5時を少し過ぎたところだった。緩慢な動きでゆっくりと起き上がると、思考がはっきりするまでしばしの時間待つ。

 睡眠時間をギリギリまで削っているせいで、まだ身体には倦怠感が残っている。気だるい思考のままベッドの上で過ごしていると、コツコツというノック音が響いた。そのままレイモンドの返答を待たずに、ガチャリと音を立てて部屋に入ってきた人物を見て、レイモンドは溜息をついた。


「ライアン、返事を待たずに部屋に入ってきたらノックの意味がないだろう」

「目は覚めてたんだし、別にいいだろ?」


 レイモンドの非難をまるで意に介さないまま、ライアンは窓のカーテンを開けた。光が部屋に差し込んで、外が白み始めているのが分かる。


「そろそろ起きろ。今日は長い一日になる」

「……そうだな」

「本当に俺はそっちについていなくていいのか?」


 気安い口調で言ったライアンに、レイモンドは首を振った。

 人目のない時のライアンは、レイモンドに対して遠慮がない。普段は折り目正しい従者を演じているが、素の彼は歳相応の若者だった。

 

「ああ。こっちは一人でいい。予定通りに」

「分かった」


 なみなみと水が注がれたコップをベッド脇の机に置くと、「俺は先に出る」と言ってライアンは入ってきた扉から出て行った。しばらくしてレイモンドもベッドから這い出ると、用意してあった服に袖を通す。鏡の前に立って一通り身なりを整えると、独り言のような呟きが漏れた。


「ーーやっとだ」


 ずっと、この日を待っていた。どれほどの間、今日という日を待ち望んでいただろう。ようやく時が満ちたというえも言われぬ昂ぶりと、失敗はできないという緊張感。目的を達するまで突き進む。幾度となく繰り返してきた決意を胸に、レイモンドは部屋を後にした。


 ***


 この日、アリシアは朝からずっと緊張していた。起きてから昼に至るまで玄関ホールをうろうろと何往復もするアリシアに、家政婦長のラナは笑みをこらえきれない。


「そんなに緊張していては、レイモンド様が来るまでもちませんよ」


 本人を前に遠慮なく笑うラナに、アリシアは不満げに頬を膨らませる。


「笑うなんて酷いわ」

「申し訳ありません。でもアリシア様があんまり落ち着きがないから、可笑しくて」

「だって! 今日はレイが家に来るのよ!」

「よく存じておりますよ。ようございましたね」


 にこにこと笑うラナに、むぅっとした表情のまま「だから緊張するのは当たり前でしょ」と拗ねたように答える。


「心配しなくても大丈夫ですとも」

「だって……ラナ、この格好変じゃない?」

「いつも通りお可愛らしいですよ」

「いつもと一緒じゃだめなの! いつもより可愛くないと」

 

 年頃の娘らしい悩みに、ラナはまた笑顔になる。主家の娘と使用人という関係であるが、アリシアが生まれる前からこの家に仕えているラナはアリシアの事を実の娘のように思っていた。

 

「ほらほら、そんなことを言っている間にお着きになったようですよ」


 馬車が屋敷の前で止まる音がして、はっとしたアリシアが玄関から飛び出していく。軽やかな足取りで玄関前の石畳を駆けるアリシアに、ラナも慌ててその後を追った。


「レイ! いらっしゃい」

 

 今にも飛びつかんばかりの勢いで駆け寄ったアリシアに、馬車を下りながらレイモンドが微笑む。


「今日はお招きありがとう」


 これを、と言って差し出された花束を見て、アリシアの顔に喜色が広がる。黄色やオレンジの花々を束ねた小ぶりの花束。


「素敵ね。ありがとう」


 うっとりとした表情のアリシアに、後ろに立っていたラナも頬を緩ませた。眩しげに目を細めたまま、レイモンドへと顔を向ける。


「ようこそおいでくださいました。こんなところで立ち話も何です。中へご案内致します」


 午餐会を開くから来てくれないか、とアリシアがレイモンドを誘ったのはつい1週間前。レイモンドからすぐに出席するという返事が届いて、これで父に紹介できるとアリシアは喜んだ。と、同時に少しの不安が頭をもたげる。


