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ずっとあなたが好きだった


 安藤聖真(しょうま)が秘かに思いを寄せる西織靖恵。

 彼女と瓜二つの「コレット」という女性が聖真の部屋に現れた。

 彼女と2人きりの夜の甘い時間。 

 そこに女性の暗殺者が窓ガラスを割って入ってきた

「ディータ王からの勅命だ、覚悟しなさい! 絶対に仕留める!!」

 彼女は、ほぼノーモーションで、至近距離から小型ナイフを心臓めがけて投げてきた。

 ものすごく速い! 

 よけられない……。

「ショーマーー!」

 コレットが絶望的な悲鳴をあげる――。


 

 朝の光が聖真を包む。

 いつも通り、床に布団で寝ている。

 昨日のコレットと名乗る女、そして暗殺者との出来事。

 白魔術の瞑想の後、見ていた夢だったと気づく。


 しかし何か生々しい。

 コレットの甘い髪の香りと、血の匂いが、いまも鼻の奥に残っている。

 彼女は、どう見ても、西織靖恵としか思えなかった。


 イジメを受けながらも学校に通う理由。

 もちろん両親のこともある。

 しかしもうひとつは、西織靖恵がクラスにいたからだった。

 栗毛色でサラサラの長い髪。

 大きな瞳。

 笑うとできる大きなエクボ。

 そして、彼女との「あの出来事」。


 だから聖真は今朝も、嫌な気持ちを抑えつつも、学校に向かった。 

 西織靖恵との「あの出来事」を思い出しながら。


**********************************


 あれは、岩瀬から暴行されてあばらを折った日のことだった。

 

 時は放課後。

 蹴られ、殴られ、痛みでうずくまった聖真はそのまま放置されていた。

 もう教室には聖真以外、誰もいない。

 次第にあたりは夕暮れに包まれ、闇に沈もうとしている。

 聖真は痛みと体のしびれで、まだ動けない。

 

 そんなときに、バレーボール部の部活を終えた西織靖恵が教室に入ってきた。


「安藤君!」

 驚いた声で聖真の苗字を呼ぶ西織靖恵。

「大丈夫? 生きてる?」

 真剣に心配する彼女の声に、聖真は悪い気がして、

「うん。大丈夫。俺のことなんてかまわなくていいよ」

「ダメ! ものすごく蹴られてたでしょ。気になって戻ってきたの」

 という彼女は、聖真の頭の下に自分のバッグを敷いた。

「そんなことしなくていいよ。俺にかまうと、西織さんも(にら)まれるよ」

「大事なのは友達と助け合うこと。ちょっと待っててね」

 西織靖恵は何かを持って教室を出た。

 彼女のカバンからは女の子らしい洗剤のいい香りがした。


 戻ってきた彼女は、自分のハンカチとスポーツタオルを水で濡らしてきた。

 聖真の殴られた痣をハンカチで冷やしてくれる。

「蹴られたところ、どこが痛い?」

「……脇腹」

「ごめんね、カッターシャツ、たくし上げるね」

 そう言って西織靖恵は、聖真の腹をそっと触りながら、痛い箇所を尋ねた。

 彼女の暖かく柔らかい指の感触が、優しく響いた。

 聖真の目から涙があふれてきた。

「なぜ泣いてるの? 痛い?」

「ううん。そうじゃない」

 聖真は自分の顔が赤く、体が熱くなっているのに気づいていた。

 自分の「優しくしてもらえて嬉しい」という気持ちを、言葉にすることができなかった。

 西織靖恵の髪の香りと、部活の後の甘い汗の香りがただよってきた。

 花の香りと蜜の香りが混じったような魅惑的な匂いだった。

 西織靖恵はアバラのヒビが入った部分を探し当てた。

 そして優しく、水に濡らした彼女のスポーツタオルを当ててくれた。

 聖真は人生で一番幸せな時間を味わっていた。

 そのときばかりは、痛みも吹き飛んでしまった。


*******************************


 あの日以来、聖真は西織靖恵のことが大好きだ。


 ただ聖真はその感謝の気持ちを、しっかり伝えることができなかった。

 それだけが心残りである。


 ひどいイジメに遭いながらも、学園に通い続けたのは、西織靖恵がクラスにいたからだった。

 だから聖真は今朝も、学校に向かった。

 だけど今日も、朝から憂鬱な出来事が待っていた。


 聖真の椅子には、画鋲が針を上にして10個ほど置かれていた。

 岩瀬たち数人の男子生徒が聖真の様子をニヤニヤしながら見ている。

 

