天蓋を墜とす(中)
放たれた息吹は、雪と氷の世界をさらに冷たく凍らせる。
地面を撫でるように薙ぎ払われた吐息は、闇の世界にダイヤモンドダストの奔流を煌めかせた。
だが、今回の息吹はこれだけで終わらない。
凍てつく魔力は凍りついた地面を形成し、さらに氷でできた枯れ木か石筍のような剣山を急成長させる。
その様子はまるで、地面の下から無数の槍が貫かれたかのようだ。
氷の剣山は星詠みの魔女を追い詰めるように、息吹の届かなかった範囲にまで、どんどんと勢力を拡大していった。
「さっそく使いこなしていますね……本当に以前は人間だったのですか?」
躱しながら呆れた表情な魔女の戯言。
それを無視して、俺は精霊に向けて咆哮を上げる。
――【氷の刃】【吹雪に舞え】【狙え】【落とせ】――
再び激しさを増して巻き起こる吹雪。
その風に舞うは、もはやおなじみとなった無数の氷の刃。
魔女に精霊を奪われるなら、初めから精霊に頼らなければいい。
上空から次々と投下される氷の刃は、慣性と重力の純粋な物理法則に従って、星詠みの魔女を目掛け特攻する。
そして彼女が氷刃落としの弾幕と戯れている隙に、今度は龍の言霊を使わず精霊に密命を下した。
吹雪に紛れて天の果て、雪雲の中へと姿を消す精霊。
……これで最後を決める布石は整った。
俺は跳躍し、氷の剣山を飛び越えて魔女の前へと躍り出る。
もはや何度目になるか分からない攻防。
初手、俺は着地しながら獲物を狩る獣のように腕を振り下ろす。
ところが残念ながら、それはあっさり躱された。もちろん手加減したわけではない。
今度こそ、決めてやる。
追撃として、退いた彼女の足元から氷の槍を生やす――それもまた、ひらりと躱される。
俺はさらに一歩踏み出しながら、尾で前方を薙ぎ払う。
ただし、本命は鞭のようにしなる尾そのものではない。
星詠みの魔女に、大小様々な氷の礫が襲いかかる。
その正体は、さっき地面から生やした氷の槍。
高速で振り抜かれた俺の尾は一撃でそれを砕き、打ち飛ばした欠片を新たな攻撃手段としたのである。
――しかしそれらも、彼女が新たに生み出した光弾によって相殺された。
残った光弾は眩く煌めくと、惑星のような軌跡を描きながら俺に向かって飛んでくる。
しかし俺は退くことなく、左腕を覆うような氷の大盾を生成し、強引に突進を仕掛けた。
盾が光弾を受け、立派に役目を果たして砕け落ちる。
十分な距離まで接近したら、右腕をアッパーカットのように振り上げ鉤爪で攻撃。
その斬撃は衝撃波のように伸びて雪の大地を切り裂き、巻き上げた雪をさらに凍りつかせていく。
文字通り、大地に残る爪痕。
だが、星詠みの魔女はそれを読んでいたのか、後方にではなくサイドステップでひらりと回避する。
鉤爪と斬撃波を避けられた俺は、すぐさま次の攻撃へと移る。
彼女の遥か後方で、斬撃に込められた魔力が無意味に弾け、鋭い氷柱で構成された氷の華を咲かせた。
ここまでのやり取りはもちろん、氷刃落としが継続する中の攻防だ。
こうして直接近くで殴り合っている間でさえも、星詠みの魔女は光弾を器用に操り、降り注ぐ氷の刃を破壊し続けている。
ちなみに、近くにいる俺にも巻き添えで、刃状の氷柱がガンガン当たっていた。
どこまでも躱され続ける俺の攻撃。
しかし、それでも俺は追撃の手を緩めない。今回は闇雲に攻撃しているわけでもないのだ。
攻防のさなかに溜めを済ませていた息吹を、広範囲に広げるように放つ。
煌めくダイヤモンドダスト。再び地面から生えてくる氷の槍たち。
広範囲に広がった冷気が、雪原を凍らせ地形を刺々しく変えていく。
これは一見すると魔女を足元から狙った範囲攻撃だが、その実は大規模な魔術を行使するための魔力をばら撒くこと自体が目的だ。
我武者羅な攻めを演じて、それを覚らせないよう立ち振る舞う。