 ーーお父様はレイの事を気に入るかしら。


 きっと大丈夫だと思うけれど。けれど、アリシアを溺愛している分、レイモンドを見る父の目は厳しいかもしれない。それでも最終的には、早く紹介して認めてもらいたいという思いが上回った。


 やや緊張した面持ちでアリシアが正餐室に入ると、イライアスと招待客数人がこちらへ顔を向けた。


「どうぞ中へ」


 立ち上がって手招きするイライアスにレイモンドは近づくと、洗練された動作で礼をとった。


「フェラー議員、今日はお招きいただきありがとうございます。ご高名はかねてより耳にしておりました。お会いできて光栄です。レイモンド・マックスウェルと申します」


 手を差し出して握手を求めたレイモンドに、イライアスも柔和な顔で応じる。


「アリシアを助けてくれた方ですね。礼を言うのが遅くなってしまった。その節はどうもありがとう」


 笑顔で握手を交わす二人に、アリシアはほっと胸をなでおろした。良かった。第一印象は合格ね。

 午餐会は和やかな雰囲気で進んでいった。話題の中心は、やはりレイモンドである。


「ーーそれで、レイモンド君のご実家は何をされてるんだい?」


 招待客の一人からそう問われて、レイモンドは口を開いた。


「ティトラで事業経営などを」

「事業? というと?」

「製鉄業を生業にしています」


 小さい会社ですが、と言い添えたレイモンドに、イライアスが笑う。


「子供を他国へ留学にやるくらいだ。小さいということはあるまい」 

「いえ。私の望みを叶えるために、家族にはだいぶ無理を言いました」

「では大学を卒業したら、ティトラへ帰るのかい?」


 その問いに、アリシアははっとした。レイモンドを見れば、彼は穏やかな顔で続ける。


「はい。そのつもりです」


 その言葉にアリシアは内心狼狽えた。レイモンドが後何年かしたらいなくなる。そんなことは、考えたこともなかったのだ。

 その後の会話の内容はあまり頭に入らなかった。仮にレイモンドと恋人になれたとして、結婚すればティトラへ嫁ぐことになる。異国で暮らす、という未来をアリシアははじめて想像してみた。レイモンドの事は好きだ。だが愛する父を残して、この家を離れることなど自分にできるだろうか?

 その後も悶々と考え込んでいるうちに、いつの間にかテーブルの上からは、デザートが下げられはじめている。食の進まないアリシアにレイモンドが声をかけた。


「アリシア、具合でも悪いのかい?」


 心配そうに聞かれて、アリシアはかろうじて笑顔を作る。


「平気。ただ、あんまり食べる気がしなくて」

「とても美味しいのに。美味しい食事に興味のない人間は、人生の半分損するらしい。もし食べられるようなら、少しだけでも食べたらどうだろう?」

「……その言葉、レイが考えたの?」


 レイって食いしん坊なのね、とクスクスと笑いだしたアリシアに、レイモンドもほっとした顔になる。「じゃあ、少しだけいただくわ」とデザートを口に入れると、甘いクリームの香りが鼻孔に広がった。


「美味しい」


 その言葉に相好を崩したレイモンドを目にして、アリシアの顔は赤くなった。こんな顔をされると、やはり自分は特別なのだという気がしてしまう。

 そんな二人のやり取りに、周囲の客が笑い混じりに冷やかす。


「若いっていいですなぁ」

「いやいや、私も若い頃はあれくらい初々しいものでした」


 周囲のからかいに、アリシアは更に赤くなった。気になって隣を見れば、レイモンドは表情を変えずに平然としている。


 ーーレイはどう思っているのかしら。


 時々、レイモンドの本心が見えなくなる。いつも柔和な顔をしているから、本心はどう思っているのか分からない時があるのだ。不快に顔を歪めるところも、怒って声を荒げるところも、これまで一度も見たことがなかった。優しげな笑顔の下に、一体何を思っているのだろう。

