「抵抗するんじゃねぇ」靖恵は組み伏せられて……
東光学園校舎の屋上に続く階段。
安藤聖真はそのドアを開けようとした。
そのとき響いてきた、ドア越しに聞こえる、男と女の言い争い。
「今日は話し合いをしてくれるって言ったじゃない」
聞き覚えのある女の子の声。
間違いない。
他ならぬ西織康恵の声だ。
それに対して、男が答える。
「お堅いこと言わないの。もっともっと仲良くしようぜ」
これも誰の声かわかる。
岩瀬隆司の声だ。
揉み合う様子が物音で伝わる。
そして逃げ出す足音。
聖真はドアを少し押し開けた。
逃げる康恵、追いかける岩瀬。
2人はこちらに背を向けており、聖真の姿は目に入っていない。
聖真はそのすきに、ドアを抜けて屋上に入る。
そして空調の機械が集まった一角に身を隠す。
康恵は屋上のフェンスに追い込まれ、岩瀬に捕まった。
両腕を抑え付けられている。
動きを止められた康恵は、岩瀬をにらみつける。
岩瀬が嫌らしい笑みを浮かべて言う。
「いつもみたいに、遊ぼうよ」
「遊ぶって……。何を言ってるの? 岩瀬くんが授業中に一方的に触って来るだけじゃない!」
そう言えば康恵と岩瀬は隣の席だった。
〈岩瀬が授業中、康恵の体をなでまわしていたとは……〉
「お前だって楽しんでいただろう」
「ふざけないで! 岩瀬くんが理事長のお子さんだから黙っていたけど、もう耐えられない。絶対にやめてもらうわ!」
「ならば、誰にも言えないようなことをするまでだ!」
岩瀬は右手を、康恵の制服の胸へと伸ばす。左手はスカートの中に突っ込み、太ももを割ろうとする。
「いやっ! やめ…」
康恵は必死で抵抗する。
しかし岩瀬は力ずくで靖恵の胸を揉みしだく。
靖恵は頬を赤らめながら涙を浮かべ、貞操を守ろうと体を硬直させる。
岩瀬の顔からは、だんだんと品のない笑みが消えていく。
そしてその表情は、次第に鬼のようになる。
「抵抗するんじゃねぇ!」
岩瀬は大きな手のひらを広げて、靖恵の頬を思いっきりぶった。
鋭く大きな音が響いた。
靖恵の首が激しく振れた。
彼女の顔が屈辱で真っ赤に紅潮していく。
目も真っ赤に染まり、涙をいっぱいにたたえている。
「なあ、もうあきらめろよ。こんなところ、誰もこないぞ」
岩瀬は靖恵の太ももの間に自分の左足を割り込ませる。
そして靖恵の制服のシャツの胸のボタンを外していく。
純白のブラに包まれた靖恵の胸のふくらみがあらわになっていく。
靖恵の瞳から大きな涙がこぼれる。
このまま、靖恵が汚されていいのか。
聖真は自問自答する。
〈絶対にそんなこと、させちゃいけない!〉
そう思った瞬間、聖真の体は自分でも制御できない力で動き始めた。
「ファイヤーブラスト!」
聖真は叫び声で詠唱した。
伸ばした両腕の手の平は岩瀬に向けられている。
瞬時に炎が発射され、岩瀬の上半身を包んだ。
「うわあぁ!」
顔と上着が燃える。
岩瀬は炎を放った相手を睨みつける。
安藤聖真だ。
「聖真、てめえ!」
と怒鳴る岩瀬。
が、熱さと焼けるような痛みにのたうち回り、反撃もできない。
炎に包まれ、苦しみながら焼かれていく。
〈このまま行くと、岩瀬は死んでしまうかもしれない〉
聖真は再び手のひらを広げ、
「キャンセル!」
と叫ぶ。
炎は一瞬にして消えた。
岩瀬は力なく倒れる。
髪の毛と制服は焦げついている。
すっかり、気を失っていた。
顔は煤で真っ黒になっているが、息はあるようだ。
心臓の鼓動もあり、命に別状はなさそうだ。
しばらくは起きてきそうにない。
目の前の危機は脱した。しかし、
〈理事長の息子を半殺しにしてしまった〉
この事実は動かせない。
聖真は、この学園に残ろうとしても無理だろう。
退学処分、下手をすれば刑事事件となり、書類送検されるだろう。
そして自分がいなくなったら、靖恵も復讐されるかもしれない。
それは避けたい。
彼女だけは救いたい。
そう思った瞬間……。
聖真は岩瀬に向かって、暗示の呪文を叫んでいた。
「イニシエーション!」
精神干渉魔法で、相手の心に思い込みを刻み付ける魔術だ。
すると岩瀬の体の中心に白く輝く空間が開いた。
そこに向かって告げる。
