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きれいなのは校舎だけだ

 桜の花びらが一輪、風に吹かれて教室の中に入ってきた。

 校舎に沿った街道には桜並木がある。

 道ゆく人たちの会話。

「この学校、すごくきれいね」

「すてきな建物。私の子供もこんなところに行かせたいわ」

 その声を聞いて大きなため息をつく生徒。

 安藤聖真(しょうま)だ。

〈きれいなのは校舎だけなのに……〉

 教室の椅子に背中を丸めて座り、黙ったままうつむいている。


 いまは数学の授業が始まったばかりの時間。

 教師はまだ教室に入っていない。


 ここは私立・東光学園高校。

 学業に優れた生徒、スポーツに秀でた選手が集まる私立高校だ。 

 学校の制服もベージュとブラウンの間のような上品なキャメル色。

 有名デザイナーによる仕立てだ。

 ほとんどの学生が、この学園に通うことを誇らしく思っている。

 

 そしてこの高等部2年D組の教室。

 教師が来る前の時間、宿題の回答を生徒たちが黒板に書いている。

 無駄口を利く者は誰もいない。

 チョークがこすれる音だけが、教室に静かに響く。


 安藤聖真は椅子に座ったまま(おび)えていた。

 机の下で激しく足を震わせている。

 シャープペンシルをぎちぎちに握りしめ、うつむいた姿勢。

 その顔は青ざめている。


 安藤聖真はただ祈っていた。

〈このまま何も起きず時が過ぎ、平穏に授業が始まってほしい〉

 