 そんなことを考えていると、イライアスが「そろそろお開きにいたしましょう」と挨拶を口にした。ふと時計を見れば、午餐会がはじまって、既に2時間以上がたっている。


「今日はお越しいただき、感謝致します。とても有意義な時間でした。準備ができましたら、玄関までお送りします」


 その言葉を皮切りに、次々と席を立つ招待客を前に、アリシアも見送りをしようと立ち上がった。


「では、我々はこれで」

「フェラー議員、今日はありがとうございました。アリシア、じゃあまた」


 いとまを告げる面々を、二人で見送る。

 レイモンド達が去った後で、イライアスは口を開いた。


「アリシアは、随分あの青年の事を好いているようだね」

「……私って、そんなに分かりやすいでしょうか?」


 もじもじと上目遣いになったアリシアに、イライアスはその髪を優しくなでる。


「素直なのがアリシアのいいところだよ。お前はそのままでいなさい。私の可愛いアリシア」


 慈しむように言われて、じんわりとした暖かさがアリシアの胸を満たした。これまで父ひとり、子ひとりで支え合って生きてきたのだ。母のいない寂しさは、父が埋めてくれていた。


 ーー私にお父様をおいていくことなんてできるのかしら。


 再び先ほどの悩みが顔を出す。今はまだ考えても仕方がないと、そう思いはするのだが。


「さぁ、片付けをしなければ。ラナを呼んでおくれ」

 

 アリシアの肩に腕を回してそう言ったイライアスに、アリシアは笑顔で頷いた。


 それから更に1時間後、すっかり静かになった屋敷の書斎で、イライアスは秘書のポール・ターナーを呼びつけていた。


「ーーポール、お前に調べてもらいたいことがある」


 イライアスの右腕としてここ2年忙しく働いてきたこの秘書は、雇い主の無理難題には慣れっこになっていた。つい30分程前、家で寛いでいたところを呼び出されたことなどおくびにも出さず、ポールは淡々と口を開く。


「かしこまりました。何を調べればよろしいので?」

「レイモンド・マックスウェルという男の素性だ」

「レイモンド? ああ、最近噂の」

「そうだ。できるだけ早くあの男について調べてくれ」

「分かりました」


 無駄な質問を一切挟むことなく、ポールは部屋を出て行った。それを見届けて、イライアスは肘掛け椅子に身を沈める。


 ーーあの様子では、アリシアの方は本気だな。


 アリシアから会わせたい男がいると聞いた時から、嫌な予感はしていた。苦々しいことこの上ないが、実際ひと目見てそうと知れるほど、アリシアはあの若造に夢中なようだ。

 だがどこの馬の骨とも分からぬ男。これ以上、アリシアを近づけさせるわけにはいかない。害虫から大切な娘を守らねば。それが父親として果たすべき当然の責務だと、イライアスは思う。

 アリシアはイライアスの眼鏡にかなう男に嫁がせる。以前からそう考えていたのに、その計画が頓挫しそうになっていることも、腹立たしかった。

 あの様子では、無闇にレイモンドのことを反対しても、父親の言葉に耳を傾けるかどうか分からない。


 ーーなら、化けの皮を剥ぐまでだ。


 レイモンドにまつわる話は、どれも噂の域を出ない。もしペテン師の類であれば、己の手で警察につき出してやる。

 そうでなくとものぼせ上がったアリシアの目を、覚ますだけの材料が見つかればよい。


 ーーもし、アリシアを騙しているのなら。


「生きて国に帰れると思うなよ」


 そう呟いたイライアスの瞳は、ぞっとするほど冷ややかだった。

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