表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/38

意図せぬ噛み 

人嫌いの竜と人間の子どもとの恋物語を楽しんでいただけると幸いです。第一話に残酷な描写が出てきますので、ご注意下さい。


 目に染み入るほどに青く空の晴れ渡った、ある夏の昼下がりだった。


 竜は耳がいい。

 照り付ける日差しの中を大きな翼を優美に広げて空を旋回していた彗主すいしゅは、遥か遠い山あいから聞こえてきた人間達の争う声に、思わずうんざりと顔を歪めた。


 竜と人間は相いれない生き物だ。


 卑小で狡猾な人間どもを竜はもとより相手にしないが、竜の鱗は万病に効き、その肉を食すれば若返るなどという流言がちまたに溢れていれば、欲深い人間どもが竜を放っておく筈がなかった。

 一攫千金を目指して竜を狩ろうとする命知らずの狩人は後を絶たず、竜が多く生息する山々はそうした狩人らの格好の狩場となった。


 こいつらも竜を狙ってここまで入り込んだのか。

 深い森を眼下に見下ろしながら、彗主は不機嫌そうに低い唸り声をあげた。

 山を覆う木々は深く、その内部にどんな悪意を潜ませているのか遠目にはわからない。


 元々、気は長い方ではなかった。変な動きを見せるようならいっそ後腐れなく山ごと焼き尽くしてやると、彗主が物騒な炎の塊を太い牙の間から吐き出そうとした時、木々がまばらとなった崖の方に人間達が姿を現した。

 その集団の先頭を駆けていた子どもが、空を舞う竜の影に初めて気付いたようにふっと空を見上げる。


 赤毛……?

 今まで見た事もない髪色に一瞬目を瞠った彗主だったが、すぐにそれが銀に近い金髪を染める血の色だと気が付いた。

 髪を振り乱して逃げる少女の顔も手も体も、赤黒い血にまみれていたからである。


 刃を煌めかせて子どもを追っていた男達が、子の視線を追うように空を見上げた。

 こちらからちょっかいを出さない限り、竜は滅多な事で人を襲わない。そうとわかっていても、猛々しい気配を纏って上空を飛ぶ巨大な黄金竜の姿に、男達は射竦められたようにその足を止めた。


「――……!」


 と、谷に突き出た崖っぷちに追い詰められていた少女が、彗主に向かって大きく叫んだ。その言葉を聞き取った彗主の瞳が、一瞬大きく見開かれる。


 ここにいるみんなを殺して……! 一人残らず……!


 その求めに応じるように彗主は人の集団に近付いた。

 竜に対してこんな事を叫んでくる人間は初めてであったし、純粋に興味を引かれたのだ。


 見つけた獲物をなぶるように低空で旋回を始めた彗主は、その時になって少女から漂う血の匂いに覚えがある事に気が付いた。

 確か山を一つ越えた街道沿いで、身ぐるみ剥がれて転がっていた十数個の遺体にこびりついていた血と同じ匂いだ。とすればこの子どもは、あの者達の生き残りという事なのだろうか。


 同族で殺し合う性根のおぞましさに、彗主の鱗が逆立った。

 今まで人を襲った事はなかったが、殺し合いがそれほど好きならば代わりに自分が手を下してやろう……。

 瞬時にそう心を決めた彗主は、獰猛な殺意を琥珀色の瞳に煌めかせた。


 突然翼を畳み、落下する体勢で地表へと滑空してくる巨大竜の姿に、屈強な男達があられもない悲鳴を上げた。

 にやにやと笑いながら子どもを追い詰めていた男達が、我先にと争うように踵を返す。

 その中でひときわ豪華な装飾品を身に付けていた大柄な男が、傍にいたひょろ長い男の襟首を掴んで、彗主の方へと大きく突き飛ばした。彗主の鋭い爪が、倒れ込んだ男の腹を横一文字に切り裂き、断末魔の悲鳴が周囲に響き渡る。


 血飛沫ちしぶきを上げて倒れ込む配下の男を後目しりめに、必死に距離を稼ごうとしていたその大男は、次の瞬間、竜のしなやかな尾で空へと高く跳ね上げられた。まるで鞠のように空高く放り上げられた男は、虚空であわあわと手足をばたつかせ、緩やかな放物線を描きながら落下して山の岩肌へ叩きつけられる。ぐしゃり、と何かが潰れる気味の悪い音がした。


 腰を抜かしていた一人は、狂ったように大刀を振り回したが、普通の刃で竜が切れる筈もない。固い鱗に弾かれて尻もちをつき、体勢を整える間もなく鋭い爪で首を掻き切られた。

 血をしたたらせた頭が勢いよく地面を転がっていき、それを思わず避けようとした夜盗の一人が、足を踏み外して深い谷底へと落ちていく。


 残された男達が木立の生い茂る方に向かって死に物狂いで逃げようとするのを、彗主はうるさい蠅を追い払うように尾で薙ぎ払った。ある者は岩に叩きつけられ、別の三人は大きく空を舞って崖下へと転落していく。

