漆黒の紳士
ニコラ中将とショーマの一対一の白熱した勝負。
それに刺激され、他の剣士たちの太刀筋にも真剣味が増していく。
剣術訓練のその後は熱気にあふれるものとなった。
ニコラ少将は満足した表情だ。
訓練が終わった後、ニコラ少将は約束通り残ってくれた。
ショーマへとのマンツーマンの乗馬レッスンだ。
お相手をしてくれるのはエルヴィン家の名馬・エルマー。
アリーシアの言葉によれば「ショーマ専用の愛馬」である。
ということはつまり、転移する前のエルヴィン家の長男・ラヴァルの馬である。
転移してきたショーマは一度たりとも乗ったことがない。
エルマーはショーマを見定めるような目で見ている。
〈前の主人と違うことがバレているんだろうな。それにしても、きれいな栗毛色の馬体だ〉
ショーマはエルマーの馬体に見とれた。
人間より動物が好きなショーマ。
馬に乗れないかも、という不安より、エルマーへの関心が勝っている。
見よう見まねで馬具をつけて、興味津々でエルマーにまたがって見る。
しかしバランスが取れず、いまにも落ちそうだ。
ニコラ少将は、その様子を見て顔をしかめた。
「こんなに下手で、よく今まで生きてこれたな。素晴らしい馬の素質が台無しだ」
それでも教官はショーマの問題点を見抜いていく。
乗る時の姿勢、視線の置き方。
そして馬への触れ方など、改善点を的確に指摘する。
驚くほど教え方が上手い。
ショーマはエルマーと仲良くなりたい一心で、必死に吸収しようと頑張った。
「ニコラ少将、次回の剣術訓練の後も、少しだけ乗馬指導、お願いできませんか?」
「仕方ないな、乗りかかった船だ」
教官は了承してくれた。ショーマは心からの感謝を伝えた。
そしてエルマーにも言う。
「エルマー、ありがとう」
この様子を見ていたメイドのアリーシャが、エルマーを引き馬で厩舎に戻す。
エルマーの目は少し優しくなったように見えた。
屋敷に戻ると、メイドの女性たちがざわついていた。
「ショーマ」という声が聞こえてくる。
どうやら、自分のことを噂されているようだ。
〈もしかして、別の世界かくら来たことがバレて、怪しまれているのだろうか〉
心配するショーマ。
しかし、そんなショーマを気遣うように、アリーシアが近づいてきて、こう耳打ちする。
「今日の剣術訓練、ショーマさんが剣の達人・ニコラ少将と互角に渡り合っていたでしょ。女の子たちが、あなたのことをカッコいいって、キャーキャー言ってるのよ」
ショーマは思う。
〈ああ、運動会のリレーで活躍した男子に女子が群がっていた、あの感じか…〉
しかし自分が一瞬でも、そんな対象になるなんて、想像もしていなかった。
自然に顔がニヤついていたようだ。
アリーシアがショーマのほおをつねって、こう言う。
「少しばかりモテたからって、メイドや使用人に手を出したり、ちょっかいかけたら承知しないからね。狭いエルヴィン家の中、とんでもなく面倒なことになるわよ」
「ご忠告、ありがとうございまふ」
ほおをつねられながら、ショーマが答える。
その夜、ショーマは祖父のリベリー中将から呼び出しを受けた。
祖父の書斎をノックする。
「入りなさい」
ショーマはドアを開けた。
リベリー中将がすぐさま口を開いた。
「本日の剣術訓練は見事だった」
しかし祖父の表情には感情がない。
「ありがとうございます」
と礼を言うショーマ。
無表情のリベリー中将が言う。
「しかし一対一の勝利で戦局を打開できる場面はわずかだ。人心を掌握して知力で相手を上回らない限り、戦争には勝てない」
ショーマは黙り込む。
リベリー中将が続ける。
「ニコラ少将は騎馬戦術でも1、2を争う戦術家だ。そちらも学ぶとよい」
道理で乗馬の教え方が上手いわけだ。
祖父のリベリーと、この手の会話をするのは初めてだ。
しかもショーマの最も苦手な分野だ。
そんな様子を気にも留めないように、リベリー中将が続ける。
「ボナパルト帝国とは休戦となっているが、まもなく再び、戦争に突入するだろう」
ショーマは黙ったまま、小さくうなずく。
「現在、ジョセフ国の北部は占領されている」
そのままリベリー中将が続ける。
「ボナパルト帝国はさらに占領地域を拡張しようと攻めてくる。しかし我々は、それを返り討ちにしなければならない」
ショーマに緊張が走る。
「戦争の話になって、怖くなったか?」
「はい……」
ショーマが小声で答える。
リベリー中将が言う。
「我々には時間がない。現にジョセフ国城の付近には敵国のスパイが出没している」
うつむくショーマに、リベリー中将が続ける。
「ショーマに望むのは、国王からも勅命を受けている北部奪回だ」
