番は自分の竜を恋い慕う
ヴィレが呪字の事を知っていると知った法術師達は、自分達が持つ訓練施設にヴィレを放り込んだ。
そこは、以前いた訓練施設と扱いは大差がなかった。多くの子ども達が狭くて汚い部屋に押し込まれて、雑用の傍ら、毎日呪字を教え込まされていた。
いずれも親に売られたか、人攫いに騙されて連れて来られた子どもばかりだ。髪を洗わせてもらえるのは十日に一度ほどで、夕食の前に井戸水を盥一杯だけもらってその水で体を拭く。
食事は法術師が食べた残り物を与えられ、皆で取り合うようにしてお腹に詰め込む日々が続いた。
いくら呪字を教えられても、適性がない者には術を顕現させる事はできない。
そう言った意味で、ヴィレはすでに才能を認められていた。以前拘束されていた訓練所で、簡単な呪字程度は刻めるようになっていたからだ。
これだけ手間をかけさせたのだ。才があるなら役に立てと、他の子どもたち以上に過酷な訓練を強いられた。
竜を縛る呪字など、ヴィレは本当は習いたくなかった。
けれどひと度この施設に放り込まれたら、法術師になるか、脱落して最下層の奴隷に成り下がるか、道は二つに一つだ。
奴隷に落ちれば、牛馬の代わりに耕地開拓や採石の仕事をさせられるか、あるいは炭鉱か糞尿処理場に回されるだろう。女ならば糞尿処理場の可能性が高い。
いくら若くて健康な体をしていても、糞尿を素手で汲む仕事を劣悪な環境で続けさせられれば、直に病をもらって寝付くようになる。それがわかっていたから、必死に訓練をするしかなかった。
だって、死んでしまったら二度とアンジュに会えない。アンジュに会うまでは何があっても生き延びるのだとヴィレは心に決めていた。
けれど、どうすればアンジュを見つけられるだろうか。
ヴィレは粗末な麻で作られた布団を体に巻いて眠りながら、一生懸命考えた。布団と言っても、元々は穀物を入れていた麻袋だ。この訓練所に連れて来られた子どもは法術師らにとって家畜も同然だから、これで十分だと考えられているのだろう。
アンジュに会うためには、誰でもいいから人間界で暮らす竜と繋ぎを取る必要があった。
けれどどうすれば竜が見つかるのかわからない。彼らは隠れ暮らしていて、人にばれないよう細心の注意を払っている筈だ。
アヴィとの会話を思い出したのはちょうどそんな時だった。
確かアヴィは、獅枇が人間界で医家やリュート弾きをしていたと言っていたのだ。
リュートが弾けるだけじゃなくて医家の知識もあるんだねとヴィレが感心すると、竜は人間界で暮らす時、医家や薬師の職を選ぶ事が多いのよとアヴィが教えてくれた。何でも竜は特別な鱗を持っていて、それは人間にとっての万能薬になるのだという。
そればかりでなく、竜は人が簡単に足を踏み入れる事のできない秘境にも空を飛んでいく事ができる。生薬の原料となる鉱物や植物を山から集めやすいため、生薬を扱う医家や薬師には打ってつけなのだとアヴィは言っていた。
その事を思い出したヴィレは、薬房を片っ端から回ってみようと思い付いた。診所に行けば診てもらうだけで金がかかるが、薬房ならば無料で訪れる事ができる。
竜はいろいろな国に散らばっている筈だから、偶々出会える確率はかなり低いだろう。けれど辛抱強く探し歩けば、いつか竜が営んでいる店に辿り着くかもしれないと思ったのだ。
一年間はおとなしく過ごし、それからは時々脱走し、竜の店を探すようになった。
大店や代々続いているような薬房は最初から避けた。そうではなく、下町で細々と生計を立てているような、こじんまりとした店がいい。
訪れた店に幼い子どもがいたり、親子で店を営んでいたりする様子があれば、すぐに店を出た。
竜と人は子を生せないと獅枇が言っていた。だから探すのは、夫婦だけで営んでいる薬房だ。
条件に合う薬房があれば、噛み傷に効く薬はないかと首の刻印を見せた。
だが、思うような反応を返してくる店主はいない。ヴィレはだんだんと自信を失っていった。