「二度とおまえは西織靖恵に近づくな。今日あったことも忘れろ。今後は西織靖恵に絶対に話しかけるな。もし接触したら、今の苦しみを超える超絶の炎熱地獄に送ってやる」
暗示が終わると、空間は閉じていく。
気が付けば、知らぬ間に魔術が使えるようになっている。
習ってもいないのに自然に体が動いてアクションを起こす。
そして覚えたはずもない呪文が口から出てくる。
間違いなく”理の番人”の仕業だろう。
靖恵は焦点の合わない目で、呆然としている。
聖真は彼女に近寄る。
あらわになった彼女の胸を隠すように、シャツのボタンを留めていく。
靖恵はようやく正気を取り戻した。
「安藤くん、なぜここに?」
「今日がこの学校、最後だから、屋上から全部を見渡したくなったんだ」
靖恵は涙をぬくいながら、聖真に言う。
「助けてくれて、ありがとう」
聖真は彼女に微笑みながら、うなずく。
靖恵が言う。
「でも安藤くん、どうやって岩瀬くんを倒したの? まるで魔法みたい」
聖真は意を決して言った。
「魔術だよ」
それを聞いた靖恵は目を見開いたまま、驚きで言葉を失う。
聖真が言う。
「信じられないのも無理はない。でも俺は、これから違う世界に行く」
靖恵はまだ動揺を隠せないまま、
「違う世界?」
とつぶやくように尋ねる。
聖真は靖恵に言う。
「俺が行く世界は、魔術がある世界なんだ」
靖恵が悲しげな表情を浮かべて言う。
「なぜ、そんなところに行かなきゃいけないの?」
「岩瀬にケガを負わせてしまったから。俺はもうこの学園にいられない」
そう言う聖真に、靖恵は必死な目で訴える。
「私が今日のことを証言するわ。理事長が圧力をかけてきても戦いましょう」
聖真はうつむいて、言う。
「西織さんには迷惑をかけられないよ」
靖恵は聖真の袖を握って言う。
「だって、私を救ってくれたのは安藤くんなのよ」
聖真は靖恵をまっすぐに見て、こう語りかけた。
「今日のことは誰にも言ってはいけない。岩瀬の精神にも魔術をかけた。彼はさっきまでのことは忘れている。〈目が覚めたら、屋上でケガしていた〉岩瀬が認識している事実はそれだけだ」
靖恵は目を潤ませ、聖真の腕をつかんで、言った。
「だめ。どこにも行かないで」
聖真は首を振って、言う。
「大丈夫だよ。岩瀬はもう、ちょっかいを出してこない。西織さんに近づかないように魔術で暗示をかけたから」
靖恵は言う。
「そんなことじゃないの。安藤君にいなくなってほしくない……」
靖恵の目からは再び涙があふれそうだ。
〈靖恵をこのまま学園に登校させるわけにはいかない〉
聖真は心を決めた。
そして靖恵に、学校を休むよう提案した。
靖恵は静かにうなずいた。
聖真は彼女の携帯電話を借りる。
彼女の父親を装って、靖恵が風邪で休むと学校に連絡した。
聖真は靖恵を近くの海に連れて行った。
林を抜けていくと狭いビーチへとつながる。
地元のサーファーくらいしか知らない小さな砂浜だ。
聖真は一人で泣きたいとき、よくここに来ていた。
〈彼女がこの事件で受けたショックは大きい。それを少しでも癒さないと……〉
砂浜には原木そのままの、簡単なベンチが置いてある。
そこに二人で腰かけた。
靖恵は静かに口を開いた。
「岩瀬くんは1カ月ほど前から、授業中に悪戯してくるようになったの」
最初は時々、軽く太ももに触れてくるだけだったという。
「そこまで気にはならなかったから、しばらくは無視してた」
しかし黙っていると、それをいいことに、岩瀬はつけあがってきた。
「1週間ほど前から、太ももをさすってきたり、もっと奥までのばしてこようとしてくるの。必死で抵抗した」
靖恵の瞳から涙がこぼれ、白いほほを伝っていく。
彼女がこう続ける。
「必死に我慢してると、脚だけじゃなくて、胸まで触ってくるの。制服の上から揉んできたり、シャツの中に手を入れてこようとしたり……」
驚きのあまり呆然と聞いていた聖真。
靖恵に頭を下げながら言う。
「ごめん……知らなかった」
「ううん……」
靖恵はそっと首を振る。
恥ずかしさと悔しさのあまり、ほおはピンクに染まっている。
彼女が続ける。
「岩瀬君の仲間の男子が、バレないよう壁を作っていたの」
だから教師や周りの生徒に見えず、表面化しなかったのだという。