ショーマが言う。
「そんなこと、俺にはできないと思います」
リベリー中将は、ショーマの困り顔を鼻で笑って、こう言う。
「できるかできないかは、ショーマが決めることじゃない。ショーマは私の言うとおりにするしかないのだ」
ショーマはまた、黙り込むしかない。
リベリー中将が続ける。
「ショーマはいずれこの国の将軍となり、戦いに勝利し、国王の娘と結婚することになる。そして近い将来、国王になってもらう」
「待ってください。俺はそんなこと望んでいません」
「ショーマはあれこれ言わなくていい。いずれ、すべてはそう流れていくのだ」
リベリー中将はそう言ってショーマの目を初めて見た。
すべての反論を許さない、威圧的な視線がそこにはあった――。
ショーマはうつむき、肩を落としながらながらリベリー中将の部屋を出た。
〈なんだか、もやもやして気持ちが晴れない〉
もう夜は更けていたが、ショーマは夜の散歩に出ることにした。
だがドアを開けると、そこは夜ではなかった。
薄暗い夕闇のままだった。
空を見ると、月のような惑星が浮かんでいる。
しかもひとつではない。
他にふたつの大きな惑星が、別の方角から光を放っている。
これらの光により、ジョゼフ王国は完全な闇に沈むことがないようだ。
なんだか北欧の白夜のようだ。
庭園の木々や花も重なった月明かりに照らされている。
昼間とはまったく異なる姿をみせているのだ。
まさに異国情緒があふれる光景だ。
ショーマの表情先ほどとは全く変わっていた。
浮かれた笑みさえ浮かべている。
玄関に戻ると、アリーシャが夜の消灯をしていた。
「そろそろ明かりを消しますよ。真っ暗になってしまうので、先にお部屋にお戻りください」
それを聞いたショーマは違和感を抱く。
〈真っ暗? いやいや、まだ明るいと思うけど〉
しかしショーマはハッとした、
〈ジョゼフ国の人たちとは身体能力の違いがある〉
夜の闇の見え方にも違いがあるはずだ。
試しにショーマは聞いてみた
「さっき、あの木に大きな鷹がいたんだけど、アリーシャは見える?」
彼女はショーマが指さす方向を見た。
「暗闇で何も見えないわ」
それを聞いたショーマは答える。
「そうだね。真っ暗だもんね」
しかしショーマには、薄明りの中、はっきりと見えていた。
片足で木に留まり、頭を翼の中に入れて寝ている鷹の姿を。
ショーマは一度、寝室に戻るが、再び玄関を抜けて、厩舎へと向かった。
エルマーに会いたくなったのだ。
ショーマは人間は苦手だが、動物には素直に心を開ける。
エルマーのところに行くと、彼はまだ起きていた。
「もう少しばかり、付き合ってくれないかな」
エルマーも退屈していたようで、満更でもない顔に見えた。
ショーマはエルマーの胴体に馬具をセットした。
左手で手綱を持ち、門まで一緒に歩く。
右手はエルマーの首や鼻を優しく撫でてやる。
ニコラ少将に習った、馬へのご挨拶だ。
エルマーは文字通り、鼻の下を伸ばして嬉しそうな表情になる。
道に出ると、ショーマは鞍の足場に左足を乗せる。
そして手綱をつかみ、右足を振り上げてまたがった。
馬の背中にまたがると一気に視界が広がる。
遠くの森まで見渡せそうだ。
ショーマは馬の腹を蹴って合図を送った。
これが前進のサインだ。
エルマーは歩み始める。柔らかい風がショーマの頬をくすぐる。
夜風が気に入ったのか、エルマーはスピードを上げて走り始める。
ニコラ少将に聞いたところによると、馬は夜でも目がよく見える。
夜でも昼と同じように走ることができる。
それを聞き、ショーマはエルマーを夜に連れ出そうと思ったのだ。
道の両側の木々や花がの景色が一気に高速で流れ始める。
ショーマの髪とエルマーのたてがみがなびく。
とても爽快だ。
10分ほど走っただろうか。
ショーマはふくらはぎでエルマーの腹を締める。
そして体重の重心を後ろにかける。
こうすると人間が〈停まりたい〉という意識が馬に伝わる。
エルマーが止まった。
そして帰途につくため、エルマーを方向転換させる。
ショーマは手綱を握りながら足の位置を移動して重心を変える。
エルマーは一歩ずつ回転していく
そして180度回転する直前に、姿勢をまっすぐに戻す。
そしてエルマーの腹を蹴って合図を送る。
エルマーはエルヴィン家に戻る道を走り出す。
厩舎に戻るとショーマは、エルマーの馬具を外す。
「楽しかったよ。ありがとう」
褒美に、ニンジンとリンゴをあげる。
エルマーは喜んでがっつく。
ショーマはエルマーの首筋をなでながら、おやすみの挨拶をする。
「明日もよろしくな」
エルマーもショーマを笑顔で見送ってくれた。