「キャー!」

 女子の悲鳴が耳をつんざいた。

 何事かと生徒たちの視線が集中する。

「クモよ! クモが出たの!!」


 胴体は黄色と黒の縞模様、体長は5センチを超えている。

 細い手足をせわしく動かしながら、あちこちを飛び回っている。

 他の女子も、次々と金切り声を上げる。


 すると、男子生徒の一人が大きな音を立てて立ち上がった。

 身長186センチで頭髪は金色。

 周囲の視線がすべて彼に集まる。

 この学園にあって異様な存在感を放つ岩瀬隆司である。

 学園の理事長の息子で、かつては野球部のエース候補だった。

 しかし肘を故障して部活を退部。

 その後は荒れた生活を送っている。

 だがトラブルを起こしても、理事長が手を回す。

 すべて彼が有利なように解決される。


 岩瀬は意地悪な半笑いを浮かべる。

 そして机の下で足を震わせている安藤聖真に野太い声を浴びせる。

「おい! 虫ケラ!!」

 うつむいていた聖真の背すじがビクッと反応してのけぞる。


 岩瀬が脅すような低い声を響かせる。

「おまえ、虫ケラなんだから、おまえがクモを殺して捨ててこい」


〈逆らったら、またボコボコに蹴られる……〉

 聖真は恐怖のあまりうつむいたまま、無言で立ち上がった。


 岩瀬は何か起きるたび、それをネタにして、聖真をいたぶって楽しむ。

 聖真が震えながら恐れていたのもそれだった。


 前に岩瀬の命令を、聞こえないふりで無視したことがあった。

 すると岩瀬は椅子に座っていた聖真を床へと殴り倒し、その腹部を蹴りまくった。

 聖真はうずくまったまま、立ち上がることができなかった。

 あばら骨にはおそらくヒビが入っていた。

 しかし病院に行くと事件化して大事(おおごと)になる。

 すると岩瀬の父親の理事長が動くだろう。

 そして、きっと自分だけがひどい処分をされる。

 下手すれば退学になる。

 仕方なく湿布だけで治したのだが、1~2カ月ほど痛みが引かなかった。


〈その辛さを思えば命令を聞いておくほうがマシだ……〉


 聖真は床のクモに向かって歩いてゆく。

 クモの動きは、先ほどより、ややスローになっている。

 聖真は自分のノートを開き、床に這わせながら、その体を救いあげるように紙に乗せた。


 岩瀬がおどけた声でみんなに言う。

「これはケッサクだ。虫ケラがムシを殺してるよ!」

 クラスから大きな笑いが起こる。


 さらに岩瀬は聖真に寄ってきて、

「そのクモは外に捨ててきてな。ご苦労さん、虫ケラくん」

 と聖真の背中を軽くポンと叩いた。


 外に出ようと聖真がドアに向かうと、クラス中に再び、どっと笑いが起きた。

 聖真の背中に、

〈虫ケラ〉

 という大きな張り紙がついていたからだ。


 聖真は背中に何か貼られたことに気づいていた。

 しかし、それを取り払ってしまうと岩瀬の機嫌を損ねる。

 そしてまた殴られ、蹴られる。

 だから、みんなに笑われるままにしておくしかない。


 聖真は笑いの渦から押し出されるように教室を出た。

 屈辱の気持ちはあるが、そんなもの、もう慣れている。


 学校の中庭まで来た。

 私立高校らしく、業者によって手入れされた美しい花々が咲き乱れている。

 いまは授業中、ここには自分しかいない。

 こわばっていた聖真の表情が、ようやくゆるんでいく。


 手には、さきほど開いたノートを持っている。

 その上で小さな体が動き回っている。

〈このクモさん、ナガコガネグモだな〉

 先ほどは「殺せ」と言われたが、聖真にはそのつもりはない。

〈何も悪いことをしていないのに、命を奪うなんて……〉

 それに聖真は、昆虫やクモをはじめ、小さな生き物のことが大好きなのだ。


 聖真はノートの上のクモに話しかけた。

「おまえは一方的に、みんなに嫌われてるなぁ。俺と同じだね」

 クモは聞いてるのか聞いてないのか、2~3度、飛び跳ねた。

「害虫を退治してるから、人間から感謝されてもいいぐらいなのに、かわいそうだよ」

 聖真は、中庭の庭園にクモを放した。

 黄色と黒縞模様の体は、木々を伝い茂みの中へと入っていった。


 教室のドアを開けると、すでに教師がいて、聖真をにらんだ。

「すいません、トイレに行ってました」

 そう言って席に戻ると、机には白いチョークで

【クモ殺し】

 と大きな文字が記されていた。

 その周りにも寄せ書きのように、

【オマエも死んだら?】

 と黄色いチョークで書かれていたり、

 女の子の丸っこい文字で、

【汚い手で、あちこちをさわらないでね。ムシ菌がうつるから(殺)】

 と赤いチョークの文字も並んでいた。


 クラスのイジメは日に日にひどさを増している。

〈こんな生活に耐えていけるのだろうか〉

 涙がにじんでくる。

〈もう限界かもしれない。この世からいなくなるしか、ないのかも……〉


 その日の帰り、聖真は町の図書館に立ち寄った。

 死に方の本を探して、医学、死生観、自然科学の棚の周りをうろつく。

 そして目は、自殺を教えるタイトルを探していた。


 しかしさすがに公共図書館。

 そのものズバリを教えてくれる本は、なかなか置いていない。


 それでも聖真は、風変わりなこんな本を見つけた。 

〈【白魔術】孤独なあなたが幸せな死を迎えるために〉