 命乞いをしようとした最後の男は、鋭い鈎爪で腹を切り裂かれ、その場で絶命した。


 崖の縁に立っていた少女は、目を逸らす事もなくその光景を見つめていた。

 地面に降り立った彗主がゆったりと翼を畳んで少女に近付いても、逃げようとする素振りすら見せない。血に塗れた彗主の鉤爪を見つめ、少女はうっすらと微笑んだ。


「あいつらの言った通りだった……。竜は人の言葉がわかるって」


 まだ六つか七つの子どもだった。顔立ちは悪くないが、全体的に痩せこけている。顔は小さく、湖水を思わせるような青い瞳ばかりが大きく見えた。

 血と泥に汚れ、ぽつんと突っ立っていた少女の頬をひとしずくの涙が流れ落ちた。


「いいよ、食べて。あたしもう、独りぼっちだもん……。な、何であいつらから逃げようとしたのかなあ。お母さんは死んじゃったのに……」


 ぼろぼろと涙を零す少女を、彗主は不機嫌そうに眺めやった。

 目の前で殺戮劇を見せつけてやったというのに、竜を恐がろうともしない少女が彗主にはどうにも腹立たしくてならなかった。


 ここは命乞いをするところだろうと彗主は心の中で吐き捨てた。

 いくら口で強がりを言っていても、いざ自分の命が失われようとなると、それを惜しむのが人間だ。

 現に最後に殺した男などは、恐怖の余り糞尿を漏らしていた。


 脅すような獰猛な唸り声をわざと響かせれば、泣きじゃくっていた少女が不意に顔を上げて彗主を真っ直ぐに見た。

 覚悟を決めたコバルトブルーの眼差しが彗主の瞳を静かに射抜く。

 邪念のないその眼差しを恐れるように、ついと目を逸らしたのは彗主の方だった。


「殺していいよ」


 少女は彗主に向かってゆっくりと首を差し出した。


 人を殺したばかりで凶暴な猛りを抑えられない彗主にとって、それはいかにも甘美な餌だった。


 首に顔を近付けると、少女はぎゅっと目を瞑った。

 気持ちを定めたとはいえ、首を噛み切られるのはやはり恐ろしいのだろう。脇に垂らされた小さな拳が震えていた。


 少しでも声を立てたらこのまま首を食い千切ってやろうと彗主は思った。

 これほど弱々しく無抵抗な子どもを狩るのは本意ではないが、殺せと煽ってきたのはこの生き物の方だ。

 その舌の根も乾かぬうちに悲鳴を上げて命乞いをしてくるなら、約を違えた罪で躊躇いなく命を刈り取ってやれる。


 少女の細い首に牙を立てた瞬間、その小さな体がびくんと強張った。

 さあ、早く泣き喚けと彗主は思った。顎に力を込めれば、こんな細い首などすぐに嚙み切れる。


 だが、恐怖に泣き叫ぶ筈の少女は、一向に抵抗を示さなかった。喘ぐように体を震わせながらも、何を思ったか彗主の顔に両手を伸ばしてくる。


 小さな手がふわりと彗主の顔を抱き込んだ。

 牙が食い込んだ肌から血がしたたり落ち、同時に少女の感情までが期せずして彗主の中に流れ込んでくる。


 彗主はこれが『噛み』だと悟った。焦りながら顎に力を入れようと思うのに、何故かそれ以上牙を立てる事ができない。

 少女の絶望や哀しみ、安らぎと感謝が彗主の魂に入り込んできた。

 そして人の色を竜の核に落としていく。


 彗主に牙を立てられた少女の方にも、竜の一部が流れ込んでいた。

 生命の核を根幹から変えていくような気の流れが少女を内側から侵食していき、その不調和に耐えられずに少女は意識を手放す。


 弛緩した幼い体がどさりと地面に崩れ落ち、彗主は呆然と足元の物体を見下ろした。


 彗主は唸り声を放ちながら、ぐるぐると少女の周りを歩き始めた。


 少女の首に残る忌々しい噛み痕。

 それはまがう事なき誓約の印だった。

 竜が人間に囚われた事をあかしする、無様で屈辱的な刻印……。


 彗主は、今や深い憎悪を込めてこの少女を睨みつけた。

 自分がこのような刻印を卑小な人間に許してしまった事がどうにも理解できない。


 鋭い鈎爪でほんのひと掻きすれば血の呪縛から逃れられる事はわかっていた。なのにどうしてもそれができなかった。

 殺したくて堪らないのに、魂のどこかがそれを行う事を恐れさせた。


 彗主は鈎爪で体を引き裂く代わりに、つんつんと少女の頬を突いてみた。

 少女は深い昏睡に陥り、ピクリともしない。このまま場に放置すれば、森に生息する狼がこの子どもを始末してくれるだろう。


 だが、狼にくれてやるのも惜しい気がする。


 そう、惜しいだけだ……と彗主は自分に言い聞かせた。

 これは自分の獲物だから、生殺与奪の権利を持つのはこの自分で、食い意地の張った狼などではない。


 ぐったりとした小さな体を繭のような結界で包み込み、彗主はその塊を慎重に持ち上げる。そして尚も躊躇いを捨てきれないおのれに、殺すのはいつでもできると言い聞かせた。


 陽に煌めく強靭な翼を大きく広げ、彗主はそのまま空に駆けあがる。掌の中の小さな命はほんのりと温かく、感じた事のない焦慮と仄かな恐怖を彗主に覚えさせた。



先月、仮初め寵妃のプライドにレビューを頂きました。とても嬉しかったです。この場を借りてお礼を申し上げます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