翌日から、ニコラ少将と剣術と乗馬の二部訓練が始まった。
昨日、エルマーに乗って上手くなった気になっていたショーマ。
上級者のように、一気に背中に乗ろうと駆け上がる。
しかし、足を踏み外して転げ落ち、派手にひっくり返ってしまった。
「大丈夫か?」
ニコラ少佐が深刻な顔で覗き込む。
ショーマは仰向けのまま、
「コケちゃいました~」
と笑い出す。
それを見てコワモテのニコラ少将も思わず噴き出す。
2人して大笑いが響く。
エルマーも楽しそうに見ている。
乗馬の初心者ながら一生懸命に取り組むショーマ。
そんな様子にニコラ少将はショーマに目をかけてくれるようになった。
「この後、ウチに来るか? 近くだからメシでも食べて行けよ」
乗馬の練習終わりのある日、ニコラ少将はこう声をかけてくれた。
ショーマは目を輝かせて、
「本当ですか? ぜひお願いします!」
と答える。
ニコラ少将の邸宅は庭付きの大きな一軒家だった。
広くてきれいなエントランス。
出迎えてくれた奥様は栗毛色のショートヘアだ。
目がクリっとして色白、笑うと、くっきりエクボが浮かぶ。
「妻のクリスティーヌです」
明るい笑顔で挨拶してくれる。
クリスティーヌさんが続ける。
「いつも主人に怒鳴られて大変でしょう?」
うなずきかけたショーマ。
あわてて、
「いえ、いつも真剣に指導いただいています」
と、とりつくろう。
クリスティヌーさんは噴き出して、
「やっぱり厳しくされているんじゃない」
ショーマとニコラ少将も、つられて笑う。
ダイニングのテーブルでは娘と息子が待っていた。
「姉のジュリー、弟のトマです」
クリスティーヌさんが紹介する。
「ショーマです。よろしく」
と握手を求めるショーマ。
ジュリーは笑顔で、
「よろしくお願いします」
と手を握って応える。
しっかりしたお姉さんだ。
長い栗色の髪、母親似で大きな目が愛らしい。
弟のトマはまだ幼い。
こちらを見ているが、表情は、はにかんだままだ。
「トマくん、よろしくね」
とショーマが髪を撫でると、小さくうなずいた。
少し表情が和らいだように見える。
並んだ料理にショーマの顔はほころんだ。
暖かくいいかおりのシチュー。
焼きたてのパン。
新鮮な野菜のサラダ。
色とりどりのフルーツ。
「とてもおいしいです」
ショーマは遠慮なく食べる。
ジュリーもトマも夢中になって食べている。
ニコラ少将もワインを手に上機嫌だ。
食事が終わると、ショーマはリビングで子供たちと遊んだ。
3人とも、おもちゃの刀で立ち合いをする。
ジュリーとトマがショーマに向かって夢中で刀を振り回す。
ジュリーは、なかなか良い太刀筋をしている。
きっとニコラ少将に仕込まれているのだろう。
気を抜いていると何度も太刀を浴びてしまう。
トマも無我夢中で飛び込んでくる。
「ショーマ、おまえ、強いのか?」
トマが目をキラキラさせながら尋ねる。
ショーマが答える。
「強くなるため、修行中だよ」
「トマはもっと強くなるんだ!」
トマが刀を振り回す。
そのうちの一発がショーマをとらえた。
「やられた!」
とショーマが大げさに倒れる。
「やったぞ! ショーマをやっつけた!!」
トマは大喜びだ。
「トマ、ジュリー、もう遅いから、おしまいにしましょうね」
クリスティーヌさんが声をかけてくれた。
「え~、つまんないの」
トマが不満げに言う。
「ショーマさん、また遊んであげてくださいね」
とクリスティーヌさん。
「はい」
ショーマが答える。
「絶対だよ、ショーマ!」
トマが大きな声で言う。
「ああ、約束だ」
とショーマ。
帰りは玄関で、一家総出でショーマを見送ってくれた。
「ショーマ、またね!」
と大きく手を振るジュリーとトマ。
ショーマは幸せな気分でニコラ少佐邸を後にした。
乗馬訓練でエルマーとの走行がスムーズになったショーマ。
毎晩、エルマーと出かけるようになっていた。
しかしある晩、行商人の馬車とすれ違ったとき、
「ショーマ様、お気をつけて」
と声をかけられた。
〈夜、出歩いているという評判が立ったらよくないだろうな〉
そう考えたショーマ。
エルヴィン家の長男という身元がわからないよう、変装するようにした。
膨大な衣装の中から、黒いシャツ、ズボン、ジャケット、ハットを抜き出した。
そしてアリーシャに頼んで薄い色のサングラスを調達してもらった。
マスクに黒い色を縫って、黒マスクを作った。
護身用に刀も装備する。
これをフル装備すれば、全身黒づくめ男の完成だ。
秘密の変身がショーマの心を高揚させる。
〈いってみれば「漆黒の紳士」だな〉