 これは、まさに自分のための本ではないか。

 聖真は、思わず手を伸ばして棚から抜いた。

 暗い赤紫の表紙に、明朝体でシンプルにタイトルが書いてある。

 著者はファン・チェル・サンティーナ。

〈聞いたことないな〉


〈こんな本、俺以外に、誰が読むんだよ〉

 と聖真は思う。

 ともあれ、その本を借り、家に帰る。


 聖真の自宅は二階建ての一軒家。

 門を開けると小さな庭がある。

 しかし雑草が生えているだけで、何も手入れはされていない。


 鍵を取り出しドアを開けて無言で家に入る。

 室内は暗い。

 リビングの電気をつける。

 テレビとソファと衣類掛け以外、何も置かれていない殺風景な部屋だ。

 制服を脱いで短パンとTシャツに着替える。

 続いてキッチンに行き、お湯をわかしながら、冷蔵庫から冷凍食品を取り出す。

 適当に何品か見つくろい、皿の上に並べると、電子レンジにかけた。

〈死を考えていても、腹は減るものだな〉

 人間の体に感心してしまう。


 聖真の両親は貿易関連の商社を営んでいたが、中3のときに行方不明になった。 

 2人揃って出かけた海外の出張先で、突然連絡が途絶えたのだ。

 あらかじめ両親は、何かあったときのための書置きを残していた。

 だから一人暮らしになっても、聖真が生活に困ることはなかった。

 しかし、もともと内向的だった聖真。

 両親の失踪をきっかけに、ますます口数が少なくなった。

 そして高二の春のクラス替えをきっかけにイジメの標的にされ始めたのだ。


 この東光学園、中学受験で合格した時に、両親はとても喜んでくれた。

 両親はいつか帰ってくるかもしれない。

 だから学校はこれまで、辞めるに辞められないでいた。

 だからといって、もし学校を変わったところで……。

 きつとまたイジメに遭ってしまうのだろう。

〈だから、いま死ぬというのも、ひとつの手かもしれない〉

 

 電子レンジの出来上がりの音が鳴った。

 聖真は図書館で借りてきた本を開き、簡単に用意した夕飯を食べながら読む。


〈【白魔術】孤独なあなたが幸せな死を迎えるために〉

 あらためて凄いタイトルである。

 幸せな死を迎えるために、どうすればいいのか。

 そのためには現世を超える世界とつながれるよう、自分を変えていく必要があるという。

〈死ぬ方法を探していたんだが、どうも考えていたような本とは違うな〉

 そう思う聖真だが、

〈乗りかかった船だ。ひとまず読み進めてみよう〉

 聖真は本の指南に従って、魔術や錬金術の象徴的な記号のぺンタクルを作成した。

 そして、書いてあるとおり、ペンタクルに触れながら瞑想を行う。


 精神を集中し、見知らぬ世界に意識を持って行く。

 聖真は、自分の存在が消えていくような感覚に襲われる。


 いつの間にか意識を失っていたようだ。


 聖真はベッドに横たわって寝ていた。

〈ベッド? いつも自分は布団に寝ているのに?〉

 なんだか甘い花のような香りが漂っている。

 隣に、長い髪の女性が寄り添っていた。

 白く薄いネグリジェ姿だ。

 その顔は……クラスの美少女・西織靖恵。

 聖真がクラスで一番好きな女の子だ。

「西織さん、なぜ……?」

 聖真が聞くと、女の子は、

「私の名前、忘れた? コレットよ」

 聖真の頭の中は”?”でいっぱいになる。

 よく見ると、聖真もいつものジャージ姿ではない。

 白いガウンのような衣服を身にまとっている。

 コレットと名乗る女の子は、そのまま言葉を続ける。

「聖真、私を救って。私は戦争中の敵国に身柄を差し出されそうなの」

「どういうこと?」

「王家の側室として私を献上すれば、家族ごと国に迎え入れると言ってきているの」

「側室って何?」

 耳慣れない言葉に聖真が聞き返すと、

「王のお(めかけ)になれってこと。性の奴隷として差し出されるのよ」

 とコレットが訴える。

 と聖真は言葉を失う。

 コレットが続ける。

「きっとそれだけでは済まない。王だけでなく、城内の男たちの慰み者にさせられるわ」

「そんな……」

 そんな言葉しか絞り出せない。


 コレットは、まっすぐに聖真を見つめた。

「だから聖真、あなたに助けてほしいの」

 きれいな瞳。

〈彼女の中身は、きっと西織さんなんだ〉

 聖真はそう信じたくなる。

 だけど、ヒーローみたいな言葉が出てこない。

「俺……俺は……」

 コレットは聖真の手を握りしめる。

「勇気を出して。あなたなら大切なものを守れるわ」


 しかしそのとき、窓から黒い影が、超高速でガラスを破って侵入してきた。

「キャー!」

 悲鳴を上げるコレット。

 聖真は盾になって彼女をかばう。

 黒い影の人物は間違いなく敵国からの暗殺者だろう。

 その顔を見ると、なんと女性だった。

 セミロングの黒髪、白い肌、長いまつげ、端正な美人である。

 彼女が鋭く言い放った。

「ディータ王からの勅命だ、覚悟しなさい! 絶対に仕留める!!」

 彼女は、ほぼノーモーションで、至近距離から小型ナイフを心臓めがけて投げてきた。

 ものすごく速い! 

 よけられない……。

「ショーマーー!」

 コレットが絶望的な悲鳴をあげる。


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