「周りの奴らもグルか。ひどいな……。許せない。」
あらためて聖真の中に、怒りがこみあげてくる。
靖恵が言う。
「学校に相談しようとしたけど、これが問題になったら、岩瀬君のお父さんの理事長が出てくるわ」
聖真はうなずく。
靖恵が言う。
「悪いのは私だと決めつけられて『お前が誘惑したんだろう』と言われるでしょう」
靖恵はうつむきながら、こう続ける。
「それにこんな問題が知れ渡ったら、私は学校中から好奇の目で見られてしまうわ」
それを聞いて、聖真がつぶやく。
「そんなの、耐えられないよね」
靖恵がうなずく。そして言う。
「私は両親に名門学校への進学を命じられていた」
靖恵が目を潤ませて言う。
「期待に応えないと家族から見放されるという恐怖で、考えもなく勉強を頑張っただけ。苦しかったし、楽しくなかった」
靖恵が続ける。
「東光に受かっても、当然という顔をするだけ。本当に喜んでくれた人は誰もいなかった」
誰にでも明るく優しく接していた西織靖恵。
しかし、そんな本音を抱えていたのか、と聖真は驚く。
靖恵が続ける。
「だから学校で問題を起こすなんて、絶対にダメだった。すべてが終わってしまいそうに思えた。だから必死で我慢したの」
聖真が言う。
「だから今日、岩瀬に話をつけようと、屋上で話したんだね」
「ええ、でもダメだった。安藤くんが来てくれなかったら、私はどうなっていたか…」
靖恵が懇願する。
「安藤くん、学園に残ってほしい」
だが聖真の頭には、昨日の出来事が頭によみがえる。
聖真は岩瀬たちのイジメで、教室で制服を着たまま小便をもらしてしまった。
しかも靖恵の目の前で。
彼女は、
「キャー!」
と大きな悲鳴を上げた。
聖真は絶望のどん底に落ちた。
靖恵は自分に大きな嫌悪感を抱いているはずだ。
聖真は靖恵に聞く。
「昨日の俺のひどい姿、見たでしょ?」
「ひどい姿?」
靖恵は少し考え、そして言う。
「ああ、岩瀬くんたちにいじめられたこと?」
靖恵は、はっと思い出したように言う。
「あ、ごめんなさい、びっくりして、大きな声を出しちゃって」
「俺が漏らしたの、見たよね」
「ええ、でも仕方ないじゃない、あんなにイジメられたら」
聖真は情けない上目遣いで、靖恵にこう聞く。
「でも悲鳴を上げたから、俺のこと、すごく嫌だったんでしょう?」
「嫌? ああ、少しびっくりしたけど、女子ってすぐキャーって言うじゃない。なんならアイドルのコンサートでも」
靖恵が笑って言うには、何かあるたびやってしまう、ただの条件反射だという。
靖恵が笑顔で続ける。
「安藤くんのこと、イヤになったりしない」
靖恵は本当にいい子だ。
本音では、ずっと靖恵のいる世界にいたい。
「安藤くん、行かないで」
聖真は目を閉じる。
〈ここに残ったら、俺は退学処分へ追い込まれていくだろう〉
それどころか靖恵まで岩瀬に対して戦いを挑み、学校の標的にされる可能性がある。
〈靖恵のためにも決断しなくては!〉
聖真は、靖恵にこう告げた。
「ここに残ることはできない。俺は行かなきゃいけないんだ」
「安藤くんがいなくなっちゃうと寂しい……」
靖恵の声に、聖真は何と答えていいかわからない。
本音はずっと靖恵と一緒にいたい。
しかしそれを素直に伝えられない。
それが聖真である。
靖恵が続ける。
「私を救ってくれて、本当にありがとう」
確かに聖真は魔術で靖恵の危機を救った。
しかしそれは理の番人が授けたものであり、ほぼ無意識に発動したものだった。
〈俺が俺の意志と力で彼女を助けたわけじゃないんだ〉
聖真は何も言葉を発することができない。
靖恵が言う。
「いつか、戻ってきてね」
聖真はようやく、再び靖恵の目を見つめ返した。
そして言う。
「うん。ここに戻れるよう、頑張るよ」
靖恵は聖真の手を握った。
聖真はそのしっとりとした感触と暖かさを、神々しく感じた。
そして靖恵に告げた。
「これまで本当に、ありがとう」
靖恵のほおに涙が伝う。
彼女への感謝は一生、忘れたくはない。
家に帰ると聖真はペンタクルに手を置き、瞑想を始めた。
精神を集中していく。
やがて、聖真は白い光に包まれていく。
体に稲妻が走る。