その後も、空からは氷柱が、地面からは氷の槍が、隙あらば鉤爪や牙、さらに尾の薙ぎ払いが。
戦闘が長引くにつれ、緩やかだった雪原の風景は面影を失くしていった。
たった数分間の戦闘。
謀をたくらむ俺にとっては、途方もなく永い時間。
最後の一手を目指して、大胆かつ狡猾に。
不死性に任せた強引な戦い方ではなく、しかし再生能力を出し惜しみするでもなく。
己の培った今まで、その全てを賭け、潜ませた罠を成立させるために全力を注ぐ。
そして、ようやく完成した。
俺が息吹を放つたびに広がっていった氷の剣山。
それがついに、ぐるりと俺たちを取り囲んだのである。
「氷の壁、捕えろ!」
俺は仕上げに大地を踏み鳴らし、魔力を地面に奔らせた。
ばら撒いた俺の魔力が、地面から突き出した剣山を骨格にして一瞬で形を成す。
俺が想像したその姿は、半球状のドーム。
俺は星詠みの魔女を閉じ込めることに成功したのだ――かつて逃げる冒険者たちの退路を塞いだ時のように。
ただし、今回は準備に時間をかけただけあって、壁の展開がさらに早く、頭上まで氷の天井で覆われた完璧な形状である。
発動から数秒もかからず完成した牢獄には、流石の彼女も干渉できなかったらしい。
もう逃げ場はない。
密室の温度は急激に下がり、その内側は鉄の処女のように刺が伸びて迫ってきていた。
「もしかして、これでステラちゃんを捕らえたつもりですか?」
あと少しで彼女に届く。その長さまで、氷の刺が伸びる。
星詠みの魔女は少し多めに光弾を生み出し、当たり前のように彼女を捕らえる檻を壊そうとした。
……それが転移をさせないため、わざと用意された隙だとも気付かずに!
「貫け!!」
あの日の少年と同じように、俺は命じた。
その刹那、薄氷の天井を突き破って何かが降ってくる。
彼女は無防備にも全ての光弾を使って伸びてくる刺を対処した、まさにそのタイミングでだ。
獲物を狩るハヤブサのように、高速で天井の向こうから降ってきた物体。
その正体は、氷でできた剣。
最初のほうで空の果てに隠した、俺の切り札。
思い起こす情景は、金属製の酒瓶と、その死角から脳天を貫いてきた光の剣。
太陽のような弓使いの少年。俺は彼のやった作戦を、氷を使って再現したのだ。
まさか時間をかけて作った氷のドームが、初めから壊す予定の囮だったなんて、夢にも思わなかっただろう。
いや、気付けるはずがない。
だってこれは、彼女にとって、俺らしくない攻撃だったはずだから。
きっと今までの俺だったら、せっかく作り上げた氷のドームの中で決着を付けようと躍起になっていた。
しかし、過去を糧にして、俺はさらに一歩、前へと進んだのである。
風よりも速く加速した氷の剣は、見事に星詠みの魔女の不意を突き、間違いなく当たったように見えた。
――さて、バラは返してもらうぞ。
俺は勝利を確信し、心の中で彼女に宣告した。
決着の瞬間。
むしろ俺はやり過ぎを心配する。
もし本当に彼女が死んだら、バラを返してもらえないかもしれないからな。
その結末を見届けようと、瞬きもせず彼女を見据えた。
――刹那、世界が目を灼くような白色に染まる。
雪や氷の白ではない。
閃光だ。
目が潰れる直前、最後に見えたのは星詠みの魔女が光弾を恒星のように光らせる姿。
その直後、強烈な光が世界に満ちて、俺の目は機能を失った。
「今のは、ちょっとだけ惜しかったですね♪」
氷が崩れ落ちる音。未だ戻らない視界。
背後から少女の笑う声が聞こえた。
閃光弾を使われるモンスターの気分(直喩)
かつて強敵たちに使われた技を、今度は自分が使って戦う→ロマン
なのにそれをあっさり対処される→絶望
とはいえ前回・今回で割と描写を露骨にしたので、彼女の能力の起点が何かは予測できてしまうと思います。