あの薬房を見つけたのは偶然だった。余りにも遠出をし過ぎて、帰り道で路地を一本間違えてしまったのだ。
迷い込んだ裏通りで、軒先に『薬房』の看板を見つけたが、ヴィレは最初、素通りしようかと思った。頑張っても頑張っても竜の店に行きあたらず、疲れ切っていたからだ。
今日はこれが最後だと自分を奮い立たせ、薬房の中を覗き込んだら若い夫婦がいた。
そして首筋の噛み痕を見せてみたら、その夫婦は驚いたように息を呑んだのだ。
竜かもしれない……と初めてヴィレは希望の光が見えた気がした。
薬房の主はヴィレに年を聞いてきて、続いて何に噛まれたか覚えているかと聞いてきた。
ヴィレは困ってしまった。ここで馬鹿正直に竜に噛まれたなどと言ったら、流石にまずいだろう。だからイモリみたいなものと答えたらお姉さんの方が笑いを堪えるように横を向くのがわかった。
そしてヴィレの名前を尋ねてくれたのだ。
一か月後に見せにおいでと言われ、その言葉だけが救いだった。
ヴィレはすでにいくつかの呪字を操れるようになっていて、他の訓練生達よりも頭一つ抜きんでていた。そう言った意味では他の者達よりも目を掛けられていたが、一方で脱走を繰り返すため問題児だとも思われていた。
無断外出の度に背中を鞭で打たれ、更には罰として丸一日ご飯を抜かれた。
それでもヴィレがうろつく事を止めなかったから、前回の外出の後、とうとう手首に法輪をつけられてしまった。
こんなものを嵌められたら、自分自身で法術を使いこなせるようになるまであの館からは逃れられない。
手首に嵌められた法輪を握り締めて、その晩ヴィレは一晩中泣き明かした。
この法輪から逃れるためには一人前の法術師になるしかない。けれど自分は本当にそこまで辿り着けるだろうか。
ヴィレと同年代で館に残っているのは、自分を含めた五人だけだ。他はすでに皆、脱落していた。
そして今残っている五人が、すべて法術師になれるとも思えなかった。
これから鍛錬はますます厳しくなる。鍛錬についていけた者だけが最終的に法術師を名乗る事を許されるが、なれるとしても早い者で十五、六歳だ。下手をすれば、三十手前でようやく一人前になれると聞いていた。
そんなには待てないとヴィレは焦った。
アンジュは七つのヴィレしか知らないのだ。大人になればなるほど容姿は変わってくるだろうし、そうこうしているうちにアンジュはいつしかヴィレの事を忘れてしまうかもしれない。
だからヴィレにとってはこれが最後のチャンスだった。
法輪を嵌めた事で、もう逃げだす事はないだろうと法術師達は高を括っていた。だからこそ、ヴィレは何とか館を抜け出す機会を見つけられたのだ。
でも、もう次はない。法輪さえも脱走を防ぐ枷にならないと知った法術師達は、もっと過激な方法に出てくるだろう。
あの薬房は今も空いているだろうか。
竜は人に正体がばれる事を極度に恐れている。警戒したあの夫妻があの後、店を畳み、どこかに逃げてしまっていてもおかしくなかった。
砂利を踏みしめるように歩きながら、ヴィレの心は希望と絶望の狭間を漂っていた。
ヴィレの竜が生きているのか死んでいるのか、それだけでも知りたかった。
もしアンジュが死んでいたら、ヴィレも後を追って死のうと決めていた。
この世界は余りに暗くて寂しすぎた。生きていて楽しい事など一つもない。でももしヴィレの竜が生きているのであれば、きっと何があっても頑張れる……。
後二話でおしまいとなります。ここまでお付き合いくださいまして、ありがとうございました。誤字報告を下さった方、いろいろとお手間をとらせてしまってごめんなさい。そしてありがとうございます。アップする前に毎回確認していたのですが、見落としてしまっているようで、ご指摘があってから初めて気付くような次第です。気を付けて参りたいと思います。最後になりましたが、感想やブクマ、評価やいいねボタンを下さった方に、心よりお礼申し上げます。