 これを取り除いてしまえば、昼休みか放課後、岩瀬とその取り巻きから凄惨なリンチを受けるだろう。

 ここに座るか、座った姿勢で腰を浮かせて我慢するしかない。

 朝のチャイムが鳴った。


 教室に向かう教師の足音が響いてくる。

 聖真はひとまず、腰を浮かせて座った姿勢をとることにした。

 もちろん、とんでもなくきつい。

 足に痛みが走る。特に太ももが辛い。

 5分も持ちそうにない。


 英語教師が入ってきて、授業が始まった。


 必死の表情を浮かべる聖真の様子に、あちこちから小さな笑いが起きる。

 岩瀬と一緒に画鋲を仕掛けた、取り巻きの男子生徒たちだ。

 時折、岩瀬も我慢できないのか、奇声のような笑い声をあげている。


 やがて足が限界に達した。

 今度は椅子の腰掛け部分の両端を両手でつかみ、両腕の力で体を支える。

 これも腕の筋肉が、とんでもなくつらい。

 姿勢が安定しないから、時折、画鋲の針が尻に当たって、チクチクする。

 

 今度は10分ほどで、腕の力が限界に達した。

 腕全体に痛みが走っている。


 もう、仕方がない。

 画鋲が敷き詰められた椅子に座る。

 おしりの各部分に、それぞれの針が次々と突き刺さっていく。

 大きな音はしないのだが、体の感覚ではひとつひとつが”ブスッ”と音を立てて、体の中へ突き刺さっていく感覚だ。

 とんでもなく太い注射を次々と打ち込まれていくように。

 針は体の神経を突き破って肉の奥深くに到達していく。

 注射と違うのは、抜けないから、痛みが続くことだ。

 10か所の苦痛が聖真を苦しめる。

 額に脂汗が浮かぶ。


「ヒャハッ!」

 こらえきれずに岩瀬が笑い声をあげる。

 すると教室のあちこちで笑い声が起きた。


「What's wrong?」

 英語教師がこの様子をいぶかって、どうしたのか、と生徒たちに英語でたずねる。


「It's nothing」

 岩瀬の取り巻きの一人が、なんでもありません、と答える。

 もう笑い声は収まっている。


 しかし聖真の痛みはまったく治まらない。

 それどころか続く痛みは、拷問のように襲ってくる。

 体内に残る針が、神経をグサグサと刻み付けてくるのだ。

〈頭がおかしくなりそうだ〉

 聖真は頭を抱えながら耐える。


 地獄の50分。

 ようやくチャイムが鳴った。

 聖真は腰を上げる。

 椅子の上は、血だまりになっている。


〈でも教室の外に出て、岩瀬たちが見ていないところで尻から画鋲を抜けば、さすがに許してくれるだろう〉

 そう思うと聖真は、急に尿意をもよおしてきた。

 きっと安心したからだろう。


 教室を出ようと立ち上がった聖真の前に、岩瀬と取り巻きの男子生徒たちが立ちはだかった。

「虫ケラくん、どこに行くのかな?」

 岩瀬が嫌らしい笑みを浮かべて言う。

「トイレ」

 と聖真が答えると、

「えっ、聞こえないな~?」

 と岩瀬が言う。

「トイレ!」

 と聖真が大きな声で言う。

 クラス中の視線が、聖真と岩瀬たちに集まる。


 これに気をよくしたのか岩瀬は、ますます調子に乗ってくる。

「そんなの、行けると思っているのかな?」

 我慢させられている聖真の尿意はもはや、限界に達しようとしている。

 生徒たちと机の間を縫って走り抜けようとするが、岩瀬の取り巻きの生徒が体でブロックする。

 しかし聖真も、のっぴきならない状況だ。

 何度も教室を出ようと走り出そうとする。

 しかし押し戻される。

 だが、一瞬、その反対側に生徒がいないことに気が付いた。

〈チャンスだ!〉

 聖真は反対側へ走り抜け、教室のドアに向かってダッシュする。

 だが、横から脚が伸びてきた。

 まるで罠にかかるように、聖真の脛が引っ掛かり、体が前方に吹っ飛んだ。

 何かが潰れるような衝撃音とともに、聖真は腹ばいで体ごと地面に叩きつけられた。


 もう体のコントロールが効かなかった。

 聖真は下半身に温かい感覚を感じた。

 尿が勢いよく漏れ出していた。

 もう止まらなかった。

 尿は聖真の制服のズボンから漏れ出し、教室の床に小さな水たまりとなってあふれていた。


「キャー!」

 大きな悲鳴を上げたのは、ちょうど目の前にいた西織靖恵だった。

〈人生、終わった…〉

 聖真は目の前が真っ暗になる。


 西織靖恵の悲鳴が合図となったように、女生徒たちの悲鳴が大合唱となって響く。


 岩瀬と取り巻きの男子生徒は、腹がよじれるほどの大笑いをしている。


 聖真は慌てて教室の雑巾を5枚ほどかき集めて、それで自分の尿を吸い取り、ふき取る。

 そして雑巾を持ったまま教室を飛び出した。

〈今日はもう、学校には戻れない〉

 聖真は絶望のあまり、涙さえ浮かばなかった。

 もう死に向かうしかないだろう。

 でも、最後くらい苦しみたくはない。

〈あの本に頼ろう〉


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